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#妻のご所望の写真
goma-gomao · 1 year
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カッパ隊長(妻)に頼まれて撮った一枚 なんかスカートが下に垂れがってるのが気に入らないらしく、足の下にスカート巻き込んで撮り直したんやけど、僕はこっちの方が好きやけどなぁ。 #妻のご所望の写真 #たのしいカメラ学校 #フォトコン入選の達人オンライン #内閣総理大臣賞受賞 #参議院議長賞受賞 #文部科学大臣賞受賞 #ごまお先生 #作品の力強さ #妻の写真を撮る夫 #もうすぐ55歳 #いくつになっても綺麗に撮るのは夫の仕事です #構図の勉強 #写真好きな人と繋がりたい #カメラマンさんと繋がりたい #生徒募集中 #詳しくはプロフィールから #お問い合わせはdmで (Japan) https://www.instagram.com/p/CmIIidJvty6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
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 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日���の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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kennak · 4 days
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私の祖父は今年亡くなりましたが、あなたはそれを知らないでしょう。   実際、彼はあなたがそうしないことを望んでいたのです。   レイ・ハレルは 1930 年代にカタルーチー渓谷で 8 人兄弟の末っ子として生まれ、ピューマを追い抜き、牛を山から追い落とし、借りたジープを衝突させました。そして 90 年後の 1 月 20 日、彼は音もなくこの世を去りました。   それが彼が望んでいた方法です。   墓石は見つからないでしょう。   葬儀には誰も集まりませんでした。   彼はここにいて、70年近く連れ添った妻と共有していたポーチに座っていましたが、その後、彼はいませんでした。   塵から塵へ。 一日の授業を終えて車で家に帰る途中、おばあちゃんから電話がありました。  過去 1 年間、ガンのせいで徐々に命を奪われ、その朝彼はベッドに横たわり、残りの人生はそこに留まり続けるのではないかと思われた。 「あなたのパパの死亡記事を書いてくれませんか?」  彼女は、最愛の人を失ったにもかかわらず、常に現実的な質問をした。 伝えたいことはたくさんありました。  彼は10代の頃にスクールバスを盗み、教師の車の上でバックさせたことがあった。  彼は 1950 年に陸軍とともにドイツに派遣され、そこで空家から誤って大砲を発砲したにもかかわらず、階級を上げていった。  彼は人生のほとんどをそこで働いた繊維工場で労働組合を率いていた。  しかし、彼はそのことについては決して多くを語らなかった。  彼がやろうとしたのは、ノースカロライナ州フルーツランドで小さな生活を築き、娘たちを育て、皿洗いをし、壊れたガレージのドアを直すことでした。  彼は静かに暮らすことを目指したが、その後、同じように亡くなった。 座って執筆していると、テンプレートに詳細を落とし込んでいる自分に気づきまし た 。   死亡届は、何が重要で、何が記憶され、称賛されるべきかについて特別なプレッシャーを与えるが、新聞紙に載る名前や新聞での賞には何の興味も持たず、陰で生き続けることを目指した人生について人は何を語るだろうか。マントルピース?   ジムとコーラの息子であるレイ・ハレルは、じっと座って風が葉を散らすのを眺めて満足していたでしょうか?   レイ・ハレル一等軍曹は、財布の中のお札を金額の高い順に並べましたか?   グレースによって生き残ったレイ・ハレルは、小屋の中で正しい釘を探しながら、毎年同じ発明曲を口笛で吹き続けていました。   私は予想通りの詳細を記入して訃報を新聞社に送りましたが、それが正しくないことはわかっていました。   それは彼の生きた人生を何も捉えていませんでした。   彼が亡くなった数日後、教会の女性たちがキャセロールでテーブルを覆い、おばあちゃんが19歳以来初めて一人でベッドで寝たとき、私が戻ってきたのは、静かな生活のまったくの大胆さでした。 洗濯トラックを運転して一日を終えたレイ・ハレル。  彼の花嫁グレースは、最初の家の外で写真を撮りました。 私たちの時代の著名な人物が亡くなると、私たちのスクリーンに彼らの功績を記録した短いクリップが流れ、彼らの影響について議論するトーキングヘッドが登場します。  しかし、静かな生活は背後で音もなく流れていきます。  しかし、それらは私たちの皮膚の中にある命であり、朝食から就寝まで私たちを導いてくれます。  彼らの命が私たちを作り、世界を動かし続けているのです。 彼らは私たちが気づく前にゴミを出したり、郵便物が来ているかどうかを確認するために道路を歩いたりしています。  ビスケット生地を適切な厚さに並べる方法を教えてくれます。  春の午後、彼らは私たちの息子たちをトラクターに乗せました。  彼らは壊れたシンクを隣の人に手伝ってもらいました。  彼らは18か月の赤ちゃんを引きずり出すために川に飛び込みました。  彼らはフォークリフトに挟まれて腰を折った男性を捕まえ、そのまま抱きかかえて死亡した。  彼らは甥が自分の名前に一銭も持っていなかったとき、彼らのポケットにお金を滑り込ませましたが、恥ずかしくてそれを認めませんでした。  彼らは洗濯をしました。  彼らは床を掃除した。  彼らは子供のように庭で遊びました。  彼らは塩味のパックを食べて、夜がなくなるまで毎晩ベッドに潜り込みました。フルーツランド・ロードから離れた土地で小さな生活を営むことは最も神聖なことだから、残されたのは生き続ける人々だけです私たちは考えることができます。 私たちの周りには、派手なアメリカの個人主義、明るい照明、そして表舞台のサイレンの呼びかけを無視して、頭を下げて両手を広げた生活があります。   私は大丈夫、ここに 部屋の端からの反応があり、その満足感はまったく破壊的です。   どうしてそれだけを望むことができますか?   世界が求めています。   持つべきものは常にもっとあります。   ノースカロライナ州フルーツランドにあるグレースが幼少期を過ごした家の外でポーズをとる新婚夫婦。  その家は、レイとグレースが一緒に家を建て、住んでいる場所の道路を挟んだ向かいに建っていました。 レイ・ハレルが持っていたのは、頼もしいトラクターと、燃えるような女性だった。   彼は正午の夕食時にコーンブレッドを一口食べ、毎晩寝る前にRCコーラを飲んでいました。   彼には子供、孫、曾孫がいて、毎年クリスマスになると家がいっぱいになりました。   それで十分でした。   「私たちは良い人生を送れました」と、最後の年に私が訪問するたびに、彼はほぼ毎回私に言いました。たとえ遠くから見ると奇妙に見えたとしても、私はそれが真実であると確信していました。 やもしものことを後悔する長いリストを残したはずだ   理論的には、クリアクリークの上空にあるこの小さな生命は、もしものこと 。   しかし、この人生こそが人生そのものであり 、  1954年に彼と私の祖母グレースが道の先にある小さな教会で結婚したときに目指したものそのものでした。 それらの訪問では、私はコーンブレッドを食べて落ち着いて話を聞きました。  時間が経つにつれて、私はこれまで知らなかった歴史を収集しました。  スクールバスが盗まれ、ジープが墜落し、牛が泥にはまってしまったことを知りました。  私は、朝鮮戦争中にドイツに駐留していたパポーが高額のトランプを獲得し、その収益を持ってヨーロッパ中を旅したことを知りました。  私は彼が繊維工場から何度も何度も解雇されたことを知りました。 "どうして?"  私は尋ねた。 「そうですね、私がイライラしていたからだと思います。」 ほとんどその通りでした。  彼は誰も聞きたくないときはノーと言い、上司たちが聞きたくないときは労働組合を結集させた。  ハーネスなしで10フィート登って自分でローラーを交換するように言われたときのように。  「私は彼らに、そんなつもりはないと言いました。」  彼らは彼を解雇し、労働組合の弁護士が介入し、彼は仕事に戻った。 「頑固なおじいちゃんだよ」とおばあちゃんは言った。 おそらくそれも正しかったのですが、世界を見て不正義と闘う物語をつなぎ合わせてみると、静かな生活は受動的な生活ではないことに気づきました。  ポーチにじっと座っていることは、世間をやり過ごすことを意味するものではありません。  彼とおばあちゃんはキャンピングカーに乗って国中を旅しました。  彼は組合の会長を務めた。  満足しているということは、盲目であるという意味ではありません。  それは、善良な戦いと利己的な戦いの違いを知ることを意味します。 「私は正しいことのために立ち上がることを信じています」と彼はトウモロコシを一口食べながら言った。  「こんなこと言うべきじゃないけど、みんな私のことが好きでした。」 "なぜ?"  おばあちゃんは尋ねました。 「あなたがそんなことを聞かないといけないとは思っていませんでした。  私は良い歳をした少年だよ。」
静かな生活のための訃報 — THE BITTER SOUTHERNER
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【有志演奏会 in 気仙沼 DAY1��団員レポート
今回の有志演奏企画は気仙沼市にて、2月3日から4日の二日間にかけて行われました。
演奏に参加したメンバーは15名、引率や事務局も併せると22名という大所帯での活動になりました。
それでは1日目の活動報告からはじめていきます!
2月3日、1日目の活動は移動から始まりました。こちらは朝10時ごろに出発した仙台組の写真。まずは福島組との集合地点、道の駅大谷海岸に向けて出発です!
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道中でも楽しんでいるようです。こちらは福島組、南三陸さんさん商店街での写真ですね。我妻姉弟とキャプテンはカニ汁休憩中。
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およそ2時間の移動が終わり、気仙沼市にある道の駅、大谷海岸に到着しました!ここではみんなで昼食タイムです
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福島組・仙台組が集結し、近くの砂浜で記念撮影です。
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腹ごしらえもしたところで、ここからは気仙沼の震災遺構をめぐる研修へと出発します。
語り部の方と合流して、まずは杉ノ下地区の慰霊碑へ。
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団員たちが訪れたのは、震災当時杉ノ下地区の避難所として指定されていた11mの高台です。多くの住民の方が避難していたこの場所には、想定をはるかに超える約18mもの津波が押し寄せ、地区全体で93名の方が亡くなりました。慰霊碑は、遺族会の方々が2012年に建立したものです。
続いて向かったのは、岩井崎にある「龍の松」です。龍の松は、潮吹き岩でも知られる岩井崎にある一本松です。津波被害をうけてなお、姿を変えて立ち続けたこの松は、気仙沼復興のシンボルの一つです。
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階上地区で最後に向かったのは「命をすくったケヤキ」です。住宅が一軒ある岬に生えるこのケヤキには、津波から逃れてきた住民の方々が梯子を上ってしがみつき、8名の命を救いました。ケヤキは明治三陸大津波の際に植えられたものだそうです。
ここでは今回企画を支援してくださったLAFFOO関西支部さんと私たちを繋いでくれた、足利さんともお会いしました。
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階上地区から移動して、今度は旧阿部家住宅「命のらせん階段」を見学しました。こちらは1960年のチリ地震を教訓として東日本大震災の4年前に設置された、私設の垂直避難場所です。日ごろから訓練が行われていた結果、震災当日は30名が避難できました。
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いよいよ1日目の研修も大詰め。最後に向かったのは「気仙沼市復興祈念公園」です。
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犠牲となった方々の名前が刻まれた碑を見学した後、改めて1日を過ごした気仙沼湾を望みます。
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さて、3時間を超える研修を終えて向かったのは練習会場!
今回は気仙沼湾に面する施設、「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」の音楽スタジオをお借りして、翌日の本番に向けて練習しました。
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移動の疲れも見せず、真剣に練習に取り組みます。
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練習のあとは、腹ごしらえですよね!ホテルに荷物を預けて、宣伝で協力してくださった、「アンカーコーヒー」さんで夕食です!
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英気を養ったところで、1日目は終了、次の日はいよいよ本番です。
2日目の様子は後半に続きます!
東北ユースオーケストラ有志演奏係 Tb.福澄茉音
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fujita-japa · 5 months
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自己紹介
初めまして、自称JAPA(ジャパ)こと藤田です。ポルトガルの首都リスボンに暮らす34歳(独身)です。
埼玉県で生まれ育ち、私立の男子校で6年間ぬるま湯に浸かり、そこで海外と海外サッカーにかぶれ、浪人の末に合格した東京外国語大学でポルトガル語を専攻し(2009年入学)、2度リスボンに留学、そこで人生を狂わすあるものに出逢ってしまいます。
それは何か?
SPORT LISBOA E BENFICA (SLベンフィカ)というポルトガルが世界に誇る総合スポーツクラブです。
インテルミラノの青と黒のユニフォームに憧れていた藤田少年はリスボンで人生一度目の改宗を果たします…でも、理由はちゃんとあります。自分と同じ誕生日11月3日で、憧れのパブロ・アイマールさんが10番のユニフォームを着てベンフィカでプレーしてたのです。
2010年に初めて海外で見た試合がCLとリスボンダービー、これでサッカーにハマらないのは不可能な程のカードを観てしまった藤田少年。案の上ベンフィカにのめり込み、翌年の長期留学を決意します。
2011年9月〜2012年3月までの半年間、ベンフィカに全て?を注ぐ生活が始まります。サッカー好きの方のために補足をすると、アイマール以外にはガイタン、ヴィツェル、ノリート、ロドリゴを擁しCLでマンチェスターUと同組ながら、バーゼルと共にグループステージを突破したシーズンです。
人生二度目のリスボンダービーを見るためにソシオとなっていた私は、阪大から同じく留学をしていた日本人と共にスタジアムツアーに行くと、そこでベンフィカの広報スタッフより、日本人のソシオは珍しいのでインタビューをしたいという話をされます。一つ返事でOKをした私たちは、スタッフの方々とスタジアムを周り、最後にインタビューは行われます。拙いポルトガル語で恥ずかしいのでリンク等は載せませんが、今も探せば関連記事はでてきます。
動画は翌日の2011年12月1日にクラブの公式サイト、FB等のトップに掲載されました…当時はベンフィカがアジアを意識したプロモーション戦略をとっていたのもありますが(私たちの前の少し前に中国人の夫妻が同じようにインタビューをされ、同じように掲載されていた経緯もありました)。そこで承認欲求の塊wとなった藤田少年は20代の全てをベンフィカに注ぎます。
毎年一度はリスボンに旅行で行き、旅行の間は毎日のようにベンフィカの練習場に足を運び、日本で収集したベンフィカグッズをカバンいっぱいに詰め込み、サインや写真をお願いする日々を過ごしました。その間にはモラトリアムの延長のために大学院に進学したり、就職をして予備校で英語の講師兼テキスト編集の仕事をしたりと人生のイベントはありましたが(昔から教えるのが好きで天職だと思ってます。本当はポルトガル語講師だけで食べていきたいです)、思い出を書き連ねてもキリがないので割愛します。
最終的には、ベンフィカの公式TVの一時間の討論番組に出演させてもらい、私のファンとしての活動は休止期間を迎えます。最終的な人生の目標はポルトガルで家庭を持つこととベンフィカに就職することと決めている私ですが、30歳までにサッカー界に入れなかったり、ポルトガル語を使う仕事に就けなかった場合には、日本でヒッソリと暮らすという決意をしていました。
ベンフィカTVに出ても何もなかった私は、30歳という年齢を無事に迎え、自分の身の振り方を考えていた矢先に、お世話になっていた方からの紹介で、ポルトガルのサッカー界で働くという話が浮上します。チーム名は伏せられていましたが、すぐに返事をしたのは覚えています(誰にも相談せずw)。
紆余曲折経て、入団?が決まったUDオリヴェイレンセSAD(現在は三浦知良が所属)では約3年半お世話になり、『秘書』という名目で特に専門性も強みもなかったので、何でも屋でした笑。翻訳・通訳(通訳としてはポンコツです)…、外国人担当、クラブ公式カメラマン、SNS担当、日本人選手へのポルトガル語の授業、経理業務etc…。自分がクラブの貢献出来たことを挙げるとすれば、ファンとの関係の構築だけかと思います。3部で戦っていたシーズンはコロナ禍も落ち着き、ファンもスタジアムへと足を運べるようになってきたので、ここぞとばかりにファンの写真をバシバシ撮影し、クラブ公式SNSで使用をしてもらったり、ファンに直接配ったりしてました。私の中では「ファンがあってこそフットボール」という信念は大事にしております。3部から2部への昇格が決まったアウェイの試合で、遠くから訪れたオリヴェイレンセサポーターが歌ってくれた私のチャントは今でも一生の思い出です。個人的には、降格への責任も感じていたので、喜びも一入でした。また、カメラマンは自分の写真が残らないので、それも含めて最高の瞬間でした。
個人的には思い入れの強いクラブですし、街を歩けば、皆にフジータと声をかけてもらえる、最高の環境でしたが、プライベートの問題でオリヴェイレンセを退団し、今はリスボンの企業で英語と日本語を使った仕事をしております。また、完全週休2日制のオフィスワークを望んでいたのもありますが。
仕事が8時〜16時で残業もなさそうなので、これからは、封印してきたベンフィカ、ポルトガル代表の追っかけ活動と、副業として観光ガイドや写真撮影、ポルトガル語のオンラインや対面でのレッスンや、生活が落ち着いてきたら、YouTubeも始めたいと思ってます。
「ベンフィカ」と言えば「藤田」、「ポルトガル語講師」と言えば「藤田」と皆さんに認知してもらえるようにこれから頑張ります。長くなりましたが、今後ともどうぞ宜しくお願いします。駄文をタラタラと連ねすぎたので、自己紹介の簡易版も用意します笑。ではでは、Até já
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patsatshit · 7 months
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
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小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
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各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
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私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
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そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメント��た、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワー��で片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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ichinichi-okure · 9 months
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2023.8.13sun_tokyo
ドライブインに行った昨日のことを思い出す。きっと喜ぶから、と同居人が行き先を告げずに見知らぬ場所に連れていってくれることが時々あり、それが昨日だった。 以前は、鷺宮のつるやという喫茶店。昨日は、平塚のPEPPER'S DRIVE-INという、田園地帯に建つアメリカンダイナー風のレストラン。PEPPER'S DRIVE-INは、大学生や20代前半と思われる人たちでごったがえしていて、炎天下で並ぶには年齢が、耐えきれないと思った。実物の50倍ぐらいの体積があるだろうか、いやもっと大きいかも、いや小さいかも……だってたとえば信号機は、想像しているよりもずっと大きいし……と考えてはみるものの、離れた場所にある物体の正確な大きさを測る技術はそもそももちあわせていない。おそらく人間がこれを飲みほしたとしたら、ちょっと平穏は保てないだろうなというぐらいの。一言では説明できず、どんどん説明が長くなっていくことばかりだけれどそれでいいと思ってる。そんな大きなクリームソーダのオブジェだけを写真におさめて、ひとつの思い出として胸にしまう。
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そういえば、いつか対面することが夢だった富山県砺波市のチューリップタワーを見あげたときにも(しかもこのタワーはのぼれるのだ、感激)思ったけれど、このモチーフを大きくしようとした人がいて、いいね、と言った人がいることに、この世の片隅が光る。ロードサイドを走っていると突然現れる巨大なチューリップは世界の地味な裂け目のような異質な佇まいで、愛でても愛でても足りることはない。わたしはこういう風景に心が助けられて生きてきたところがある。自分もこういう人間なんじゃないかと思っている節があり、シンパシーを抱いてるのかもしれない。
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ドライブインの思い出にひっぱられているけれど、今日は家にいるのだった。だけれどやっぱり昨日の余韻が抜けなくて、前から行きたかったドライブイン七輿が、ドキュメント72時間で特集されているという情報にたどり着く。『ドキュメント72時間SP 全国うどん自販機の旅 群馬編』は、通常のドキュメント72時間とは異なり定点観測ではなく、うどん自販機が設置された場所を複数めぐるという内容。
群馬にあるいくつかのドライブインを訪れる人たちの姿が次々と映される。わたしは栃木で生まれ育ったこともあって、車でのりつけてくる人たちの風貌や話し方から、もう長いこと会っていない地元の同級生の何人かはこんな大人になっているのかもしれない、と勝手に想像する。青春時代をこの場所で過ごしたという、自分と同じ歳の頃と思われる親が、中学生ぐらいの子どもを連れている。ブラジルから移り住んだ父親と小学生ぐらいの息子がやってくる。柔術の服を着た息子は「からだが小さいから、いじめられないように柔術を習っている。今はからかわれたりしていないけれど、友達がいじめられているって聞いて、寄り添ってあげている」と話す。
自動販売機をあけてうどんを補充している人が「店主」と呼ばれているのを聞いて、この方がドライブイン七輿の店主であること、夫婦ふたりだけでお店を営んでいることを知る。店主がぴちぴちち……と油を鳴らして天ぷらを揚げる姿が映され、「自動販売機」というどこか無機質で均一的なイメージとはまるで異なり、うどん自販機のうどんは各店舗の手づくりである事実があきらかになる。お店によって、天ぷらが入っていたり、うずらが入っていたり、アタリをもうけているところもあるのだって。そういえば、自動販売機の裏には実はたぬきがはいっていて、葉っぱのお金を受けとったたぬきが、願い主のすきなものに葉っぱを変えて差しだす、という絵本が子どもの頃すきだった。どんなに無機質に感じられたとしても、ただの機械に見えたとしても、そこには人(絵本の場合はたぬき)の営みがあるのだ。
買ったうどんを車のなかで食べる若い男性が、自分は16歳で中退して、だけれど妻と出会えて変われたと、澄んだ表情で語る。撮影スタッフから「これからの夢は?」と聞かれて、普通の生活をしたいですね、夢のマイホームをまず目指して子ども……そこからはもう淡々と仕事をして普通に生きていきたいですというふうに答えていた。
ドライブインを、生活の一部ではなく観光として訪れたいと願う自分の欲望が、間違っているわけではないと感じる。だけれど、もしアミューズメントの要素を自覚しているなら、そこで生活を営んでいる人、生活の支えにしている人がいることを忘れないでいたいと思う。今年、地元で暮らした年数を、東京で暮らしている年数が上回った。わたしは一体、いまどこにいるのか、これからどこにいくのだろうか。明日はうどんを食べよう。そうやって暮らしをやっていきながら、考えていこう。
-プロフィール- 野村由芽 東京 編集者(me and you) https://www.instagram.com/ymue/ https://twitter.com/ymue
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gupaooooon · 9 months
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・The Hiroshima Peace Media Center
ABOUT US:▪️The Peace Media Center issues a special page of feature articles, published every week as an insert in the Chugoku Shimbun’s main newspaper. These articles, originally in Japanese, are translated into English to enhance the web content.
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・2023.08.06 広島原爆の日ドキュメント
平和式典の各スピーチ全文など、此方からの記録が読みやすいです。
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは(22/11/14)
「戦争に浮かれていたとしか思えない。切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・報道特集「はだしのゲンが伝えてきたもの」(23/08/05)
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※TBS報道特集の特集内容は、また1週間後にYoutubeの公式チャンネルで配信されるので、またその時にリンク貼り直します。
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から(23/02/26)
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」 
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか(21/08/05)
「植民地支配下の朝鮮半島で、生活基盤を失って渡日を余儀なくされた人々、労働力不足を補うために連れてこられた人々、鐘根さんのように二世となる世代など、敗戦時には200万人以上の朝鮮人が日本にいたとされている。韓国原爆被害者協会の推計では、広島と長崎で被爆した朝鮮半島出身者は約7万人にのぼるという。そんな朝鮮半島出身者の苦しみが、この社会で伝わっていないことを鐘根さんは痛感していく。」
・広島、原爆投下の犠牲になったアメリカ兵の記録(21/08)※上中下、3つの記事
「推計14万人の命を奪った史上初の原爆は、多くの日本人だけでなくその場にいた外国の人々にも襲いかかった。アトキンソンは広島で犠牲になった米軍捕虜12人の1人だった。」
「「残念ながら、あなたの夫ルーパー少尉は、広島で捕虜になっていた1945年8月6日に戦死した」終戦半年後の46年2月。行方不明とされていた米軍B24爆撃機「ロンサムレディー号」の副操縦士ダーデン・ルーパー=当時(22)=の妻ルースのもとに、軍から1通の手紙が届いた。絶望的な通知だったが、なぜ、どのように死んだのか詳しい説明はない。「ヒロシマ」「8月6日」…それは原爆で亡くなったことを暗示していた。何度も問い合わせたが、政府から情報は得られなかった。」 
「1945年8月6日の広島への原爆投下時に爆心地そばにいた米兵12人のうち、多くは当日か数日内に死亡したとみられるが、2人は13日間生き延びた。だが、それは地獄のような壮絶な13日だった。」
・NHK戦争証言アーカイブス
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hanbunmensch · 1 year
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カムスキーCEO復帰エンディングで流れるオペラ曲について
 「カムスキーエンド」と通称される主人公早期全滅ルートで、カムスキーが「Un bel dì, vedremo」を聴いている。ざっと検索したところ、このことに言及しているページが見当たらなかったので書く。ただ、使用曲はエンドクレジットを確認すれば誰にでも分かることで、別に元々オペラに詳しいわけではないためご留意を。  まずはエンディングの概要から。
条件:  カーラが『ズラトコ』以前の章で死亡するか初期化されてメモリを復旧できず、コナーが『最後の切り札』で停止処分になり、マーカスが『自由への行進』で死ぬか『交わる運命』でジェリコから追放される(マーカスが死んだか追放されたかによって報道シーンの構成が変更される)。
 つまり正確には全滅というか、最終章より前にプレイヤーがやることがなくなってしまった場合に条件を満たす。
あらすじ:  FBIがジェリコに襲撃を仕掛けたことを機に、変異体の権利闘争は収束へ向かう。軍により国中のアンドロイドが捕獲・破壊されているという、リビングのテレビが流す大統領の声をバックに、ハンクはロシアンルーレットの当たりを引く。一連の事件を受けてサイバーライフのCEOに再任命されたイライジャ・カムスキーは、アンドロイドは生命を真似てみせるだけの従順な機械であることをカメラの前で明言する。
そして船は現れない
 エンディングムービー中盤のカムスキー邸のシーンで、国がアンドロイド収容所を設置したニュースが聞こえる後ろに、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のアリア「Un bel dì, vedremo(ある晴れた日に)」冒頭が流れている(一応何度も聴き比べて確認したが、もしイタリア語が分かってオペラの聞き取りもできる人がいて、これが間違っていたら知らせてほしい)。
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Un bel dì, vedremo  levarsi un fil di fumo  sull’estremo confin del mare  E poi la nave appare
ある晴れた日に* 一条の煙が上がる 海のかなたに そして船が現れる
*「ある日」が正しいという指摘もあるが、日本では「ある晴れた日に」でよく知られているので今回はこちらを採用した
 聴く限りでは、nave(船)という単語に差し掛かったあたりで、カムスキー邸から次の報道パートに切り替わる。  『蝶々夫人』は長崎を舞台に、アメリカ人の海軍将校と結婚した没落藩士令嬢である蝶々さんが彼に捨てられるまでを描いた悲劇ものオペラ。「Un bel dì, vedremo」は、中盤、国に帰った夫の船が現れるのを蝶々さんが愚直に待ち続ける場面で歌われる。実際のところ将校は彼女を現地妻と考えていて、結局長崎に戻ってはくるがアメリカ人の正妻を連れている。既に彼の為にキリスト教に改宗までして勘当もされていた蝶々さんが、それを知って父の形見の刀で自害し、幕を下ろす。  このオペラ自体は安いエキゾチシズムとしてよく批判されるが、それはともかくとして、ハンクが自殺し暗転してから「Un bel dì, vedremo」が流れるカムスキー邸までの一連のシーンでは、人間──作中世界で迫害される少数派として散々描かれたアンドロイドではなく──が現地妻の立場に置かれている。窓辺の椅子に座るカムスキーは、「海のかなた」(多分デトロイト川だが)を望み、現れない船を待っている。現れない船は、ついぞ出航せず、革命を成し得なかった廃船・ジェリコだとここでは見立てることにする。
伝染病を待ちながら
 『カムスキー』チャプターに遡ると、カムスキーは待たせる側だった。来客をエントランスで待たせるだけでは飽き足らず、部屋に招き入れたうえでわざわざ何往復か泳いでみせて──それが演出か素かはさておき──待たせる側に立とうとした。  待たせることにはどのような意味があるか。ロラン・バルトによるとそれは「あらゆる権力につきものの特権」だそうだ。
転移現象のあるところには常に待機がある。医師が待たれ、教師が待たれ、分析者が待たれているのだ。さらに言えば、銀行の窓口や空港の出発ゲートで待たされている場合にも、わたしは、銀行員やスチュアーデス相手にたちまち攻撃的な関係を打ちたてる。彼らの冷淡さが、わたしのおかれた隷属的状態を暴露し、わたしをいらだたせるからだ。したがって、待機のあるところには常に転移があると言えよう。わたしは、自分を小出しにしてなかなかすべてを与えてくれようとしない存在──まるでわたしの欲望を衰えさせ、欲求を疲労させようとするかのように──に隷属しているのだ。待たせるというのは、あらゆる権力につきものの特権であり、「人類の、何千年来のひまつぶし」なのである。(『恋愛のディスクール・断章』)
 「転移」とは精神分析の用語で、患者が他の人に向けるはずの抑圧された感情を分析者に対し抱く現象を言う。患者はカウンセリングの中で分析者のことを、何でも知っている人だと思い込み、分析者を転移対象にする。転移する感情は愛情であったり敵意であったりする。医師と患者の関係は対等ではないため、医師は患者からの転移性恋愛に応じることを控えなければならないが、転移自体は重要な治療のプロセスでもあり悪いわけではない。  D:BH作中最もよく分析者然と振る舞っていたコナーを例にとると、ダニエルを信頼させたルートでのちのち「お前は必ず報いを受ける」と恨み言を言われたり、ハンクの個人的な事柄を調べ上げて当人にあけすけに語ることで好感度が上がったり、或いは『最終任務』で対立した際に「その言葉(「友人」)の意味もわかっちゃない」とキレられたりするのも、ある種彼らに転移されているのかもしれない。  そして『カムスキー』チャプターでは、変異体について何か知っているに違いない者として、カムスキーが待たれていた。
 そのカムスキーもまた実は革命を待っている側だったことは、別にゲームの制作段階で削除された台詞を参照しなくとも想像できる。  カムスキーは「自由への欲求も伝染病といえるかな?」と言ったが、この発想は珍しいものではない。20世紀初頭、ボリシェヴィキ革命後の時点で既に、のちの西側諸国は共産主義を伝染病に準えて「防疫線」を提唱した。現在も、主に批判的意味合いで特定の思想を伝染病に喩える場面はよく見られる。
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『自由への行進』/『サイバーライフタワー』
 デトロイト実況プレイ動画などを見ていると「こいつら本当に自我あるのか?」とすこぶる評判の悪い(ような気がする)マーカス達の「さあ起きて」描写だが、敢えてこの異様さそのものを好意的に捉えるとすれば、彼らが「伝染病」という言葉の簒奪を果たしている点と言えるだろうか。また、『カムスキー』でクロエを撃ち殺して選択肢「ウィルス」の質問をした場合の、カムスキーによるウイルスの潜伏に関する説明と、『サイバーライフタワー』でコナーが失敗した場合にたどり着くフローチャート項目における、倉庫の変異しなかったアンドロイドに関する言及で、remain dormant という同じ表現が使われている点も考慮していいかもしれない。ここではウイルスが、アンドロイドが、「精神的ショック」をスタンバイしている。革命を為そうとする時、形容の影にカムスキーがいる。
 今回のエンディングの話に戻ると、アンドロイドが創造主に対して立ち上がる日を待望していたであろうカムスキーと、うまくいけば変異体の支持者になることで人生を取り戻せたかもしれない──そして本当にうまくいけばフードトラックの前で待っていてくれたかもしれないハンクという二人の人物が、「Un bel dì, vedremo」の引用を介して、将校の乗る船を待つ蝶々さんにオーバーラップする。悲恋に暮れるのは今日のところ「人間」のようだが、恋ほど人を惨めな気分にさせるものはない。
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ophelia333k · 1 year
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2022年12月24日 非在のものに対する憧れ
 夜、バイトの休憩中に合間を縫って穂村弘インタビューを読んでいて、けっこう痺れてしまった。早稲田短歌会によるインタビューらしくて、2001年のもの(つまり、『短歌という爆弾』が出た次の年)。 「『愛』ってなんなんでしょうか?」という質問に対して、穂村弘は「非在のものに対する憧れ」と答える。
まずね、あの短爆の中で使っているタームっていうのは、まあ憧れって言ってもいいんだけれど、何に対する憧れかって言うと「今はまだないもの」に対する憧れ。非在のものに対する憧れのことを愛と言ってもいいとおもいます
 この答え方、この愛に対する捉え方が自分にとってはすごく納得がいくというか、それ以外にはありえないという気さえしてくる。でも、常識的に考えればこの定義はいくらか転倒したものでもあって、たとえば妻や夫に対する愛、子に対する愛、動物に対する愛など、愛はふつう、実在するものにしか向けられない(でも感覚として分かる、少なくとも自分は非在のもの、「今はまだないもの」しか愛すことができないから。そして、もし仮にその非在のものを「美そのもの」であるとしたのならプラトンのイデア論と近い形を取ることになるだろうけれど、たぶんそうではない)。  次に、愛の希求の絶対性について。
愛の希求の絶対性って何かっていうと、あれは結局愛の不可能性のことをいっているじゃないかっていうのは全くそのとおりで、非在のものへの憧れっていうのはそれが顕在化した時点で止まるわけです。具体的にいうと素敵な恋人っていうものを夢見ているとき、素敵な恋人が現にできたら、そこでそのモチーフはストップするでしょ、わかりますよね。歌の世界でも特に若い女の子とかの歌はそうだけど、「彼がこんなに冷たい」と。そういう歌がつまらないのは、こいつは恋人が優しくしてくれたら歌なんかいらなくなるよっていうことがわかるから。それは、愛の希求が全然絶対的になってない。ということは、初めっから僕の言う意味での愛の希求の絶対性っていうのは、絶望が前提になっている。絶対にそれは成就しないから。
 愛が非在のものに対する憧れであるとして、たとえばそのような「今はまだないもの」を希求し続けていたとき、どこからか素敵な誰かがやってきて恋人になる、��いうことはありうる。普通に考えればそうやって愛の希求は終わった方がいいし、終わって満たされた方がいい。でも、その場合、愛の希求は絶対ではない。どんなに素敵なものが目の前に現れたとしても、それが実在している時点でそれは愛の対象でありえないし、そうであるのなら、初めから愛は不可能でしかない。そして、そのような不可能性においてのみ愛の希求の絶対性が成立する。  でも、この話に深く納得してしまうのは自分が初めから「愛の希求の絶対性」の側にいるからで、普通に考えれば愛の希求は終わった方がいい。それでも愛の希求を求めるのは、愛の希求が絶対であると何がよいのかと言えば、穂村弘によれば、愛の希求の絶対性が強ければ強いほどに、すぐれた言葉が生まれるということ(「つまり愛の希求の絶対性が強ければ強いほど、すぐれた言葉が生まれるっていう価値観」)。
「真、本物とは何か」って考えてもそれは限界があるんですよ。ニーチェみたいに考えられない。でも僕には短歌があったから「この歌はいいよね。」「これはダメだよね。」と思うと、「その差は何か」っていう風に思うでしょ。なぜこっちはよくてこっちはダメかってことを、現にあるもので味見をするようにねちねち考えていくと、「この差は愛の希求の度合いの差だ」っていう風に思ったわけ。それでたぶん「愛」っていうことが僕の頭に浮かんで。
 2001年の穂村弘は短歌における善し悪し(本物とは何か)の基準を「愛の希求の絶対性」に求める。その評価軸によれば、最高なのは葛原妙子ということになるけれど、インタビュー中にある通り。それだと斎藤茂吉はどうなのかとか、既存の評価軸とは齟齬が生じる。  あと少し。
青春っていうのは、別に現実とか他者とか死とかを受け入れなくてもまだ、許される。君たちは。でも僕は自分が死なないと思っていたし、エゴイスティックだから他者っていうのは、いなかったし。もちろん現実なんて論外だよね。やなことばっかりあるから。それをどうやって受け入れるか、っていうところで葛藤があって。
 ここで少しどきっとしてしまった。 ***    穂村弘、自分の中ではずっと40歳くらいのままなのだけど、Wikipediaを見たら「誕生 1962年5月21日(60歳)」と表示されていた。20年もずれがある。  イメージの中での人の年齢というのは停止することがよくあって、「アリス・リデル」という言葉を聞いたとき頭の中に思い浮かぶのは少女だけど、実際には老婆としてのアリスも存在するはず。なのに、写真として残されているのは少女時代のアリス・リデルばかり、と思って一応またWikipediaを確認したら、晩年のアリス・ハーグリーヴズ(1932年)」というキャプションと共に、品のいい、帽子を被った老婆の写真が載っていた。 ***  そういえば今日はクリスマスらしいので少しだけその話をすると、自分の中ではクリスマスという概念と、平成初期~中期という時代がゆるやかに結びつけられていて、「クリスマス」という行事のその質感を、平成初期の画質でしか想像することができない。もう何となくすべて終わっているような気がする。もちろんそれは自分が平成13年に生まれているからで、変わったのは世界ではなくて自分の方なのかな。
***  t e l e p a t h テレパシー能力者の「思い出」という曲のMVの、早送りされループされる平成初期のような画質の映像に出てくる女性、いったいどこに存在しているのだろう。たぶんどの時代のどの場所にも存在していないはずだし、もし仮に明日街をうろうろしていてそこであの女性に出会ったのなら、何となくもう人生はもうそれ以上続かないような気がする。
 
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tokyomariegold · 2 years
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2022/8/27〜
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8月27日 カスタムくんに会いに出かけた! 片道2時間の少し複雑な乗り換えを頭にたたき込んだ。あと少しのところで初めての路線乗り換え。そこでお財布を忘れていることに気がつく。え〜〜……!!と、でも、なんとも戻るしかない。そして戻ったらまた同じ道を出発する元気もないし、カスタム君の午後の部にも間に合わない。横浜駅構内にはブルーナカフェが入っていてナインチェかわいいけれど、心はすっかりカスタムくん。
合計3時間程の旅を0円でしてしまった。
戻りながら電車で日記の文字起こしをして、最果タヒの展覧会のオフィシャルブックを読む。もう1年以上私の部屋にある本だけれど、昨日、この本にマンスーンさんが寄稿していることを知り、もう一度読むことにした。
駅のホームでおじさんに話しかけられる。 私に顔を近づけて「一言、二言で終わるから!」と言われ、イヤホンを外すと「あなたは美人です。だからすてきな彼氏がいるんでしょう。そしてその人と結婚して、絶対に幸せになって下さい。」と言って、去って行った。(“絶対に”の位置が「“絶対に”その人と結婚して〜…」だったかも知れない。) 揶揄う相手を間違えている。
ヨドバシカメラで洗濯機をみる。 1人だとただの鑑賞会をして終わってしまうので友人に付き添ってもらった。ドラムより縦型の方が私の生活には合っていそう。コストダウンできた分で何かしようと思った。 友人がフィルムの現像を出していて嬉しかった。自分以外の人が写真を撮っていると嬉しい。
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8月28日 夜にライブイベントに参加する予定があり、1日を、それまで体力を保たせて帰宅後もきちんと過ごせるように時間を過ごしていた。 夜の予定が本当に苦手になってしまう。 もともと、ライブには1人でよく行っていたけれど、チケットを取った時の喜びから、そのライブが近づくにつれて憂鬱になることばかり。ライブの中身より、その時間を耐えた開放感と夜の街にいる喜びに、ライブ=楽しい、という印象をもっていて、ライブって楽しい。
でも、いつもの日曜日をいろいろ終えて、そこからお出かけするのはなんかいい感じ。みんな帰っていく中でわたしはこれから!みたいな。 途中、ディズニー帰りのお姉さんが隣に座り、携帯で新幹線を予約している様子で、これから大阪まで帰るのか〜と眺めていた。
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臨海副都心の街に久しぶりに降り立てて、しかも日暮れ時の涼しい夏の日曜の夜で最高だった。ライブ中も、外の景色とか今の空の暗さとかが気になって、元々終演までいるつもりはなかったけれど、早めに会場を後にした。 フットサルをしている人達、それ以外は、日暮れ時の公園の人達はみんないなくて、ビルの赤いランプが点々と映えていた。
夜の海沿いの首都高を眺めながら、ほとんど千葉なのでは?と思いながら、意外と日曜日もお仕事お疲れ様な人が多い、と思いながら、ライブ会場の粗悪なパイプ椅子から座って鑑賞することを想定されていない高さの舞台を見ることで痛めた身体を引きずりながら、涼しい夜を帰ってきた。
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8月29日 実家へ少しだけ帰ってみる。 母と同じ時に京都にいたらしい。近所の梨園で無人販売を始めたらしく、梨を1袋買った。ちょうどもぎ取ったところで、その場で詰めてくれる。1,000円で5,6個入っていて、1つだけ貰ってあとは実家に置いてきた。
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実家は色々家の補修を済ませていた。 庭の一部にコンクリートを打って通行しやすくしたり、かなり劣化していた木のデッキと縁側をプラスチックの擬木のデッキにして手入れしやすくしたり、施工不良でずり落ちた屋根を葺き替えたりしていた。 また駅まで車で送ってもらう。 昔、塾に行くために下車していた駅は、駅ビルがかなり充実していて、駅横のデパートはショッピングモールみたいになって格が落ちていた。
池袋のビッグカメラで洗濯機を買った! 他店で目星をつけた製品をもう一度紹介してもらい、その内、一つ前の型がかなりお買い得だった製品に決めた。満足のいく行程で購入まで漕ぎつけた、と思っていると、最後にポイントプレゼントキャンペーンの紹介(セールス?)。どこかの国の必殺技くらいにしか思っていなかった“格安SIM”のことが少しわかった。
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帰宅して眼科へ。ペッパー君みたいなお兄さんに検査してもらう。使っているコンタクトのゴロゴロがつらくて、とても毎日装着できないことを伝えると「そうで��よね〜、◯◯さん(私の名前)はかなり乱視が強いので違和感はあると思います。」と流れるように答えてくれてペッパー君。「目薬や装着液を使ってもあまり軽減しなくて…」と言うと、「え…?装着液ですか…?」と人間になってしまった。装着液ってハードコンタクトにしか使わないらしい。「(ゴロゴロするのは)慣れれば感じなくなりますかね〜」と言うと「慣れませんよ〜。ずっと違和感は残りますよ。」とペッパー君に戻った。
梨の皮を剥いて、カットして、今までで1番カットされた梨っぽい造形になって嬉しい!包丁を新しくして良かった。
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8月30日 夕食のお誘いメールをもらった。 職場の飲み会が無くなったご時世でとても助かっている身だけれど、少人数の少し心落ち着ける人選の会だと、行きます!と返事をしてしまう。 (食事の席に変わりはないので、少しずつこれから憂鬱度が増していくのだろうな。) でもお誘いメールに“参加してくれると嬉しいです。夕食を取らない派であれば飲み物だけのオーダーでも構いません。ご一緒できるのを楽しみにしています。”とあり、ならば!となったのかも知れない。 基本的に、他人から気を遣われてしまうタイプだと思っていて、(こんなにしたら逆に相手に悪いかな)と不安を抱かせてしまうくらい気を遣ってもらえると嬉しかったりする。(だから、家族や身内の無礼にしょんぼりするし、いつまでも引きずったりする。)
妹と喋れていた頃、その最後の方は彼女とそんな感じの関係でなんか良かった。祖母のお葬式を中抜けして一緒に帰った時、少しお互いの近況を話して、お葬式も大事だけど、テストや課題や明日の大事なことがあるよね、みたいな話をした気がする。
上司の思いつきで明後日は都庁へ行くことになった。昼食問題は自分に正直になって乗り越えよう。
職場で2日連続で病欠した人がいて「また病んでいるんじゃないか」「お前何かしたんじゃないか」みたいな会話が飛び交っていた。 その人がお休みすることで仕事が増えることの迷惑より、ただ何か面白がって言っている愚痴に聞こえて、とっても私は落ち込んだ。
明日で8月が終わる。暑中見舞いは2通お返事が来た。
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8月31日 今日は何もなかった。 そんなことはないはず。だけど、今日は何もなかった。
9月1日 都庁へ行った。1階のエントランスの巨大なピロティが、何かの搬入口みたいな空間なのに人だけが通っていて不気味。 ロビーにはアルソックの警備ロボットがウロウロしていて可愛い。 ずっと閉鎖されていた45階の展望室は、なんと今日から再オープンのよう!警備員のおじさんが「ちょうど今日からなんですよ。」と教えてくれる。 用務まで東京観光案内所で23区と市区町村のパンフレットを眺めて、再来週行く予定の府中市のお散歩マップを手に入れた! 隣��全国都道府県の観光マップが揃っていて楽しい。月替わりショップは今日から山梨県で、オープンしたてなので信玄餅の入荷数を数えていた。
用務が終わり、昼食に行くみなさんを見送って展望室へ。新宿から眺める東京は、何かありそうで、特別何もなくて、意外と住宅街が細々とよく見える。 誰でも弾けるピアノに人がたくさん並んでいて、代わる代わるに上手に演奏していた。みなさん力強いタッチ。
午後から職場へ戻るため、中央線に乗る。 平日の昼間の中央線っていろんな人がいる。ビンテージっぽいTシャツとキャップ、短パンにサンダルを身につけて、手にはフライトの本があり、昨晩の音楽イベントのストーリーを投稿している男の人がいた。
職場に戻ると、昼食をとれない、人前で食べられないことを、また今日も明るみにしてしまい、そのことを話されているな〜小声で遠くで、というのを察知したりした。あと都庁のどこかに傘を忘れたことに気がついた。
帰り道で稲妻を5回見た!
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9月2日 聴く・見る・読む、何を受け取っても、どこかで気持ち悪いレーダーが働いてしまう日。何も聴きたくない見たくない読みたくない。なので、自分の頭の中で健やかな都合の良いイメージやストーリーを流していた。
今日も何もなかった。 でも、以前同じ部署だった方にばったり会って「相変わらずかわいいですね〜」と言ってもらった。 「ヘッドホンおしゃれですね。」と言ってもらい、でもただのファッションなんです、ファッションといえば◯◯さん(相手の名前)のメガネっておしゃれですよね、といつも思っていたことを伝えることができた。「眼鏡はね、こだわりがあるんです。」と言っていた。眼鏡市場で買っているとのこと。
掃除をして爪を切って写真を撮って梨を剥いて花の水を換えて鏡を磨いてお香を焚いて洗濯をした。
場所性の本に、写真や芸術作品を作る人は場所のアイデンティティの要素をダイジェスト的に捉える、みたいな文があり、ある作家は、以前住んでいたプレーリーの土地を、グミの匂いの中に見出した、とあって、その作家の作品を観たくなった。
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unicodesign · 1 month
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インド建築縦走旅vol2 アグラ、タージマハル
インド2日目はタージマハールを見に電車でアグラまで行きました。ロストしていた荷物も届き、朝7時、朝はまだ道がすいている。日の出は日本より遅め。
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デリーの南にあるハズラット・ニザムディン駅から特急ガディマン・エクスプレスに乗り込みます。
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朝食付き!スパイシーなコロッケとパン。
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1時間40分でタージマハルのあるアグラカントの駅に到着しました。
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電車の降り口で待ち構えていてくれた本日のガイドさんの案内で、tケット買いにレストランへゆき、そこからトゥクトゥクに乗り換えてタージマハルの入り口へ。運転手さんと時間を決めて同じ場所で再会する約束をしてタージマハルの入口へ。
遠足の女子高生?みんなこっち見てる。制服の色がかわいい。
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セキュリティチェックを終えて入場。
赤砂岩でできた南の大楼門(ダルワーサー)へと向かいます。デリーでも、特徴的だなと思っていた4本柱の上に乗ったドームは『チャトリ』といって、サンスクリット語の『傘』が語源だそう。この『チャトリ』がインドのイスラム建築の特徴的な装飾要素。パキスタン国境に近いジャイサメールに行くと砂漠にそびえたつチャトリ群があるのだとか。
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赤砂岩に白大理石の組み合わせで、花模様の象嵌が施されています。そのまわりはアラビア語で、ムスリムのクルアーン(コーラン)なのだそうです。
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門をくぐる。全貌をあらわすタージマハルと、ものすごい人人人。
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ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妻ムムターズ・マハルの死を悼んで建てた霊廟、後世に残る墓を望んだ妃のために、世界中から大理石や宝石を集め、1632年から、22年間の歳月を経て1654年に完了したそう。
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近づくと、その大きさもさることながら、白い大理石と象嵌の、模様やレリーフがすごい。ヴォールト型の天井のくり抜かれたような前面開放の空間はイーワーンといって、ドームや四分庭園ペルシア建築の特徴だそう。
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サイトプラン。十字の水路で4分割された四分庭園『チャハルバーグ』がタージマハルまでの間に広がります。イスラム庭園の特徴でもあり、ペルシア建築の特徴でもあり、タージマハルの庭園やドーム、イーワーンや象嵌の技巧はペルシアからのものだそう。
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西側のモスク。『チャトリ』こそがインドらしい要素だそう。
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北側に流れるヤムナー川の氾濫に備えて、100m四方の高さ7mの立派な基壇の上に建ち、四隅にミナレットがそびえるムガール建築の集大成。
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いざ、基壇の上にあがり、
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上を見上げながら列を進む。
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美しい模様と象嵌の数々。
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内部も、大理石の象嵌の花模様が続き(撮影禁止につき写真なし)さらに大理石の透かし彫りで囲まれた中に棺があるのですが、大理石ってあんなに緻密な細工ができるのですね。。。すごい。
外にでると、北のヤムナー川がのぞめました。
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東側にある迎賓館。
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上から見るチャハルバーグ庭園。
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花壇の部分がイスラム模様。&鳥。
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赤い回廊も美しかった。
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タージマハルの見学を終えて、ランチのあとは川の対岸へ移動しました。後ろからみても美しい。本当はここは川の水が流れていてもっと美しく見えるとのガイドさんの話でしたが、乾燥地帯になっていました。
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子供達と子牛。
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マスタード畑と集合住宅?いくつかの家族で住んでいて(ガイドさん談)裕福な人たちの家だそう。ちょっとおもしろそうな作りでした。
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かたや、スラムのような簡易なレンガ造りの家の集落のような場所、はじめはテントで住んでいた人たちが、だんだんと自分たちで家を建てて暮らしている、との話。
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このあと、マーケットに行ってみたい、とのリクエストをして、スパイス&チャイ屋さんへ。おじさんがチャイをふるまってくれる。
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そのあと、欲しかった大理石のスパイスミルを物色し、インド初お買い物、価格交渉を粘る。ガイドとドライバーさんも立ち会うなかで無事購入。
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2日目にして重い大理石を買い込んでしまったわけですが、一期一会のお買い物、ここでしておいてよかった。
こうしてアグラ駅からデリーへ向けて電車にのる。
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ワンデイトリップ、無事終了。
デリーに着いておいしいカレーの夕食へ向かいました。ゴハン編はまたおって。
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kennak · 4 months
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https://anond.hatelabo.jp/20231129081226専業主夫になりたいと願い、夢を叶えた増田です。思った以上にバズってしまい恥ずかしいけど誰かの参考になったなら嬉しい。今後ダラダラと続きを書きはしないので、今回は補足と自分語りをさせてほしい。おれは主夫になりたい男性を応援してるし、主夫を養える女性も尊敬している。もちろん主婦とその夫も、共働き夫婦も独身男女も。今までどこに出すでもなかった婚活の学びだが、今回も誰かの参考になれば幸い。 「婚活」そのものについてはてなには男女とも婚活で酷い目を見たエントリーが目立つ気がするが、おれ的には会った女性は7割まともだと感じた。2割がコミュニケーション能力に難ありで、残りの1割はモンスターかな。だからそんなに構えなくていい。ネットでは変わった体験をした人の記事が面白がられて伸びるだけで、大概の人は良くも悪くもわざわざ書くに及ばない平凡なお見合い(デート)をしているはず。 ■「悪くない」が大事目が合った瞬間この人だ!!という出会いもあるらしいが、おれは期待してなかった。印象が悪くなくて、相手も嫌じゃなさそうであれば、とりあえず次のデートを打診する。ただし、盛り上がったけどお互い何となく次はないなーで終わることも、逆に全然話してくれなくても後から「すごく楽しかったです!」という長文メッセージをもらうこともある。 デート中でも話していく内「多分おれのことナシなんだろうな」と察することもある。それはもう仕方がないことだ。露骨に態度に出すやつは性格が悪いが、漏れ出してしまうことがあるのはおそらくお互い様なのだ。 ■積極的に誘おう!婚活では基本女性が優位だ。おれたちが良い(悪くない)と思う女性は、他の男性にもそう思われてる。誘って断られるのが嫌なのはわかるが、相手の印象が悪くなければ、次の約束をサクッと打診するまでがデート!そういうもん!と割り切るのが良いと思う。出会いは基本同時進行なので、相手にも「悪くない」程度の相手が数人はいるはず。その中で頭ひとつ抜けるには、特別な何かがない限りは積極性しかないのでは。断られても、自分とはマッチしなかった/自分よりマッチする人がいたというだけの話だから、落ち込まなくて大丈夫。結婚したいのは同じなはずなのに、どうしていつもこちらから…と思う気持ちもわからなくないが、そう言うもんだから仕方がない。 顔合わせ・デートの支払いについて婚活をしていて思ったけど、女性って意外と奢られたいと思ってないかも。勿論、おれは自分より年上かつ収入の多い女性と会っていて、アプリや相談所のシステム上、こちらの収入が少ないことを相手も知っていると言う特殊なケースではあったのだが…。 一応、毎回初回はお礼のつもりで奢る気で会ってはいた。なので自分で場所をセットする場合は、適当なカフェ(※1)でのランチかお茶に誘っていた。単純に単価が低いのもあるけど、わけのわからん男(おれ)と初めて会う女性も明るいうちのが安心かと思って。 おれと会ってくれる人は金銭面での頼りがい的なものを求めていなかったのでw、割り勘どころか「出しますよ〜」とサクッと払ってくれる人も意外といた。その場合は素直にご馳走になって、「次はお茶くらいご馳走させてください」とデート延長or次の約束を取り付けることにしてた。これは男女問わずぜひ使ってください。 付き合うとなんとなく、支払いは割り勘〜彼女8割くらいになることが多かった。気持ちよくご馳走してもらうための基本はこれ。・ちゃんとお礼を言う(会計直後と解散後のLINEとかね)・「ごめん」じゃなくて「ありがとう」(相手は喜んでもらいたいだけで謝らせたり引け目を感じてほしいんじゃない)・飯はうまそうに食う・店・飯のポジティブ感想を意識して伝える改めて書くと当たり前すぎるな。長い付き合いになっても奢られて当然なってはならない。大原則は、「自分がされて気分が悪くなることはしない」。 また、いくら収入に差があったとしても支払いを彼女10:自分0にするのは勧めない。・飯を奢ってもらった⇨お茶ご馳走する・高いプレゼントをもらった⇨何かしらの差し入れをするなど自由に使える金が少なくてもできることは全然ある。 ※1:適当なカフェと言っても、それはドトールやサンマルクではない。相手がアクセスが良い場所の、チェーン感の少ないところが良いと思う。よくXで話題に上がるデートでサイゼ問題だけど、低収入だったおれとしても少なくとも初回はなしかな。サイゼは着心地最高の部屋着みたいなものだが、初めてのデートに部屋着で行かないのと一緒。付き合いが深くなったら、思いっきり部屋着でダラダラを楽しんだらいいよ。 何よりも自分のメンタルを守れ!!!!!!おれが推奨したいこと↓・辛くなったら休む(目標は決めてもノルマを決めない)・フラれても縁がなかっただけで、自分の価値とは無関係だと心に刻む・婚活以外の人間関係をより大事にする 学びがあったし妻に出会えたのでよかったけど、基本的に婚活はしんどい。特に最初はかなり辛い。婚活を始めた当初は、なんだかんだ結構モテてしまうのでは…と思ってたんだが甘かった。傲慢でした。やっぱり人気があるのは高収入・高身長でどっちも持っていないおれは本当に、本当に需要がなかった。前回も書いたが最初に会ったのが一回り上の女医だったんだが、長い婚活の中で一番キツかったのはこの人かもしれない。「アタシは本来婚活?とかする必要のない人間なんだけど〜どんなもんかな〜と思って〜」「今まで医者3人にプロポーズされたけどバカばっかだから振ってやったw」「今日は主夫になりたいとか言う男がどんなもんか見に来たw」終始こんな感じ。震えたね。婚活がマジで怖くなった。おれが道明寺司ならおもしれー女…になったかもしれんが弱者男性なのでそれは無理。 当然こんな人ばかりじゃなくて、その後に会った人は常識的な人がほとんどだった(でもたまにいる凄いのが)。ただ、申し込み(いいね)を送っても返ってこない、この人たちにとって自分は無価値なんだと思い知らされる経験は、それまでの人生にないものだった。良い感じでデートしてたのに連絡が取れなくなったりとかね…。仕方のないことだ。おれが吉沢亮だったとしても、大泉洋が大好きな女性には選ばれない。それはもちろん、吉沢亮に価値がないという話じゃない。おれをふった女性は、どこかで大泉洋と幸せに暮らしている…それで良いのだ。 婚活ばかりしていると病むので、自分から声をかけて学生時代の友人と飲みにいく機会を増やした。婚活に関しては話したくない人もいるだろうが、おれは婚活芸人を名乗って笑ってもらうと気が晴れた。友人に話すと意外な紹介があったりもする。それで一回彼女ができた(半年付き合ってフラれたけど)。おれは交際ステータスの人がいなければ、週に1度は新しい人に会う!を目標にしていたけども、それはメンタルと相談して…。 ■卑屈になったらさようならフラれが続いたり、あと主夫志望の場合は収入の良い女性ばかりと出会って「この人はこんなに頑張ってるのに俺は…」などという気持ちになったら即刻休んだ方がいい。卑屈な人間はシンプルに魅力的じゃない(これはマジで女性も同じ!「私なんか…」を連発されるのは本当にキツイ)。だから卑屈になればなるほど婚活は厳しくなり自尊心が削られる負のループ。稼げる能力はひとつの要素であってすべてじゃない。おれにはおれの、お前にはお前の長所がある。先の「目の前の相手がこちらをナシ判定したのがわかる」時も、メンタルが好調なら「貴重なお時間感謝ァ!」だし、悪ければ内心ムカつくし、卑屈だと「あーもうごめんなさいごめんなさい」になる。 これは俺の個人的な失敗談だが、同棲までして破局した彼女をモラハラ化させたのは当時のおれの卑屈さに一因がある気がしなくもない。彼女は全ての能力が高くて、料理をしても手際はよかったし仕事もバリバリ成果を出していた。おれは知らず知らずに萎縮して、彼女の前では自分の意見など無価値に思え、顔色を伺っていた。飯を作って待っていても「仕事後にこんな重いもの(彼女の好物のビーフシチュー)食べれるわけない!!」とキレて流しに捨てられたり、出ていけと言われて出て行こうとしたらキレて泣き喚いたり、起きるのが遅いという理由でビンタされたり、祖母からもらったマグカップをセンスが悪いとわざと割られたり…今もかなりトラウマになってる。パワハラは属性関係なく、支配的な環境になると起こりやすいんだろうと思う。 卑屈になったら一時婚活から撤退すべきだし、卑屈にさせられる相手とは距離をとってほしい。これは主夫おじさんとの約束だ。 容姿身だしなみについて容姿は良いにこしたことはない。でもおれの肌感としては、女性がパートナーに求める容姿のレ��ルは高くない。俺はどこにでもいる顔のチビだが、清潔感と言うものを婚活を始めてから理解したように思う。清潔感とは、清潔そうに見えること。・服にほつれやシミがない・極力シンプル、アクセサリーなどで主張をいれない・服のサイズが合っている・靴や小物が汚くない・臭くない・奇抜な髪型じゃない・なるべくニキビを作らない・食べ方が汚くない基本減点をなくす方向に動けばいい。あとは体型も太りすぎてない方がいい。でもそんくらい。勿論イケメン好きもいるだろうが、そう言う人とは初めからマッチしないので、プロフィール写真との落差が激しすぎない程度でいいと思う。男性の中にはマジで身なりに構わない人もいるから、ちょっと気をつければ大概の人は『普通』の枠内には入れると思ってる。姉についてみんな書いてたけど、おれの婚活がうまくいった要因のひとつは姉にあると思う。昔から何をやらせても優秀だったから張り合う気持ちすら起こらなかった。ただ姉は婚活して結婚したわけじゃなく義兄は大学の先輩だった。学生時代から付き合っていて相手の転勤を機に退職して結婚した。姉も姉でかなり良いとこに勤めていたから潔すぎて家族は唖然。ただ姉が専業だったのはたったの1年くらいで、今は自分でビジネスを立ち上げ子育てしながらバリバリやってる…俺とはキャパが全然違う。 妻について義兄と同じく、妻も頻繁に転勤のある公務員。この職種の人と会うのは初めてだった。婚活もずっとしていたわけじゃないので、よく出会えたなと思う。感情の波が少ない人に見えて結構抱え込むタイプ。真面目でしっかりしてるけど、家では結構ふざけたりもする。 子供ができたら勿論子育てのメインはおれになるだろうなーと思っていた。完璧にやれるとは思わないが姉含め周りのお母さんたちもわからないことだらけなのは同じだろうし、出産のダメージがないぶんおれだってちゃんと動けるはず…と覚悟して婚活をしていたが、妻は子供は欲しくない人だった。理由は聞いたがここには書かない。おれも納得している。 妻がおれのどこを気に入ったかと言うと、まずは条件ありきだと思う。転勤について行けるのが大きかったんじゃないか。彼女はバツイチなんだけど、前のパートナーは同業だったそうな。新婚当初から喧嘩が絶えなかったと言っていた。家では難しいことを考えたくない…と言う希望におれがマッチした。おれとしては仕事に誇りを持っていること、可愛いギャップがあること、主夫のおれを対等のパートナーとして見てくれるところが好きなとこ。お互い恋愛よりも生活を重視するタイプだけど、思ったより仲良くやれている。休みの日にふたりで散歩しているとマジで結婚してよかったと思う。今度保護犬の譲渡会に行く。妻と二人で世界一幸せな犬にする。(追記)男とか女とか書きたいと思ったの忘れてた。前の記事へ「男はここまでしなくちゃ主夫にもなれない(だから女は恵まれてる)」「こんな努力は女なら誰でもしていることだ(だから男の方が楽)」などというコメントを見かけた。おれの努力を女叩きに使って欲しくないし、男をバカにする道具にもしないでほしい。 専業主婦(夫)はどんどん減っている。それでもまだ、誰かを養う覚悟があるのは男性の方が多いと思う。だから女性は誰でも主婦になれる嫌な仕事は辞めれるイージー!ってことは別になくて、例えるなら大企業の求人はいくつも出てるけど採用される人はひと握り…という話に近いと思う。条件のいい会社には応募も多くて若さやビジュアルや育ちや学歴の書類選考を通らないと何も始まらない。婚活市場で1番価値のある若さ・美しさを持つ婚活エリートの戦場だ。その上、男性は(女性ほど、という意味で)子供を急ぐ必要がない。だから10年募集中だが採用ゼロでも平気でいられるわけだ。女性側がどんなに1人にコミットしても手のひら返される場合が全然ある。 主夫志望者が男性の場合は、そもそも求人が少ない。いや、ほぼない。だから自分を雇えそうな会社に片っ端から電話をかけて「おれを採用しませんか!〇〇ができます!」をやってくしかない。門前払いが多いけど、中には話を聞いてまあ面接くらいは……という企業があるって感じ。とにかく求人がなさすぎる。求人を出せる体力のある会社がそもそも少なく、その中でも求人を出すなんて考えたこともない所がほとんど。もちろんこちらも手のひら返しは日常茶飯事だ。   収入があって、私生活が充実してる人は男女共、結婚なんかしてもしなくてもいいんだよ。一方おれの理想の暮らし(主夫生活)にはパートナーが不可欠だ。その不均衡があるわけだから、こちらが頑張る他はない。男女どちらが婚活するにしろ、その性別、年齢、条件、本人にしかわからない地獄がある。 おれは友達の中では婚活芸人やってたけど、まあ有名な会社をやめて主夫になりたい!って奴はやっぱ一段落ちた感じはあったよ。男社会の脱落者と言うか。おれはそんなに気にしなかったが、これは人によっては死ぬほど辛いことだと思う。「俺なら絶対無理」って笑ってた奴は激務の末に自殺未遂を起こした。働きたくないって言えない奴だった。彼の恋人もエリートだったし、女性であれば結婚退職も少なくとも頭には浮かんだだろう。でも彼はそれができなかった。何か環境や考えが違えば、おれだってこうなっていた可能性はある。これは男性特有の問題とは言わないけど、おれの心には強く残った。 女性は妊娠とキャリアの壁とかあるし、もうどっちも本当に辛いよ!だから家族になって助け合おうよ!が婚活であるべきだと思う。すべての人が生きやすくなるように願いつつ本当にこれで最後にする。 (追追記)家のこと、名字のことしつこくてごめん!コメント見て確かに家の事書いてねぇー!と気付いた。改姓してません。 彼女は両親とあまりうまくいってなく、詳しくは言えないが最初の結婚が早かった理由の1つはそれ。だからおれは彼女の家族は母親にしか会ってない。結婚報告に対しても「そうですかお幸せに(棒読み)」という態度だったので継母か…?と思ったが実母らしい。まぁそういう家もあるってことで…。 妻の旧姓はカッコよかったし、おれは全然改姓OKだった。おれは名前だけはイケメンなのでアニメの主人公みたいな名前になるな…と妄想していたが、妻の方が改姓したいと言うので俺の名字に変えてもらった。 意外だったのは、妻の改姓についてうちの親がけっこう喜んでたこと。うちの親は主夫に関しては「マジかこいつ」という顔をしつつも結婚や妻に対してはありがたく思ってくれてたが、改姓だけは内心抵抗があったらしい。わかるようなわからんようなだが、妻も両親も喜んでるのでWin-Winってことで。
(追記あり)主夫になるまでの婚活での学びと自分語り
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dainanagekijo · 2 months
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「ヘッダ・ガーブレル」出演者募集
2024年8月末、三重県文化会館で上演される、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」の出演者を募集します。
彼女はなぜ原稿を燃やし、 銃の引き金に指をかけたのか——
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている価値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間として必要な承認をめぐる、生と自己が求める切実さを描く物語。
▋募集内容:出演者若干名 ※役の指定はありません
▋公演概要:第七劇場 “ヘッダ・ガーブレル”
公演会場 > 三重県文化会館 小ホール (三重県津市一身田上津部田1234)
公演日程 > 2024年8月31日(土)・9月1日(日) ※8月27日(火)から小屋入り予定
原作:H. イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平 出演:第七劇場、ゲスト出演者、オーディション採択者 主催:三重県文化会館
▋オーディション実施日 > 3月17日(日)
▋オーディション申込締切 > 3月8日(金)24:00 締切
▋募集要項
オーディション実施日時 > 3月17日(日) 1)13:00〜16:00 2)17:00〜20:00 上記 1)2)のいずれかの回にご参加ください。 課題テキストによるオーディションと面談をおこないます。 ※応募者多数の場合、書類選考あり
オーディション会場 > 三重県文化会館
資格 > 高校生以上で、稽古および公演日程に積極的、協力的に参加できる方 (18歳未満の場合、決定後に親権者の同意書が必要)
出演料など > 年齢・キャリアなどを勘���して、個別にご相談いたします ※チケットノルマはありません ※稽古や公演に係る交通費および宿泊は第七劇場が提供
申込方法 > webフォームまたはメール メールの場合は、件名を「ヘッダ・ガーブレル、オーディション申込」とし、以下の項目を明記の上、お申し込みください
1) 氏名・ふりがな 2) 生年月日、年齢 3) 性別 4) 所属団体・学校 5) 住所 6) 電話番号[携帯] 7) メールアドレス 8) 舞台出演歴 9) 応募動機 10) その他特記事項 11) バストアップ写真添付 12) 参加希望回 第1希望・第2希望 《3月17日13:00/17:00から選択》
webフォームはこちら。 メールの場合は [email protected] まで。
申込締切 > 3月8日(金)24:00 締切 ※メール・webともに
選考結果 > 3月末までにお伝えします
稽古日程 > 7月下旬から稽古開始、計30回前後予定 ※稽古日は出演者の都合を調整しながら決定します ※稽古は主に第七劇場の拠点 Théâtre de Belleville で実施
[email protected] よりお返事いたしますので、必ず受信できるよう設定をお願いします。
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ヘンリック・イプセン
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。ほかの作品には「ペール・ギュント」「民衆の敵」「人形の家」「幽霊」などがある。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしまう。
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ttt-ral-info · 3 months
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抵抗と灯火 - Resistance And Lamplight - vol.1 "Free Palestine"
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抵抗と灯火 - Resistance And Lamplight - vol.1 "Free Palestine"
2024.2.18 SUN at 高田馬場JETROBOT
📍Address📍 東京都新宿区西早稲田3-28-1 RICOSビルB1F
Open 13:00 / Start 13:30
ADV,DOOR ¥2,000- + 1drink ¥600-
Artists : MKRDTSB / ネコダ珈琲 / 山口勲 / 原口昇平 and You!
🇵🇸🍉🕯️
「抵抗と灯火」はあらゆる権力、理不尽、腐敗に抵抗してゆくライブイベントです。
第1回は、パレスチナで続くイスラエルによる虐殺に、一市民として抗い、パレスチナに連帯を示すために開催します。
🇵🇸🍉🕯️
第1回目は高田馬場JETROBOTさんご協力のもと開催できる運びとなりました
チケットのご予約は各出演者、もしくは「抵抗と灯火」までお名前(苗字・お名前・あだ名なんでもOK)と枚数をお知らせください。
25-30人程度で満員の小さな会場のため、ご連絡いただいた時点で満員が見込まれる場合、キャンセル待ちをしていただく可能性があります。人数の都合でご来場を叶えられなかった場合、ぜひ次回以降にお越しいただけるようにがんばります。よろしくお願いします。
🎤出演アーティスト🎤
MKRDTSB(Bedroom-music) 音楽家・写真家・文筆家。抵抗と灯火主催。この星に生まれて以来、深い枯れた井戸の底に踞っている。2023年12月、井戸からパレスチナがつながる。あまりにも遅すぎた。それからというもの、この星のさまざまな問題が可視化される。自らの存在があらゆる権力・理不尽・腐敗に抵抗を示す。
ネコダ珈琲(coffee color eyed soul) 2014年からピアノ弾き語りをしている。主にLaura Nyro Todd Rundgren XTC を愛す。NoHate NoFake。だれもころすな。
山口勲(詩人) 7歳から詩を書き始める。高校3年の冬に詩の朗読会に初めて参加したが怖く��逃げ出し、以後2年間イベントに行けなかった。2009~2023 大島健夫と千葉詩亭を共催。2016~2019年 日本と世界の詩を紹介する雑誌『て、わた し』を刊行。自分の詩より人の詩を伝えるほうが好き。2023年宮尾節子賞受賞。
原口昇平(詩人) 非正規の言語労働者。パレスチナに目を向けるようになったのは、東京藝大院在学中の2009年始、イスラエルによるガザ侵攻の現地取材ルポを訳してブログに載せたときから。妻&特性ある子と暮らし、ふだんは広告翻訳で口に糊し、まれに詩を書く。資本主義と家父長制と植民地主義の結託に順応している間だけ独占者からわずかな富や権利を恵んでもらえる体制に反対。
You! オープンマイクの時間を20-30分設けます。飛び入りでパレスチナを思うスピーチ・トーク・演奏・パフォーマンスなどを歓迎します。ご希望者が複数いらっしゃる場合は、時間の範囲内で適宜お声がけをします。
🕰️タイムテーブル(2024/02/13確定)🕰️
出演者内で再度検討を行い、イベント当日は下記のタイムテーブルで進めます。あくまで目安で、当日の進行状況によって変動する可能性があります。
13:00 OPEN〜パレスチナについて話そう
13:30 START〜簡単なごあいさつ
13:35 ネコダ珈琲
14:05 転換
14:15 山口勲
14:45 転換
14:50 オープンマイク
15:20 転換
15:25 原口昇平
15:55 転換
16:05 MKRDTSB(※「身から出た錆」と読む)
16:35 全演目終了
   〜パレスチナについて話そう
17:00 解散
   〜パレスチナについて話し続けよう
✉️お知らせとお願い(日本語版)✉️
チケットのご予約は各出演者、もしくは「抵抗と灯火」までご連絡ください(前日・当日ともに同じ料金です)。
情報保障について、現時点では必要に応じて、パソコン・ノートを使った筆談にて対応予定です。その他の対応が必要な場合、お手数をおかけしますが「抵抗と灯火」までご連絡をお願いいたます。
感染症対策のため、ご来場のお客様は可能な限りマスクの着用をお願いいたします。
第2回目以降の出演者を随時募集しております。ご希望の際は下記までご連絡をお願いいたします。
【連絡先】
メール/teikou.to.tomoshibi.info★gmail.com (★→@)
X,Instagram/@TTT_RAL_info
✉️おしらせとおねがい(かんたん な にほんご)✉️
ちけっと の よやく は でるひと に ちょくせつれ��らく を ください。それか、した↓ に かいてある めーるあどれす か えっくす か いんすたぐらむ まで れんらく を ください。
じょうほう ほしょう → ぱそこん と のーと で かきます。ほか にも ひつよう な とき は、した↓ に かいてある めーるあどれす か えっくす か いんすたぐらむ まで れんらく を ください。
できる かぎり ますく を つけて きて ください。
これから の いべんと に でたい ひと は した↓ に かいてある めーるあどれす か えっくす か いんすたぐらむ まで れんらく を ください。
【れんらく さき】
めーる/teikou.to.tomoshibi.info★gmail.com (★→@)
えっくす いんすたぐらむ/@TTT_RAL_info
✉️Notification - Eng✉️
To get a ticket, please contact any of the performers or us at mail or social channel – the price in ADV is the same amount as the one at DOOR.
About information accessibility At this time, we plan to use written communication using a computer and a notebook, if necessary. If you need any other assistance, please contact us.
To prevent infectious diseases, we ask all visitors to wear masks as much as possible.
We are always recruiting performers for any future performances. If you are interested, please contact us.
【Our Contact: Resistance And Lamplight】
Mail/teikou.to.tomoshibi.info★gmail.com (★→@)
X,Instagram/@TTT_RAL_info
📢その他の情報📢
会場にエレベーターはありません。階段の上り下りにお手伝いが必要な方は、お手数をおかけいたしますが当アカウントまで事前にご連絡をください。
紙のチケットや、電子チケットはありません。会場奥に受付があります。ご予約時のお名前をおっしゃっていただき、チケット代+ドリンク代 ¥2,600- をお支払いください(※現金のみ)。
体調不良などでご来場が難しくなった場合、キャンセル料は一切かかりませんので、各出演者もしくは「抵抗と灯火」までご連絡をください。
途中から来てもOK、途中で帰ってもOK!
出演者はみんなプロパレスタイン(親パレスチナ)のひとびとです。各々のフィールドでパレスチナへ連帯を示す活動をしています。2/18は歌・詩の朗読・ポエトリーリーディングなどのイベントを予定しています。 ご来場をお待ちしています。
それまでに停戦。今すぐ停戦。
FREE FREE PALESTINE!!
FREE FREE FREE PALESTINE!!!
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〈更新履歴〉
・2024/02/10:①メインフライヤーとしてアップロードしていた画像の「会場住所」が一部重複して記載してしまっており、修正したものをアップロードしました。②TumblrにもALT機能が装備されていたため、ALTをつけました。③オープンマイク枠を含め、出演順が変更になる可能性がある旨追記をしました。
・2024/02/13:当日のタイムテーブルを確定しました。
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kaneninarananesaki · 3 months
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1月締め括り
なんか今月長くなかった?締め括りってどうやってたっけ?ってなる程度にはさ。
忙殺の片手間色々手を出していたような、新年というのは新しいことを始めるのにはちょうどいいタイミングです。色々って?ほら、色々やったじゃん。
いつからか、毎年SNS上ではこの平沢進の年賀状で新年のごあいさつをしている。日々は地続き、だからこそ節目が大切です。
ブログ名を変えたらしいよ、「Recyclable」っつって。「1円にもならない時間の使い方」はここに書き記す全てにおいてあまりにそのまますぎる、かつ暫定のつもりでつけた名前なのでここいらでひとつ。まぁ悪くないんじゃないでしょうか、資源ごみ。
将棋指しは決着がつくと相手を否応なく圧し折ってしまうので勝負の初めに「お願いします」と挨拶をする。その実闘志に溢れているわけだけど、ゲームセンターの対戦台に100円を入れる心はそれに似ていると思う。
初詣というイベント、だいたい毎年三が日に浅草寺のライブカメラをみてウワアアアァァァアアアアァァアァってなるだけで満足していた。「神社にPS5のコントローラを持ち込んで祈念する」という真剣5おもしろ95の仕草でもなければ絶対行かない。5%でも真剣にやってる自分が恐ろしいよ。でもSF6ちゃんと上手くなりたいのは真剣だから、だからあんま怒んないでよ将門。
写真を用いないでひとつ書ききってみようという試みと、おそらく必要のない減量の試みの話。
実はひと月以上経過したこれを書いている時点でおよそ-2kgで表記上体脂肪およそ-2%ということで、実は記事中の皮算用に大体到達しているというオチ。見た目変わんない割りに随所で感じるパワー不足を思えば損しかないね。70kgくらいまでは全然増えてもらっていい。
一見必要ない試みではあるが自分主観の自分史においてはエポックメイキングを産みうる、こういう回り道がないと深みがでないんだよきっと。でも深みを出そうと思ってする回り道は本当に無駄な努力になってしまうよね、きっと。
このようにラーメンを食べていても体重は落ちるのです。
「自転車で秋葉原に行く道中でこのラーメンを食べて向かったりしたものです。」って話、本当に懐かしい、夜8時過ぎに面白そうな同人誌を見つけたら自転車こいで とらのあな 行ってたもんね。脂乗ってたなぁ当時の姉崎は、今あるかなそんなエネルギー。負けたくねぇな、勝負しようぜ。
私的イチオシラーメンということで紹介したところ、あるフォロワーも結構行っていたらしい。いやはや、おいしいラーメンは積極的に世に押し広めるべきだな、視野が広がるというか、思いがけずつながっていく楽しみがあるものな。
奇しくも170円くらいのビールと、300円くらいのビールという組み合わせになりました。単純比較でどちらが強い弱いという話ではなく、低コスト帯の強さと高コスト帯の強さの評価価値って変わってくるじゃない?「稲妻」と「約束された終焉エムラクール」どっちが強いの?と言われてもそれぞれ強いというだけの話、インスタントとクリーチャーだし。なんの話だって?MtGの話だよ。
やれることをしたまでよ、つってね。
深夜営業のファミレスがなくなってしまったことで居場所を失ってしまった人はいないのだろうか、澄んだ河川が無くなったことでめっきりホタルが見られなくなってしまうような寂寞を感じる。ホタルのように美しくはなかったかもしれないが。
でもまぁ人は人で上手くやるもんだよ、深夜のファミレスが無いなら家で過ごせばいいし、なんなら早く寝ればいいのだ。あるがままファミレスを享受せよ、「もしも」に後ろ髪を引かれることはない。だからこの部屋にへばりつく、いつまでたっても満たされない地縛霊みたいなファミレスへの未練はとっとと忘れて資源ごみの日に出してしまうのがいいんだよ。
そんな訳でそんな感じ、始めた覚えもないのに勝手に始まった今年に強がったりして、改めて本年もどうかお願いいたします。
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