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#有田哲平
sekasu2007 · 6 days
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東野幸治、くりぃむしちゅー有田が就任したTHE SECOND「ハイパーゼネラルマネージャー」という役職にツッコミ「ようフジテレビも真顔で言うたな(笑)」
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ari0921 · 5 months
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我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“���んでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが��及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるで��ょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gupaooooon · 9 months
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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kennak · 2 months
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昨年10月期の連続テレビドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)で、原作者・芦原妃名子さんの意向に反し何度もプロットや脚本が改変されていたとされる問題。日本テレビは社内特別調査チームを設置すると15日、発表した。芦原さんは先月29日に亡くなったと伝えられていた。小説や漫画などの映像化における制作サイドによる原作の扱い、および脚本化のプロセスがクローズアップされるなか、過去にNHKが辻村深月さんの小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化にあたり、原作者と出版元の講談社からのプロットを見せてほしいという要求に応じず、撮影クランクインの2週間前に���備稿を見せ、講談社から容認しがたい改変があるとの理由に映像化を断られるという事態が起きていた。NHKはドラマ制作の中止を余儀なくされたとして講談社に約6000万円の損害賠償を求めて提訴し、東京地裁はNHKの要求をすべて棄却したが、裁判のなかでNHK幹部が、原作者による脚本の確認について「検閲に当たる」と述べていたことが、改めて問題視されている。 『セクシー田中さん』の問題をめぐっては、日本テレビは先月29日と30日に <原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております> などとするコメントを発表して以降、沈黙を守っていた。多くの漫画家や脚本家、有識者などから詳細な経緯の説明を求める声が高まるなか、原作漫画の出版元で芦原さんの原作代理人として日本テレビとの契約ややりとりの窓口だった小学館は今月8日、「第一コミック局編集者一同」名で発表されたコメントを公式HP上に引用。そこには <ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様には(編集部追記:芦原さんの)ご意向が伝わっていた状況は事実> と綴られていた。  一方、脚本を担当する相沢友子さんは自身のInstagramアカウントで8日、 <芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか> と投稿。1月に芦原さんは自身のブログ上で、ドラマ化を承諾する条件として日本テレビとの間では<ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく>との取り決めを交わしていたと説明していたが、相沢さんはこの取り決めを知らされていなかったとみられている。  日本テレビ関係者はいう。 「もちろん社内では関係者への聞き取り調査などは行われていたが、局としては最終的には原作者の承諾を得た脚本に基づいて制作し放送しており、契約違反はないというスタンスで、当初は正式に調査や結果の公表をする意向はなかった模様。だが、4月期に小学館の漫画を原作として『セクシー田中さん』と同じプロデューサーが担当する連ドラが放送されると報じられたことも重なり、沈黙を貫く局への世論からの批判は収まらない状況となった。また、小学館が社内の反発を抑えられずに日テレ側に責任があるかのようなコメントを出したのも想定外だった。  今回、第三者委員会という形態を取らずに社内の調査チームというかたちを取ったのは、調査やその公表を完全に外部に任せてしまうとマズいということで、局としてコントロールできる余地を持っておきたかったのだろう。その意味ではギリギリの線を守ったともいえるが、いくら外部識者の協力を得るといっても、社内の調査チームが調査しましたというかたちで、どれだけ世論の納得を得られるのかは疑問」  危機管理・広報コンサルタントの平能哲也氏も10日付当サイト記事内で次のようにコメントし、第三者委員会設置の必要性を指摘していた。 「原作者とテレビ局のドラマ制作サイド、脚本家の意見が食い違い、原作者が亡くなるというのは極めて異例の事態。また、この問題は日本テレビと小学館だけにとどまらず、日本のテレビ業界・出版業界全体に影響する事案であり、再発防止という観点でも、しっかりと第三者委員会を設置して調査・結果の公表をすべきといえる」 NHK幹部「第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない」  そんななか、同様にドラマ制作における原作の扱いをめぐり裁判にまで発展した過去の事案が再び注目されている。2012年にNHKが放送予定だった『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』を原作とするドラマで、講談社は原作がどのように脚色されるのかを把握するためにNHKに再三にわたりプロットを確認させてほしいと求めていたが、NHKは応じず。講談社はクランクインの2週間前になってようやくNHKから準備稿を見せられたが、容認しがたい改変がされているとしてドラマ制作を容認できない旨を伝えた。するとNHKは、すでに費用が発生していることを理由に、講談社に対し約6000万円の損害賠償を求めて提訴。東京地裁はNHKの要求をすべて棄却したが、NHKはこれを不服として控訴するという紛争が起きていた(その後、東京高裁の和解勧告に基づき和解)。  そして、裁判のなかで証言に立ったNHK幹部は以下のように発言していたのだ。 <放送局として、我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない。ほとんど検閲に当たります>(15年4月28日付け講談社リリース「『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』に関するNHKとの裁判の判決に対する講談社の見解」より)  同リリースのなかで講談社は次のように述べている。 <管理委託を受けている出版社が、原作者の意向を受けて脚本に意見を述べることを「検閲」と捉えていることに、私どもは衝撃をおぼえました> <NHKは自らの一方的な判断で制作準備を進め、クランクイン予定日を設定していました。にもかかわらず、すでに様々な費用が発生しているので、その全額を払えと、弊社に対して裁判を起こしました。脚本委嘱料、撮影に要する美術費、出演料、職員の出張旅費・手当、会議費、タクシー代、携帯電話代、さらには原作書籍の購入代金まで、すべてを負担せよと要求してきたのです> <当該スケジュール下での当該制作チームによるドラマ化は容認できないが、NHKから再提案があれば優先的に検討するというものだと、何度もNHKに説明しました。それゆえ、私どもはなぜNHKがこのような裁判を起こしてきたのか、いまだに理解できません>  テレビ局関係者はいう。 「10年くらい前は、このNHK幹部の思考はNHKに限らずテレビ業界全体に共通のものだったといっていい。モラルとしても法律的にもめちゃくちゃだが、『原作とドラマは別物』という感覚で原作サイドがドラマの内容に口を挟むということは許されないという風潮があった。原作者・出版社サイドとテレビ局の間に明確な力関係が存在するという背景もあったし、その上下関係は今でも残っている。さすがに今ではコンプラ意識や著作権に関する意識の浸透もあり、基本的には局が原作者サイドに脚本について承諾を得ないまま制作を進めるということはない。ただ、ここまでSNSが発達しておらず、多くの漫画家や脚本家たちの意見が公にならない状況であったなら、日テレが正式に調査に動き出すという展開にはならなかったかもしれない」 【これまでの経緯】 『セクシー田中さん』の制作にあたっては原作者の芦原さんは、ドラマ化を承諾する条件として日本テレビ側に、必ず漫画に忠実にするという点や、ドラマの終盤の「あらすじ」やセリフは原作者が用意したものを原則変更しないで取り込むという点を求めていたとされる。芦原さんが1月にブログなどに投稿した文章によれば、何度も大幅に改変されたプロットや脚本が制作サイドから提出され、終盤の9〜10話も改変されていたため芦原さん自身が脚本を執筆したという。  問題が表面化したのは昨年12月のことだった。脚本を担当する相沢友子さんは自身のInstagramアカウントで、 「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」 「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」 と投稿。9話・10話の脚本は自身が担当していない旨を説明した。  これを受けさまざまな憶測が飛び交うなか、1月に芦原さんは自身のブログ上で経緯を説明。ドラマ化を承諾する条件として、制作サイドと以下の取り決めを交わしていたと明かした。 <ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく> <漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する。原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたい>  芦原さんは、これらの条件は<脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件>であると認識していたため、<この条件で本当に良いか>ということを原作漫画の発行元である小学館を通じて日本テレビに何度も確認した上でドラマ化に至ったという。  だが、実際に制作が進行すると毎回、原作を大きく改編したプロットや脚本が制作サイドから提出され、 <漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう> <個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される> といったことが繰り返された。そして1~8話の脚本については芦原さんが加筆修正を行い、9~10話の脚本は芦原さん自身が執筆し、制作サイドと専門家がその内容を整えるというかたちになったという。
NHK、原作者による脚本確認を「検閲」と表現…過去に講談社に損賠賠償請求 | ビジネスジャーナル
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bailonglee · 3 months
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彼ら
僕たち全員が、[何かがおかしい]、[世の中狂ってる]、そう感じていた正体が、グローバリストと呼ばれる連中だった。
私にとっては、とても長い旅だった…w
訳わかんない、統一化の規則、髪の毛は眉にかからず、耳にかからず。
パーマ、茶髪禁止。
中学に上がって、すぐそんな規則に触れた…
そもそも、何でもかんでも、規則、規則とやりたがるのは誰なんだろう?
その正体が、わかった。
“政治”に巣食うのは、誰だ?
それが、大本教をトップとした下位組織、生長の家、日本スピリチュアル協会、創価学会など。
縁もあったか、彼らの本質がわかった。
やたらと、競いたがる。[俺の腕前を見せてやる!]とかw🤣
上から目線、何もかも知ったような態度。[俺は悟ってる。俺は知っている。]的なスタンス。
表面上は、常識人、善人アピール、だが肝心な所では、全て自分が優先、他人がどうなろうが、(俺はこんなにも大変なんだ!)、それを言い訳に、やたら自分を甘やかす。本当の慈悲は、かけらも持っていない。
頭でっかち、物事は自分らの計画通りにやる。緻密な計算、幼稚な画策、それを細かくスクリプト化する。(その��ラノイアぶりが、アカシックレコードまで発見した。)
性欲が凄い…w🤣そして、他人の伴侶だろうが、平気で手を出す。生長の家に関しては、乱交を、魂の錬成と解釈する。統一教会の合同結婚式は、有名。言い訳もある。色欲界を抜けねば、悟りの境地に至れないとか。ただの乱交なのにw🤣
犬や猫が、人間の真似をする。
人間のように、歌おうとする犬もいるw🤣
しゃべる猫とか動画で実際あるが、[そう聞こうとしたら、そう聞こえる]程度、ワウワウ鳴いてるだけw🤣
私達が今人間でいるのは、大変凄い事。
人間は、神になれる。
キリストは、無受精と言われるが、立派に女股から生まれた。
人間として、生まれた。
歴史上の人物であり、架空の存在ではない。
ナザレという貧しい町に生まれ、30歳まで大工として生計を立てた。
8人兄弟だ。
さて、
私は創価学会の人間、2人と友人だった。
一人目は、富山県で。
同じ村田製作所の仕事をした。
皆は、学会員であるという事で、彼を敬遠した。
私は最初に宣言した。
創価学会に入る気はないが、人として共感出来る部分があれば、付き合いは出来ると。
彼は、喜んだ。
一緒にサウナ行って、フルチンでプールで泳ぎ、ふざけたりしたw🤣
創価学会員とて、人間。
必ずしも創価学会員だけで行動する必要ないし、誰かを絶対に学会員にしなきゃならない訳でもない。
だから、私は普通に学会員と付き合える。
問題なのは、学会員としか付き合わない、コアな連中だ。
こいつらが、集団ストーカーしたり、盗聴、電磁波攻撃したりする…
田舎もんの、いじもられっ子の、妄信者だ。。
もう一人は、ここ大田区。
彼は最初、リュックに大量の創価学会の資料を詰め込み、私を説伏するために来たが、創価学会の知識を遥かに越える私の哲学、知識、彼は諦めたw🤣✨😎
そして、普通にバイク友達、普通に茶飲み友達として、よく遊んだw 🤣
だがしかし、創価学会からの圧力か?、彼は大田区を離れ、神奈川へと引っ越した。。
私を説伏出来なかった訳だが、キリストの魂を持つ人間を、誰が説伏出来るというのだ?w🤣
プラス、ルシファーの魂まで持つ、つまり、善と悪の、ハイブリッドなのよ、こちとらw🤣
で、
新興宗教2世たちが、私に興味を持ってくれる事が、多々あるのは、嬉しいですねw🙂✨👍
俺には、敵愾心などないw
競う気も、無い。
世界を愛で満たしたい、それだけw
彼ら信者は、輪廻しなきゃ、この時代は生き抜けない…
それくらい、修行と経験、知識が足りない。。
私含むスターシードたちは、彼ら信者が、想像すら出来ないくらい、艱難辛苦を乗り越えた。
信者たちは、他人、つまり池田大作なりの追体験をしてるだけ、本質は、経験不足を隠すため震え、「威風堂々」などとぬかし、自分を大きく見せている…
残念ながらスターシードたちとは、蟻🐜と、象𓃰ほど、違うw🤣✨
蟻が数の論理を言い勝ち組叫ぼうが、一瞬で象に踏み潰されるが、我々象は、蟻を踏み潰さぬよう、細心の注意を払い続けているw🤣
まあ、
信者諸君、
そんな事実、
受け入れなきゃ、
自分らでこの世界を滅ぼすでしょう。
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nccwa · 5 months
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【海外文轩】杨秋生小说 | 走出Google Map 的魔咒
Original 杨秋生 海外文轩 2023-12-04 08:07 Posted on 美国
她竟然在Google Map 的街景图里看到他。
她是个自雇会计师,那段时间她每天固定要去两个地方,中间有一个小时的空档。两个地方蛮近的,如果办完第一件事回家,大概也只能休息10分钟,又得出门了。她就想,不晓得两个地方附近有没有什么公园,或者有树荫可以遮蔽烈阳的地方?就趁那个空档时间走完每天规定自己的一万步。
于是她利用Google Map 的卫星图一路寻找看看。
她发现那儿附近有一片新兴的住宅区,外围规划了弯弯曲曲的步道,步道边上种了一棵又一棵苍苍郁郁长得相当繁茂的树,正合她的心意。但卫星图是从空中俯瞰往下照的,看不出实地走过住家的模样,于是将卫星图转为街景图。这一转,清晰的马路与房舍立刻映入眼帘,真实地让人身历其境。她的手指不断地顺着像是新开发的社区步道一段一段滑过去,整个社区规划得极好,房子设计也很新颖。滑着滑着,她居然看到一个年轻的妈妈牵着一个小女孩,像是正在过马路。她像发现了新大陆似地,兴致一来,重新回到原始设定地图,找了一个公园,再转换成街景,竟然看到一群年轻人正在公园聚会,如此传真,她似乎都能感受到公园里热闹的气气氛了。
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Google Map卫星图
她像着了魔似地,打入自己家的门牌号码,想看看自己家在Google Map里是什么样子?
她看到了她那辆看起来像新的一样的丰田卡罗拉孤伶伶地停在车道,靠马路的白色围牆上攀爬着开得正盛的亚当玫瑰,衬托着翠绿的草坪十分美丽。
她不由想起他。
自从她对隔壁街道一家白围牆上攀爬着美丽的亚当玫瑰赞口不绝后,他便将前院靠马路的草坪产去一大片,搭上矮围牆,每隔几尺种上一棵带着仙气的亚当玫瑰。几年下来,玫瑰越开越盛,那道花牆成为他们那条街最美丽的风景,见证着他们的爱情。
她以为她已将他封尘在记忆的深处里了,而面对着Google Map 里她家的屋子,一切如此真实,彷彿触手可及。她忍不住将手按在她称之为「爱庐」的精致屋子,不停地放大、放大、放大,想看能不能在窗口边捕捉到他的身影。
寻找他的身影的念头像一块石头,丢入她已然平静的心湖,激起一圈又一圈的涟漪。过去的记忆瞬间翻江倒海而来,一股极为难受的情绪堵住胸口,眼泪掉了出来。
她自来是没有什么方向观念的,往往转个弯,就不知道东南西北。而他的脑袋就是一个GPS,根本不需要任何的帮助,一定能够顺利找到目的地。
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Google Map街景图
他宠着她,只要她想到那里,他就开车带她去。后来她上班,他陪着她从家里到公司好几趟,确定她记住了来回的路线,才让她自己开车去上班。
她顺势依赖着他,感觉她是世界上最幸福的人。
日子就像他脑袋中的GPS,轨道从来没有出错过,而命运却让她错过了所有的轨道。
那年夏天,热浪来袭,夜里她忽然惊醒,屋外像有什么窸窸窣窣的声音,听起来像风吹着叶子的声音,也有一点像刚下起豆大雨珠的声音。床边他的位子是空的。她想应该已经是深夜了,夜里有时他睡一觉会醒来,便起身到书房打开电脑做点事,累了,再回来睡个回笼觉。她一时也睡不着,下了床,穿过走道,打算也到书房。走到一半,却看到紧邻餐厅的家庭间有着微弱的灯光透出来。
家里的灯都是可调整亮度的,调到那么微弱的光线,感觉上很不寻常。
她悄悄走过去,停在门口,伸个头往里望——她清楚地看见他坐在沙发上的一角发着呆。原来他并没有开灯,而是外头满月的光透过偌大的玻璃窗照了进来。分明是夏天,月光却带着寒气,让他看起来像冰雕出来似的。
她一下子什么事明白了。
他喜欢小孩子,她也是。
虽然他是独生子,即使婆婆没事就要叨上几句,可是他从来不催她,给她最大的自由选择。
她太爱他了,婚后倒是一心准备着迎接属于他们两个的新生命。
可是,一个月又一个月,他们都错过机会。
送子娘娘似乎忘了他们的存在,五年过去了,婆婆的脸越来越难看,说出的话也越来越恶毒,连他都缓和不了,他们只好约着去看不孕症医生。
妳动过卵巢巧克力囊肿的切除手术吧?
当医生这样问她的时候,她的心一震。
那是好久以前的事了。
青春期时候,她每个月到了固定时间都痛不欲生,需要请假,妈妈带她去看医生,检查出两侧卵巢都有大到必须开刀切除的巧克力囊肿。医生信誓旦旦地说,经痛、经期不规则、经血量增加、骨盆疼痛都是不可避免的,有可能日后会导致经血逆流引起骨盆腔炎,甚至蔓延到腹膜引起致命腹膜炎,只有开刀一途。腹腔镜手术伤口很小,复原也快,刀到病除,不影响卵巢功能的运作,仍具有生育能力。那时光听到肿瘤都吓到了,若还会引起腹膜炎,更令人不安,既然还能生育,便顺了医生的建议。
妳的卵巢功能已经衰退得很严重了,妳知道吗?
眼前医生推了推鼻樑上的眼镜,试着用最温柔的语气对她说。
她看到他的脸刷地像诊疗室的牆壁一样白。
那怎么办?他急切地问。
只有人工受孕了。医生说。
她像掉入地狱,有种被欺骗、不得超生的感觉。当年开刀的时候,医生分明告诉她,她仍将拥有生育能力啊。医生说的是事实,可是没告诉她,生育的机率却是非常非常低。
回家的路上,两人都没说话。
他们转往中医诊疗,期待经由中医治疗或许可以自然受孕。
她一喝中药就干呕,呕至眼泪都流出来。每次婆婆来看她干呕都以为她怀孕了,她也想这样欺骗自己。
日子变成只剩下羞辱和痛苦,没有欢愉。
拖了一年,她感觉虚耗的不只是珍贵的适孕黄金期,一直引以为傲如鱼得水的悠然自适,滋养着对方的婚姻,不知不觉紧绷起来。她觉得自己像一只随着水温加高的水煮青蛙。他们自来无所不谈,没事就爱腻在一起;尤其睡前总喜欢说说笑笑打闹嬉戏一番再相拥安心睡去,而现在,两人总是各怀着心事安安静静地躺着。有时她想挨过去贴着他温暖的身子,却觉得一道无形的牆卡在两人中间。她好想和他说说话,却找不回熟悉亲密的感觉,疏离感越来越强,让她觉得他似乎越来越陌生了,话到唇边,就让棉被覆盖着,重重地压在身上沉沉睡去。他的个性原本就温和随和不挑剔,很容易就会忽略他的感受。生活一路下来都是以彼此习惯的方式进行,被医生宣判无期徒刑后,她感觉即是两人摸得到相互的身体,却触及不到彼此的灵魂。有时她不免想,他们完美的婚姻,会不会只是她一厢情愿的幻觉,自始至终她是活在灵魂伴侣美满婚姻的幻觉里?而真正的他,心灵已经走远了?
他们又回去看不孕症医生。
妳的卵巢更老化了,再不做人工受孕,最终只能借卵了。医生凝重地提出警告说。
她的心跌到又深又黑的井里,冰透的水在她的鼻尖沉浮。
借卵?那生出的孩子就不是她和他的骨肉了!不行,绝对不行!
于是,他们开始了更痛苦的身心煎熬的周期。
不同医院求诊,飞行里数足够绕地球一圈,7次取卵,4次移植、流产,超过三百针,身心具是千疮百孔,无止无尽的幻灭⋯⋯
她轻悄悄地走回卧房,斜靠枕上,空洞的眼神,空了的灵魂,如一座暗黑的没有生命的凋像。
他一直到天亮都没有回到床上来。
她听到车库门开启又关掉,她才走出卧室。
他从来都不会这样的,一股蚀心痛楚席捲而来。她走到书房,将书架上所有的孕妇须知、育儿书全都扫进侧院的回收桶。
她颓坐地上,感觉人生走到了尽头。
她需要新鲜空气。
关上门,离开让她窒息的屋子,独自走到沿溪林荫步道。
她家离这个健行步道很近,穿过几条短短的马路就到了。
如果没有特别的事,他们每天清晨都会走一趟。沿路每一栋房子,甚至每一棵树都如此熟悉,她不需要去寻找记忆,闭着眼睛她似乎都能看到她与他手牵着手的影子在前面引领着着她。
很快地进入长长步道中最美的一段,两侧虽然多是杂树,却也长得枝叶繁茂,高大参天,形成绿色天然拱门。健行的人并不多,幽静的林荫小路苍郁凉爽,一扫夏日燠热与烦躁。
一阵风吹来,阳光透过枝叶隙缝洒下来,叶子泛着金光,岁月如此静好。她怔怔地站在那儿,竟有着恍如隔世的感觉。
穿过绿木拱门是另外一番粗放的风景,走着走着就听到了溪水的声音。
干旱了几年,经过冬天与春天两季十多次的大气河侵袭,干涸了的溪水满了上来。走到溪水汇集处,一对绿头野鸭子悠游水中。最早她看到有着亮丽颜色,成双成对形影不离的野生绿头鸭子,还误以为是鸳鸯。后来才知道旧金山湾区只要有溪流,几乎就能看到绿头鸭子。她每次看到水中成双鸭子相守相随不离不弃,心情都特别好,总要看着鸭子远去了才继续前行,他便站在旁边静静地伴着她。
他们两个都是喜欢宅在家的人,结婚几年还老爱腻在一起。即使他在书房里忙着上班时间没有做完的工作,她也不会自个儿看电视。她买了一个比较精致的复古沙发躺椅,听着他忙着敲键盘的熟悉声音,觉得很安心,拿本书在旁边读着。
他们也有过不愉快的时候,意见相左,又称不上吵架或者抬杠的时候,就是沉默相待。两人都不说话,还背对背待在同一个房间里看书。彼此都知道,这样的冷战,说穿了,就是一种惩罚,对自己,也是对对方。熬上几天,他开始露出受苦的表情,她就没有办法拗下去,随便找个什么理由对着空气自言自语,他就极力高声回答,震碎了卡在彼此之间稀薄的玻璃牆。
她要的就是这么一小块,彼此相知相爱的方寸之地。
而今天早上的不告而别,已不是斗嘴或者冷战的级别了,带着决绝的意味。
原来婚姻不能只有爱。
她意识到她一直守护的方寸之地,已经崩裂了。看着她仍然视为鸳鸯的绿头鸭子,酸甜苦辣的心情瞬间翻腾,那撕心之感千回百转,她只觉柔肠寸断,痛楚难当。
再走几步,只见一只白鹭鸶孤独地伫立溪中。
她一直很喜欢体态轻盈纤细优雅的白鹭鸶,一直以为白鹭鸶就像鸳鸯一样,一定是成双成对的。后来才知道白鹭鸶孤眠在草泽之间,卓然特立在潺潺泉石之上,有着怡然独立的特质,而非总是双宿双飞。
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形单影只白鹭鸶
特立独行的白鹭鸶总那么优雅孤高不群,像正在思考的哲学家。她每次看到经久站立不动的白鹭鸶,都很想知道牠在想些什么?见白鹭鸶溪边孤影,就会心生怜悯——为什么牠们喜欢离群索居,而不是双宿双飞?永远显得如此孤单,正如现在的她。
她落寞地独行,走着想着,不知不觉已远离林荫,右边出现广袤平原,极力望去目之所及是平缓起伏的层层山脉,充满原始风味;而左边是一大片如竞技场上斗得你死我活,充满不眠不休竞争的高科技谷歌公司。
两边呈现着完全迥异的面貌,她站在分岔点,突然觉得就像她走在婚姻的分界线上,一边是只能拼命,和婆婆、和命运竞赛,近乎绝望的挣扎,无止无休令人喘不过气;一边是自然风光,是她习惯的回归自然的悠然天地。
她该回到婚姻继续与婆婆、命运纠缠?还是自我放逐?
他是个无可挑剔的温和男人,但她知道他骨子里最深处有种不轻易妥协的别扭,除了对她。十年婚姻最初的甜蜜与相依在后来求子屡战屡败的挫败磨下来,所有的温柔与温情消耗殆尽,她曾从他的眼睛看到愤怒、哀伤、挣扎与绝望。站在分岔口,她意识到他们最终走到了婚姻的分界点。
        未来他会选择哪一条路?
事情是怎么发生的,到现在她都没有办法理清楚。
只记得从步道回去后就决定放他一条生路。
是谁说的?以不爱为爱。
当她跟他谈起离婚的事情的时候,她感觉到他全身颤慄不已——其实她自己也是。她的内心充满了恐惧——对即将失去他的恐惧、对未来的日子里头没有他的恐惧。她的泪水已经急涌上来,可是她没有让一滴眼泪掉下来。是的,她会失去他,将来的日子里,再也不会有他⋯⋯
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亚当玫瑰
他离开后,她生了一场大病,姊姊来看护她,直骂她傻。
傻呀,她自己也知道。
她对他有深深的眷恋,她相信,即使他离开,对她仍然深深地眷恋着。
她在这个屋子里已经住了五年,他搬离开后,她原本是想卖掉这栋房子的,生怕触景生情,但是她最后还是选择留下房子,不只是因为屋子里一物一角都载满了她与他的回忆,她舍不得把这些甜蜜的感觉,从她的生命中剔除开来,最终淡忘成为模煳的记忆。在她的心底,她没有真正的放掉他,或许,还期盼着他会回来看看她?
他离开后,她才发现屋子显得特别宽广而空旷。一到夜晚,整个屋子寂静无声。偶尔一阵风吹过来,她似乎都可以听到松针落地的声音。她有时候会想,如果他死了,她还可以带着他栽种过的玫瑰花去墓园看他。而他只是离开,她却可能永远再见不到他。但她又不希望他死掉,至少知道他在一个不知道的地方好好地活着。
冬天夜晚来得早,窗外的景色一暗,她就心慌。她把家里所有的窗帘关得密密严严的,再把全家的灯都打开,到处亮亮的。
她只能呆呆地坐着,哪儿都没有地方去。
那时她没换床,还深深地眷恋着他留在床上的气味,躺在加州特大号床,那熟悉的气味帮她度过了无尽的孤独黑夜。      
而后来,她每次看着那空着的半张床,就像看见一个黑洞,她似乎就要掉进黑洞里头去了。
她终于将那张床也丢了,买了一张单人床,空间一下子大了许多。她买了一张大椅子,衣服脱下来也不拿去洗,就堆在椅子上,带点乱糟糟的味道,看起来像是有两个人住着似的。
她对各式各样的气味非常敏感,衣服被太阳晒过的味道,是一种居家安心的感觉;电锅里的饭快要煮好的时候,总让黄粱一梦变得真实起来。他的枕头套才不过几天就会飘出淡淡的油味来,她一边叨,一边也觉得有着熟悉的气味,生活充满了流动的气息。
气息随着他远离的时日久了也渐渐淡下来,连捕捉记忆都开始觉得困难。她思念他到再也没有办法遏止的狂乱的地步的时候,她就拿出纸笔来写信,一封又一封没有办法投递的信。
最初她有时会想,哪天下班回家时,他会不会出现在他们曾经拥有最美丽的回忆之处?屋子里的这个女人,曾是他最深深的爱恋?
偶尔走过他们常去的咖啡馆,有几次她以为看到了他。事后总忍不住嘲笑自己,世界上至少有一半的年轻人会像他那样穿着牛仔裤,上面着上一件看似随意却相当讲究的T 恤。
时间久了,她其实也知道,他是不会来的,也不可能不期而遇的,但是她就是不肯放掉这个念头。他曾经如此爱着她,他怎么可能就舍她而去呢?她还相信着他坚贞的爱情,就如同太阳每天早上一定会从东方升起,会照亮她的窗台。
她有一回,相信她是哭着睡着的。她做了一个梦,梦见她在海边,忽然见到他从远方奔过来,一路哭喊着:贝贝被海浪卷走了,贝贝被海浪卷走了!
贝贝是他们刚开始尝试着要孩子的时候,为孩子先取的名字。
她惊醒过来,吓出一声冷汗,心脏砰砰跳个不停。她不知道为什么会做这样的梦?有好长一段时间这个梦一直如影随形地跟着她,从来没有离去过。她只觉得痛,痛到没有办法再痛了,反倒在深渊里一点一点慢慢苏醒活过来。
她终于相信他是不会出现在她的世界里了,那已经是很久很久以后了。
她突然悲哀起来,世界上像她这样在空等中打发一辈子的女人有多少?她是不是就这样终其一生地等待永远不会再回来的爱情,日复一日、年复一年,直到头发斑白,眼睛再也看不清前面的路⋯⋯
往事一幕一幕清晰如昨,她整个陷在google map 里——听说他其实住得并不远,就在隔壁城市,她发了疯似地,开始一条一条马路寻找。地图、卫星图,街景图来回切换,彻夜未眠,无止无休地滑着地图。
终于那辆她熟悉得不能再熟悉的宝蓝色第八代的雪弗兰跑车,就出现在离她家只有三里路的一个小小社区里的一栋康斗的车道前——那绝不会有第二辆。
她将街景放大,是了,是他的车子,虽然车牌经过处理一片模煳,但她一眼就认出车尾右边保险杠他贴上的Keep Tahoe Blue贴纸。原来他真住得这么近!她的眼泪掉了下来——咫尺却天涯!
看来驾驶座车门是开的,她猜想应该是他刚坐上驾驶座上,将公事包放在乘客座,左脚还在车外尚未收回车内的那一瞬间,被谷歌拍摄街景的车瞬间拍下。她赶紧将地图放大,偏偏谷歌是从车子的背后微右的角度拍摄的,虽看得到车门是打开的,却无法看到她想像中还露在车外的左脚,而后车窗深深的树影与绚丽阳光经过光学透镜的折射,半幽深半模煳,将他与她完全隔了开来!
她决定亲眼去看看。
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海的尽头
她将街景图转回地图,起身,拿了纸笔,准备画出一张自己看得懂的地图,决定天一亮,她就要去寻找那栋精致的小屋。
她对于看地图一直有着极端的困难,她自小没有东南西北的概念,只有前行、右转、左转与往回走的观念,不认路,却记得每段路的建筑和地标。去哪儿,她都会画一张从家里出门一路只往前行、右转与左转属于她自己的地图。他老是笑她画的地图和日本人一样,连警察画出的案发现场地图都只有主要建筑,没有东南西北、没有街名。一瞬间,她的眼角热了,视线也模煳起来——他们的生活中曾经有过这么多的甜美记忆。曾经一起经历、拥有过的时光一旦变成记忆,她就往往卡在真实与虚幻之中,不知身在何处?不知何去何从?
她一边对着手机的地图,方向转来转去地画着,一边想着,我会看到他从门口出来,坐上爱车,微开的车窗仍然流溢出来着断人衷肠的二胡乐曲吗?
他头发长了还没去理发店修剪吗?
想着想着,她的心脏怦怦跳得厉害。
三里路,像开了一辈子。
她将车停在路口的转角处,隐身在路边的大树干后面,时不时瞥一眼。
终于,车库门打开了,他提着惯用的公事包从里头走了出来。
她的手湿了,没办法去抹额头滴下来的汗。经过眼角,流到唇边,咸咸的。
远远地看他,身形没什么变,但带着些微疲倦的面容上有着愉悦的光彩,很奇怪的组合。她想着,从来没有看过这样的他。才不过几年,就变出一个她从来没有见过的样子!
哔哔两声,车灯闪了几下,他打开驾驶座,坐上车,将公事包放到乘客的座位上,所有的动作还是和以前一个样子。
她的心剧烈地跳动起来,真想从大树后头奔过去,从后头用双手紧紧地环抱着他——她从来没有像现在这个时候这样后悔让他离开!
咫尺天涯,曾经如此亲密,竟成陌路。
一个绑着马尾巴脸上浮着笑意的年轻女人从灯已灭了的微暗的车库走出来。与其说她是女人,不如说她更像个女孩子。纤细的身材,长手长脚,像她年轻的时候。连绑着的还在晃动的马尾巴、宽松的纯棉浅蓝色格子衬衫、帅气的牛仔裤都一样,有几秒钟,她以为是她和他到了另外一个平行宇宙。
他对着马尾女孩(应该是他新娶的太太吧?)露出她已久违的怜爱表情。他说了些什么,只见马尾女孩低下头,双手摸着扁平的小腹,浅浅地笑着,眼角漾满幸福。
她的心像是受到很大的撞击,几乎要跌坐在地上。
心,一点一点往最深处痛起来。她撇过脸,地上有了豆大的水滴。
她慌乱地奔离,差一点就被路边凸出来的一块树根绊倒,大拇趾痛彻心扉。
她头上发热,身子却觉得很冷,那冷,就像有一次他们到密西根,去看人家冰钓,她好奇央求人家让她摸一下冰块缺口的水有多冰?那冰,冰到心脏都要停止跳动了,瞬间一股像被火烧似地感觉直窜手掌。冰与火在那一刻没有了界线。
她想起他们陷入深深恋情的时候,她与他最喜欢的一首汉乐府《上邪》,两人高兴起来眼里只有对方,轻轻地吟着:
上邪!我欲与君相知,长命无绝衰。
山无陵,江水为竭,冬雷震震,夏雨雪,天地合,乃敢与君绝。
文字错落相间,读起来特别有味道,注入了忠贞不二、澎湃热血,像是用生命铸就的爱情。20年,她从青春豆蔻走到充满疑惑的不惑,心头守着的不就是这一纯美情爱吗?
他,人早已走远,她还在反反覆覆地追思着过去。
她到现在都跨不过去这个坎,她不知道他是怎么跨过去的?
她的心好痛,整个人像被劈成两半,灵魂都没有了安置处。意识到了原来她是用整个生命去爱他;而曾经这么爱她的他,自己却只是他生命的一部分。
踽踽独行,阳光将她的影子拉得老长,孤独地像个寂寞的灵魂。她呆呆地站在那儿,意识到属于她最刻骨铭心、最重要最精华的人生已成了过去——他在她的生命中将永远缺席了。
她反复思索,当时二话不说还他自由,到底是不是她真正的心意、真正的爱?她对他这样深刻的爱,他知道吗?她总是一次又一次地回想那天夜里他一个人呆坐在窗边的景象,现在想起来也许事情并不是突然发生的,恐怕是一点一点已经埋伏在他们各自的心底了。
她连他的车从她旁边驶过去,她都没有发现。
她曾读过一段话:平静地接受消失与死亡是一种沉静的修行。
很多事情,只能靠幻想安慰自己吧,贪图变成真实,绝对会变成一种灾难。
回到车上,她打开引擎,车��缓缓前行,最后停在步道入口的路边。
她下了车,进入阳光尚未渗入树林的那段步道。
树荫有点深,她快步走着。旁边稠密的杂树林里是没有晨曦与黄昏的,只有白天与黑夜。在阳光不足的浓密树林里,一切都不透明,显得有些阴森而鬼魅,让她一时分不清过去、现在与未来。她的思绪与记忆虚实交错,彼此折叠着。
她越走越快,想快速穿过这段向来最爱的林荫小道。
终于听到水声,她的心稍稍平静下来。经过大气河与炸弹气旋的夹击,泛滥溢出去的溪水特别澄澈,绿树倒影清晰可鉴,像是反过来生长似的。白云在水里缓缓地移动着——折射着相同的景象。
溪水如镜,她停伫下来,发现溪水之上与溪水水下如此相像,虚实难分。
曾经生活过、拥有过的,到底算实,还是算虚呢?
她忽然觉得那段相倚相靠的日子远去了,远到像是上辈子的事情了。
她继续向前行,走到更宽的湍急处,好几棵被风吹倒的树七横八斜地卧在水中,溪底落叶枝枒交缠。
原来大自然有自己的消长,她忽然了悟了。
小径没有终点,走着走着,穿过从前走过的分岔点,继续前行,两边再也没有房舍。
她看到了海,左前方。
她沿着小径向左弯过去,沿着海边步道走,出现了湿地。
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海陆交界湿地
她忽然发现,以前一直以为的“海的尽头”是在岸边眺望大海极目最终之处,而现在站在海与陆地的交会之处,才意识到大海与陆地的交界湿地,才是大海的尽头。一大片一大片的沼泽地与小池塘、水道上都可看到各种水鸭子、加拿大雁、鹭鸶、鹈鸪或悠游或栖息其间。振翅高飞的鸟在海阔天空中自由飞翔。水中映着白云,点点水鸟、鹭鸶觅食——原来生命可以如此丰富而缤纷。
海的尽头,原来近在眼前,正是生命的源头!
她一直以为她的悲哀,就像海看不到尽头一样,现在她忽然明白了,她的心底涌上一股热直冲眼角,鼻头酸了起来。
向死而生,就是重生,她忽然懂了⋯⋯
(文中插图由作者提供)
~完~
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rygk · 10 months
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SOLD OUT!!-キャンセル待ち受付中-
『帰省する音楽』 -絵と音の即興演奏会-
[日時]2023.8.11(金祝) open 14:30 / start 15:00 [会場]稲毛海岸cafeどんぐりの木(千葉市美浜区高洲1-16-46) [ライブペインティング]矢野ミチル [演奏]宮内優里、小畑亮吾 [チケット]¥3,000(+1D)※小中学生¥1,500/未就学児無料 [詳細&予約]sold out!!キャンセル待ち受付中
下記フォームより必要事項を明記の上、送信ください。ご精算は当日になります。 予約フォーム
*店舗予約 cafeどんぐりの木 メール[email protected] 3日以内に返信がない場合は043-386-4468にお電話をお願いします。
[小畑亮吾]
音楽家/ヴァイオリン弾き/シンガーソングライター ヴァイオリン一梃弾き語り。リアルタイムサンプリングを用いたプレイを得意とするストリングストロニカ音楽家。 映像や絵画、舞台、植物といった様々な分野とのコラボレーションやインプロビゼーションなど全環境型パフォーマンスを行う。 また、自身を再生装置とした時報インスタレーション『夕刻のヴァイオリン弾き』を各地で行い生演奏に触れる場を拡張し続けている。
【すみだ向島EXPO】【ととのう温泉美術館】などの芸術祭での時報演奏の他、山形県大石田町では防災無線を使った実際の町の時報音楽も手がける。 平野絢士監督のファッションフィルム【LEPUS CORNUTUS】などの音楽、カナダのAliison Mooreのニューメディアアート【向島ジオラマ】での即興演奏、上野の森美術館で行われた【THE WORLD OF UKIYO-E】の空間サウンドデザインなども担当した。 http://goomi.jp/rygk/
[ 宮内優里]
音楽作家。1983年生まれ。千葉県八街市在住。2006年にRallye LabelよりCDデビュー。生楽器の演奏とプログラミングを織り交ぜた、有機的な電子音楽の制作を得意とする。最新作は2023年リリースの「Instruments 2」。ライブ演奏では即興での多重録音によるパフォーマンスを行う。WORLD HAPPINESS、FUJI ROCK FESTIVALなどにも出演。近年はBGM演奏という形の活動もしており、全国の美術館、図書館または書店など、様々な場所で演奏をしている。自身の活動以外では、映画「岬のマヨイガ」(監督:川面真也 / CV:芦田愛菜ほか / 原作:柏葉幸子)、映画「リトル・フォレスト」(監督:森淳一 / 出演:橋本愛ほか / 原作:五十嵐大介)などの映画音楽をはじめ、NHK・Eテレ「あおきいろ」、「Q~こどものための哲学」や、ドラマ・舞台・CMなどの音楽や空間BGMの設計など、様々な形で音楽制作・楽曲提供を行っている。KENJI KIHARAとの音楽プロジェクト「BGM LAB.」や、映像作家・川嶋鉄工所との映像制作ユニット「MIYAGAWATEC」などでも活動中。 https://miyauchiyuri.com/
[矢野ミチル]
無意識下のイメージを描き続ける蠍座の画家。茅ヶ崎に生まれ、2014年に東京から瀬戸内の因島に移住する。自動筆記画集「色を歩く」や「夢意識のオラクルカード」を出版。N-qia、CLOUD NI9E、キスミワコ、ふらむきりん など数多くのアルバムアートワークを担当する。屋号はアトリエ可視光線。 www.yanomichiru.net
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manqsax · 8 months
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ライブ告知
一部の方にはお誘い済みですが
【ACO SCRAMBLE FUJI Vol.4】
●9/10(日)富士ANIMAL NEST
開場12:30 開演13:00
チケット1,500円+1drink500円
■出演
13:00-13:10 KUNI
13:15-13:35 新原広樹
13:40-13:50 yokko
13:55-14:15 門間アキオ
14:20-14:40 真船整
14:45-15:15 黒沼近衛
15:20-15:40 MANQ←ここです!!
15:45-16:05 石川冬樹
16:10-16:30 富田哲平
16:35-17:05 髙橋勇太
17:10-17:40 宗野俊男
17:45-18:05 MASA
18:10-18:30 はる
18:35-19:05 鈴木健太郎
19:10-19:40 tetsu&hide
19:45-20:15 nicomaru
・チケット予約なしでご入場できます。
・入場時お目当ての演者さんのお名前をお尋ねします。
MANQで来た!と言ってください!
・巻きで進行する可能性がありますのでお目当てのアーティストさんの出演時間に余裕を持ってお越しください。
・再入場可
・FOOD MENU有り
■問合せ
TEL090-4867-0669
ご来場ご検討ください!!!!!!
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ophelia333k · 11 months
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2023年6月13日 村田沙耶香、概念からこぼれ落ち続ける生について
 起立性低血圧が関係しているのか分からないけれど朝起きてから、日が沈んで18時頃になるまでの間、ずっとぼうっとしていて頭が回らず、気力も出ないので、実質的には一日が18時以降の時間しか存在していないような心地になる。どうしても、起きてから8時間くらいは経たないと本調子が出ない。
 ***
 小説の話。村田紗耶香の「地球星人」を読み終わった。  村田紗耶香は以前から『コンビニ人間』『消滅世界』『しろいろの街の、その骨の体温の』など色々読んでいたのだけど、『地球星人』を読みながら、自分にとって村田紗耶香という作家は思っていたよりも重要かもしれない、と気が付く。
 村田紗耶香には読んでいて波長が合うというか、自分の感性に直に刺さるような部分が確かにあって、それが何なのかを言語化するとすれば、人間を脱すること、脱-人間化へと向かっていくというその方向性だと思う。
 たとえば、『コンビニ人間』において主人公はタイトル通りの「コンビニ人間」になるわけだけど、それは従来の人間でもなく、男でもなく、女でもなく、「コンビニ人間」という新たな種類の人間。そして、常識的に考えればそれは資本主義と消費社会によって生み出された哀れな存在にも見えるものの、村田紗耶香はむしろ「コンビニ人間」という新たな人間の誕生を徹底して肯定的に描いて祝福しているように見える、その両義性。
 もう少し「コンビニ人間」について書くと、「コンビニ人間」は消費社会におけるコンビニというシステムに過剰に適応することによって逆に、社会を攪乱するような不条理な存在になっている点や、結婚という制度を読み替えてひそかにやり過ごしながら反抗するような態度に、ドゥルーズの言うマゾヒズム的な戦略を感じることがある。
 「地球星人」には「メッセージを送る相手の絵文字や文体を真似する」というくだりがあるし、「コンビニ人間」でも「他の店員の言葉遣いを真似る」という場面があったと思うのだけど、そこにはASD(自閉症スペクトラム)的なコードへの適応の運動と、しかしそこから逸脱していくような側面があって、既存の法に対してうわべだけは忠実に従おうとしながらも攪乱していく動きが村田紗耶香らしさだと思う。あと、いまASDという単語を出したものの、だからと言ってこれが「ASDの主人公の物語です」と言い切ってしまうことにも抵抗があって、「コンビニ人間」は文字通り、「コンビニ人間」という新しい特異的な人間を描いた小説に他ならない。
 「地球星人」においては、主人公は生殖および恋愛という規範を持った地球星人(人間を作る「工場」)に対して徹底的に抗い、そのような自分たち(夫や由宇を含めて)をポハピピンポボピア星人と称する。しかも、幼い頃の主人公は「変身」のためのステッキを持った魔法少女でもある。    そんな中で主人公は性行為も恋愛感情もない相手と合意の元で結婚をすることによって、家族や友人からの圧力をやりすごす。この、「性愛も恋愛感情もない、契約としての結婚や同棲」というのは『コンビニ人間』にもあったはずで、好きな関係性だと感じる。
 あと、村田紗耶香を読んでいると、彼女がどこまで「本気」なのかな、ということも考える。  たとえば『消滅世界』で描かれる世界がディストピア的だと言われることはわりと多かった印象があるのだけど、主人公はその世界をむしろユートピアとして見ていたはずで、そのとき、村田紗耶香が「ディストピア小説」としてあれを書いているのか、もしくはもっと純粋に「ユートピア」として書いているのかというのはどちらとも取ることができる。  ああいう世界をディストピアとして風刺的に書く、というスタンスはありうるけど、村田紗耶香はそうではなくて、もっと透明な意識で書いているような気がする。肯定か否定かというより、ある前提において世界を考えた時にこうなる、というのをただただ純粋に書いていく。
 ***
 文學界5月号の『ハンチバック』、読み終えているけれど、まだ消化しきれていないので、もう一度読めたら読みたい。  ***
 今日、これから自分が書こうかな、と思う小説の候補ができた。  最近、自分は小説には向いていないのかもしれないと思うことも多いけれど、今はとにかく賞に出すことを目標として書こうとは思う。2024年3月31日締め切りの「文藝賞」が本命だけど、2023年10月15日締め切りの「群像新人文学賞」および2023年9月30日締め切りの「文學界新人賞」も可能性としてはある。
 正直に言って、ここ最近は「小説」として書くべきことがあるのか分からなかった。小説として書くということは、単なるエッセイでも論説文でも日記でも表現できないものを書くということで、それは虚構の世界という枠を用意することによって可能になる何か。
 内容としては以前から「書いてもいいかな」とぼんやり考えていたことだけど、今日になって、それを他ならない「小説」として書かないといけないことに気が付いた、天啓のように。自分の中には何もないと思っていても、必ず何かはあって、でもそれは「社会的に書いてはいけないこと」であるがために抑圧されていたり、単純に、「こんなことを書いても文学にはならない」と思ってしまうようなことが多いけれど、文学は「社会的に書いてはいけない」ような間違ったことをこそ書かなければならないし、「こんなことを書いても文学にはならない」ようなものも、その切り出し方によって文学になりうる。
 ***
 文学の特異性、その価値みたいについて、ある種のラベリングという観点から考える。たとえば、現代において問題になる(なりうる)ようなラベリングはいくらでも挙げることができる。「女性」「男性」「同性愛者」「障害者」「黒人」「弱者男性」「トランスジェンダー」「鬱病」「発達障害」「ロリコン(ペドフィリア)」「無性愛者」「レズビアン」「ゲイ」「ASP」「マゾヒスト」「サディスト」「犯罪者」「処女」「売春婦(娼婦)」「夫」「妻」「子ども」「フリーター」「反出生主義者」「アダルトチルドレン」「吃音者」「精神病者」……(etc)
 でもここで、こうしてラベリングされた概念というのは概念でしかなくて、抽象された、単なる一般的な、そして空虚な概念にすぎない。「女性」と言われるときそれは一般的な「女性」を示してしまうわけだけど、言うまでもなく、実際にはこの世界に数限りない無数の女性が存在していて無限に差異のある、そして深さをもった固有の、特異的な生がある。逆に、特異的な生しか存在しない。
 「精神病者」でも「犯罪者」でもでも何でもよいのだけど、そこには本来特異的な、生きられる生としての内面性、ひとつの世界、深さのようなもの(そのように行動すること必然性、内的な世界の法則のような)があって、しかし概念は外的な、一般的な形でしかそれを語ることができない。あるカテゴリーに属する人間の生きられた生そのもののようなものを捨象することでしか、それについて語ることができない(Twitterを上記のようなラベリングについて議論が行われている風景を見ていると、どうしてもそのことを考えてしまうし、不毛な気持ちになる)。
 そのとき、文学というのはそのような人々の生きられる生そのものを内側から、その複雑性をできる限り捨象することなく、ひとつの世界として提示する方法であり(人生を追体験する)、それは単なる外的な語り(哲学にせよエッセイにせよ)では不可能なことだと思う。
 私たちが普段使う言葉、概念、ラベリングは決して現実を正確に写しとることなんてできなくて、常にそのラベリング(およびそれによってイメージされるもの)からこぼれ落ち続ける側面がある。あるいは、そのラベリングから超え出る側面。  平均的な「人間」が存在しない(統計学的に平均を取ることはできるだろうけれど、すべての人間はその統計学的な平均から必ず逸脱する)ように、ラベリングされた者はそのすべてが必ず、そのラベリングから逸脱する。
 書きながら考えているのでまとまりがないかもしれないけど、結局のところ、哲学にせよ心理学にせよ社会学にせよ、この現実そのものの、人間の生そのものの複雑さを捉えることが決してできなくて、(もちろん文学にだってそれはできないのだけど)、生そのものの複雑さ、生の特異性に最も近い位置にあるのが文学だと思っている、信じている(たとえば映画だってこの意味での「文学」でありうるものの、それを語るのが「言葉」である、という点には重要な何かがあると思う)。  ***
 ドゥルーズの『批評と臨床』(Gilles DELEUZE "CRITIQUE ET CLINIQUE")を読んでいる。出版されたのは1993年なのでほんとうにかなり晩年だけれど、実際のところ、いつくらいに書かれた文章なのだろう(論集としては、未発表のものと再録のものの両方がある)。  第1章「文学と生」の17ページまでを読んでいて気になった箇所は二か所あって、一つ目は「非差異化のゾーン」という言葉遣い、そして二つ目は[健康」という言葉の特殊な使われ方について。   〈生成変化とは、ある形態(同一化、模倣、ミメーシス)に到達することではない。そうではなく、それは、人がもはや一人の女、一匹の動物、あるいは一つの分子とみずからを区別し得なくなるような近接のゾーン、識別不能性あるいは非差異化のゾーンを見出すことなのだ〉(p13)
 ドゥルーズが言うには、まず書くことは生成変化であり、そして生成変化は、「非差異化」のゾーンを見出すことでもある。ドゥルーズといえば「差異」の哲学だけど、生成変化はむしろ「非差異化」のゾーンにあって、そこでは特異性と非差異化が並立しているはずだけど、それはどういう状態なのだろう。
 二つ目は、ドゥルーズが「健康」という言葉に込めている特殊な意味について。
〈文学とは、そうなってくると、一つの健康の企てであると映る。それはなにも、作家が必ず大いなる健康の持ち主であるということではない(ここには先の運動競技におけるのと同じ両義性があるだろう)。そうではなく、作家はある抗し難い小さな健康を享受している。その小さな健康とは、彼にとってあまりに大きくあまりに強烈な息苦しい事物から彼が見て聴き取ったことに由来しており、その移行こそが彼を疲弊し切らせているのだが、しかしながら、太った支配的健康なら不可能にしてしまうようなさまざまな生成変化を彼に与えてくれてもいるのである〉(p17)
 作家が享受している「小さな健康」と「太った支配的健康」というのは対比されていて、一般的には前者(小さな健康)とはむしろ病の状態であり、後者(太った支配的健康)は、一般的に「健康」であるとされているもの。
 もっと言えば、「小さな健康」を享受するのはマイナー文学のことで、問題なのは「病」として見なされうるようなマイナー文学がどのような意味で「健康」であるのかということ。 「エクリチュールに仮託された生 : ドゥルーズ『批評と臨床』における方法と動因」 「芸術における真理とは何か : ドゥルーズの fêlure とハイデガーの Riß」
「健康としての狂気とは何か : ドゥルーズ『批評と臨床』試論」
 ***  「世界仰天ニュース」で富士銀行行員顧客殺人事件が特集されていた。何となく、他人事に思えないように感じる。ブラックコーヒーを流し込む。朝ご飯をろくに食べずにストラテラを飲むと気持ち悪い。夢の中で人を殺して、そのあとじわじわと警察に追い詰められていくときのあの緊張感。
 最近、小説を読んでいて面白くないときに、自分の頭の中で神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン……)がうまく分泌されていないから面白くないのか、それともその小説自体が根本的に面白くないのかの区別がつかなくなってきている。  ***
 今日聴いた音楽。空廻「黒眼青影」、未来電波基地「立体駐車場」、TOOBOE「錠剤」、ビリー・アイリッシュ「all the good girls go to the hell」、ザ・スミス「Bigmouth Strikes Again」、ハチ「パンダヒーロー」
   
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今週の入手本(0513-0519)
『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/装幀:國枝達也/青土社)。既に今年の一月に電子書籍版では読み終えていますが、後々、必要なところを拾い読みするときなどには紙の書籍のほうが便利なので購入しました。
『沖縄の生活史』(石原昌家、岸政彦監修/沖縄タイムス社篇/まえがき:岸政彦/あとがき:石原昌家/カバー写真:上原沙也加/100人の語り手、聞き手の皆さん/みすず書房)
『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫)
『ぼくの死体をよろしくたのむ』(川上弘美著/カバー装画:伊藤絵里子/新潮文庫/Kindle版)
『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』(尾崎翠作/川崎賢子解説/カバー:中野達彦/カバー図版:「琉璃玉の耳輪」手稿より/岩波文庫)。改めて購入しました。
『緋色の研究』『シャーロック・ホームズの思い出』『シャーロック・ホームズの冒険』(コナン・ドイル著/延原謙訳/カバー装幀:西浦玉美/新潮文庫)
『泣菫随筆』(薄田泣菫著/谷沢永一、山野博史編/山野博史解題装画:瀬川康男/装丁:辻村益朗/冨山房百科文庫)。
『マッカラーズ短篇集』(カーソン・マッカラーズ著/ハーン小路恭子編訳解説/西田実訳/カバーイラスト:桑原紗織/カバーデザイン:緒方修一/ちくま文庫)
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫)掲載著名人:幸田文、瀬沼茂樹、森茉莉、三島由紀夫、小堀杏奴、大岡昇平、田山瑞穂、平野謙、徳田一穂、川端康成、夏目伸六、中野好夫、安倍能成、津田青楓、内田百閒、高橋義孝、谷崎松子、サイデンステッカー、里見弴、本多秋五、伊藤整、芥川比呂志、室生朝子、萩原葉子、掘多恵子、遠藤周作、野上彌生子、網野菊、湯浅芳子、津島美和子、ドナルド・キーン、稲垣達郎、小島信夫、江藤淳、山本有三、阿部知二、永井龍男、井上友一郎、田宮虎彦、河盛好蔵、小田切秀雄、立野信之、秋山駿。
『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版)
『アオイホノオ 28巻』(島本和彦著/ゲッサン少年サンデーコミックス/電子書籍版)
『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版)
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sekasu2007 · 1 year
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爆笑問題・太田、『くりぃむしちゅーのANN』で有田が「太田さんとは共演NG」と発言していたことに反応「そういう有田流の感じでイジってくれてた」
爆笑問題・太田、『くりぃむしちゅーのANN』で有田が「太田さんとは共演NG」と発言していたことに反応「そういう有田流の感じでイジってくれてた」 #爆笑問題 #太田光 #くりぃむしちゅー #有田哲平 #bakusho
2023年2月21日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火…
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(86)
『強靭な国家』を造る(23)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その13)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
話題が少し古くなりましたが、ウクライナ戦争をめ
ぐる最近の動きとして、9月19日、ゼレンスキー
大統領が国連に乗り込み、初めて対面で演説し、
「侵略者ロシアを打倒するための団結」を訴えまし
た。
しかし、ビデオ参加した昨年に比べて出席者の数は
減って、空席も目立ちました。これについては、ウ
クライナに対する“支援疲れの表れ”との分析に加
え、発展途上国は「アメリカとロシアの対立に巻き
込まれたくないという思いから欠席する国が多かっ
た」とする見方もかなりありました。
しかし、最大の問題は、拒否権を持つ常任理事国の
ロシアが戦争の当事者であることから、ウクライナ
やアメリカなど西側諸国の立場を反映した提案は、
ロシアと中国によって全て葬り去られる公算が大で
あること、すなわち、国連が“平和の維持のための
機能を果たさなくなった”という“現実”を改めて
さらけ出したことにあると考えます。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半以上��経過し、
ウクライナ東部3州への反攻は、黒海艦隊司令部へ
のミサイル攻撃などが話題になっていますが、当初
の計画よりかなり遅延していることは間違いないで
しょう。その主な原因は、戦術行動としての「攻撃」
自体が難しいオペレーションであり、そのための物
心両面の準備が十分でなかったことにあると考えま
すが、最近は、ウクライナ国内に汚職が蔓延し、国
防相や国防次官らが更迭されるなどウクライナ軍の
“タガ”の外れていることやポーランドとの関係も
ぎくしゃくし始めたことなども背景にあるのかも知
れません。
アメリカやカナダは、さらなるウクライナ支援を約
束したようですが、反攻の進展は不透明ですし、国
連が“機能不全”になっていることなどを考えれば、
「停戦合意」などはますます遠のくことを覚悟しな
ければならないでしょう。
ウクライナ戦争の経緯を分析すると、今回、本文で
取り上げる「文明の衝突」を回避したり、拡大を防
止する“特効薬”はなかなか見つからないと認識す
る必要があると考えますが、虎視眈々と様々な企み
を計画している国は、“同じ失敗をくりかえさな
い”ことを最重視しつつ、戦争に絡む軍事・非軍事
あらゆる視点から詳細な分析をしていることでしょ
うから、将来はまた違った“様相”になることも頭
に入れておかなければならないでしょう。
このたび岸田首相もまた、国連で「人間の尊厳」と
か「核軍縮」とか「国連改革」など“理想論”のオ
ンパレードのような演説を行ないました。「理想」
とか「正義」に対して誰も表立って反論はできませ
んが、大多数の国はそれらよりも自国の「国益」確
保を優先しますし、時に「理想」や「正義」さえも
“したたかに活用する”ことを躊躇しないでしょう。
それが「普通の独立国の本質である」と認識した上
での演説なのかどうかは不明ですが、立場を異にす
る国々にはどのように響いたのでしょうか。
話は変わりますが、若干、前回の「教育」を補足し
ましょう。9月27日付の「正論」で藤岡信勝氏が
教科書検定制度の歴史を取り上げ、最後に「今日ほ
ど文科省官僚の権限が強大化し、しかもその官僚機
構に左翼・反日勢力が浸透してしまった時代はない」
と結んでいました。
信じたくないですが、その結果として、我が国の
「国力」増強にさえ反対するような若者が大量に輩
出されるようなことが続けば、「国家100年の計」
として“我が国の未来はますます危うくなる”と感
じざるを得ません。日本の大学の国際的なレベルダ
ウンについては(武士の情けで)あえて取り上げな
かったのですが、それらの改革を含め、「教育改革」
も“任重く道遠し”であることがわかり、気が重く
なっています。
▼「文化」が「国力」に及ぼす影響
さて「文化」です。「文化」こそ、私など素人が立
ち入ることができない分野なのかも知れませんが、
「歴史」を学ぶ過程において、「歴史」と「文化」
が互いに“影響し合っている”ことを何度も実感し
ました。歴史的な出来事や変化が「文化」を形成し、
一方で「文化」がその社会の歴史的経験や進路に影
響を与えているようなことです。
たとえば、大東亜戦争を境に我が国の「文化」が大
きく変わったことなどからもわかるように、戦争と
か革命はしばしば「文化」の変化を引き起こし、逆
に、芸術や音楽などの「文化」が「歴史」に反映さ
れたり、時に社会変革の“触媒”になっているよう
なこともしばしば発見しました。
それでは、この「文化」とはどのようなものか、か
ら入っていきましょう。一般に、「文化」は「人間
が作り出した全てのもの」を指す場合が多いようで
すが、具体的には、「食生活・暮らし方・文字・言
語・農業」など社会の仕組みを担うものから、「哲
学・芸術・道徳・宗教・科学・価値観」など、具体
的な形がない精神的なものまで「文化」と呼ばれて
います。
歴史の例を挙げれば、毛沢東が「文化大革命」とい
う名前をつけた理由は、当時、毛沢東は、中国が資
本主義の復活の危険に直面していると認識し、共産
主義という社会制度やイデオロギーのみならず、
“人間がつくりだす”価値観、つまり「文化」その
ものを根本的に変革することを目指したためと言わ
れております。
さて、「文化」としばしば混同される「文明」は、
「人々の生活を豊かにするための物質的なもの」を
指し、具体的には、「建築・工業製品・交通手段」
などが含まれます。したがって、「文化」は“心を
豊かにするため”のものであり、「文明」は“生活
を豊かにするためのもの”とも定義されていますが、
一般的には、「文明」は“「文化」を含むもっと広
範な概念”であると解釈されているようです。
冷戦が終焉した時、フランシス・フクヤマは、『歴
史の終わり』を上梓し、「リベラルな民主主義が普
遍的になる」ことを主張し、一世を風靡しました。
そのような考えの対極にあったのがサミュエル・ハ
ンチントンの『文明の衝突』でした。ハンチントン
は、「西欧的な民主主義が普遍的になることはなく、
西欧と非西欧、合わせて8つの『文明』が時に対立、
または共存していくのが人類の未来である」と説き
ました。日本版は550ページに及ぶ大作ですが、
私も当時、夢中になって読破したことを覚えていま
す。
ハンチントンは、国際政治の視点から、「文明」は
「広範な『文化』のまとまりである」と解釈しつつ、
「社会制度や宗教など、人間が社会の中で自らのア
イデンティティを定義する決定的な基盤を含む」と
捉えました。一方、「文化」は、「『文明』より具
体的な概念であって、特定の地域やコミュニティに
おける生活様式や価値観を指す」と解釈していたよ
うです。
したがって、「文明の衝突」という表現は、「異な
る社会制度や価値観を持つ大きな集団間の対立」を
強調するために用いられ、国際政治における対立は、
“単なる文化的な違い以上のものである”というハ
ンチントンの視点が反映されているようです。
実際の冷戦後の国際社会は、ハンチントンが予告し
たとおり、異なる「文明」の対立や衝突、時には、
ウクライナ戦争のように「文明内の衝突」を繰り返
しながら、現在に至っていることは説明を要しない
と思います。
さて、ハンチントンが分類した8つの「文明」とは、
西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、
ラテンアメリカ、アフリカを指します。つまり、日
本を独立した1つの「文明」として扱っています
(この点も、同書が日本で人気があった理由でもあ
ると考えます)。
ハンチントンは、「日本文明」を日本という中核国
と同一(つまり、“一国家一文明”)として捉え、
その理由として「日本の独特な文化を共有する国は
なく、他国に移民した日本人がその国で重要な意味
を持つほど人口は多くないし、かといって、日系ア
メリカ人のように移民先の国の文化に同化すること
もない。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本
文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のあ
る宗教とかイデオロギーを伴わないという事実であ
り、そのような宗教やイデオロギーを持たないため
に、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化
的な関係を築くことができない」と解説しています。
まさに“しかり”でしょう。
さて、読者の皆様は、「日本文明」を構成している
「日本文化」というと何を思い出すでしょうか。だ
れもが真っ先に日本人が持つ精神性を表現する言葉
として使われる「和の文化」を思い出しそうですが、
具体的には、歌舞伎、茶道、華道などの「伝統芸能」、
寿司、天ぷらなどの「食文化」、地域ごとに行なわ
れる「祭り」がお盆や正月などの「行事」、神道や
仏教などの「宗教」、木造の伝統建築や庭園などの
「建築」、それに最近は、アニメ、マンガ、ゲーム
などの「ポップカルチャー」でしょうか。
最近、「食文化」や「ポップカルチャー」などは世
界各地に普及し始めていますが、その他の「文化」
が国内から外に出ることはほとんどないでしょう。
よって、ハンチントンは、このような日本を「最も
重要な孤立国である」とも付け加えています。
改めて、「国力」を構成する要素としての「文化」
や「文明」の国際比較は、これらが非常に複雑で多
面的なものであり、その全てを包括的に比較するこ
とは難しいことがわかります。
つまり、その国や地域のアイデンティティや価値を
他の国や地域から区別することは可能であっても、
特に「日本文化」の「孤立性」のような特性を有す
る場合、他の国や地域に対する「影響力」とか「地
位」を高めることなどは不可能に近いのです。
一方、中国のように、「中華民族の偉大なる復興」
を掲げ、東アジア地域のみならず、国際社会に対す
る影響力を“力づくでも”拡大しようとすると目論
む国も存在しています。その中には、社会制度や経
済的影響力に加えて、中国の「文化」まで包含され
ていると考える必要があるでしょう。
▼「文明の衝突」を回避する要件と日本の役割
もう少し続けましょう。私の読み込みが足りないせ
いかも知れませんが、ハンチントンは、ウクライナ
戦争のような“「文明内の衝突」を回避する処方
箋”については具体的な提案をしていません。
『文明の衝突』という書籍名からして、“異なる
「文明」間の衝突”に焦点を絞り、「文明内の衝突」
については、それぞれ相対する国が知恵を絞って解
決しろ、ということなのだろうと推測しています。
一方で、ウクライナ戦争は、ロシアの立場からすれ
ば「文明内の衝突」でしょうが、ウクライナはNA
TO加盟をめざす、つまり、「文明圏の移動」を望
んでいるのですから、この戦争は「文明の衝突」と
も解釈できるでしょう。
同じことは台湾問題についても言えるでしょう。中
国からみれば台湾は国内問題ですが、台湾はすでに
西側の一員とも解釈できますので、かつて「台湾は
中国の一部」と認めた事実はあっても、アメリカや
日本は「中国の国内問題」と簡単に割り切ることは
できないのです。その背景には、中国の野望が“台
湾に留まらず”、やがて世界を2分するような「文
明の衝突」に発展することを警戒し、何としてもそ
れを阻止したいと考えていることもあるのでしょう。
話を戻しましょう。ハンチントンは、来るべき時代
の「文明の衝突」を避けるために重要な3つの要件
を提案しています。
第1の要件は「それぞれの文明国が他の文明内の衝
突への干渉を慎むこと」、第2の要件は「それぞれ
の中核国が交渉を通じて文明の断層線で起こる戦争
を阻止すること」、そして第3の要件は「それぞれ
の文明の普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入
れ、その上であらゆる文化に見いだされる人間の
『普遍的な性質』、つまり共通性を追求していくこ
と」としています。
その上で、「それぞれの文明に基づく国際秩序こそ
が、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」と
結論づけました。
昨今の国際情勢をみるに、現実の世界はこの提言を
全く無視していることがわかります。第1と第3に
反することは、冷戦終焉後、アメリカが先頭に立っ
て何度も繰り返し、その反作用が今日の対立を生ん
でいるという見方もできるでしょう。また、そのよ
うな歴史的事実をなんら顧みず、近い将来、手段を
選ばず、同じよう干渉を目論んでいるように見える
国もあります。
私は、「文化」や「文明」自体が大きな影響力を持
たない日本が果たすべき役割は、ハンチントンが提
案する第2の要件の「粘り強く交渉を続け、文明の
断層線で起こる戦争を阻止すること」にあるのと考
えます。
歴史をさかのぼってみても、覇権国・中国に「日出
ずる国」との書簡を送り、「日の本」から「日本」
という国名の由来にもなったことをはじめ、福沢諭
吉がアジア諸国との連携を諦め、「脱亜入欧」を唱
えたことなど、我が国は建国以来、中国や朝鮮半島
とは別の“路線”を歩んできました。
昭和初期には確かに“行き過ぎた”部分もありまし
たが、我が国は今後とも第2の役割を演じる宿命に
あるのではないでしょうか。それこそが、東アジア
の東端に位置し、依然、他の文明と違い、孤立した
“一国家一文明”の「日本文明」を8文明の1つと
して残したハンチントンの国際政治学者としての理
性を超えた、ある種の期待感さえあるような気がす
るのです。
実際に、ハンチントンは、『文明の衝突』に続いて
上梓した『引き裂かれる世界』の中で、「日本は、
その文明の境界が国家の境界と一致している唯一の
国だ」として「自動的に助けてくれる“家族”がい
ない」とする一方で、「日本は独立した調整者とし
ての役割を果たせるユニークな位置にある」と「世
界は日本に『文明の衝突』を調整する大きな機会を
もたらしている」との期待感を滲ませ、「日本はも
っと外向きにならなければならない」と強調してい
ます。
しかし、文明的な孤立国の日本がその自覚と能力を
保持し、“調整者”として役割を果たせるかという
観点に立つと、相当厳しいことも明白です。実際に
は、「文明」は孤立していても、価値観や志を共有
できる「同志国」と連携しつつ、経済力、政治力
(外交力)、そして軍事力など「国力」��他の要素
を存分に活用できるか否かにかかっているのでしょ
うが、「文明」は異なっても“アメリカ寄り”にな
っており、それによって“独立性”を確保できない
ということも足かせになる可能性もあるでしょう。
現下の情勢をみるに、ハンチントンの予想した「文
明の衝突」が現実のものになっていますし、近い将
来、日本自体が当事国になる東アジア地域の「衝突」
も覚悟しなければならないでしょう。
とは言え、まだまだ本格的な「衝突」には至ってい
ませんので、「文明の断層線で起こる戦争を阻止す
る」ため、「日本文明」の中核国として責任の行使
ができるか否か、我が国は人類社会の未来を左右す
る“重要なカギ”を握っているのかも知れないので
す。
▼「日本社会」の現状と課題
繰り返しますが、実際問題として、我が国が上記の
ような意思や資格を含めた“能力”があるかどうか、
について真剣に考えるととても悩ましくなります。
再度、「文化」の定義に戻りますと、冒頭に紹介し
ましたように、「文化」には「哲学・芸術・道徳・
宗教・科学」など、具体的な形がない精神的なもの
まで含みます。我が国にあっては、「自由」「民意」
「平等」「ヒューマニズム」のような形に見えない
ものが「日本文化」を支配しています。つまり、日
本の「社会全体」を指すと言っても過言でないでし
ょう。
作家の三島由紀夫氏は、割腹自殺をする約半年前に、
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わり
に、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間
色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東
の一角に残るのであろう」との言葉を残し、将来の
日本を憂いました。
あれから50年余りが経ち、日本はなくなりはしま
せんでしたが、今の日本は、三島氏の予言以上に国
家の基盤も経済状態も一層苦しくなって、日本社会
や国民全体が向かうべき方向を失い、混乱している
ようにも見えるのです。
また、前回も引用した京都大学名誉教授の佐伯啓思
氏も2013年に『日本の宿命』を上梓しましたが、
その動機として「今日の日本社会のありように対す
る絶望的なまでのいらだちを感じ、その真因がどこ
にあるのかを自分なりに確かめてみたかった」と
「あとがき」に本音を披露しています。本書の帯に
は「偽善栄えて、国滅ぶ。」とありましたが、それ
らの細部は省略します。ただ、当時の私には、佐伯
教授の“いらだち”がどこから来ているのか、明確
には理解できませんでした。
しかしこのたび、『我が国の未来を見通す』と題し、
可能な限りのデータを逐一明らかにして、我が国の
未来を見通そうとしましたが、「このままでは、我
が国は人類社会の救済はおろか、数年先の未来さえ
“見通せない”」ことを私なりに発見してしまいま
した。
その原因こそは、「日本社会」そのものにあり、そ
の“ありよう”に対する“むなしさ”とか“やるせ
なさ”がほぼ頂点に達していることも偽らざる心境
なのです。
三島由紀夫氏の“憂い”から50年あまり、佐伯教
授の“いらだち”から10年余りが過ぎ、「日本社
会」は当時よりもはるかにひどくなっており、もは
や限界に近づいているとさえ思うようになって、今
では、両氏の“憂い”や“いらだち”にほぼ完全に
共感できる自分がいるのです。
さあどうしましょうか。次回以降、「国力」を構成
する「ハード・パワー」を総括し、いよいよ「ソフ
ト・パワー」としての「国家戦略」と「国家意思」
を取り上げたいと考えています。「日本社会のあり
よう」の次元を超えて、「国の形」そのものを議論
する必要性を感じています。一個人の知見をはるか
に超えるテーマですが、少なくとも、「問題提起」
まではトライしてみたいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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moment-japan · 2 years
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1982年 映画 「疑惑」
原作・脚本:松本清張
監督:野村芳太郎
音楽:芥川也寸志、毛利蔵人
出演:桃井かおり、岩下志麻、柄本明、鹿賀丈史、仲谷昇、小林昭二、小林念侍、内藤武敏、丹波哲郎、松村達雄、小沢栄太郎、山田五十鈴、三木のり平、名古屋章、森田健作、真野響子 ほか
松本清張リーガル・サスペンスの中でも最も評価の高い作品「疑惑」。
舞台は富山と金沢と東京。
富山の有名酒造会社の社長・白河(中谷昇)の車が港に転落して死亡。
同乗していた元ホステスで、数々の犯罪歴がある妻・球磨子(桃井かおり)に殺人の疑いがかけられる。
映画は終始、法廷でのバトルと回想シーンだが、ストーリーのわかり易さと無駄のない場面展開でまったく飽きることはない。
田舎出身で東京でホステスをしていた球磨子が、「富山のような田舎」と白河を小バカにするシーンに「お前が言うな」とモニターに向かって笑いながらつっこむ僕。
(WWWW)
都会に住む勘違いいっぱいの田舎出身者ほど厄介なものはない。(笑)
裁判は終始原告有利に進められるが、新聞記者(柄本明)が、何が何でも球磨子を有罪にしようと球磨子の元カレで有力な証言者だったチンピラ・豊崎 (鹿賀丈史)に何度も金を渡していたことが発覚、裁判は振り出しに。
そんなある日、弁護士の佐原律子(岩下志麻)は、自らの運転する車がある現象で危うく事故を起こしそうになったことで、球磨子の無実を確信する。
そして、社長・白河が、亡くなる前日、前妻との間にできた中学生の一人息子の宗治に一通の手紙を渡していたことを突き止めた佐原は、その手紙の内容を裁判で公開・証言してほしいと宗治少年を説得する。
果たして、宗治は裁判に来るのか?またその手紙の内容とは? そして球磨子、運命の判決は?・・。
昔の千里浜なぎさドライブウエイとか、国道8号線とか、いつも散歩中に通る犀川大橋とか、終盤に登場する兼六園のシーンにいろんな意味で驚く。
(当たり前だけど、兼六園まったく今と変わってない)
この作品は国内の多くの映画賞を受賞し、海外でも非常に高い評価を受けていて、「Suspicion」のタイトルで Blu-ray化されています。
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katsuyukihama · 1 year
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 軍事衛星は脳波を利用して監視している。特許あり。
 MRI技術(生体信号を電磁波で取る)によって回収できる脳波から思考の解読ができたり目の映像が再現できるのは何度も報道されている。
 MRIについては思考の解読記事が多く確認できる(思考 MRI などで検索していただければ分かる)。2022年10月27日の翻訳記事などでは16時間のAI学習によって人間の思考がかなり正確に解読できたというものもある。
 現在、医療で用いられる技術に生体信号計測があるが、これらはマイクロ波レーダー(軍事レーダー)技術の応用とされている。(マイクロ波は電磁波の一種) ところで軍事技術として合成開口レーダーというマイクロ波レーダーがあり、これは生体信号のおかげで室内に人がいても監視できるのでこのレーダーで世界は監視されている。(軍事衛星から)(格納機内の航空機なども見える。成田悠輔の著書22世紀の民主主義でも米軍は世界の戦車航空機全てリアルタイムで監視していると。人間も生体信号があるので全員監視は容易だ。)
 この応用技術として米軍特許3951134号が出ており、脳波の解読に米軍は50年以上前成功している。中国も実用化しており、国民の思考は監視下にあると中国の警察が2019年に漏らしてしまった。(24時間、人の声が聞こえる 中国当局によるエレクトロニックハラスメントの恐怖 エキサイトニュース 2020年9月11日)
 世界は、脳波により、目の映像や、思考などが軍事衛星からのマイクロ波レーダーで監視下にある。東京大学卒イノイリ大学院卒の小池誠弁理士もこの事実を告発している。 これらの応用技術として、マイクロ波で生体信号に介入できる。CIA、MI5からはこれらの内部告発が出ている(エレクトロニックハラスメントのウィキペディア内参照)。中国の人民解放軍も脳波をジャックして人ごと操るという目標を掲げている。池上彰などもテレビでこれらを紹介し中国は欧米の後追いの研究をしているのだとした(防衛省の機関 防衛研究所資料 NIDSコメンタリー177号 4ページ目など参照)。この点、どうやって個人をピンポイントで狙えるかという疑問もあろうがスター・ウォーズ計画と称して音速で飛翔するミサイルを捕捉追尾しレーダーで撃ち落とす試みをしていたのは40年も前の話である。地表の個人はもっと容易い。
 マイクロ波は閾値を超えると音声になる(マイクロ波聴覚効果として知られ1960年代に幻聴の特許が出ている)。これらの技術は幻聴、幻覚兵器として応用されている。内部告発者たちは、精神病院をゴールにした暗殺を資本主義社会は繰り広げているとしている。
 この世界は、人工衛星とマイクロ波レーダー技術による、監視と暗殺のシステムが確立している 軍事技術は民間技術の数十年先を行くとされる。ミサイルはマッハ20などで飛び宇宙に無数の衛星が飛ぶ。携帯電話は1940年代の軍事技術。インターネットは1960年代アメリカ国防省軍事用ネットワークが起源だ。pcもアラン・チューリングが戦前にナチスの暗号解読に作ったものが前身である。我々は軍事技術で脳波を回収されて一生を送る。中国もアメリカも回収した信号を破棄しない。 テロ対策を口実に反体制派を狩る監視システムとして親米政権にばら撒かれたエックスキースコア(スノーデンが内部告発)の上のシステムに脳波の監視システム暗殺システムが存在する。人は信じたくないものは信じない。しかし、技術も、漏れ出たニュースもある。それでは、納得できるように、この技術が用いられ隠される思想的背景について論じよう。
 MIT教授チョムスキーは1970年代から支配者層の敵は自国民であって外敵などではないと主張。1991年にイタリア大統領がグラディオ作戦という名称で自国で共産主義者のふりをしてテロなどすれば支持率が上がるとしてCIAとNATOがテロを自演してきたと告発し辞任。代表は1980年のボローニャ駅爆破テロで85人の死者を出した。日本でも菅生事件など公安警察が自演でダイナマイトテロを起こし共産党員を冤罪で逮捕した。世界中に偽旗作戦と呼ばれる自演テロが歴史上存在する。バレてしまったものだけが歴史に刻まれてる。
 未来の予言書とまで評された1949年出版のジョージオーウェル1984には、現代の戦争は外敵と戦うのではなく自国民が敵になり支配者が支配構造維持のために自国民の感情をコントロールするものになると。(落選する事が一番怖い人には当然の事だろう。選挙権を与えた日から自国民が支配者層の敵だ)
 現代社会は学校で思考体系をコントロールされ、メディアを通じ情報をコントロールされて成立している。オペレーションモッキンバードという英語版ウィキペディアでCIAの記者買収作戦が。官房機密費問題で日本の記者とコメンテーター買収が確認できる。
 学校については米国では保護者が子供が国に都合のいい人間になるように洗脳されていると社会運動が(自民党の杉田水脈が教育機関は洗脳機関。麻生太郎が学校はライン工を作る為に作ったと発言し2022年11月2人で炎上している。20世紀最高の哲学者の一人とされるフーコーも学校は自発的服従する人間の製造機関と)。英国では記者が買収される世界の情報など信じられないとメディア信頼度は10%台だ。欧米ではメディアも政府も信頼度が低い(オーウェルはソ連批判の書、動物農場の序文でメディアが支配者層に牛耳られている英国もソ連と大差はないと書いていたが検閲で削除されていた。30年後に発見され一部の本には載っている)。
 世界中の諜報機関はペガサスというスパイウェアなどで、野党、買収に応じない記者、活動家を見張っている。これらは昔から存在し、アメリカはコインテルプロという名称で自国民の反体制派の監視と暗殺を行ってきた。 テロを自演してでも支持率に繋げたかった政府がテロ対策で監視システムを作るのだろうか。麻生太郎は北朝鮮のお陰(軍事挑発)で選挙に勝てたと発言して炎上し、ただの本音で失言とは言わないと池上彰に一蹴された。
 現在の日本にも脳波の監視と暗殺のシステムが存在する。エックスキースコア同様にこれらのシステムも渡されている。親米政権の存続維持のために。反米政権はそれがどんな体制だろうが大国の援護がない場合は全て言いがかりで滅ぼされている(チョムスキーなどもこの反米政権の末路を指摘している)。反米政権には軍隊を、親米政権には体制維持の監視と暗殺を。
 エックスキースコアとは通話、検索履歴、チャット、メール、ワード文書など大企業全てに情報提供させ、全てを一元管理、保存した監視網である。 安倍総理と暴力団関連報道(祖父の岸信介はアイク歓迎実行委員会と称して暴力団員に左翼を襲撃させていた)などでもわかるように、こういった組織相手には使わない謎の監視網。マル暴の警官は本気で暴力団と戦っているだろうが。。。世界ではマフィアと政治家は仲良しである。世界中で監視されるのは、何者か。暗殺兵器の内部告発者たちは何を殺すと言っているのだろう。反体制派を狩るコインテルプロが答えだろう。全体像が見えない場合、本気で戦っている下部組織があれば目眩ましになる。
 何度も繰り返すが、この世界は脳波すら支配下にして暗殺と監視がある。中国では既に報道が。何でも危険なら禁止条約を結んだこの世界で脳波関連だけが黙殺されている。答えは世界中の悪用だろう。プーチンもブッシュファミリーも北の将軍も安倍一族も、自国民の動向一つで無職のおじさんだ。外国より自国民を監視したい。
 エックスキースコアの方は近年使われた疑いが濃厚なニュースがある。モリカケ問題で内部告発した官僚前川喜平は、告発記事が文春に掲載される直前に読売新聞に出会い系バーに通った過去があると報道された。弁護士など有識者は読売の情報源はどこだと読売を徹底批判した。ところで読売新聞はCIAのエージェント正力が創業したメディアとして有名であり、正力はCIAから多額の資金を受け取っていた。チョムスキーは国は暗殺する機関だがいろんなケースがあると。例えば、マサチューセッツ工科大学教授の僕が本当のこと話して殺したら逆効果でしょと。前川喜平は下半身を記事にして消された。
 テロ対策を口実に作った監視網で内調は与党のライバル政治家のゴシップやアラ探しをしていたと小谷賢氏が語っている。
投稿者 濱崎克幸 浜崎克幸
禁止条約を作る���会運動をしたいです
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池上彰は記憶から思考を取り出すステージだとそして中国は世界の真似だろうと。早急な法規制 禁止条約が必要であるPDFは防衛省機関
特開2007-195779
 サイトは特許庁一例 東芝 脳波から映像思考の解読企業から多数出願 軍事レベルのAIならもっと上だ
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ophelia333k-k-k · 1 year
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少女 ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin  ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by  this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個  生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする そんな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆われる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった ���粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまったままで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで 
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oniwastagram · 2 years
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📸ふりかけ資料館 楠苑 / Kusunokien Garden(Furikake Museum), Kitahiroshima, Hiroshima 広島県北広島町の『ふりかけ資料館 楠苑』の庭園が素敵…! ふりかけの“ゆかり®”🍚が有名な三島食品の資料館は、日本のグラフィックデザインの先駆者 #河野鷹思 が設計監修。枯山水庭園も。 北広島・ふりかけ資料館 楠苑庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/kusunokien-kitahiroshima/ ........ 「楠苑」はふりかけの“ゆかり®”が有名な食品メーカー「三島食品」による「ふりかけ資料館」。 三島食品の歴史を知るパネルや関係資料、全国ふりかけ協会加盟15社の商品やふりかけの歴史を学ぶ展示などを見ることができます。設計監修はグラフィックデザイナーとして有名な河野鷹思。 . 2つの国指定文化財の庭園『吉川元春館跡庭園』、『旧万徳院庭園』を目的に訪れた北広島町。 この「楠苑」は歴史的なスポットではないけれど、「ゆかり」は現代では武将よりも全国区かもしれない…?三島食品と言われてもピンと来なくても「ゆかり」のパッケージはきっと目にしたことがあるはず… . 戦後すぐの1949年(昭和24年)に広島市内で創業した三島食品(三島商店)。 赤しそのふりかけ「ゆかり」の大ヒットで国内屈指のふりかけメーカーに成長、それ以外にも調味料やレトルト食品の製造販売を営まれています。 . そんな三島食品の創業者・三島哲男の生家跡に三島食品の創業40年を機に1991年(平成3年)に開館したのが「楠苑」。 . 現・北広島町(山県郡八重町大字有田)の農家に生まれた三島哲男。 父親が投資で失敗したことから小学校を卒業すると広島市内に丁稚奉公に。そこでの修行が後の三島食品の誕生につながりました。 . 館内では三島食品グループの歴史・商品紹介・三島哲男の書画の展示といった企業資料館の一面と、ふりかけそのものの歴史、国内の他のふりかけメーカーの商品(パッケージ)が一堂に会する「ふりかけ歴史館」的な一面も。 . そして大きな石垣・なまこ壁・土蔵のような農家/商家建築+コンクリート造の八角堂🏛からなるユニークな現代建築の設計監修は昭和〜平成のグラフィックデザイナー・河野鷹思さん。 かつての三島商品のロゴや商品パッケージのデザインを手掛けていた縁からこの「楠苑」全体のコンセプト作りを担当・監修されました。 . 庭園としては芝生とサツキの刈込による中庭が主庭ですが、管理棟の一角には枯山水庭園も。施設名にもなっている主木のクスノキは玄関の前に!🌲 . またこの楠苑の前にはゆかりの原料の赤しその畑が一面に広がります。入館者にはお土産でふりかけも(ありがとうございます!)。北広島を旅行の際はぜひ立ち寄ってみて。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。 詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #日本建築 #北広島 #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #japanmuseum #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #hiroshima #庭院 #庭园 #三島食品 #おにわさん (三島食品資料館) https://www.instagram.com/p/CkFGzTuPYOs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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