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#週末の過ごし方
misoyo-happy · 1 year
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いけばな、ウッドベース、ベリーダンスの週末で、えっ?!明日仕事?!と愕然としているみそよです。部屋の中ひどいけど、洗濯はしないとっ。 こちらはベリーダンス! 初めて小道具を使うよ(*^^*)衣装もがらりと変わります。6月のイベントに誘ってくださって、参加します!練習頑張る! 来てね! #ベリーダンス #プライベートレッスン #来てね #週末の過ごし方 https://www.instagram.com/p/Co1933SvZV9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gjoy739 · 1 year
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☻_2023-02-13 . @amagami.kyoto の可愛くて美味しいシュークリーム🤤 全品制覇したい🤤 . . . #シュークリーム #アマガミキョウト #スイーツ #おやつ #インスタスイーツ #おやつの時間 #食いしん坊シリーズ #美味しかった #美味しかった🤤 #美味しい食べ物は笑顔にしてくれる #また食べたくなる #🤤 #😋🍴 #カスタマイズエブリデイ #今日もx日和 #週末の過ごし方 #人生楽しんだもん勝ち #美味しいご飯 #ごちそうさまでした #おいしかった #お気に入り #久しぶり #インスタ日記 #京都グルメ #京都スイーツ (Amagami kyoto) https://www.instagram.com/p/ComoFTRS-PN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tanakaeri · 10 months
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心が休まる時間の過ごし方
心の休め方 週末のお天気が気になりますね 皆様はどのように過ごされますか?一日の時間を有効活用することも元気があればおすすめですが、こころやからだが疲れているとなかなか感動や気分転換まで余裕がない時もありますね。 のんびり自宅で映画をを見ることもいいですね。明るい時間のお風呂も気分的に休まるのかもしれません。 出掛けないとリフレッシュできないわけではありませんし、自分の好きなことをすることで気持ちも落ち着くことがあります。 ゆっくり、呼吸してみてくださいね。 わたしたちは、吐く呼吸は大きくても、吸う呼吸に関しては意識が低いようです。 気持ちの整理や落ち着く為に自己分析などもおすすめしています。心理療法 | 田中 絵里 公式サイト(くれたけ心理相談室 名古屋・知多) (counseling1.jp) 穏やかな週末をお過ごしくださいませ。
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読んだ漫画 天幕のジャードゥーガル①② A Witch’s Life in Mongol トマトスープ 秋田書店 既刊分 大人買い TLのプロモーションで第1話を読んで 絵柄もかわいいし ちょっと読んでみようと手にした いざ第1巻を読み始めたら 主人公が モンゴル帝国への復讐を誓い 知識を武器に 奴隷から捕虜、侍女として モンゴル帝国の中心へ近づいていく 帝国を翻弄する女性の人生譚 絵柄はかわいいのにヒリヒリする緊張感 面白い 2巻へと巻数を進めると 役者が揃いだし 敵味方もなんとなく見えてき出して 次の展開がますます気になる 世界史で知っている部分と 知らない部分が 混ざり合って読んでいて面白い (年表を確認しつつ) #漫画 #マンガ #読んだ本 #読んだ漫画 #読んだマンガ #天幕のジャードゥーガル #awitchslifeinmongol #トマトスープ #秋田書店 #週末の過ごし方 https://www.instagram.com/p/Cp8-uiKv9jh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sscoffeestand · 1 year
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浅煎りシングルオリジン「ロスノガレス農園コロンビア」、浅煎り初心者にオススメの中浅煎り「リセパ農園ホンジュラス」は本日が最後! ・ω・*)ノнёιιο! しましまCOFFEE STAND です。今週もラスト。浅煎りと中浅煎りは本日が最後です。 週末のコーヒーライフにコーヒー豆の備蓄はお済みでしょうか。週末のコーヒーには50g少量パッケージがオススメです。マグカップで三杯分くらいの容量です。すぐに消費できるので鮮度を気にせずご利用いただいております。 浅煎り、中浅煎りともに極少ですが、是非ご利用くださいませ。早い者勝ちですよー。 #週末の過ごし方 #コーヒー豆 @sscoffeestand しましまコーヒースタンド ㈫㈬㈭14:00-18:00 #fruity #香るコーヒー #しましまコーヒースタンド #しましまcoffeestand #コーヒーのある風景 #コーヒー #コーヒースタンド #静岡カフェ #本 #本棚 #図書館 #みんなの図書館さんかく #焼津 #商店街 #yaizu #shizuoka #coffee #coffeestand #coffeestagram #bookstagram sscoffeestand.tumblr.com (しましまコーヒースタンド) https://www.instagram.com/p/CoJS4NwS5L_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Sean bienvenidos japonistasarqueológicos a una nueva entrega de arqueología japonesa, en la cual hablaremos de Ruinas de Toro, una vez dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Ruinas de Toro, se localizan en la ciudad de Shizuoka, en la región de Chūbu, se construyeron en el periodo Yayoi y continuaron desde finales de dicho período e incluso se usaron el período Kofun siglos I al siglo V, a pesar de que fueron dañadas por las inundaciones. - En la publicación anterior hablamos, de que las ruinas fueron descubiertas en plena 2ww en 1943, lo que corresponde a la era showa, ya que se estaba construyendo, una fábrica de municiones para fabricar hélices para aviones de combate y accidentalmente encontramos objetos de barro y madera en el suelo, desde entonces se excavó hasta los años 1999. - Para continuar nuestro viaje por la arqueología de la posguerra, nos vamos a trasladar a la década de 1947, fue cuando se realizaron las excavaciones en masa hasta mitad del siglo pasado, en la que se descubrieron: 12 viviendas, 2 almacenes y 8 hectáreas de arrozales, del periodo Yayoi que datan de hace 2000 años de antigüedad. - También aparecieron: campanas de bronce, el lugar se reconstruyo en 1951. Por el motivo de una autopista en 1965 salieron más restos arqueológicos a lo que se le llama arqueología de salvamento, al final de 1999, se actuaron más excavaciones en otras partes del país en Kyushu, kinki y Tohoku hasta 2003. - Espero que os haya gustado os deseo una buena semana y nos vemos en próximas publicaciones del país del sol naciente.
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日本の考古学者の皆さん、ようこそ!今回は登呂遺跡についてお話しします。そう言ったら、くつろいでいただき、さっそく始めましょう。-中部地方の静岡市にある登呂遺跡は、弥生時代に築かれ、弥生時代後期から続き、1世紀から5世紀にかけての古墳時代にも、洪水で被害を受けながらも利用されていた。-前号では、昭和に相当する2ww中頃、戦闘機のプロペラを製造する軍需工場が建設されている最中に発見され、偶然、土や木のオブジェが地面に落ちていたことを紹介したが、その後、平成11年代まで発掘調査が行われた。-戦後考古学の旅を続けるために、1947年の10年間に移り、前世紀半ばまで大規模な発掘調査が行われ、2000年前の弥生時代の住居12棟、倉庫2棟、水田8ヘクタールが発見された。-銅鐸も発見された。遺跡は1951年に再建された。1965年の高速道路建設により、さらに多くの遺跡が発掘され、サルベージ考古学と呼ばれている。 1999年末には、2003年まで九州、近畿、東北の他の地域でも発掘調査が行われた。-お気に召していただけたなら幸いである。良い一週間をお過ごしください。
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Welcome Japanese archaeologists to a new installment of Japanese archaeology, in which we will talk about the Toro Ruins, and once we have said that, make yourselves comfortable and let's get started. - Toro Ruins, located in the city of Shizuoka, in the Chūbu region, were built in the Yayoi period and continued from the late Yayoi period and were even used in the Kofun period from the 1st to the 5th century, although they were damaged by floods. - In the previous publication we mentioned that the ruins were discovered in the middle of the 2ww in 1943, which corresponds to the showa era, as a munitions factory was being built to manufacture propellers for fighter planes and we accidentally found objects of clay and wood on the ground, since then it was excavated until the 1999s. - To continue our journey through post-war archaeology, we will move to the decade of 1947, when mass excavations were carried out until the middle of the last century, in which 12 dwellings, 2 warehouses and 8 hectares of rice fields were discovered, from the Yayoi period dating back to 2000 years ago. - Also discovered: bronze bells, the site was rebuilt in 1951. Due to the construction of a motorway in 1965, more archaeological remains were unearthed, which is called salvage archaeology. At the end of 1999, further excavations were carried out in other parts of the country in Kyushu, Kinki and Tohoku until 2003. - I hope you liked it, I wish you a good week and see you in future publications from the land of the rising sun.
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More information: https://www.shizuoka-toromuseum.jp/zhcn/
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多���の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「���の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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yoooko-o · 5 months
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3人の節目の年
社会人1年目の今の時期、その電話は突然やって来ました。 電話元は幼稚園から中学まで同じ学校だった同級生の子。 開口一番に「落ち着いて聞いてね」 ある同級生が亡くなったとの連絡でした。 亡くなった彼は幼稚園からの中学まで同じ学校でしたが、彼の場合、腐れ縁の典型で、生前の彼とは親しくありませんでした。むしろお互いをいがみ合う程の険悪の仲でした。
その後も高校時代の友人の訃報が入りました。彼女の本当の命日は9月頃だけど、彼女の遺体が家族の元に帰ってきたのがこの時期でした。 彼女は元々複雑な家庭環境だったこともあり、私と出会ったときには既に躁鬱を繰り返していました。 そんな生前の彼女が、私には心を開いてくれて卒業後も定期的に連絡は取り合っていました。
そして、また別の同級生の訃報の一報。 彼女は「純真無垢」の言葉を体現した子。 いたずら好きだけど誰にでも無邪気に懐いてくる、同性から見ても本当に可愛くて仕方がありませんでした。
私にとって同級生の初めての冠婚葬祭は彼らの通夜でした。 そして3人に共通していることは病死ではなく、自殺でした。
ここでは詳細は控えますが、亡くなった動機・経緯があまりにも壮絶すぎて、当時の私は最後までその場で聞くことができませんでした。
特に心残りなのは、躁鬱を繰り返していた彼女。 彼女にも、彼女の家族にも、謝っても謝りきれないというのは重々承知の上です。
彼女が亡くなる数日前、彼女は私の携帯電話に着信を残していました。 夜中2時ということで当時は就寝中だったことに加え、普段から夜中は着信音を切っていたため、その時に電話に出ることができませんでした。その日の勤務中の昼休みに私から折り返し電話を入れました。 元気そうな声でしたが、今にして思えば本当は何か言いたかったんだと思います。 「夜中に電話してごめんね。特に用事はなかったんだけど、声が聞きたくなって。」 その時は昼休みの時間が終わることもあり、彼女の言葉に甘えて 「じゃあ、また電話するね」 それが彼女との最後のやりとりになりました。
これまでも彼女から何度も電話は来ました。だけど、電話がくる時間帯は決まって休日の午後で、平日の深夜に電話があったのはこの1回だけでした。 夜中の電話で彼女は一体何を言いたかったんだろう、というよりも、 「あの時、ちゃんと電話に出ていたら…」 「彼女が本当に言いたかったことをしっかり聞いていたら…」 「折り返し電話したときも、何で電話をすぐ切ったんだろう…」 「もっと落ち着いた時間帯に折り返し電話をしてちゃんと話を聞いていたら…」
元々複雑な家庭環境の中で育っていたため、彼女が埋葬されている場所は彼女の父親以外、誰も知りません。 言い知れぬ虚無感や罪悪感、そして複雑な思いだけが私に残され、年月の経過と共に悲しみと後悔だけがますます大きく深くなっています。
一人の通夜が終えて帰路についたとき、一緒にいた一人の同級生が涙をこぼしながら声を荒げて 「自殺を選ぶなんて最低」 やり場のない悲しみから来ている発言だというのが痛いくらいに分かります。 決して自殺を推奨するわけではありませんが、私は彼らを責めることは到底できません。 もし私も3人と同じような極限の状況に立たされたとき、平常な状態でいられる自信はありません。私には想像ができない程の極限の状態にまで追い詰められた中でも、3人は最後まで懸命に生きようとしていたのも事実です。
遺族の厚意で遺体に対面させてもらえたとき、私たちの今の状況を知らぬような穏やかな顔で眠っているのね。 先の見えない苦しみからようやく解放されたのかな、とも思いますが、今年は3人が亡くなったひとつの節目の年。やっぱり今も会いたいです。
May your sweet smile never fade away. Rest in peace☘️🕊
明日もですが、来週はプチ弾丸旅行が控えていますので、早く寝ないとっ♪
さて、ここまで読んでくださった方へ☘️ 金曜日の夜に重い内容の投稿でごめんなさい、そして最後まで読んで頂きありがとうございました。 皆さんも良い週末を過ごしてくださいね🤲
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kjh-417 · 22 days
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mes possibilites aujourd'hui. 今日のわたしの可能性。   洗濯物を片付ける。   布団を干す。   庭の水撒きをする。   買い物に行く。   わらび餅と豆かわクッキーをつくる。       長袖のTシャツで過ごせるくらいの あたたかい一日。 昨日せっせとつくったあんこを 冷凍してあった花巻に たっぷりとサンドして 遅い朝食。   小豆の煮汁がまだ残っていたので わらびもち粉を買いに出て、 帰宅後に再びわらび餅をつくる。 そして昨日煎っておいた 小豆の皮をつかったクッキーを焼いてみる。   亀屋良長さんの サステナブルな方法で、 小豆を満喫した週末。
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ynyn416 · 1 month
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明日大阪城で彼氏と花見の予定が、
今年は開花遅くて、多分明日は咲いてなさそうだから諦めた🥲
満開のソメイヨシノの下で彼氏と花見したかったからとても残念………🥲🥲
結構ショック。
桜めっちゃ好きなのに。
一年で一番桜の季節が好きなのに。
😭😭😭😭😭
ピクニックはしようとなったので、鶴見緑地公園行くことにしたけど、ソメイヨシノ以外の早咲きの桜とかはあるかなぁと予想。
来週末は大阪城も満開だろうけど、彼氏のお姉ちゃん家族が韓国から来て一緒に過ごすらしいから会えないし…仕方ない……🥲
今日めっちゃ暖かいし、今日で桜全部満開になってくれないかなぁ……(笑)
自然現象だし仕方ないのは分かってるんだけど本当に楽しみにしてたからショックだ🥲
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「ボーはおそれている」を観た。 以下ネタバレあり。
前に「哀れなるものたち」を観に行った時予告編を観て気になっていた映画。でもアリ・アスターといえば「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」なので、ホラーがあんまり得意でない自分はどうかな…と思っていた。 というような話をXに書いていたらアリ・アスターの短編"The Trouble With Mom"というものを教えていただいて、おそらくアリ・アスターはこのテーマです、とのことだった。 まあ短編だしと軽い気持ちで見てみたら、これがものすごくよかった。自分がちょっと親(特に母親)が苦手なのが大きいとは思うけど、短編映画でこんなによかったのは久しぶりだし、今年観た映画のなかでもトップくらいによかった。短くてセリフのない映画でこれだけやるとはアリ・アスターすごいな…。
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というわけで俄然「ボーはおそれている」も気になって観ようという気持ちにはなっていたものの、急に仕事が忙しくなってしまってなかなか行けず、なんとか先週末ようやく行けた。日曜最後の回だったのでガラガラだったし、ど真ん中のいい席で観れた。
で、「ボーはおそれている」の話。
基本的にはTrouble With Momなんだけど、長いだけあって親子以外にも家族の話や、子供を持つことや、あまり自分は分からないので下手なことは言えないけど、精神的な病気やADHDというようなことも描かれていたと思う。なので入れたい要素が多すぎてこの3時間なんだろうな。
3時間はたしかに長かったし、最初は90〜120分くらいにカットしてもよかったんじゃないかなと思ったけど、今はこれはこれで意外とよかったのかなという気もする。3時間なんだけど、4パートくらいに結構はっきり別れていて、なんとなく海外ドラマを4本立て続けに見たような感じかな。そもそも長いのは事前に分かっていたし、長い割には意外と観やすかった気はする。それに、意外と最初の方も覚えている。
最初のボーの自宅のパートはあんまりいらないんじゃないかなと思ったけど、「ボーにとっての現実」をしっかりインパクトを持たせて打ち出すには必要だったのかな。全身タトゥーで真っ黒のカラコン(?)の人がやばかった。というかボーの近所がポストアポカリプスすぎる。Fallout級。でもそういう風に見えているってことなのか。
2つ目の謎のファミリーの家に転がり込む所はいわゆる「表面上いい人たちだけど実は…」というホラー映画の定番のパロディみたいな感じなのかな。この家族は一人息子を戦争で亡くしていて、そこから両親も妹もおかしくなってしまった、というボーとは別の「家族、親子」の話が描かれていて、戦争の多いアメリカだとある話なのかなあと思ったりもした。ファミリーやマイホーム、軍隊に入る愛国心というのはアメリカの良き象徴みたいになってるけど、実際には問題山積みなんだろうな…。お母さんはなんでここで家族っていいよねと思わせようとしたのか…。
3つ目のヒッピー劇団(?)のパートは一番好きなパートだった。また別の映画の話になってしまうけど、このパートを担当したクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの「オオカミの家」という映画が友人に勧められて気になっていて、でも結局見れずじまいだった。本人たちの映画ではないけど、ここでその一端が見れてよかった。演劇の舞台からという導入もよかったし、書き割りのセットのような、手書きのような不思議なアニメーションはとてもよかった。この時のナレーターというか語り手はやっぱりお母さんだったのかな…? この時のホアキン・フェニックスがボーとは全くの別人という感じで、やっぱり役者さんってすごいなあと思った。目がもう全然違う。
4つ目は意外とあっさり実家に帰り着いてからのお母さん、そして父親(?)との対決、さらに初恋の終わりとなかなか盛りだくさんだった。自分的にはやはり母親との対決シーンが良かったかなあ。Trouble With Momは短篇だしセリフがなかったけど、ボーは尺もあるし台詞もあって、母親の言い分もあるのがよかったと思う。いやほんと親子とか家族ってホラー映画より怖い呪いだ…。その後の兄と父(?)のシーンといい、ここは自分の恐怖と向かい合うパートだったのかな。
5つ目、というか4つ目のパートに入れてもいいのかもしれないけど、スタジアムのシーンはまさか最後こうなるとは思わずびっくりした。恐怖と向き合ってみたけど、結局母親からは逃れられないという…。そして結末はTrouble With Momと大体同じ。
全体的に、かなり色々やりすぎにしてあって笑ってしまう感じで、ホラー要素はほとんどなくてよかった。そして単純にボーが被害者で虐げられてるだけ、とかではなく、決められないこととか、自分が悪いと思ってしまうことを悩んでいたり、母親には母親なりの自分が親からもらえなかった愛情を子供に注いでやりたいという気持ちがあったりとか、誰にでもどっちもある、あるいは色々ある悩みや考えや恐れをしっかり出しているのはよかった。 "Guilty"という言葉が劇中度々出てきたけど、これはキリスト教を信仰しているとまた意味があるのかな。自分は特に信仰はないけど、なんとなく自分が悪いと思ってしまうことがあるのでなんとも言えない気持ちになった。 色々決められなかったり、必要以上によくないことを想像してしまったり、ちょっと心配になるとすぐネットで(信頼性の低そうな情報を)検索してみたり、結構自分にも当てはまるなと思う所があった。Trouble With Momもだけど、なんだかアリ・アスターには勝手に親近感を持つなあ。
そういう人間の中の複雑な気持ちの表現が全体的にすごく過剰なので、真ん中あたりでヒッピー劇団〜アニメーションの見やすいパートを入れたのは構成として上手いなと思った。あれがなくてずっと過剰な表現続きだと疲れるし飽きてしまいそう。 ただ、アニメーションパート以外の映像や音楽、美術などはわりと普通かな…という印象だった。悪くはなかったけど…。まあそこを見る映画でもないかな。
音楽といえばヴァネッサ・カールトンやマライア・キャリーといった懐かしの名曲が突然かかって(しかもかかるシーンがまた可笑しい)、結構笑いそうになった。少し調べてみた所、歌詞にもかなり意味があったらしい。お母さんキモすぎる。
公式サイトに見た人向けの解説があったので読んでみたけど、やはりいろんな映画のオマージュというか引用があるらしい。サンセット大通りは好きな映画だけど気が付かなかったなあ。監視カメラの所はたしかにリンチの「ロスト・ハイウェイ」を思い出したけど、同じA24の「アンダー・ザ・シルバーレイク」っぽい雰囲気もあった気がする。
自分的にいちばん思い出したのは「未来世紀ブラジル」だった。
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よく「オーウェルの1984的な統制社会の恐怖を…」とか説明されるけど、結構親子、それも母と息子の話なんだよな。主人公のサムが夢と現実の区別がつかなくなっていく感じもボーにちょっと近い気がするし、父親が出てこない点も似ている気がする。 あと、ブラジルのエンドロールとボーのエンドロールが似ている気がした。どちらも暗くグレーな広い空間の真ん中に死んだ主人公がいて、その画の上にクレジットがでてくる。なんか共通するものがありそうな気がするなあ。
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あと、もうひとつ思い出したのはデヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」。
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これはたしか最終的に主人公の"ゲーム"は弟が全て仕組んだものだった、というオチなんだけど、全てを母親に仕組まれていたボーに近いかもなと。CRSという会社がちょいちょい出てくるのもお母さんの会社が色々なところに出てくるのに少し近いかも。見たのがずいぶん昔なので詳細は覚えていないけど、また観たいなあ。でもこの手のネタは他にもたくさんあるか。
ボーはおそれている、総合的にはまあまあといった感じだったけど、なかなか面白い映画だった。親子も家族も色んなものへの恐れも、永遠のテーマなんだなあ。どうしたらいいという答えはないけど、あれこれ考えるきっかけになる映画な気がする。この内容で3時間の映画を作って世界に配給されるというのはとてもいいことだな。ヘレディタリーとミッドサマーも怖そうだけど観てみよう。
<余談>
自分の持っていたクレジットカードの一つがサービス終了とのことで、自動的にSaison Gold Premiumというカードに切り替わった。普段、カードの優待とかはあまり気にしないんだけど、このカードの優待で「映画のチケットがいつでも1000円」というのがあって今回それを初めて使ってみた。
対応している映画館が限られているけど、自分がよく行くTOHOシネマズは使えた。ちょっと面倒なのは、まず映画のチケットが無料になるクーポンを1000円で買う→そのクーポンを使って無料でチケットを取る、という二段階の手間がかかるのと、購入の12時間後にクーポンが送られてくるという所。自分は仕事の都合で今なら行けそう…と急に行くことが多いので、これは少し残念。でも、クーポンの有効期限は3ヶ月くらいあるようなので、観たい映画がある時は事前に購入しておけば突然行くこともできそう。
最近はわりと映画行くようになったので、これはありがたいな〜
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misoyo-happy · 1 year
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お疲れさまです(^^)/ 昨日はいけばなのお稽古。 今日はウッドベースの自主練のあとベリーダンスのレッスン。 自主練して、家に帰ってウッドベース置いて、ベリーダンスの支度して、コンビニでおにぎりを買い電車を待ってる間にホームの端っこで食べるお昼ご飯… 自主練3時間立ちっぱなしでベリーダンス…(^_^;)足がもつれて転ばないように気をつけよう。(前科あり(^^;;) 結構こんな週末も多くて、過去の自分に会えたら、どれか1つにしとけ?って言う?どれにするか今ではもう選べないけど、1番最初に出来なくなるのはウッドベースだろうか…10kgの楽器が運べなくなるまでかな。 写真は、麹町税務署の花壇だよ! #麹町税務署 #週末の過ごし方 #日記 #花壇 https://www.instagram.com/p/Co1XB1urfmc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gjoy739 · 1 year
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☻_2023-02-10 . ご飯のお供🍚大人買い🤤 伊勢のお茶漬け海苔 お土産にいただいてから気に入って、また食べたいなぁと思ってた🤤 . 『例のブツ、用意できてますよ』 と買ってきてくれてホンマに感謝🤤 . . . #ご飯のお供 #お茶漬け #ご飯日記 #食いしん坊シリーズ #美味しかった #美味しかった😋 #お茶漬け海苔 #伊勢グルメ #磯子町 #美味しい食べ物は笑顔にしてくれる #また食べたくなる #🤤 #😋🍴 #カスタマイズエブリデイ #今日もx日和 #週末の過ごし方 #人生楽しんだもん勝ち #美味しいご飯 #ごちそうさまでした #おいしかった #お気に入り #お土産 #久しぶり #インスタ日記 #今日もお疲れ様でした #今日もありがとうございました https://www.instagram.com/p/Coe23y7ShbZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nemurenaiyoru · 2 months
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今日仕事終わりから明日昼過ぎまで会える予定だったから6連勤なんてヘッチャラくらいに思ってたけど木曜夜に今週末外せない用事入っちゃって会えないと言われそこから返事こなくなったんだけど何事?!大体週一で、予定あったらそっち優先で会える時に会えればいいしLINEはどっちでもってお互いに話してたから仕方ないんだけど急に外せない用事?!コンサル激務らしいから仕事だと思うんだけど^^;来週はお互い予定あって会えなくて、次会えるの結構先なんだよな、でもつぎいちご狩りの予定^^
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この週末は 圧倒的に ラジオリスナー 一番聴きたかった電気グルーヴ でもリアルタイムはキツイ しかも 一部地域の試練もある 週末万歳 タイムフリー万歳 #週末の過ごし方 #雨の日の過ごし方 #電気グルーヴのオールナイトニッポン #radikoでオールナイトニッポン #radiko https://www.instagram.com/p/Co2H66bPvU2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jujirou · 3 months
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、曇り空です。
中塗り漆と朱漆が無くなって来たので、昨日は朝から漆立て作業。
最初に中塗り漆を作成しその後、朱漆の漆立て(漆調合)
そしてお昼過ぎからは漆立てを行った漆の、漆カス通し(漆濾し)作業。
漆をコンロで温めながら、濾紙2枚で一回、2枚でもう一回、そして3枚で一回漆濾しを行い、濾した漆を漆桶に入れ、少し休ませてから使用します。
漆濾し作業後からは、修理依頼品のアレコレ作業で一日が終了。
そして今日は休み…ですが、昨日お医者さんより連絡を頂き、肺炎のその後が大丈夫かを確認しましょうとの事で、今日は午前中病院やら、夕方からは打合せやら、今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い週末と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
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