雨にとらわれて
誠弥くんは、私の肩に咬みつくような口づけをして、荒っぽく動きながら、しがみつくみたいに抱きしめてくる。まだ男性として未完成で、丸みの残る軆と低くなりきっていない声、匂いも甘い。
私もそんな彼を腕に包みながら、じかに背中に触れているたたみに、湿った髪を流している。
窓の向こうでは、まだ雨が降っている。冬の冷気が染みこんだ雨だった。その雨に濡れて、軆を温めて、私は恋人の弟であるこの子と軆を重ねている。
こんなこと、この子の助けにはならないのに。
激しい雨音が、このアパートのリビングを世界から切り離している。誠弥くんの息遣いが耳たぶに触れて、私に微熱をうつしていく。
私は睫毛を伏せ、今だけ、と思った。
そう、今だけ、これでこの子の気が済むのなら。
──長かった残暑が明け、ほんのひととき、季節が秋に彩られた。街路樹の銀杏が、アスファルトをひらりとひるがえっていく。秋晴れは青く澄み、頬をすべっていく風は心地よい涼しさをはらむ。もうすぐ十一月になるから、秋の味覚や夜長の虫の声は、いつのまにか過ぎ去ってしまったけれど。
家電メーカーのコールセンターで働く私は、仕事を終えると、恋人の圭弥のアパートにおもむいて夕食を作る。
圭弥は同じメーカーの実店舗でバイトリーダーをしている男の子だ。知り合った切っかけは、本社と店舗の交流会。私は短大を出て、圭弥は高卒から働いていて、年齢は同じ二十二歳だ。
おとうさんはいない、おかあさんは留守がちの家庭で育った圭弥は、私の手料理を喜んで食べてくれる。圭弥には誠弥くんという中学二年生の弟がいるけど、彼も私の料理を無言でだけど、いつも平らげてくれた。
その日は雨模様だった。スーパーで急いで献立の材料を買うと、赤い傘をさして圭弥の部屋に急ぐ。雨雫に湿った肩をはらい、ドアフォンを押した。
こうすると、いつも誠弥くんが無表情にドアを開けてくれるのだけど、今日は反応がない。どうしたのかな、と思いつつ、合鍵はもらっているので、それで部屋にあがった。雨音が響く中で耳を澄ましても、誰かがいる物音はしない。
時刻は十八時をまわっている。学校はとっくに終わっている時間だ。誠弥くん、どうしたのだろう。気にかかりつつも、私はエプロンをまとって夕食の支度を始めた。
香ばしい秋鮭のホイル焼き。甘いさつまいものそぼろ煮。白いごはんと、豆腐とわかめのお味噌汁。
ひととおり完成した夕食を味見していたとき、玄関で物音がした。振り返った私は、目を見開く。
学ランを着た誠弥くんだったのだけど、髪にも服にも泥が絡みつき、疲れ切った面持ちをしていたのだ。
私は慌てて「どうしたの」と玄関に駆け寄る。しかし、誠弥くんは私をちらりとしただけで、「何でもない」と吐き捨てるように言った。間近で見ると、肩や脇腹に靴底の痕がある。
「誠弥くん──」
誠弥くんは何も言わずに私を押しのけ、自分の部屋に入っていった。昔は圭弥と誠弥くんの部屋だったらしいけど、今は圭弥は誠弥くんに部屋を譲り、自分はリビングで生活している。
私は誠弥くんの顔を思い出し、顔には何もなかったけど、と思う。蹴られた痕。暴力。……イ���メ? 安易な発想かもしれないけれど、そんな考えがぐるぐるよぎって、勝手に不安になる。
翌日になっても、対応が終わって電話を切ったあと、ふと誠弥くんのことが思い出されて、心配になった。
圭弥は、知っているのだろうか。言ったほうがいいのかな。昨夜の夕食時には、何となく誠弥くんの視線に圧を感じて、何も言えなかったけれど。
十月最後の週末、私はオフなのでお昼から圭弥の部屋に向かった。店舗勤務の圭弥は、週末はほとんど休めない。だから、誠弥くんの昼食を用意するように頼まれている。圭弥にも、腕によりをかけて夕食を作る。
誠弥くんはいつも部屋にいて、「ごはん食べる?」と声をかけてやっと部屋を出てきて、ふたりなのが気まずそうだけど、やっぱり私の料理を平らげる。けれど、その日何となくドアフォンで知らせることなく合鍵で部屋に入った私は、誠弥くんがキッチンの引き出しを開けているところに遭遇した。
その手は、封筒をつかんでいた。私が食材に出したお金は、圭弥がそこに忍びこませて返してくれるのが、暗黙の了解だった。そのときに使っている封筒を、誠弥くんが開いている。
「何、してるの」
私がこわばった声で言うと、「違う」と誠弥くんは声変わりしきっていない声で言った。
「持ってこいって……でも僕、一万円なんて持ってないし、」
「圭弥が働いて稼いだお金なのに、」
「そんなこと知ってる! じゃあ何だよ、にいさんは一万円くれんのかよ。あいつらに渡す一万円をよこせとか、……言うのかよ」
「………、それでも、」
「あんたに分かるかよっ。くそっ」
誠弥くんは引き出しに封筒を投げこみ、閉じることもせずに自分の部屋に入っていった。私は当惑しつつ、引き出しを閉じる。
『あいつら』。やはり誠弥くんはイジメを受けているのか。それも、恐喝されるようなイジメを。それはもうイジメじゃなくて犯罪か。
どうしよう。さすがに何かしてあげないといけない。けれど、ここで私の一万円を貸して、当座をしのぐのは解決ではない。
そのあと、誠弥くんのぶんの昼食は作ったけど、声をかけても出てこないどころか返事もなかった。圭弥が帰宅した夕食時もそうで、「ごめんな、気むずかしい奴で」と言われて私は首を横に振る。圭弥はさくっと牛肉のコロッケを頬張ったあと、「とうさんがいた頃はよかったんだけど」と哀しそうに微笑んだ。
「おとうさん」
「その頃は、かあさんも家にいてくれたし──かあさんも、とうさんが死んだのを受け入れられないから、この部屋にあんまり寄りつかないんだと思うんだ」
「……うん」
「分かってても、子供にはそれは寂しいんだよな。とうさんがいないから、せめてかあさんの愛情が俺にも誠弥にも必要なのに」
「そう、だね」
「こんなぎすぎすした家じゃなかったんだ。とうさんが生きてた頃は、家の中はほんとに優しかった」
圭弥はシーザードレッシングをかけ、プチトマトと千切りのキャベツを食べる。
誠弥くんも、おとうさんがいれば頼りになる人がいて、救われていたのだろうか。傷つけられた心身を打ち明け、受けて入れてもらって、甘えて泣くこともできていたのだろうか。
それからすぐ十一月に入って、秋が冬にうつろいかけて、冷たい雨の日が続いた。
また誠弥くんが帰宅していない日、もしやと心配していると、案の定、誠弥くんはぼろぼろのすがたで帰ってきた。「大丈夫!?」と玄関に走り寄っても、誠弥くんは何も言わずにスニーカーを脱いで、私のかたわらをすりぬけようとする。
「ねえ、圭弥に言ったほうが──」
「言うな!!」
鋭い口調に、びくんと口をつぐむ。誠弥くんは、いらいらした視線を持て余すようにして、目を床に伏せた。
「にいさんには、分かんないよ。あんたみたいな彼女もいて、いつも『頑張ってるね』って褒められて……僕ばっかり、出来損ないだ」
「そんなこと、」
「じゃあ、僕とやれんのかよ」
急に睨みつけられて、私はまた口ごもってしまう。「口ばっかりじゃないか」と誠弥くんは疲れたように毒づいた。
「はけ口になる気もないくせに」
そして、顔を背けると誠弥くんは部屋に行ってしまった。
はけ口、って。いや、誠弥くんは学校で「はけ口」にされているのだ。だとしたら、誠弥くんにも吐き出す場所が必要なのだろうか。それを性衝動で発散したいというのなら、私があの子と寝れば、せめてもの癒やしになれる──?
仕事中もそんなことを考えて、問い合わせ内容を聞き違えてお客様をひどく怒らせてしまった。落ちこみながら、その日も赤い傘をさして、圭弥と誠弥くんの部屋に向かう。
吐く息が白いほど雨が冷たい。アパートへの一本道に入ったとき、前方を黒い学ランの男の子が歩いているのに気づいた。傘もささず、ずぶ濡れになって、とぼとぼと歩いている。
「誠弥くん」
思わず声をかけながら駆け寄ると、誠弥くんは振り返る。雨で髪も顔も服もびっしょりだけど、目の中が赤く潤んでいて、泣いているとすぐに分かった。しかし私はそれには触れず、「風邪ひくから」とかすかに震えている誠弥くんを傘に入れる。誠弥くんは拒絶せず、前髪からぽたぽた雫を落としながら、うつむいた。
傘の下でひとつの影になって、私たちは一緒に部屋に帰った。家並みが雨脚に霞み、轟々と雨音が鼓膜を圧している。誠弥くんの横顔を見て、この子の笑顔って見たことないなあと思った。
部屋にたどりつくと、私はすぐにお風呂にお湯を溜めた。誠弥くんは暗い表情で突っ立っている。まもなくお風呂が沸くと、「すぐ入ってあったまって」と誠弥くんの肩���優しくうながす。すると、誠弥くんは私を見上げて小さな声で言った。
「一緒に入って」
「えっ」
「……あんたも濡れてるし」
「私は、」
「嫌なの?」
私は狼狽えたものの、ここで拒絶するのも誠弥くんを傷つける気がして、「分かった」とぎこちなくうなずいた。洗面所で、お互い無言のまま自分の服を脱ぐ。
誠弥くんの軆を直視できないし、誠弥くんも私から目をそらしている。それでも誠弥くんは私の手を引いて浴室に踏みこんだ。
軆を流してから、温まるために一緒に湯船に浸かる。ひとりで浸かる狭い浴槽だから、絡みあうように私と誠弥くんの肢体が触れ合う。
雨の音が響き渡る。交わす言葉はない。でも、相手の息遣いに耳を澄ましている。
そのうち引きあうように軆が近づき、急に、誠弥くんが私の腰を引き寄せた。乳房に顔をうずめ、初めて、甘えるようにしがみついてくる。
ずっと、すりガラスの窓に当たって砕ける雨粒を見ていた。そんな私の軆を、誠弥くんはむさぼるように抱いた。私の中に入ってきて、波紋を起こしながら深く突き上げ、かろうじて私の体内でなく水中に吐き出す。
でも、私は圭弥の恋人なのだ。だから、誠弥くんのそばにいることはできない。つながったけど、つながってはいけない。私と誠弥くんは、どうやってもつながれない。
触れちゃダメ。
触れさせてもダメ。
なのに、浴室を上がっても私たちは軆を合わせた。激しい雨の中でかたちを崩し、ひとつになってしまうみたいに。でもお互いの心に手は届かないから、ひとつにはなれない。
ああ、私は誠弥くんに何もできないんだ。
雨はやまない。やむ気配もない。けして結ばれない私の軆を求めながら、誠弥くんはひとりだ。
倦むことなく窓ガラスを殴る雨を私は眺める。この秋雨が過ぎ去れば、いよいよ冬だ。そうなれば、雨はやむだろう。
しかし、この子は、いつまでやまない雨の中、ひとりなのだろうか。
このままでは、その心に降りしきる雨はみぞれになり、神経を刺すように傷つけるのに──誠弥くんは、心を穿たれ、熱に浮かされ、雨にとらわれたまま、ひとり彷徨っている。
FIN
【SPECIAL THANKS】
止まぬ雨 ひとり/杉野淳子
『解放心章』収録
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スクエニカフェKHキャンペーンに行ってきました。
すっごい楽しかった…
お食事もさることながら、たくさんのKHファンと同じ空気を吸っていたという現実に感激しっぱなし。
だって今まで、リアルでファンの人に出会ったことがなかったんだもん…。
相席してくれた方がみなさん優しい方で、大好きなKHの話がいっぱいできて幸せでした。カフェが終わってもファンが集う場所があるといいのになあ。
あまりにもKHの話がしたい私は、大阪最終日(11/10)には朝9:30から並んで当日券を勝ち取り、なんと一日で3回入るという狂いっぷりをみせてフィニッシュ。お店のお姉さんには顔を覚えられ、相席のお兄さんにはドン引きされ、改めて振り返ると頭おかしい。KHに人生狂わされてる感すさまじい。でも後悔はしていない。
ノムテツさんの話によれば大人の事情で第二回コラボはないかも?とのことでしたが、今回の盛況っぷりに免じて考えてくれると嬉しいですね。
ちなみに 上のイラストはカフェでお会いした方に押し付けたお渡ししたカードでした。
は~、楽しかった。
続きからカフェ内の写真など。
カフェを外から。左手の方にモニターがあってPVが流れている。
入り口ではソラくんがお出迎え。外に出てくるのはイクスピアリでドナグーと飾られた2010年以来だそう。キャンペーン終了とともにスクエニのイベント倉庫に帰っていきました。
(ちなみにスタッフの方に話によれば旧スクエニ本社にあったセフィロス像は、建物とともに撤去されたそうです。建物に固定されていて取りはずすことができなかったらしい。いつか見てみたかったのに、残念。)
内装など。
描き下ろし!
ユニオンクロスはこれからどうなるのか…
レジ横にキーブレードが。とても重そう。
ノムテツさんのサインも一番いいところにどーん。
カフェ終わったらどこに保管されるんだろう。
以下お料理など。
「約束のサンドイッチ」
予想以上のボリューム。ハムが旨い。何度か食べたけど、結局どう食べればいいのか分からず(フォークとナイフでばらして食べた)。
こういうのについているポテトサラダってどうしてこんなに美味しいんでしょうか。
「夕陽が赤い理由オムライス」
インタビューで赤いライスがアクセル、黄色の卵がロクサスを表すとノムテツさんが言っていたのを聞いて泣くしかなかった。
これも予想以上にボリュームが(以下略)
中のカレーがアクセントになってとても美味しかったです。
「存在しなかった円卓」
「ダークシー」(奥) …コーラベースのドリンク
「プリンセスラグーン」(手前) …カルピスベースのドリンク
円卓のネーミング面白すぎるでしょ。しかも野菜て。野菜て。
真ん中の闇(竹炭入りシーザードレッシング)に機関員(野菜)を突き落とすという、マスターゼアノート疑似体験ができます。
Organic XIIIといじられていたのには笑ってしまった。
「魔女のスープ」…ミネストローネ
「デスティニーシー」…ココナッツベースのドリンク
スクエニカフェである以上、ディズニーキャラそのものを出すことは難しいのかしら。ドラゴンフルーツと魔女で彼女ですよね。
…一緒に写っているアクセルとソラは、近くに座っていた方からお借りしたもの。表情がツボすぎて、ずっと写真を撮って遊んでいたらスープがすっかり冷めました。邪神像と呼ばれているみたいです。ちょっと欲しい。
そして我らが「シーソルトアイス」
「トワイライトプロミス」…オレンジジュースベースのドリンク
一口食べて思わず、
「しょっぱい…でも甘い」
アイスは上がシャリシャリ、下がクリーミーの2つの食感が楽しめるというもの。 なんと一本一本手作りらしく、 日によって二層の比率が変わるのも面白かったです。大阪のアイスは手持ち部分が短すぎて本当に食べるのに苦労しましたが…笑
ロクサスたちが任務終わりにこれを食べていたのかあ…と涙腺に来ちゃいましたね。たしかにこれは「ごほうび」かも。
美味しすぎてコンビニで売ってほしいレベル。
そしてそして…
当たったーー!!!
まさかの一本目で。動揺しすぎて一本目の味全く分からなかったので、2本目からしっかり味わいましたよ。
当たり棒は好きなコースターと交換してもらえるとのことでしたが、折角なので持って帰ることに。宝物が増えました。
じゃーん。宝物その2。
なんとラッキーなことに、カフェ最終日に下村陽子さんがカフェにいらっしゃっていて、ご厚意でプチサイン会に。
しっかりサインとツーショット写真をいただきました。ショートな下村さんもとても可愛らしくて何よりも優しくお話ししてくださって感激…これからもがんばってください。
写真はコースターとランチョンマット。何とかホロコースターも自分で引くことができたので良かったです。
本当に夢のような時間でした。
ますますKH3が楽しみだー!
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2018/07/11(水)
お弁当。鶏とじゃがいものオイマヨ炒め、サラダ、桃。
オイスターブーム続く。ちょっと作る手順を間違ってしまいましたがおいしかったのでよしとします。サラダにはやっと黒酢ドレッシングをかけました。おいしかった。
ドレッシングを探しているときにもうひとつほしいと思ったのはピエトロドレッシング。しかしどこも高い…。今日トライアルでやっと買う踏ん切りが付きました。笑
マコーミックのフライドオニオンも売っていたので買いました。サラダに乗せるとおいしいです。
トライアルはひとり暮らしの味方で、使い切りとか少量のものがいろいろ売ってて助かります。
晩ご飯。サラダとトースト。シーザードレッシング。
サラダの具は、レタス、きゅうり、トマト、ゆで卵、モッツァレラチーズ、オイマヨ炒めの残り、アボカド、にんじん、フライドオニオン。
朝の時点で今日の晩ご飯は違うメニューの予定だったため、ご飯を炊く量を調整していたのでご飯がなく、こんなメニューになりました。でも結局サラダだけでお腹いっぱい。
週に1回くらいなる、さびしい夜。あーあーあー。
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