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#着る木陰
maker-d-hh · 1 year
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【紫外線対策の逸品】ミズノ 着る木陰 遮熱UVレディースパーカー
スポーツ品メーカー「ミズノ」より、UVカットと遮熱効果のある素材を採用した遮熱UVパーカーです。
紫外線をカットしつつ、太陽の熱を遮る効果も期待できる素材で、吸汗速乾性もあるため、スポーツはもちろん、お出かけ用としても普段着としても快適。
シンプルながら洗練されたスタイリッシュなデザインと、軽量でスッキリ見えるところもうれしい、着回しも利く遮熱UVパーカーの逸品です!
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koch-snowflake-blog · 3 months
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村島 未悠は、日本のグラビアアイドル、女優、元アイドル、歌手、YouTuber。大阪府出身。ジェイロックを経て、2023年現在はホリプロデジタルエンターテインメント所属。 ダンスボーカルグループ「CHERRSEE」の元メンバーで、当時の名義はMIYU。 ウィキペディア
出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1998年8月27日 (年齢 25歳)
身長: 157 cm
カップサイズ: F
スリーサイズ: 86 - 58 - 84 cm
デビュー: 2016年
別名義: MIYU
趣味・特技はけん玉、マラソン、バスケットボール観戦、ダンス。好きな色はピンク、白、黒。
ダンスについては、授業の際に指されるだけでも赤面するほどの人見知り(引っ込み思案)だったことを見かねた母により、10歳(小学4年生)から習わされた。「イケイケにさせたい」と半ば強引に金髪にさせられたこともあったが、そのおかげで仕事を始められた。グラビアについても、「やったらええやん」と背中を押してくれたことが志願のきっかけであり、自分とは正反対の陽キャラな母には感謝しているという。
昔から陰キャであり、人付き合いが得意ではなく友達が少なかったことも、ダンスを始めるきっかけになった。高校はもとよりCHERRSEEも恋愛禁止ではなかったが、そういう理由からも恋愛経験は少なく、個人活動中に帰省から偶然の再会を経て唯一良い感じになった同郷の友人との交際も遠距離ゆえの寂しさが災いし、2か月ぐらいで会わなくなった。自分の中では「交際=結婚」と思っているうえ、ナンパに勤しむ遊び人よりはちょっとオタクっぽい人の方が好みであるため、慎重になってしまうという。
足のサイズは本人曰く「20.5cmくらい」。普段はほとんどスニーカーしか履かない(本人曰く「スニーカーは大きめでもいい」)ため、撮影時に用意してもらった靴も合わないことが多いほか、水着のサイズも着てみないとわからないため、衣装合わせに時間がかかってしまうという。
「むらみゆ」は高校当時のあだ名でもあり、本名への改名は「アイドル時代よりももっとファンの皆さんと近くなりたい」との理由による。それゆえ、『むらみゆ』についても「よりファンとの距離を縮めるような温かい1冊になったらいいな」と思っているという。
バックダンサー当時からアーティストに憧れており、CHERRSEEにはそれが高じて(J-POPとK-POPのジャンルを合わせたCHERRSEEのオーディションの広告を見つけて)オーディションを受け、所属した。CHERRSEE所属当時はアイドル活動はもとより生活的にも厳しく、焼肉屋にて3年間ほどアルバイトを経験した。一方、「グループが注目されるきっかけになれば」とグラビア活動を始め、頑張っていたものの実はそれまでプライベートで競泳水着しか着たことがなく、母の水着を借りて宣材写真を撮ったこともあったほか、グラビアの撮影に際しては上の水着を逆さまに着て1時間ぐらい気づかず、撮り直しになったこともある。それゆえにグラビアにはあまり自信がなく、撮影自体は楽しかったが慣れない部分があり、胸が大きいのもコンプレックスだったことから、ダンスの際にはインターネットにて購入したサラシっぽいスポーツブラを巻いたりしていた。グラビアを休んでいる間には何より「またグラビアに出て欲しい」との声を多くもらい、それに応えようと復帰した後には自分が輝ける場として前向きに捉えられるようになったという。
2022年現在では芝居にも意欲を見せてオーディションを受けるようになっており、バラエティ番組『あの界隈を恋愛ドラマにしたら…不覚にもキュンときた』(同年10月22日、中京テレビ)内のショートドラマで主人公を演じたことが、「演技に挑戦したい」から「もっと演技できるようになりたい」に意識が変わるきっかけとなり、学ばせてもらったという。
モデル・女優の花山瑞貴は、ホリプロデジタルエンターテインメントでの先輩にして中学時代やEXPG時代からの親友である。また、元NMB48の木下春奈は高校時代3年間通して同じクラスだった。
YouTubeについては、「むらみゆ」の開設時点では企画から撮影、編集をすべて自分で担当していたが、2023年10月時点ではホリプロデジタルエンターテインメントの社員などにも手伝ってもらえており、グラビアのオフショット動画のおかげで登録者数が10万人まで伸びたという。  
  
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yoga-onion · 4 months
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (26)
I for Idho (Yew) - December 21st Winter Solstice 
“Death of a king in his waning 6 months - The Celtic Tree Calendar (Ref), the end of the beginning, the beginning of the end ...”         
Colour: dark green; Star: Saturn; Gemstone: olivine; Gender: female; Metal: lead, Element: earth; Patron: Banba, Hecate; Symbols: resurrection, death + rebirth, eternity, path to meet ancestors + land of the soul
Today is the winter solstice, also called the hibernal solstice, the day in the northern hemisphere when the sun is at its lowest altitude in the south and day is shortest and night longest during the year (reversed in the southern hemisphere).
Yew is an evergreen tree with dark green leaves and red berries. The yew is a robust tree with a thick girth and an extremely long life. It is probably the longest lived of all trees.
As soon as the downward reaching branches reach the ground, the tree begins to grow strongly, as if it has been reborn as a new tree. The eldest living yew tree is in Europe is said to be the Fortingall Yew, in Perthshire, Scotland, and it has been estimated between 3000 to 9000 years old.
In addition, the yew's hollowed-out heartwood, especially when wet, looks like a flayed animal, and when cut it appears to bleed, so the yew is increasingly said to be a sacred tree. Yew sticks were believed to be able to divine the future, and yew sticks were used as 'writing pillars' to engrave the Ogham script, as they could be preserved almost forever.
As the druids believed the natural law of reincarnation, where the soul becomes reborn as another person, the yew was seen as a protector of the soul during the journey to the Otherworld. Some believe that the road to the Otherworld is shaded by rows of yew trees. Furthermore, the yew is said to stop any obstacles caused by evil spirits from the other world.
As a sacred 'tree of immortality', believed to protect and purify the dead, yews are often planted in cemeteries, many of which are as old as the church or much older.
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ケルト人の樹木の信仰 (26)
IはIdho (イチイ) - 12月21日 冬至
“衰えゆく半年の王の死 〜 ケルトの木の暦(参照)、始まりの終わり、終わりの始まり…”
色: 深緑; 星: 土星; 宝石: オリビン; 性: 女性; 金属: 鉛; 要素: 土; 守護神: バンバ、ヘカテ; シンボル: 復活; 死+再生、永遠、先祖に出会える道+魂の国
今日は冬至、北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(南半球では逆転する)。
イチイは濃い緑色の葉を持ち、赤い果実を実らせる常緑樹。イチイはたくましい樹木で胴回りが太くなり、ものすごく長生きをする。おそらくすべての木の中で最も長生きする木といえるだろう。下方に伸びた枝が地面に着くと、新しい木に生まれ変わったかのように、力強く生育を始める。ヨーロッパで最も古いイチイの木は、スコットランドのパースシャーにある『フォーティンゴールのイチイ』と言われており、樹齢は3000年から9000年と推定されている。
また、幹の中が空洞になったイチイの心材は、とくに湿っていると、一見皮を剥がれた動物のようで、切れば血を流すようにも見えるため、ますますイチイは聖なる木だといわれるようになった。
イチイの杖は未来を占うことができるとされ、またイチイの棒はほぼ永遠に保存できるため、オガム文字を刻印する「文字棒」として使用された。ドルイドは、魂が別の人間に生まれ変わるという輪廻転生の自然法則を信じていたので、イチイはあの世への旅の間、魂を守ってくれるものと考えられていた。冥界に至る道はイチイ並木の木陰になっているという説もある。さらに、イチイは異界の悪霊が起こすいかなる障害をも食い止めるという。
神聖なる「不死の木」として、死者を守り浄化すると信じられたイチイは墓地によく植えられ、その多くは樹齢が教会と同じか、またはそれよりずっと古い。
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shunya-wisteria · 9 months
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夏旅2023 庄内散策 - 山居倉庫・本間美術館
今回は、台風によるフェーン現象で酷暑となった山形県庄内地方へ出かけてみました。最初は酒田へ。
新潟からの特急いなほ にて酷暑の庄内地方 酒田に到着。駅から出た瞬間の日差しにくじけそうになりました… なるべく日陰を探しバス乗り場へ。酒田市のコミュニティバス るんるんバスに乗り込み15分ほど、山居倉庫へ。料金は一律200円、Suica等の交通系ICカードは使用不可なので注意。
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米どころ庄内における米の積出港としてにぎわった酒田。米保管倉庫として明治期にたてられたのが酒田のシンボルでもあるこの山居倉庫。フォトスポットとして有名なのが、夏の高温防止のため倉庫の裏地に植えられた樹齢150年以上のケヤキ並木。土蔵造りの倉庫と日差しに照らされ青々と輝く並木、抜けの良い石畳の道の組み合わせが実に趣がありますね。
9棟の倉庫の一部は現在、観光物産会や庄内米歴史資料館としてにぎわっています。
山居倉庫から徒歩1キロ弱、次は本間家旧本邸へ。酒田の豪商として地域社会の発展に努めた本間家のお屋敷。幕府巡見使一行の本陣宿として建造された後、本間家代々の本邸として使用されたとのこと。現在は観光施設として一般���開、古いお屋敷好きとしては欠かせないスポット。
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さらにもう1.5キロほど歩いた先、美しい庭園を望む別荘 清遠閣が佇む本間美術館にも足をのばしてみます。酷暑とはいえ風がやや強いことが幸い、日陰を探せば比較的 快適に歩けました。本間美術館は戦後の荒廃した時期に、地域の復興・活性化と芸術文化の向上の資することを目的に本間家が設立した私設美術館。本間家に代々伝わる貴重な収蔵品を見学した後、お庭へ。鶴が舞い降りたことから「舞鶴園」と名づけられた庭園。この美しいお庭は隣接する清遠閣から眺めてみるのがおすすめ。心地よい風を受けながらのんびりと流れる時間を満喫しました。
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昼過ぎに酒田に到着し、美術館の最終入場が16:30と、なかなかにせわしない旅路でしたが、ボッチ特有の歩く速さ(バスを待つより歩いたほうが早いときは歩き)で時間を稼ぐことで、一通り酒田の街を楽しめました。夕方の電車で鶴岡へ移動、翌日の散策に備えます。
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nanaintheblue · 10 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを���れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがある���んて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはこ��まで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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tutai-k · 7 months
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休暇。
10月1日~長期休暇だという噂が職場に流れていた。長期の休みなら行きたい場所はたくさんあったが、噂が流れはじめたのは8月の末くらいで、そんな時期から用意しはじめたのでは何も間に合わない。釧路と舳倉島、どちらにするか悩んだが、どちらも現実的ではないのであきらめて、結局長期休暇は取らずに、四連休だけ取ってあとは出勤した。来年も同じ時期に長期休暇があるのなら、半年くらいまえには教えてもらいたいし(一年後の予定がすでに決まっているような生活をしている人間なので)それなら周到に旅に出られる。
とはいえ、せっかくの休暇なので何かしたいと思っていたら、東京のイゼルローンフォートレスでキルヒアイスのアフタヌーンティーへ行けることになった。
東京は文フリで年に多いと二回くらい行くのだが、単純に『遊びに行くだけ』というのは、何年ぶりか……。イベントまえのストレスや緊張、イベント後の疲れのない旅行というのは、もしかしなくても十年くらいは経験していないのでは? という…。
いつもは始発に乗るのをすこしゆっくりの電車に乗って名古屋駅へ。
平日の、しかも朝だからすんなり食べられるだろうと思っていた名古屋駅名物「ぴよりん」のモーニングは、びっくりするくらい人が並んでいた……。とりあえず名前だけ書いて、出かける直前にバタバタしてて買えなかったお土産を探しに行くも、あせってしまいぴよりんのバウムクーヘンを一個しか買えないまま、席へ通される。 そしてぴよりんモーニングを注文して食べる。 当たり前だがこの「カフェ・ジャンシアーヌ」は、ぴよりんを求めているひとがわざわざ並ぶお店なので、みんなぴよりんを食べる。いろんなひとが「ぴよりんモーニング」を注文するのを、「ああこの人たちはみんな、ぴよりんを楽しみにこのお店に朝早くにやってきたんだなあ」という幸せな気持ちで感じることができる。とてもいい旅立ちの朝だった。
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新幹線は少し遅れている便もあったようだったが、わたしが乗るのは大丈夫だった。予定通り東京駅へ着き、約束の駅へ。
休日はとても並ぶというラーメンのようななにかのお店へ連れて行ってもらう。透き通ったスープに、きしめんみたいな麺(麺は10種類くらいからえらべたが、初心者なので先達に従って頼んだらきしめんみたいなのだった)、たくさんのネギとパクチーが浮いている。パクチー大好きなので、追加すれば良かった。とにかくめちゃくちゃおいしくて、スープまで飲んだ。 到着したときにはお店は結構すいていたのに、すぐに満席になって、お店を出るころには人が並びはじめていた。
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皇居まで歩いて行ける距離だというので案内してもらう。 人生で実は皇居に行く(しかも結構奥の一般人が入れないようなところまで入れる)機会があったのだが、一度も行かなかったので、皇居は初体験だった。入り口は閉まっていて、見学はできなかったのだが、かつて皇居へ入る機会があったころからはずいぶん違う道と考え方をしているわたしには、そういうものなのだと思った。偶然だが。 皇居の周りは走っている人がたくさんいた。柳がたくさん生えていて、風が目に見えるので気持ちよかった。 「このお堀、冬は鳥がきそう」と言ったら、案内してくれた人が、「黒くて足がこんな鳥がくる」と指を三本立ててオオバンを表現したのが面白かった。たしかにオオバンは、カモとかと違って、指がわかれていて足がへら状になっていない(指がわかれていてそれぞれに水かきがついている)。
そのあとは、紅茶屋さんへ。いろいろ悩んだけど、暑かったのでレモンティーを頼む。たくさんおし���べりして、二杯目も。ロイヤルミルクティーを飲む。どれもおいしかったし、カフェはとても居心地が良かった。 いつも東京で誰かに会うときは、イベントの後の打ち上げとかで、疲れとお酒でハイになってたり、時間も時間だから焦っていたりするけれど、ゆっくり時間を気にせずおしゃべりができたのがうれしかった。 だれかに会いに行く旅、というのを久しぶりにしたなあと思った。
その人とは別れて、イゼルローンフォートレスへ。十年来のフォロワーさんと会う。BL短歌の頃に出会っていて、タイムラインでは毎日のようにおしゃべりしているのに、会うのはこれが初めてなのが不思議。 イゼルローンフォートレスは「銀河英雄伝説」という小説のコンセプトカフェ(公式)で、物語の中の陣営で席がえらべたようで、イゼルローンを選んだよ、と言う話だったが、なにが違ったのかよくわからなかった。記念の銀貨・金貨をもらったり、コースターをもらったりした。ドリンクについてくるコースターにシェーンコップが含まれていたのを、ながれるように渡されたのがおもしろかった。 アフタヌーンティーのケーキにひとつめちゃくちゃ酸っぱいのがあって複雑な顔をしていたら「酸っぱいのきらいだもんね」と言われて、「やっぱりいつも一緒にいる人だ!」と思った。 ライチョウのぬいぐるみをもらう。夏羽と冬羽を選ばせてもらう。まだ夏羽のオスにしか出会っていないので、夏羽をもらった。 ひとしく一緒にわちゃわちゃしているフォロワーさんたちにお土産を買う。今日発送したが、よろこんでくれるとうれしいなと思う。 自分用には、箸を買った。迷ったけど、同盟の箸にした。 世界が平和でありますように、この小説の主人公の一人が語るような、健全な民主主義の世界にたどり着き、すこしでも長くそれがつづきますようにと祈る。
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翌日。 泊ったホテルの近くに野鳥のサンクチュアリのような場所があるようだったが、とにかく「緑色のインコ(ワカケホンセイインコ)」と「オナガ」が見たいと思っていたので、目撃情報があり、さらに良く発生するという井の頭公園へいく。何年かまえ、みんなでアヒルボートを漕いで楽しんだ井の頭公園だ。朝早く到着したからか、あの楽しかったアヒルボートを漕いでいる人は誰もいなかった。 カメラを持っている人が何人かいて、鳥への期待が高まる。 池にはカイツブリとカルガモが浮いていた。
一生懸命探すも、オナガの鳴声とシジュウカラの鳴声しか聞こえないので、公園の管理塔で「緑色のインコはどこにいますか?」と聞く。 「夕方に群で飛んでくるけど、昼間はあんまり見ないね」と言われる。好む木とかが分かればそこから探せるのに…と思ったが、そういうのもないらしい。とりあえず玉川上水を遡る。オナガの声がたくさん聞こえるけど、全然見つからない。 ブラインドがもうけられているところがあって、鳥写おじさんがたくさんいたので覗いてみる。池があって、ムラサキシキブが池の周りに生えていたので、鳥は来そう。だけど鳥があらわれなかったので情報収集。ちょっと離れたところにたくさんいる場所があるとわかったので移動。
関東の人はもしかしたら「なんでこいつ、こんなにオナガ(とワカケホンセイインコ)を見たいんだ?」と思うかもしれないが、オナガは関東にしか住んでいないので、三重では見られないのである。
どきどきしながら歩いて行くと、まず見つけたのはオナガ。 「オナガだ!!!!めっちゃいる!!!!!オナガ!!!」もう大興奮である。オナガはしきりに飛びまわり、すぐに木の中に隠れてしまうので、まだ葉っぱが繁っている今は見つけづらいし、写真を撮るのがむずかしい。でもときどき、開けたところへ出てくるのでそれを撮影していると、なんか変な影が……飛んでくる……。なんて言うんだろう、ロケットみたいな……。日本にいるタイプの鳥ではない、形状の……。 目の前にとまったのはワカケホンセイインコだった! 「わーーーーーー!!!本物だ!!本物だ!!!!」 重いカメラとレンズを担いできたかいがあった……。このインコも木陰に隠れるし緑色なので、はっぱと紛れて見つけづらいし写真も撮りづらい……。 こんなトロピカルな鳥がなんでこんなところにいるかというと、外来種である。飼われていたのが逃げ出して野生化しているらしい。とても異様……。 寿命が30年くらいあるらしい。外来種についてはいろいろ思うことがあるし、その存在を全面的に肯定はしないが、かれらをここに持ちこんだのは我々人間なので、「彼ら」が悪だという立場にはわたしは立っていない。存在と言うよりは、「棲みつかせてしまった」構造や、行為を批判したいと思っている。 絶滅危惧種を「この目で見てことほぐ」必要があるとしたら(その行為の根底には人類の営為による贖罪と、その環境の改善への努力への約束が含まれると思う)、等しく外来生物も「この目で見る」必要があるとおもう。たしかに、都会の森の中に、この南国にいそうな姿は異様で、その「違和感」は、環境について考える動機になる。
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とにかくワカケホンセイインコとオナガを見つけて満足する。 どちらも動き回る鳥なので、追いかけて歩いていたら、ひらけた場所に鳥写おじさんがたくさん集まっていたので寄っていく。 エゾビタキとキビタキを撮影していた。 今年はエゾビタキに出会ってないし、なんだかんだキビタキにもほとんど出会えないので見られて良かった。
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名古屋駅でお土産にぴよりんを買いたかったので、はやめに東京を出ようと東京駅にもどる。 スマホリングが壊れてしまっているので、東京駅のちいかわちゃんのショップでちいかわちゃんのスマホリングを買おうと思っていたら、東京駅のちいかわちゃんショップは一時間待ちだった! あきらめて、東京駅にあるというクルミッコショップへ……人が全然いないなあと思っていたら、なんとクルミッコは売り切れ! そんなぁ~~と落胆しながらお土産を物色していたら、普通の総合お土産ショップみたいなところにクルミッコとサブレのセットが売っていた。 「これ、おふくもち(赤福によく似た伊勢のお土産)みたいな……なんかそういうクルミ���コじゃないよな?」と不安に思いながらレジに持って行くと、ちゃんと紅谷の袋に入れてくれたので本物のクルミッコのようだった。 崎陽軒のシウマイもほしくて、真空パックじゃなくてチルドのやつを探し回るが見つけられなかったので真空パックのを買って、お弁当も買って電車に乗る。 じつは朝、ホテルのバイキングでしこたま食べてから何も食べていなかったが、腹が減っていなかったので、帰りの近鉄特急で弁当を食べようと思って、新幹線ではもうすぐ車内販売がなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べる。次に新幹線に乗るのは文フリの時だから、もう食べられるのはこれが最後の機会だ。いつまで経ってもやわらかくならないのを待っていたら、いつの間にか静岡を通過していた。豊橋辺りでなんとか食べ終える。そうこうしているうちに、名古屋。
駅でぴよりんを買おうと思ったら、めちゃくちゃ並んでいた。とりあえず特急券を買ってからぴよりんの列に並ぼうと思っていたら、いろいろあって列にならばず、特急も乗らないことに。 ゆっくり急行と鈍行で三重まで帰る。
急行と鈍行のベンチシートではお弁当は食べられないので、家に帰ってきてからお弁当を食べた。おいしかった。
良い旅をした。 翌日(つまり今日)伊良子へタカの渡りを見に行こうと思っていたのに、雨が降っていた。 来週からはとても忙しいので、今年は、もうヒヨドリの渡りを見に行けないだろう。
11月の半ばくらいには忙しいのは落ち着くので、そしたら、いつものアフタヌーンティーの秋のコースを滑り込みで食べよう。そしたらすぐに、ハッピーホリデーアフタヌーンティーがきちゃう。
月末に、今度は九州へ行く用事がある。九州では、カササギを探したいと思う。
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hachikenyakaiwai · 21 days
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそう��あったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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hangorin · 9 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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gallerynamba · 1 month
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◆FUZZI(フッジ)10%OFF優待参加◆ 開催期間:3月28(木)から31(日)まで 開催場所:Gallery なんばCITY本館1階店 上記期間、FUZZIが10%OFF優待に参加。 国内に1点物の商品を多数揃え、厳選された商品ばかりです。 ブランドの真骨頂に達している珠玉の作品を御覧頂けます。 国内と直接取引は数年のみ。 日本撤退の為、実際に現物を御覧・御試着頂けるのはおそらく当店のみです。 ジャンポール ゴルチェのソフトチュールファンの方は是非この機会に御買い求め下さい。 是非この機会にGalleryなんばCITY店をご利用下さい。 スタッフ一同、心よりお待ちしております。 【ブランド解説】 『フッジ(FUZZI)』社は元来、1954年にアデル バッチアーニ フッジによって設立されたイタリアのニット、カットソーメーカーでした。 1971年に娘のアンナ マリア フッジに事業に参加し、1983年にはジャンポール ゴルチェとライセンス契約が交わされました。 1985年にはファッションデザイナーのジャンポール ゴルチェと共にマドンナのツアー衣装を手掛ける様になりました。 それはやがて1990年の『ブロンド アンビション ツアー』で結実し、ローリング ストーン誌を以って「精巧に作り上げられたセクシャルで挑発的な狂想曲」と評されました。 このトップモードによる巨大なエンターテインメントは「1990年で最高のコンサートツアー」として認知され、その後のマドンナのイメージを決定づけました。 フッジはゴルチェとのコラボレーション以後、多くのトップブランドのライセンス契約、コラボレーションを実現し続けています。 ライセンス契約ではモスキーノ、マルタン マルジェラ、ヒューゴ ボス、ロメオ ジリ、アズティン アライア等です。 サンプル制作に始まり、製品までコラボレーションするブランドではカナダ グース、エミリオ プッチ、エルメス等ヨーロッパのトップブランドの名が連なっています。 社の持つ40,000以上の過去のアーカイヴを基に自社の名前を掲げたブランド、『フッジ(FUZZI)』も設立されています。 ゴルチェの代表作の一つにソフトチュールシリーズがありま���。 ソフトチュールシリーズは薄く伸びるレースの上に鮮やかなプリントを全面に施されていました。 通常、ソフトチュールはレース構造なのでプリントが定着しにくく、柄を表現しにくい素材でした。 しかし、それが高度な技術のプリントによって実現すると、ゴルチェはこの素材を最大限に活用しました。 人間本来の肉体を尊重するこのデザイナーはボディにフィットするソフトチュールに世界中のタトゥー、陰影の美しいギリシャ彫像、ポップアートから名画までをプリントしました。 まるで着用した者の肉体そのものが、別の種族、性別、素材へと変化した第二の肌の様でした。 また軽く、透ける特性のソフトチュールはゆったりとしたシルエットにしても今までにない視覚効果をもたらせました。 ギリシャの遺跡のひび割れた石柱、ドラマティックな表情の聖人、重厚な甲冑等が綿密なタッチで大きく描かれてそれがモデルが歩く度に軽やかに揺れる様子はユーモアであり、アートでもあります。全ては軽量で、ストレッチ性があり、着ていてストレスを感じることはないでしょう。 透け感のある素材は軽やかさを表現し、清涼感があります。 FUZZI社製の全面プリントソフトチュール作品。 ゴルチェのソフトチュールファンにとってはこれ以上のリバイバル品はございません。 Galleryでは、フッジの至高の世界観を余すこと無く御見せ致します。 -------------------- ◆10%OFF優待 招待状◆ 場所:Gallery なんばCITY本館1階店 【2024年度 最初の10%OFF優待】【春物出揃いました】 皆様の日頃の御愛顧に感謝を込めて3月28(木)から31(日)まで、「Gallery 全品10%OFF 優待」を開催。 Vivienne Westwood 2024年春物最新作や雑貨をはじめ、その他の全ブランド除外品無し。 この期間のみ店頭表示価格より10%OFF。 通常セール対象外のVivienne Westwoodの腕時計、財布、コインケース、シガレットケース、携帯灰皿、ライター、ZIPPOライター、ベルト、靴、雨傘、日傘、帽子、ストール等の小物類が全品10%OFFで御購入頂けます。 既に70%OFF等のSALE商品や普段SALEにならない商品も期間中のみ更に10%OFF。 御支払い方法は一切問いません。 現金、カード分割払い、シティ・パークス共通ショッピング チケット、ポイント利用、ギフト券併用 等、選択自由。 (但し、御取り置きの内金、既に御取り置き頂いている商品の御精算、修理代、通販は10%OFF対象外) パリ、ミラノ、ロンドン、ベルリン、ニューヨークからレディス・メンズ共に30ブランドの春物厳選200点以上入荷。 2024年春夏物最新作も全て10%OFFになるのは業界でもレアケースです。 【ヴィヴィアン ウエストウッド 腕時計在庫限り】 ヴィヴィアン ウエストウッドの腕時計は国内メーカーが生産終了、さらにメーカー側に在庫ゼロの為、弊社は現在の在庫が無くなり次第販売終了となります。 腕時計は再生産・再入荷・新規入荷の予定も御座いません。 国内ラスト1点のモデルも多数店頭に揃えております。 ヴィヴィアンの腕時計の購入を今迄、御検討されていた方はこの機会に是非、御決断下さい。 【artherapie 新作ネオドラゴン】 artherapie(アルセラピィ)から進化したドラゴンシリーズ、Neo DRAGON(ネオ ドラゴン)の長札財布がリリースしました。 型押しの精度が高められ、より迫力のあるドラゴンになりました。 さらに、ドラゴン部分に陰影を付け、定着に時間を掛け、立体感を出すことにベストを尽くしています。 ジャンポール ゴルチェのドラゴンと全く同じ職人と生産背景で製作しております。 特にこの水準の盛り上げ加工が出来る職人は国内に3人しかいません。その為、希少数しか生産出来ません。 一旦完売すると、約8ヶ月待ちになる為、是非この機会に御検討下さい。 ※期間中一般の御客様には店頭表示価格のまま販売しておりますので、必ずこの御招待状をスタッフに御提示下さい。御連れ様も一緒に御利用頂けます。 (御提示の無い場合は10%OFFになりません)、通販は対象外。 ※この優待セールはGalleryが独自に行っているもので、なんばCITY主催ではありません。くれぐれも御間違えのない様御願いします。 ※期間中の精算は全てポイント加算対象です。 ※他の割引サービスとの併用は出来ません。 ※ポイント10倍イベントより遥かに御得です。 ※店頭にこの優待のPOPや案内は掲示していませんので御注意下さい。 Gallery なんばCITY本館1F階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】3月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【Blog】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【online shop】http://gallery-jpg.com/
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geniusbeach · 1 year
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え���その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかし��がら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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myscrap · 9 months
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ゆきぬの❄️日曜東6ソ08bさんはTwitterを使っています: 「みずくぼ 湖畔にて (水着になっておきながら木陰で読書をする……それがもりくぼスタイル) #森久保乃々 https://t.co/m3A75szMBy」 / Twitter
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crispy-moratta · 2 months
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ノルウェイの森 上 感想
ここ最近 『スティルライフ』 と 『やがてヒトに与えたれた時が���ちて…』 の読み慣れた2冊を何度も複読、もしくは気軽に読める漫画ばかり開いて読書生活のお茶を濁していたが先日久しぶりに新規に小説を読んだ。
村上春樹を読むのは久しぶりで、半年くらい前に『納屋を焼く』 短編、3,4年くらい前に『一人称単数』『多崎つくると〜……』という感じであったが、どちらも村上春樹の逐一鼻につくたるさがあり、隙間なくはめ込まれたオシャな感じに、全人物の一挙手一投足を良い感じにな言い回ししたためてやろうという彼の気概に嫌気がさし、純文学の純というときの混じりっけのなさとは……みたいな気持ちはあったものの今回の『ノルウェイの森』 はというと、思った以上に響いてしまっており、村上春樹にしみじみとしてしまうなんか恥ずかしさと、これが沁みているということは真にわたしは今傷つきがあるのかもしれないというメタな認知があった。物語として状況を自身に被せて考えられるところが多く(なにかに喩えてつまりこういうことかもではなく、そのままわたしの現状みたいだなという) わたしがワタナベ君で、ワタナベ君がわたしか……となった。と書くとすごく物語を真っ向から受け止めすぎているひとの羞恥心があるが、このような気づきは半年後にはすっかり忘れる、インスタントな気づきであると思いここに残しておく。上巻で印象的だったのはミドリの自分の下着を新調するのを我慢して調理器具を買って暮らしているという話をワタナベくんにするところ、ストただなかの大学生活、読書酒女に全体重をかけて生死にぼんやりと苦悶するというある意味、奔放な感じの話から一転してこちらは切実な悲壮感という感じがあった……。それにしても上巻全編にわたってワタナベくんの全射精シーンもれなく書いているのでは、とここまで丁寧にワタナベくん性描写する村上春樹のモチベーションはどこから……という。性が死というものを遠ざけるものとして描かれるのも分かるにしても、どうも各シーンになんとも筆が乗ってしまう村上春樹も想像できてしまい。しかし少し多すぎやしないか性の描写が真に悩むワタナベくんの鬱蒼な感じの読み味を軽くしてくれているといえばそんな感じもするが……。
ここから下巻にどう話が展開されるのか、実写映画の方のハチクロのみんなで海に行ったところのシーン以降、ここで停めて後半部分見なくても良いか気がするないう予感に似た、下巻は読まんくても良いかもしれんという気持ちもある。余談、上巻を読んでいると続きを読みたいという気持ちと反面ちょっと読むのだるくなってきたなというところ(永沢さんとワタナベがナンパ失敗するあたり)、Audibleで1.4倍速くらいで朗読をしてもらい、目だけテキストを追うという読み方をしていたのだが、朗読者の妻夫木聡がとても素晴らしかった(喉でしゃべる感じ)。ドライブマイカーの印象を引っ張っているが、西島秀俊と妻夫木聡(ダークモードのとき)は、村上春樹が生み出したのではないかというくらい、そういう文体で書かれた人物像を感じる。ちなみにノルウェイの森は実写映画を調べるとワタナベくんは松山ケンイチであった。映画は見てないが(松山ケンイチは陰鬱な演技をするときもなんかエモーショナルな感じが滲み出てくるという印象があり)わたしの印象とは少し違った。
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cutecore-archives · 2 months
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『port - Import / Export EP』所感
#1. Song About Me & Human Beings
Pavementの”Pueblo”のチューニング(E♭B♭DFB♭D)で作った曲。激情ハードコアをやろうと思ったらこうなった。今聴くとヤケクソの5拍子に若いな〜と感じる。この曲特有のsadな雰囲気は他にあんまりない感じでカッコいい。
歌詞は安吾の『わたしは海をだきしめていたい』を下敷きに、恋焦がれている人に対する誇大妄想気味な眼差しを書いた。性的な関係がなくても、あなたが海と戯れている様子で僕は満足なんです、みたいな歌。
最近はめっきりセットリストから抜けているが、結成1年目の学祭野外ステージの最後に演奏したのはいい思い出。
#2. 札幌
徹夜で曲作りして上手くいかなかったけど、夜が明けてCOWPERSのライブ映像見てそのままギターを手にして15分で書いて、みんなで20分合わせて完成した曲。だから札幌。レギュラーチューニングながら、間奏の解放弦を使ったアプローチは今でもよく書けたと思う。Cコード(2カポだからキーはD)でこんな激しい曲になったのはミラクル。
徹夜明けなので朝には透き通る日差しが刺さる。革命の雰囲気に乗り切れずにフラストレーションがただ溜まっていく若者を題材にしている。1st EPで唯一の日本語詞。
ライブだと爆速になり、アステロの奴らは暴れ狂う。オモロいね。アンコールでよく演奏する。
リリース当時LPLのそうしくんが褒めてくれた(聴いた瞬間に鳥肌が立ったらしい)。本当に嬉しい。あと豊里がヤケに好きな曲。
#3. In Action
オープンD。この曲と「陸に帰る」をほぼ同時に書いた。たぶんデスキャブになりたかったんだと思うけど、マスロック的なアプローチも混入してしまった。拍の使い方は面白いと思う。サビは4/4なのに4/4に聴こえないし、14拍のフレーズがあったはず。portにしては落ち着いた曲調。曲作りでしょうきさんが苦戦してた記憶がある。
トラウマを追って戦場から帰ってきた軍人に、過去の思い出を振り返りつつ優しく寄り添う曲だったと記憶している。でも振り返ると散文的すぎて自分でもよく分からない。
リリース直後から全く演奏しなくなった曲。でも悪い曲じゃない。
#4. From Camel’s Back
port最初期に書いた。Pavement頻出のDADABE。エモリバイバルを意識した最初の曲。書いた頃の記憶がほとんどないが、フレーズが速すぎて当時の自分を憎んでいる。portで一番難しく、ギターのミスが多い曲かもしれない。それまではハンマリング/プリング/スライドの応酬だけど、サビ終わりの打って変わって開放的なフレーズはカッコいい。でもイントロの7拍子はやっぱりヤケクソかも。ドラムが7拍目で毎回ズドンなのが面白ポイント。
歌詞はサリンジャーの『フラニーとズーイー』を下敷きにした。というよりモチーフをそのまま持ってきている。シーモアやバディも歌詞に出しちゃったし。18歳〜20歳の曲は文学からイメージを拝借したものが多い。宗教的崇高さと世俗のギャップに悩む歌。やっぱりまんま『フラニーとズーイー』だ。あとタイトルの文法が少しおかしい(“a”を入れるべき)けど、語感を優先させてしまった。
今聴くとギターの撮り音を歪ませすぎたような気がしている。
個人的には、二流のエモリバイバルに堕ちずに、自分たちの色が良く出せた名曲だと思う。もっと人気になっていいと思っていたら、最近しょうきさんが「この曲が一番カッケえよ」と言ってくれて少しビックリした。portの中ではライブ定番曲として合意が形成されている。でも死ぬほどミスる。ムズいんだもん。
#5. Banana
portの前に組んでいたAmorous Mosquito最後の曲をportとしてセルフアレンジした曲。DADABE。アモラスはインディーポップやグランジやシューゲイザーをやっていたけど、ちょっとエモがやりたくなってこの曲を書いた。port版は更にパンク風のエモに仕上げた。イントロ〜Aメロの空気感のあるフレーズはお気に入り。アウトロのギターフレーズはメタルみたいでテクい。
歌詞は『ライ麦畑でつかまえて』を下敷きに、セックスについての気色悪さを書いた。「バナナ」は本当に陰茎のメタファー。そういう目線で歌詞を読み返したら面白いかもしれない。当時まろ鈴木に「Bananaの歌詞の意味分かったわ」と言われたので、多分バレていた。
豊里が好きな曲。個人的にあまり気持ちが乗らなくなってしまったのもあり、これも最近ライブでやっていない。今聴き返すと、諸々のフレーズはもう少し詰められた気がする。
レコーディングについて
2016年初めに、フラサンで2日間で録音しその後数日かけてミックスマスタリングしてもらった。岩崎さんレコーディング。ギターの音には全く納得がいっていないし、時間が許せばもっと色んな音を重ねれば良かったとも思う。これは完全にバンド、ひいては僕の音作りやディレクションの問題だった。しかし2015年初頭に結成したバンドがちょうど1年後に勢いで録音した事実にこそ価値があるのかもしれないし、そんな初期衝動を自ら価値付けすることにも問題があるのかもしれない。これらの反省が2nd EPの制作に若干反映される。
以上。忘れてて書き損ねていることがたくさんあると思うので、気が向いたら加筆修正します。
2024/2/20 太田直輝
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yoga-onion · 1 year
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Death of the king of the waning half-year - The end of the beginning, the beginning of the end …
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (7)
I for Idho (Yew) - December 21st Winter Solstice
Colour: dark green, Star: Saturn, Gemstone: olivine, Gender: female, Metal: lead, Element: earth, Patron: Banba, Hecate
Symbols: resurrection, death + rebirth, eternity, path to meet ancestors + land of the soul
Today is the winter solstice, also called the hibernal solstice, the day in the northern hemisphere when the sun is at its lowest altitude in the south and day is shortest and night longest during the year (reversed in the southern hemisphere).
Yew is an evergreen tree with dark green leaves and red berries. The yew is a robust tree with a thick girth and an extremely long life. It is probably the longest lived of all trees.
As soon as the downward reaching branches reach the ground, the tree begins to grow strongly, as if it has been reborn as a new tree. The eldest living yew tree is in Europe is said to be the Fortingall Yew, in Perthshire, Scotland, and it has been estimated between 3000 to 9000 years old.
In addition, the yew's hollowed-out heartwood, especially when wet, looks like a flayed animal, and when cut it appears to bleed, so the yew is increasingly said to be a sacred tree. Yew sticks were believed to be able to divine the future, and yew sticks were used as 'writing pillars' to engrave the Ogham script, as they could be preserved almost forever.
As the druids believed the natural law of reincarnation, where the soul becomes reborn as another person, the yew was seen as a protector of the soul during the journey to the Otherworld. Some believe that the road to the Otherworld is shaded by rows of yew trees. Furthermore, the yew is said to stop any obstacles caused by evil spirits from the Otherworld.
As a sacred 'tree of immortality', believed to protect and purify the dead, yews are often planted in cemeteries, many of which are as old as the church or much older.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (7)
IはIdho (イチイ) - 12月21日 冬至
“衰えゆく半年の王の死 〜 始まりの終わり、終わりの始まり…”
色: 深緑、星: 土星、宝石: オリビン、性: 女性、金属: 鉛、要素: 土、守護神: バンバ、ヘカテ
シンボル: 復活、死+再生、永遠、先祖に出会える道+魂の国
今日は冬至、北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(南半球では逆転する)。
イチイは濃い緑色の葉を持ち、赤い果実を実らせる常緑樹。イチイはたくましい樹木で胴回りが太くなり、ものすごく長生きをする。おそらくすべての木の中で最も長生きする木といえるだろう。下方に伸びた枝が地面に着くと、新しい木に生まれ変わったかのように、力強く生育を始める。ヨーロッパで最も古いイチイの木は、スコットランドのパースシャーにある『フォーティンゴールのイチイ』と言われており、樹齢は3000年から9000年と推定されている。
また、幹の中が空洞になったイチイの心材は、とくに湿っていると、一見皮を剥がれた動物のようで、切れば血を流すようにも見えるため、ますますイチイは聖なる木だといわれるようになった。
イチイの杖は未来を占うことができるとされ、またイチイの棒はほぼ永遠に保存できるため、オガム文字を刻印する「文字棒」として使用された。ドルイドは、魂が別の人間に生まれ変わるという輪廻転生の自然法則を信じていたので、イチイはあの世への旅の間、魂を守ってくれるものと考えられていた。冥界に至る道はイチイ並木の木陰になっているという説もある。さらに、イチイは異界の悪霊が起こすいかなる障害をも食い止めるという。
神聖なる「不死の木」として、死者を守り浄化すると信じられたイチイは墓地によく植えられ、その多くは樹齢が教会と同じか、またはそれよりずっと古い。
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jerusalemaya · 11 months
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小さな祈りにも
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2023.05.18
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今、マンションの工事をしているので、結構すごい音が聞こえてくるのと、やっぱり窓のすぐ外で工事の方たちが作業しておられるのでなんか落ち着いて祈れない…。
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いつもの公園に行って祈ろうと思ったのですが、今日は30度超えの予報、先々週公園に行った時は陽当たりが良すぎて暑く、祈���なかったのです。
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朝、今日、涼しくて集中して祈れる場所が与えられますようにと祈りました。
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どこに行くか…と考えたのですが、思いつかず、結局、いつもの公園に出かけてみることに。
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するとどうでしょう、いつも座っているベンチのところにはプラタナスの木があるのですが、先々週よりも葉が成長し生い茂っていて、ベンチがちょうど木陰になっていました。
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そして心地よい風が吹く中、涼しく神さまと深く交わり、お祈りすることができました!
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小さな出来事、小さな祈りだったのですが、神さまはいつも祈りにこたえ、私たちの喜ぶようなことをしてくださる方だなぁー、と再確認しました。
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今日の祝福を感謝します!
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kennak · 7 months
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 11日発売の「週刊文春」(文藝春秋)記事は、宝塚歌劇団の宙組トップスター・真風涼帆(まかぜすずほ)が、宙組トップ娘役だった星風まどか(現花組トップ娘役)に侮蔑的な言葉を浴びせるなど陰湿なイジメを行っていたと報じた。宝塚歌劇団をめぐっては昨年12月発売の「文春」記事で、演出家・原田諒氏がトップスターや演出助手だった女性スタッフらにハラスメント行為を行っていたと報じられ、原田氏が退団するという出来事が起きたばかりだったが、たて続けに不祥事が発覚する宝塚歌劇団の内部で今、何が起こっているのだろうか――。  一昨年の2021年に創立100周年を迎えた宝塚歌劇団は、「タカラジェンヌ」と呼ばれる劇団員が全員女性で、彼女たちが男役・女役を務め、花組・月組・雪組・星組・宙組の計5組と専科で構成されることが大きな特徴。歴代のトップスター、トップ娘役からは大地真央、黒木瞳、天海祐希、真矢ミキをはじめ今も第一線で活躍する女優が数多く生まれるなど、芸能界の貴重な人材育成機関としての顔も持つ。 「組それぞれカラーや特徴があり、公演も組ごとで行われる。たとえば宙組は真風涼帆のスタイルに象徴されるとおり、ステージでは長身のトップスターをはじめ男役たちがスリムなスーツを着こなす姿が印象的。また、月組は『芝居の月組』といわれ、女優の大地真央、黒木瞳、涼風真世、天海祐希、真琴つばさ、紫吹淳らを輩出してきた。ちなみに黒木はトップスターではなくトップ娘役だったが、トップスターとトップ娘役のコンビ内には厳しい上下関係があり、年次も基本的にはトップスターのほうが上。それが影響しているのかどうかは定かではないが、退団後に人気女優として息長く活躍するOGにはトップスター経験者が多い印象。  また、団員は5年目までは宝塚歌劇団の正社員という扱いで、給料やボーナス、退職金も支払われるというのは日本の劇団では珍しく、これも大きな特徴といえる」(宝塚歌劇団に詳しい週刊誌記者) トップスターとトップ娘役の関係性  その宝塚歌劇団には今、試練が訪れている。今月に入り、関係者から新型コロナウイルス感染者が出た影響ですでに花組、星組、宙組の公演が中止に追い込まれるという不運に見舞われるなか、前述のとおり内部の不祥事がたて続けに発覚し、宝塚ブランドが失墜しかねない事態に陥っているのだ。 「劇場の最寄り駅である宝塚駅では、先輩が乗ろうとする電車に後輩は乗らずに『お見送り』をしたり、宝塚線の線路沿いでは先輩が乗っていると思われる電車が通るだけで後輩が立ち止まって礼をしたり、宝塚音楽学校では上級生と下級生が班をつくって校舎の隅々まで完璧に掃除をするといった『鉄の掟』が有名だが、今ではそうしたルールはかなり緩和されている模様。それでも上下関係が厳しいのは確かだが、トップスターとトップ娘役の関係性というのは、コンビによってまちまち。  トップスターは相手役の���ップ娘役の指導係の役割も担うので、基本的には明確な上下関係が存在するが、大地真央と黒木瞳のように熱い師弟愛で結ばれているケースや、特に最近では友だち関係に近かいケース、逆に真風と星風のように険悪なケースもあると聞く。トップスターの性格や考え方による部分が大きいが、歌劇団に所属するタカラジェンヌは総勢で約400人おり、各組のトップスターはおおむね3~5年で交代していくので、一概に『こう』というのはいえない。もっとも、真風の例はかなりレアといえるだろう。稽古中などに大勢の劇団員やスタッフがいる前でトップスターがトップ娘役を叱るというのは珍しくはないが、真風のように容姿を批判したり演技ができないと言い出すような凄惨なイジメは聞いたことがない」(同) 渦巻く嫉妬  そんな団員・スタッフたちが鉄壁の絆で結ばれているかにみえる宝塚歌劇団で、なぜイジメやハラスメントが起きているのだろうか。『自己正当化という病』の著者で精神科医の片田珠美氏はいう。 「宝塚もそうですが、一般に閉鎖的な空間ほど不祥事が起きやすいのです。しかも、私自身も中学生の頃に『ベルばら』ブームを経験した影響で、宝塚に憧れていましたが、このように憧憬や羨望の対象になっている組織では、理不尽な仕打ちを受けても告発をためらう傾向が強くなります。なぜかといえば、その組織に入ることができ、所属していること自体にブランド価値がありますので、自分が排除されることへの恐怖ゆえに、声を上げにくいからです。  ですから、最近宝塚の不祥事が『文春』によって立て続けに報じられていますが、必ずしもここ数年でとくに増えたというわけではないと思います。以前から同様の不祥事はあったものの、誰も声を上げることができなかっただけではないでしょうか。  しかも、宝塚は『女の園』で同性の集まりですから、どうしても嫉妬が渦巻きやすくなります。おまけに、男役トップスター、あるいはトップ娘役の座を目指してしのぎを削る世界なので、嫉妬の炎が燃え上がるのは当然でしょう。上級生が、自分の立場を脅かしかねない下級生に嫉妬を抱き、陰湿ないじめを繰り返すことがあったとしても不思議ではありません。  今回の報道で引っかかるのは、男役トップスターの真風涼帆さんが自分の相手役だったトップ娘役の星風まどかさんをいじめていたという点です。真風さんは男役で、星風さんは娘役ですから、普通に考えると星風さんが真風さんの立場を脅かす存在とはいえません。第一、真風さんは175センチと高身長のうえ端正な顔立ちであり、圧倒的な人気を誇っていますから、嫉妬する必要などないように思います。もっとも、それでも生まれてしまうのが嫉妬の怖いところで、星風さんの若さや歌唱力に嫉妬したのかもしれません。  もう1つ考えられるのは、真風さんが同じようないじめを過去に受けていた可能性です。真風さんは、星風さんを幹部部屋に呼び出し、反省するよう1時間の正座を命じたと『文春』で報じられましたが、真風さん自身も同様の仕打ちを上級生から受けたことがあったのかもしれません。宝塚には『軍隊並み』と称されるほど厳しい上下関係があり、上級生の言葉は絶対ということですから、真風さんが同じように正座させられたことがあった可能性は十分考えられます。  こういう場合、『自分も上級生からされたのだから、同じことを下級生にしてもいい』と自己正当化しやすくなります。また、『攻撃者との同一視』というメカニズムが働くことも少なくありません。  これは、自分の胸中に不安や恐怖、怒りや無力感などをかき立てた人物の攻撃を模倣し、自身が攻撃者の立場に立つことによって、屈辱的な体験を乗り越えようとする防衛メカニズムです。フロイトの娘、アンナ・フロイトが見出しました。  このメカニズムは、さまざまな場面で働きます。たとえば、学校の運動部で『鍛えるため』という名目で先輩からいじめに近い過酷なしごきを受けた人が、自分が先輩の立場になったとたん、今度は後輩に同じことを繰り返します。同様のことは職場でも起こります。お局様から陰湿な嫌がらせを受けた女性社員が、今度は女性の新入社員に同様の嫌がらせをするようになるわけです。   この『攻撃者との同一視』が宝塚では起きやすいように見えます。しかも、『舞台を素晴らしいものにするため』という口実があれば、正当化されやすいでしょう。ですから、同様の不祥事は実はいくらでもあり、今後も声を上げる人がいれば、表に出てくるのではないでしょうか」  ちなみに当サイトは今回、複数の宝塚歌劇団元関係者や日頃からメディアを通じて宝塚に関する情報を発信している人々に取材を申し込んだが、軒並み拒否されてしまった。 「全国紙をはじめ主要メディア各社には宝塚の担当記者がいるほど、メディアとのつながりは深い。日本中に数多くの熱心な宝塚ファンがおり、宝塚はメディアにとっても強力なコンテンツの一つと化していることから友好な関係を築いている。さらに、宝塚関連の書籍や雑誌の特集なども多く、宝塚の元関係者であったり強いパイプを持っていたりすれば、それだけでいろいろな仕事につながるという人もおり、意外にも宝塚批判というのはタブー視されている面がある」(前出・週刊誌記者) (文=編集部、協力=片田珠美/精神科医)
宝塚歌劇団ブランド失墜、トップスターが凄惨イジメ、文春報道…不祥事生む組織体質 | ビジネスジャーナル
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