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#鳥取美容室
irori556 · 2 years
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【中学時代〜50代へ】 今のカット部屋は 中3まで使ってた 本当の部屋(僕の実家) . 少年時代のころを思い出し その時好きだった物を 集めて、50歳になった 新しく懐かしい 今の自分の部屋を作っていきます . 是非皆さま 遊びに来て下さいね . @irori_seihatsudo . #出雲 #出雲美容室 #雲南市美容室 #島根美容室 #松江美容室 #大田市美容室 #江津美容室 #バーバースタイル #出雲バーバー #barberstyle #フェードカット #フェード #fade #メンズヘア # #メンズカット #囲炉裏整髪堂 #広島美容室 #岡山美容室 #鳥取美容室 #山口美容室 #photographer #vlog #videographer #美容室改装 #街づくり #昭和レトロ #店舗デザイン #出雲力 (at 囲炉裏整髪堂) https://www.instagram.com/p/Cee0k_vPgj9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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3hairsalon · 1 year
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castatratewriter520 · 2 months
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巫術儀式
非洲剛果是一個少數還有使用巫術的地方,我的奶奶就是其中一位非常有名的巫師,現在依然有很多的人,在現代醫療無法治療他們的時候,就會來尋求奶奶的幫助,也因為使用太多巫術的關係,有時候會有一些副作用的反噬,記得有一次,奶奶替一位非常有錢的人施展巫術之後,雖然富人的癌症被治好了,但是奶奶的眼睛也突然看不見了,雖然富人也支付了一筆非常龐大的巨款,這筆錢讓我們在這買了一棟有個非常大的泳池的豪宅,這棟建築物的規模,大到還有人慕名而來參觀,我從小就過著錦衣玉食的生活,這都是多虧了奶奶的強大巫術,自從我滿16歲之後,我開始協助奶奶處理她的工作,巫術的祭品可以說是琳瑯滿目,所有的材料都必要由奶奶當下的感應,才能開始去準備,所以每次需要什麼樣的祭品,我們每次都不會知道,最常使用的材料,就是對方的祖先墳土、指甲、頭髮,或者是血液等,這些幾乎都是必備的東西,接著奶奶會透過與神靈的對話,了解這次需要的祭品有哪些,鱷魚、河馬、大象、猴子、羊等等的也都會有,但是在我們家,有時候還會出現一個非常難取得的祭品,那就是男人的生殖器官,畢竟不會有人自願割下來當祭品吧,為了讓我們的巫師家族得以順利運行,我與幾位好朋友組成了一個團隊,我們會透過我們的資源,獵取這些很難取得的祭品,我們都要花很多的錢,去各個門路安插自己人,我們的團隊現在的規模,不論是旅行社、警方、政客、飯店,甚至是計程車司機,我們都有自己的人,我們可以說是企業化經營。
這次奶奶通知我說,她這次要幫一位全球前百大的富豪施展巫術,事成可以得到三千萬美金,但是奶奶透過了感應得知,這次需要兩副男人的生殖器官,通常一位就已經需要花很多精力了,結果這次居然需要兩副,這讓我跟團隊的夥伴開始商量對策,我們決定派出我跟我的好朋友潔西卡,一起出去尋找來旅遊的觀光客,我先是聯繫了旅行社的朋友,請他幫忙先物色好獵物,透過他給我們的資料,這次會有一團來自德國的旅行團,到時候會安排住在我們的飯店,我這邊接收到他傳給我們的照片,這兩名男子是此次旅行中,單獨來旅遊的人,看到兩人的照片,我跟潔西卡物色了一下這兩個人,好挑選自己想要狩獵哪一位,這兩個人一個是26歲的傑羅,另一個是24歲的史丹利,兩個人都是足球隊隊員,身材非常壯碩,身高都超過186公分以上,傑羅目前剛和前女友分手,而史丹利目前還是單身,透過了基本的了解之後,我選擇了傑羅,潔西卡則負責史丹利的部分,我們在飯店觀察周圍的環境,我跟潔西卡則穿著非常性感,坐在飯店的大廳,打算見機行事,很快的,他們的旅行團抵達了飯店,所有人提著大大小小的行李進入了大廳,或許是男人狩獵的本能,史丹利發現了坐在大廳的我們,潔西卡對著史丹利打招呼,史丹利有點害羞的表情,看來潔西卡這次是勝券在握了,我瞧著我的獵物傑羅,他則是拿著他的手機,一直傳著訊息,看起來有點不開心,此時,飯店的經理告知,晚上飯店在空中酒吧會舉行party,到時候請各位務必前往參加,眼看所有人一一被帶往各自的房間,我與潔西卡也回去穿著晚禮服,將自己打扮的非常漂亮,晚上活動開始後,我們在吧台喝著調酒,等待著���個獵物出現,果然他們同時出現了,傑羅下巴留著一點鬍渣,五官非常深邃,有著一頭金髮還有漂亮的綠眼睛,我瞧他單獨的坐在那邊喝著酒,我主動的靠近他,邀請傑羅跟我喝一杯,傑羅沒有拒絕,我坐到了他旁邊,我用了這幾年來學會的攀談技巧,很快我們交談的很開心,或許是在酒精的催化下,他主動的吻了我,我的手觸摸著他的胸膛,可以感覺到他平時很認真的鍛鍊身體,我邀請他一起去我事前準備好的房間,他也沒有懷疑的跟著我一起走去,離開前,我看潔西卡也跟史丹利聊的很愉快,我們眼神示意了一下之後,傑羅與我先回到了房間。
我要傑羅先去洗澡,而我此時則是開始準備迷藥跟酒,在開始之前,我喜歡跟到手的獵物來一場性愛,對我來說,既然以後他再也無法做愛了,至少我的工作就是讓他稍微可以在最後一次的性愛中,感受到溫暖,傑羅走出了浴室,全身上下只包了一條浴巾,看他厚實的胸膛和那粗壯的手臂,尤其是明顯的八塊腹肌,剛好很適合成為我的獵物,傑羅的胸毛很多一直延伸到了下腹,我此時也只穿了性感內衣,此時的傑羅再也忍不住了,他脫掉了他唯一的那條浴巾,印入眼簾的是一根粗大的陰莖還有兩顆很沉的睪丸,還沒勃起有16公分,勃起之後簡直快跟我手臂一樣粗了,長度有23公分多,他將我撲倒在床上,我們激情的熱吻起來,他的陰莖則是一直磨蹭我的身體,他脫了我的內衣跟內褲,粗壯的手臂讓我感到無比的興奮,傑羅的舌頭很靈活,感覺平時應該很常訓練自己的舌頭,光是舌頭的技術,我就已經爽到發出聲音,接著輪到我的口技,我光是含著他一半的陰莖就已經很不舒服,他的陰莖竟然還有一半在外面,但是這是難不到我的,透過我這鍛鍊的技巧,傑羅的陰莖硬到不能再硬,他讓我躺在床上,雙腿打開,他那巨大的陰莖開始在我的穴周圍滑動,我的穴早已濕潤,他的龜頭開始慢慢撐開我的穴,雖然他不是我做過最大的陰莖,但是也有前三名了,隨著陰莖的深入,我的陰道開始被狠狠的撐開,我被他頂的非常滿足,我覺得我好像被他頂到胃了,傑羅真的很持久,撐了半小時,看著傑羅越來越劇烈的撞擊,我也被他插的很爽,我們換了好多的姿勢,我呻吟的要他射進去,此時傑羅的睪丸收縮了,他的溫熱的精液射入了我的體內,拔出來的時候我看他還很硬,於是我又用力的吸允了起來,他刺激到一直呻吟,但是我沒打算放開,在一陣刺激下,他又射了很多,他的精液在我的胸部上流著,我跟他說我們先去洗澡,他跟我在浴室洗澡的時候,傑羅一邊淋浴一邊幫我清洗身體,我也拿著肥皂在他的胸膛輕輕搓洗,接著我又幫他把他的陰莖清洗乾淨,畢竟等等要把它整個割下來,不想要摸沒洗乾淨的生殖器官,傑羅希望明天還能再見到我,我也只是開心的笑笑,洗完澡之後,我帶著他來到我事前準備的位置坐下,遞給他早已添加了迷藥的紅酒,他很快的喝了一大口,完全沒有懷疑一下,結果不到一分鐘的時間,他就陷入昏死狀態,這個迷藥是特製的迷藥,就算他被割了陰莖,他一樣醒不過來,我看傑羅已經昏睡了,我把他拖進了浴室,拖行的過程中,他的浴巾掉了,我看著躺在浴室的傑羅,只有想趕快完成自己的任務,我推開了他的雙腿,看著他的陰莖還有睪丸垂在那邊,我也只是覺得他的陰莖可以讓我賺進3000萬美金,絲毫沒有任何憐憫的感覺,我拿出了我特制的刀,這把刀可以讓我非常輕鬆的就切除男人的生殖器官,不論有多粗大,都可以一刀解決,幸好他有修毛的習慣,我不用先處理他的毛,就可以輕鬆對準他的陰莖根部,我先握住了他的陰莖,刀刃對準了他的根部,我的習慣是割深一點,因為奶奶說,生殖器官越長越有效,所以我通常狩獵時,都會割深一點,握在我手掌心的陰莖,我還能感受到它的跳動,就像是雛鳥一樣,我拿著刀用力的割了下去,此時鮮血立刻噴出,16公分長的陰莖,就這樣被我完整的割下,而且還是剛剛插人我陰道的那根,我沒有先止血,我先將陰莖放到一旁的地上,接著抓住他的陰囊往外拉一點,一刀就割斷了他的兩顆蛋蛋,我將傑羅割下來的睪丸從陰囊裡面取出,並且將白膜去除,兩顆白皙的睪丸真的很肥美,接著將他的兩顆睪丸還有陰莖用清水洗乾淨,我將他的陰莖跟睪丸放到密封保鮮袋裡,心想這一包就價值1500萬美金,只能說太值得了,我將它裝入了小型手提冰箱內,眼看原本有著大陽具的傑羅,現在也只剩下一個流血傷口,我決定救他一命,我開門讓早已在房間外等候的人進來,他是我們組織裡面的私人醫生,我們狩獵的對象如果要請他幫忙處理,他都可以在短時間之內止住血,並救回對方的性命,就在我整理好後,醫生也已經替傑羅處理好傷口,至少不會有性命之憂,我看著依然躺在浴室的他,我也只是輕鬆的對著他說,對不起囉,你的生殖器官被我們接收了,我們組織頭也不回的離開了房間,只剩下一個被閹割的傑羅。
我們來到了潔西卡的房門外,此時的潔西卡也已經完成了,潔西卡開門讓我們進去,但是史丹利卻沒有那麼幸運,潔西卡在狩獵時,喜歡連體內的肉莖都挖出來,我們看到史丹利的時候,他傷口一直延伸到很裡面,他已經因為失血過多而死亡,一個可愛的德國男人就這樣失血死在了這裡,潔西卡笑著說,史丹利的陰莖勃起有21公分長,而且這還是他的第一次,結果他沒忍住,就把精液射在我的體內,結果他還很可愛的說,他願意為我負責,但是我早已吃了避孕藥,根本就不會懷孕,他真的很可愛,就連迷藥酒都很快的喝完,潔西卡覺得她這次的獵物,一定可以贏過我,史丹利的陰莖很長,再加上體內的部份都挖出來了,這長度至少有20幾公分,我跟潔西卡說,你每次都導致獵物死亡,這樣處理起來是容易一點,但是祭品主人死亡,會導致巫術效果降低,下次別再這樣了。隔天,當地新聞就開始報導這新聞,但是不論是警方或是政客都有我們的人,相關報導很快就被撤下,我們也順利將兩副男人的生殖器官交到奶奶的手上,使用過的生殖器官就不能再次當祭品使用,當作祭品的生殖器官會被奶奶燒掉,所以每次都要去找新的獵物,如果需要的那個月是旅遊淡季,我們組織偶爾也會找尋落單的人下手,或者是想跟我們作對的警方人員,久而久之,警方幾乎成為我們的人,畢竟我們組織暗藏在各個領域,誰也不知道誰能相信,除了傑羅被送往醫院急救外,史丹利的屍體則是被我們帶去沼澤地餵養鱷魚了,透過朋友那邊的消息,由於失血過多傑羅至少昏迷了三天,傑羅在清醒之後,從原本的驚恐到後面情緒的平復,就至少花了兩天的時間,傑羅後來被送回德國進行更好的醫療照顧,只是他以後也不再是男人了,只能定期注射荷爾蒙,恐怕他應該恨我入骨了吧,但他永遠也查不到我是誰,因為當初不論是訂房、手機、姓名全都是假的,連監視器都沒有任何畫面,他的人生恐怕只會在仇恨中渡過了吧,我透過網路找到了傑羅的部落格,看他已經慢慢回到正軌,雖然他再也無法回到足球隊,但是看他現在在健身領域有了新的成就,看來他已經適應了新的自己。
過了一個月後,富人準時繳交了3000萬美元的現金,他的疾病也得到了解決,透過他的轉介紹,我的奶奶有越來越多生意上門,為了讓這個產業繼續發展下去,我們這幾年找尋了全國有潛力的小孩,而奶奶從中找到了自己的接班人,他的能力不比奶奶遜色,只要多加鍛鍊,未來一定會是一名出色的巫師,而我在我26歲時,遇見了一個來自俄羅斯的男人安德烈,當年他才28歲,他原本是我要狩獵的對象,在幾天相處的時間中,他不僅沒有像以前遇過的那些男人一樣肉慾,他還非常的珍惜跟我相處的時間,在任務要完成的那天,正當我握住他那17公分的陰莖準備下刀的時候,我腦海裡一直浮現這幾天他跟我的點點滴滴,我發覺我自己下不了手,我又把他拖回他的床上,隔天醒來他還說他不小心喝醉了,他不僅讓我打開了心扉接納了他,我跟他最後也結了婚,並生了三個孩子,或許是我也擁有巫師的血脈緣故,老三居然也可以跟神靈對話,奶奶說他是被神靈選上的人,以後也要替神靈服務才行,或許這也是命中註定的安排,假如當天把安德烈割了,這樣老三就不會出生了,這一切或許早已安排,這件事我並沒有告訴安德烈,畢竟被他知道太多反而是一種麻煩,安德烈他不知道我是獵屌集團的首腦,他只知道我們家族很有錢很有勢力,後來我將集團拓展到了海外分部,我的老公是一名俄羅斯人,而俄羅斯也成了獵屌集團海外第一個分據點,未來還要讓老三成為新一代的巫師。
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Aigis short story scan and transcription.
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人の心、アイギスの心
わたしは、人型戦術兵器アイギス。桐条グループ のラボで開発された、対シャドウ決戦兵器であります。現代の軍事技術の最先端であり、長年に渡るシャドウ研究の結晶。機械の身でありながら、人間と同様の精神性をも併せ持ち、世界で最も火力の充実したペルソナ使い。とくに頑強さにおいては定評があり、わたしの名前のもととなったギリシャ神 話---イージスの盾の逸話どおり、まさに不敗、鉄壁、無敵の存在。
そう。無敵のはずでした。
ですが、現在わたしが身を置いている月光館学園、その学生生活において、この優れた兵器としてのスペックはいっかな発揮する場を得られず、ゆかりさんを始めとする性別女性のクラスメイトの方々の口調を借りて言うなら、ちょっとブルー?なんかウツ入ってる?といった感じなのであります。
「······それじゃあ、今日は4日だから······ひの ふのみで、えっとアイギスさんか。このときの “私” の気持ちを要約して言ってちょうだい」
あ、そういえ��、いまは授業中なのでありました。鳥海先生がわたしに回答の発言を要求しているであります。先ほどまで思考作業を行なっていたわたしですが、最先端の人型戦術兵器たるわたしの中枢は、並列処理が可能なので質問も聞き逃すことはありません。ありませんが······。
「どうしたの?やっぱ帰国子女には現代文は難しい?そんな深く考えなくていーのよ?」
現在のテキストは、夏目漱石という人物の創作による『こころ』という小説。わたしには、この “こころ” というものに対する理解が、まだまだ足りないようなのです。32秒あまりの沈黙ののち、鳥海先生はわたしに正解への��がかりを与えようというつもりでしょうか、やや演技過剰と認識される様子で話しかけてきます。
「自分が親友Kを差し置いてプロポーズした結果、その友達は何と自殺してしまう······さあ、そんなときアイギスさんなら、どう思う!?」
「わたしなら······友達が自殺してしまったなあと、思うであります」
「······まんまじゃないの。もちょっと捻りなさいよ!捻りなさい!」
「もしや······自殺に見せかけた殺人?」
「なんでよっ!これは漱石なのっ!純文の名作を江戸川乱歩ミステリにしないでっ!」
「動機の面では “お嬢さん” がもっとも疑わしくありますが······現場不在証明を確認する必要が······」
「聞いてよっ!私の話を聞いてっ!!」
いつものように鳥海先生がはじけてしまい、間を置かずに終業のチャイムが鳴りました。これがもし “私” が “お嬢さん” を親友Kから奪うための、要人略取作戦の立案であれば容易なのでありますが······。ペルソナさえ召喚できる精神を持つわたしでも、この “こころ” というものへの理解は、一筋縄ではいかないのであります。
「まあ、オレらは生身の人間だけどさ、それでもなかなか人の気持ちなんてわかんねえもんさ。そこまで悩まなくていいんでないの?」
順平さんの言葉に、わたしの大切なあの方もこくこくとうなずいてくださいました。いまは昼休み、屋上であります。現在、わたしが直面する問題を解決する参考意見を聴取するため、おふたりにご足労願ったのであります。
「しかし······現実問題として、わたしの学園生活には “人間らしさ” は必須のスキルであります。民間人の方々とのコミュニケーションが何らかの原因で阻害されれば、それはすなわち、わたしの任務も阻害されるということであります」
「でもよ、けっこうクラスの連中ともうまくやってるみたいじゃん」
「いえ、いわゆる “ジョシコウセイ” という集団において、わたしはひどく浮いているように思えます。携帯メールによる情報伝達すら、満足に理解できないありさまで······」 「へ?どーゆーこと?」
例えば、とわたしは前置きして携帯を取り出し、先日ゆかりさんから受け取ったメールをおふたりに見せました。そこには「桐条SP に遅くなるって伝えて (^_^)」と書いてあります。
「これが?」
「通常、SPといえば要人の身辺警護を行なう、いわゆるボディガードを指します。ですので、わたしは桐条グループの警備部に、その日のゆかりさんの帰宅が遅くなる旨を伝えました」
「い?そ、そりゃあ······」
「なぜか、変な顔をされたであります」
「だろうな」
「その夜、ゆかりさんからSPとは先輩の略だと聞き、 わたしは大きく落ち込みました。それだけではありません。別のメールで “H/K” という記述があり、それが “話は変わって” の略だと理解するまでに、3日を要しました。もしこれが “H&K” ならば、ドイツの銃器メーカー ヘッケラー&コッホの略だとわかるのですが」
「それこそ一般人にゃわかんねえよ······」
「だいたい、ギャル文字というのも何でありますか。“†ご” で “た” と読ませたり、“(十” で “さ” と読ませたり、1バイトで済む情報量をわざわざ2バイトに増加させるなど、理不尽であります。非効率的であります」
「まあまあまあ。それがジョシコーセーってもんだよ。つか、そんな形にとらわれなくたって、アイちゃん十分人間らし······あ、そーだ」
突然、順平さんが何かを思いついたように立ち上がりました。
「どうなさったのでありますか?」
「とりあえず、そういう相談ならさ、やっぱ本職に教えてもらうのが一番だと思うわけよ」
そう言って、順平さんは嬉しそうに笑顔を見せます。こういう人間らしい笑顔は、人間のジョシコウセイという擬装に必須で、それでいてわたしに足りないもの。こんな笑顔を、私も身につけることができるのでしょうか······?
「という訳で、特別講師の岳羽です」
「じょ、助手の山岸です」
「つかさ、順平。あんた結局さ、アイギスの相談ごとをダシに、自分が遊びたかっただけなんじゃないの?」
状況が理解不能であります。
その後、わたしたちはゆかりさん風花さんと合流し、なぜかポロニアンモールのカラオケマンドラゴラ店内にいるであります。
「ま、ま、ま、細かいことは気にしない!学校帰りに友達とカラオケなんて、女子高生の定番じゃん?やっぱ形から入るのも重要だと思うわけよオレは」
「そうなのでありますか?ジョシコウセイは下校途中にカラオケ······了解であります。あ、ですがそうなると、美鶴さんもお誘いすべきではないでしょうか?」
「き、桐条先輩は一般的女子高生の見本にするには······その、ちょっと違うかな、と」
「······?」
詳細は不明ですが、奥が深いであります。
「よっし、んじゃ早速アイちゃんからな。何歌う?何でもいいぜ」
「歌、でありますか?初めての経験でありますが······奮励努力するであります」
「よっしゃ、頑張れー!」
「想定外の事態でありました」
「ま、まだ頭がクラクラするわよ······」
「私は······鼓膜が破れるかと······」
「ま、まあしゃ��ねえや、な?」
不幸な事故でありました。わたしが敵おうとマイクのスイッチをオンにした瞬間、すさまじい不協和音が発生したのであります。わたしの駆動機関が発する電磁波とスピーカーとが共鳴を起こす。いわゆるハウリングという現象。それは、音響爆弾もかくやという威力でありました。ドリンクのグラスはすべて破壊され、隣室のカラオケ機器にも影響が出たということであります。
「中枢部の電磁波シールは完璧だったはずでありますが、各関節部の駆動モーターまでは考えが回りませんでした······」
これは、落胆という感情なのでしょうか?やはり兵器であるわたしには、普通のジョシコウセイとしての能力を身につけることは無理なのでしょうか?そんなわたしの思考を断ち切るように、順平さんが相変わらず明るく言います。
「んじゃ、気を取り直して女子校生の定番、その2!プリクラ行ってみようぜ!」
「ぶり······くら······でありますか?」
メモリにない言葉に、わたしは少し警戒心を呼び起こされます。ですが、せっかくの順平さんの立案です。わたしははっきりと肯定しました。
「行ってみる······あります!」
「よっし!んじゃゲームパニックにゴー!」
「で······ぷりくらとは、何でありますか?」
順平さんが盛大に転倒しました。
「これが、ぷりくら······プリント倶楽部でありますか。なるほどなー」
順平さんによると、数人で撮った写真をシール状に加工するための機器ということでありました。これで友人同士で写真を撮り、そのシールを分け合うというのが、ジョシコウセイの基本だとか。その意図はよく理解できませんが、この行動が作戦に必要ならば、わたしは逃げられません。敵前逃亡は銃殺刑でありますから。
「では、行きます」
「よし、ゆかりッチと風花も一緒にな。えっと、背景はコレ······フレームはコレでと······おし、スタートボタン押すぜ」
「ほらアイギス、ポーズとって」
「ポーズ、でありますか?」
「そうそう、笑顔笑顔」
「え、 笑顔······?」
状況を認識する間もなく、バシャというカメラのシャッター音に似た効果音が響き、さほど時間を置かずに下の受け取り口からシールが排出されました。それを見るや、順平さんが。
「う······ちょ、ちょっと笑顔が堅い、かな?」
「つかさ、笑ってないじゃん」
ゆかりさんの言うとおり、シールになったわたしの表情は、いわゆる無表情というものでした。兵器としてのわたしには、感情に応じて表情を変えるという仕様はありません。
「も、もう一度やってみようぜ?」
「その試みは無駄かと思われます。笑顔や泣き顔を表現できないということは、わたしの仕様ですからしょうがないのであります」
と、わたしのその言葉に、皆さんが一様に顔を見合わせたかと思うと、一斉に爆笑されました。
「何ごとでありますか?」
わたしの疑問に答えることもなく。否、答える余裕がないように、皆さんは笑い続けています。
「な、何ごとって······くっくっく······あ、アイちゃん、さすがあの幾月さんにメンテ受けているだけはあるな。ぶふっ」
「く、苦しい······何よ今のダジャレ。“しようだからしょうがない” って。あははっ」
「幾月さんが言うとアレだけど、アイギスが言うと愛嬌があっていいよね」
「あ······」
理解しました。意図したことではありませんが、わたしの発言がいわゆる洒落、似た音の言葉で一連の文章を作る、もじり言葉あるいは掛け言葉といわれるものになっていたようです。少々、困惑してしまいつつも、皆さんが喜んでくださったことは、わたしにとっても喜びであります。
「あれ?できるじゃん、笑顔」
「え?」
突然の順平さんの指摘に、わたしは驚きました。
「笑って、いましたか?」
「うん、私も見たよ」
風花さんも、順平さんに同意します。そうですか、わたしは笑っていましたか。
「そうそう。そこの無愛想な現場リーダーよりも、いい笑顔だったよ」
「······」
ゆかりさんの指摘に、あの方は別にどうでもいい、といった風にそっぽを向きました。そういえば、この方はあまり気持ちを表情には出さない方です。それでも、立派にリーダーとしての役割をこなしていますし、友人の方々ともうまくやっていらっしゃるようです。わたしは、ふと、ひとつのことに思い至り、発言しました。
「わたしは、お役に立てていますか?」
「へ?どうしたんだよ突然」
「わたしは、いわゆるジョシコウセイの方々のように振舞うことができません。カラオケもプリクラもうまくできません。人間の方の、“心” というものが理解できません。それでも、皆さんの仲間として、特別課外活動部所属の一員として、この場所にいてもいいのでしょうか?」
「あ------ったりまえじゃん!!」
順平さんが、大声で答えました。
「何、アイギスそんなこと悩んでたの?」
ゆかりさんも呆れたような口調で言います。それに続いて風花さんも言いました。
「アイギス、不安だったんだね?」
「不安······そう、そうかもしれません」
わたしのなすべきことは、皆さんとともにシャドウを倒すこと。そしてあの方を守ること。ジョシコウセイらしくできないわたしは、その任務に不適格なのではないか、皆さんの期待に応えられていないのではないか?そういう想いが、わたしの処理を不安定にしていたことに、いまようやく自分でも気づいたようでした。
ポロニアンモールからの帰り道、風花さんがわたしのそばに寄ってきて言いました。
「あのね、私思うんだけど、周りの人が自分をどう思ってるかわからなくて不安になる、それって立派に心があるってことじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
もしそうなら、わたしは嬉しく思います。心を理解できないことで悩んでいたわたしが、理解しがたいことで悩むのが心なのだと、逆説的なことを知って安心しています。
「人の心とは、摩訶不思議でありますね」
「みんな一緒、そう思ってるよ」
みんな一緒······それは何だか嬉しいことであります。わたしはふと、ポケットから携帯を取り出して、そこに貼られた先ほどのプリクラを眺めます。
「おそろいであります」
わたしがそう言ったとき、前を歩いていた順平さんとあの方が、少し驚いた顔をしました。
今度はわたしも自覚していました。こういうときに、人間は笑うのであります。
わたしは人型戦術兵器アイギス。人間の心が理解できずにときどき悩んだりもするけれど、それでも大切にしてくださる人がいる、幸せな对シャドウ決戦兵器なのであります。
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tomoya-jinguuji · 4 months
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緊急脱出時、車いすのお客様はどうなるのか? 鳥塚亮えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。 1/9(火) 10:58 羽田空港で日本航空の旅客機が海上保安庁の飛行機と衝突するという事故が発生しました。 これだけの大事故でありながら、日本航空の旅客機に乗り合わせた乗客、乗員379名全員が脱出に成功したことは不幸中の幸いだと思いますが、これを実現したのはクルーの皆様方の不断の訓練と、乗務員としての心構えであり、また、乗客の皆様方の冷静な行動と協力だと海外メディアからも絶賛されているようです。 ところで、こういう緊急脱出時に車いすのお客様など行動に身体的な制約があるお客様はどうなるのでしょうか。 そのような疑問をお持ちの皆様も多いと思いますが、航空会社の対応やどのような考え方で規則が成り立っているのかをお話させていただきます。 事前のお申し出が必要です 車いすなど、特別なお手伝いを必要とされるお客様はどの航空会社もご予約の際に事前にお申し出いただくことが必要とされています。 一例として車いすのお客様が飛行機にお乗りいただく場合ですが、航空会社では3つのカテゴリーに分けてコードを付けています。 WCHR:階段の上り下りなどはできるが、長距離の歩行ができない方。 WCHS:階段の上り下りはできないが、飛行機のドアから座席までは一人で行かれる方。 WCHC:一人で歩行ができない方。
航空会社ではご予約時にお客様のお申し出から上記3種類のどれに該当するかを判断し、どのようなハンドリングが必要かを事前に準備します。 事前準備には、���ェックインカウンターに車いすを用意して、搭乗ゲートまでご案内する職員を確保することはもちろんですが、飛行機がボーディングブリッジを使用するゲートに発着する場合以外の、いわゆるスポットからタラップで機内に入るゲートを使用する場合は、ハイリフトと呼ばれるエレベーター型の自動車を手配することもあります。その場合、機内でお座りいただく座席の位置も決定します。 車いすのお客様は非常口座席には座れない 車いすのお客様のみならず、身体的な移動制限があるお客様のことをPRM(passengers with restricted mobility)と呼びます。 PRMのお客様はご旅行の際に例えば優先搭乗など様々なサービスを受けることができますが、航空旅行では同様に様々な制約が課されます。 その一番大きなものはお座りいただく座席の位置です。 移動に制限がある車いすなどのお客様、あるいは介助が必要な方は足元に余裕があるお席を求められる傾向があります。また、搭乗したドアの前のお席であれば、出入りに便利です。 しかしながらバルクヘッドと呼ばれる非常口前の広めのお席はそういうお客様にお座りいただくことはできません。その理由は緊急脱出時に他のお客様の障害(impediment)になるからです。 こういう表現をするとクレームされる方もいらっしゃるかもしれませんが、すべては国際的に定められている「90秒以内に脱出を完了する」ためのもので、全員のお客様がスムーズに脱出するためには、車いすをはじめ、PRMのお客様はあらかじめお座りいただける座席の位置が決められています。 乗務員はお客様の体に触れることは許されない 車いすだけではありませんが体のご不自由な方は介助が必要な場合があります。でも、乗務員は機内でそのお手伝いをすることはありません。 トイレや食事、あるいは移動など、身の回りのお世話が必要なお客様は、介助する方と同伴でご搭乗いただく必要があります。 上記カテゴリーのWCHC(機内での移動も一人ではできない方)の場合、たいていの航空会社では機内の通路専用の車いすを準備していますので、それを利用して移動していただきますが、その車いすからの乗り降り、通路から座席の横移動についてはご自身で、あるいは介助の方にやっていただく必要があります。乗務員がお手伝いをするのは車いすを押すだけです。これはどこの航空会社も同じです。 小さな子供がぐずったりした場合、子供を抱き上げてあやすのはサービス的には美談かもしれませんが、乗務員は子供を抱き上げてあやすようなことも基本的にはしません。お客様の身体に触れるような行為は一切禁じられています。 車いすの方のお席は限られている 車いすの方がご利用いただけるお席は限られています。 飛行機の機種にもよりますが、1機当たりの車いすの方の利用される上限人数が2名とか4名などと限られている航空会社が多くあります。 また、お座りいただける座席位置も限られます。 非常口座席などにお座りいただけないのはもちろんですが、機種によって座席の位置が指定されている場合が多く、特にWCHC(自分で機内移動ができない方)の場合はひじ掛けが上がる席となります。そして、お座りいただくのは窓側のお席となります。 車いすの方は通路側の方が便利かもしれませんが、車いすの方が通路側に座ってしまうと、緊急脱出の際に窓側のお客様が脱出できなくなる可能性があるからです。 以上のような理由により、車いすをはじめ、PRMのお客様はご予約の際に事前に航空会社にご連絡いただく必要があるわけで、ご連絡をいただかずに空港にいらしたときには、その時の機内の状況によっては、ご搭乗を次の便にお願いするなどということも発生しますし、ご自身でご予約サイトから事前座席指定をされていたとしても、その座席は無効になり、航空会社が指定した座席にお座りいただくことになります。 緊急脱出の際にはどうなるか これははっきりと明示されている文章はありません。 ただし、客室乗務員の訓練時のマニュアルにはこのように書かれています。 某航空会社の客室乗務員訓練マニュアルから抜粋 内容としては ・身体的行動制限があるお客様は事故発生時には大きなリスクに直面する。 ・大多数の健常者の脱出の妨げとなってはならない。 ・定期便やチャーター便などの一般のフライトでは、緊急事態発生時には乗務員から満足なサポートは受けられない。 ・乗務員は自分の身を危険にさらしてまで救助を手伝うようなことはしてはならない。 ということです。(チャーター便というのはPRMの方々の団体、例えばパラリンピックへ向かう選手団のような団体の貸切などと考えられます。) 筆者の友人で30年の経験を持つ客室乗務員が、若いころ訓練時に教官に 「どうしたらいいんですか?」 と尋ねたことがあります。 その時の教官からの答えは「最悪の場合は置いていく。」だったそうです。 これが航空会社のPRMのお客様に対する考え方です。 「車いすの方は、どうしたら安全に避難できるんですか?」と質問したら、「プライベートジェットしかない」と言われたということが数日前にネットで話題になっていましたが、回答者は救急搬送用の飛行機などの存在を示していると思われます。 定期便の旅客機というのはあくまでも公共交通機関であり、緊急事態発生時には最大限の効率的避難を求められるものです。 この議論が日本人になじまない理由 以前にもこのニュースで書きましたが、航空輸送というのは運送約款に基づく契約の世界です。 義理人情にあつい国民性の日本ではなかなか受け入れられないものかもしれません。 緊急脱出時の対応も運送約款に基づく契約としては、はっきり言ってドライなものです。 これは航空機というものが西洋を中心に発展したものであり、細かな規則やハンドリング規定というものがアメリカやヨーロッパの法律をもとに作られているからかもしれません。 そして、その西洋社会と日本社会を比べた場合、考え方が根本的に違うその大きな原因は、日本人の法律的考え方の中に「善きサマリア人の法」というものが存在していないか、あるいは希薄であると言われています。 この「善きサマリア人の法」についての解説はここでは行いませんが、災害発生時のトリアージと呼ばれる優先順位を付けた救助や治療行為なども、日本で論じられるようになってからの歴史はまだ浅いものがあります。 今回の海上保安庁と日本航空機の羽田空港での衝突事故を見ても、海上保安庁の隊員5名がお亡くなりになられているのも関わらず、ペットが2匹死んだことが大きな議論になったりするのを見ても、日本人の考え方に特徴的なものを感じます。 緊急事態が発生した場合に客室乗務員が最終的にPRMのお客様をどうするかということは上記のマニュアルには書かれていませんが、その根底にあるのは「目の前に困った人がいれば見て見ぬふりはできない。できる限りのことをしなければならない。でも、そのために自分の身を犠牲にすることは許されない。」という考え方が国民の間に浸透している社会かどうかということではないかと筆者は考えます。 補足 客室乗務員はお客様の体に触れてはならないというのが大原則です。 しかしながらWCHCのお客様が搭乗される際、あるいは降機の際に「お手伝いしましょうか?」と言って屈強な男性クルーがお客様をヒョイと抱き上げて機内を移動している姿を筆者は何度も目撃しています。 欧米ではお客様の体に触れることは、後々様々なトラブルの原因になりますから、基本的にはお手伝いをすることはないのですが、お客様の同意を得て、証人となる他の同僚がいる場所で、「自分にできることは何でもする。」というのが乗務員の考えだと感じました。 ただ、そのことをお客様の側から期待されて、求められてもお手伝いはできないということをご理解いただきたいと思います。 今回の日本航空機の事故でも、PRMのお客様が乗っていらしたと聞いておりますが、きちんと全員脱出できているのも、クルーの皆様方の不断の努力と的確な判断力があってのものであると、高く評価していただくに値するものだと考えます。 皆様方の安全で快適なご旅行をお祈りいたしております・ 参考 善きサマリア人の法(Wikipedia) 緊急脱出したら手荷物はどうなるのか(YAHOOニュース 2024-1-3) ※おことわり 本編は筆者の長年にわたる航空会社での経験をもとに、読者の皆様方の一つの参考となることを目的として平易に書いたものであり、各航空会社の取り扱いを示すものではありません。また、本編の内容につきまして、各航空会社へお問い合わせをされても航空会社が回答の責を負うものではありません。 あらかじめご了承ください。
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keredomo · 10 months
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその��はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさ��堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税��どにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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mcfarlandupchurch · 2 years
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絕緣食品載體、保溫食品容器、絕緣飲料分配器
商業戶外烤架提供美味的飯菜,無需擔心移動設備,並且便於在內部運輸烤架 當地商店的價格可能與顯示的價格有所不同。 顯示為可用的產品通常有庫存,但無法保證庫存水平。 在全尺寸或小尺寸食品盤中盛放、運輸和供應熱食或冷食。 厚厚的聚氨酯泡沫絕緣材料有助於保持食品安全... 這些頂部裝載的隔熱食品載體結合了 Cambro 熱盒的耐用性和多功能性和風格。 厚厚的聚氨酯泡沫絕緣材料有助於保持安全的食品溫度,使這些涼爽的 Cambros 非常適合食品運輸。 絕緣飲料載體具有易於分配的噴嘴,以防止燒傷和弄髒。 絕緣飲料分配器很受餐飲服務商和場外活動場所的歡迎。 食品儲存容器是必不可少的,以保護食品免受大氣降解的影響。 宴會和派對 Warehouse on Watts 坐落在新開發的北寬街走廊旁,是一個草根活動空間,模仿了真正的費城堅韌魅力。 這個場地具有多層和可變換的佈局,非常適合從招待會到排練和時裝秀的多種用途。 費城奧爾德肯辛頓的一座獨一無二的建築,擁有三個大型活動空間! 這個場地擁有 6,000 平方英尺,設有適合大型團體的大房間、適合公司會議的分組會議室和新娘套房。 他們的現場世紀帳篷可容納多達 200 位客人,用於舉辦就座招待會,並舉辦更多雞尾酒會。 如果舉辦戶外企業慶祝活動,客人可以利用所有額外的草坪空間,用於食品卡車、草坪遊戲、酒吧和食品站。 Carriage home 為多達 125 人的活動提供更私密的室內空間。 在春季和夏季,您可以將 Carriage House 附近的戶外空間納入室內和室外活動。 對於一家位於鳳凰城的餐飲公司來說,它提供具有西南風味的經典燒烤,叉燒豬肉 蜂鳥巢牧場——從一覽無餘的景色到最精緻的細節,蜂鳥巢是一個與眾不同的活動場所,它簡直讓您嘆為觀止。 如果您選擇獨特的澆頭,則可以加分,例如 Wolfgang Puck Catering 製作的煙熏三文魚披薩配蒔蘿鮮奶油和魚子醬。 烹製美味的自製主菜,如海鮮飯,讓您的招待活動植根於傳統,就像這對夫婦一樣。 新娘的父親和隔壁一起長大的閨蜜都是廚師,他們準備了這頓飯。 很容易夢想到您在特殊日子裡會喜歡的所有額外奢華的細節和想法——定制的婚禮蛋糕、餐廳風格的多道菜食品和飲料菜單、擺滿奢華花卉的餐桌等等。 然而,由於賓客人數眾多,這些婚禮創意確實會對您的預算和理智造成嚴重破壞。 Magnavino 酒窖酒廠——在獨特的酒廠環境中慶祝您的特殊場合,非常適合舉辦生日派對、週年紀念、排練晚宴、公司或商務活動。 Nelson Bros 最先進的婚禮、企業餐飲服務 如果你的婚禮有 a hundred 位客人,那麼總共需要花費 7,000 美元,另外還有 1,500 美元的酒水費用。 您聘請的餐飲服務商取決於您舉辦的活動類型,以及您希望客人的用餐和感受。 例如,如果您的客人在外面或者您希望他們混在一起,那麼婚禮和公司活動就不需要正式的就餐服務。 您如何開展餐飲業務的商業計劃的一部分還應包括您計劃使用的供應商和供應商。 考慮採購您需要的所有用品,包括床單、餐具、瓷器,甚至某些活動的桌椅,當然還有食物。 對於非食品類物品,伯內特建議先租,然後再直接購買。 一般來說,餐飲服務商對食品、飲料和為客戶活動提供的任何服務的費用均需繳納銷售稅。 從表面上看,餐飲服務商為派對、活動、公司和機構提供食物。 他們可以在宴會廳為 500 人提供餐點,或為小型企業提供午餐盒飯。 同樣,餐飲服務商在其賬單中包含非應稅服務費用時,必須向其客戶收取銷售稅。 餐飲服務商在其賬單中包含應稅服務費用時,必須向其客戶收取銷售稅,即使這些費用的費用已單獨列明。 餐飲供應商不能在其銷售稅申報表中就這些購買所支付的稅款申請抵免。 除了提供食物和飲料外,餐飲服務商通常還負責額外的服務。 到 1960 年代,在公共餐飲場所就餐取代了自製食品。 通過提供全方位服務的餐飲服務,我們可以提供與您的活動相關的任何額外餐飲服務。 這包括提供蛋糕和其他烘焙食品以及調酒和飲料服務。 除了準備食物外,我們還可以提供工作人員為您的客人提供食物。 無論您提供的是盤點餐還是自助式晚餐,都無關緊要。 生命支持服務 在您投資冰箱之前,請確保它配有冷凍室/冰箱溫度計。 這有助於您有效地監控和控制食品儲存和冷卻設備的性能。 內布拉斯加州環境質量部內布拉斯加州回收協會為全州範圍內的回收計劃和社區提供技術和贈款援助。 密蘇里州堆肥和有機物協會致力於密蘇里州堆肥和有機物行業的發展、擴展和推廣。 該市提供零廢物活動回扣,作為活動組織者的經濟激勵,以使其戶外活動更具可持續性,並幫助減少送往地區垃圾填埋場的垃圾量。 2017 年 11 月,密歇根有機物委員會投票成為美國堆肥委員會的密歇根憲章分會。 Georgia Organics 是一家非營利組織,為教師和自助餐廳工作人員提供從農場到學校的資源,以及在喬治亞州尋找當地食物資源的交互式地圖。 例如,一項關於醫院食品服務的研究發現,讓患者選擇膳食可以減少食物浪費,冷食比熱食更容易浪費,而且女性通常吃得更少,所以經常吃剩菜。 經歷長期住院的患者可能比那些短期住院的患者更頻繁地浪費食物。 在沒有定期監測該指標的工業、商業和機構部門缺乏全面的食物浪費數據(環境合作委員會,2017 年;Ofei、Holst、Rasmussen, 參與者無法提供有關其各自醫院的醫院食物垃圾數量的數據,並且由於時間和資金限制,沒有進行垃圾盤點。 由於減少浪費的第一步是建立基線測量以發現問題,因此本研究試圖量化瑞典一個城市的學校、學前班和養老院的食物浪費。 量化在三個月內進行,分三個學期進行,並在薩拉市的所有 30 個公共廚房單元中進行。 廚房工作人員使用廚房秤來量化浪費和上菜的食物質量,分為上菜垃圾(有子類別)、盤子垃圾和其他食物垃圾。 食物浪費水平被量化為每份食物浪費 seventy five 克,或食物質量的 23%。 然而,廚房之間的差異很大,垃圾水平從每份 33 克(13%)到每份 131 克(34%)不等。 浪費的食物包括 64% 的服務垃圾、33% 的盤子垃圾和 3% 的其他食物垃圾。 台灣美食 這個 ô mai 由姜、糖和甘草根條覆蓋的杏子組成。 以越南美食為特色的電視節目越來越受歡迎。 來自澳大利亞的 Luke Nguyen 目前正在播放電視節目 Luke Nguyen 的越南,致力於展示和指導如何烹製越南菜餚。 印度菜在 2000 年代在台灣開始流行。 對台灣原住民的美食也很重要的是紅薯和芋頭,因其多年生的性質和低維護成本而受到青睞。 根莖類蔬菜而非典型苗木的種植尤為突出,考古證據表明早在公元前四千年,來自新北市觀音山的大盆坑遺址。 鹽被用作連接生者和死者世界的紐帶。 Bánh phu thê 用於提醒新婚夫婦在婚禮上的完美與和諧。 食物經常被放置在祖先的祭壇上,作為特殊場合對死者的祭品。 烹飪和飲食在越南文化中起著極其重要的作用。 在這種文化沉浸之後,您將有機會在從附近市場購買所有新鮮食材後準備簡單的菜餚。 另一種最美味的越南美食是 Banh Xeo,或一種鹹味煎餅。 餡料通常含有美味的蝦和豬肉,還有一把豆芽和薑黃。 然後將 Banh Xeo 油炸製成令人垂���的小吃,通常與宣紙、綠葉蔬菜和辣醬一起食用。 家具 缺乏足夠耐用飾面的表面可能會劃傷、燒焦、碎裂或剝落。 最初購買時節省的錢很快就會在維修和更換成本中損失掉。 您餐廳的前廳與後廳一樣值得關注。 畢竟,這是您的客戶實際看到的地方。 從餐飲體驗的基礎知識(如飲料器皿、盤子和叉子)到員工每天使用的圍裙、收銀機、制服和托盤等物品,您都可以在這裡找到。 我們甚至有招牌、開放式標誌、人群引導系統,甚至還有濕地板標誌,以及始終重要的急救箱。 行動站為演示文稿添加了表演元素,並允許您向客戶展示您的技能。 使用檯面電磁爐,您可以立即設置烹飪台並以閃電般的速度準備食物。 更不用說,當您的場地沒有廚房時,這些炊具也會派上用場。 – 真正的硬木桌子價格高昂,但經過適當的飾面,它們提供了經典、耐用和有吸引力的替代品。 將其除以分配給每個客戶的空間量。 您為每位客戶預留的空間量因服務類型而異。 雖然購買餐廳家具需要很多活動部件,但這並不一定是令人生畏的。 考慮按區域(即房子前面、房子後面等)組織家具,並尋找二手貨源。 開一家餐廳是一項不小的壯舉,需要做出可能影響您餐廳的決定。 藝術食品餐飲 大麥比例需要減少一點,除非你想要很濃的湯。 會再做一次,下次用鷹嘴豆。 這隻股票非常好,而且很容易製作。 Cazuela 是一種智利湯,由混合在一起的幾種肉類和蔬菜烹製而成。 水果湯以水果為主要成分製成,根據食譜的不同,可以熱飲或冷飲。 水果湯有很多種,它們可以根據時令水果的供應情況來準備。 東亞風味的方便麵湯包括拉麵和調味料,作為一種方便且便宜的方便麵銷售,只需要熱水即可。 從第一封電子郵件到發貨,我們將確保在執行每個細節時不遺餘力。 我們所有的食物都是用愛製作的,我們將在您的預算範圍內工作。 我們將滿足您的個性化需求,讓您有賓至如歸的感覺。 東方沙拉,青菜配橘子和烤杏仁,配橙醋汁。 小型派對餐飲的 6 種開胃菜創意 用這個辛辣的零食食譜來修復你的鹽和健康的不飽和脂肪。 這種經濟實惠的小吃很容易批量製作,適合與家人或朋友的休閒聚會。 用辣椒和酸橙汁烤腰果是一種讓您無法停止食用的濃郁小吃。 這些美味的 Pollo Asado 炸玉米餅將街頭美食與優雅的美食融為一體。 把它們做成微型的,做成最美味的婚禮開胃菜。 與芹菜條、餅乾或玉米片一起食用。 用一點磨碎的大蒜和辣根來增加你的蒜泥蛋黃醬。 用您選擇的調味品將玻璃杯裝滿三分之一,然後加入您最喜歡的薯條。 咸、甜、清爽,這些甜瓜和意大利熏火腿串涵蓋了完美派對小吃的所有基礎。 任何受歡迎的派對餐飲供應商都會告訴您,演示文稿越吸引人,開胃小菜就越受歡迎。 此外,像我們這樣的真正有創意的餐飲公司在展示烹飪人才的同時,還可以製作出令人驚嘆的新奇有趣的小點心食品。 我們針對您感興趣的潛在派對開胃菜提供風味搭配建議,以幫助您仔細檢查您選擇的完美派對開胃菜和小盤子的選擇。 我們才華橫溢的廚師在您的客人面前準備食物。 從壽司到火焰甜點,您的客人和您的味蕾都會感謝您。 從我們種類繁多的開胃菜開始派對 - 每個人都能找到適合自己的東西。 自 2013 年以來,小盤子、開胃菜、配菜和開胃菜的消費和菜單出現一直在上升。 歡迎來到 Aleka 的聚會,我在這里分享在家娛樂的食譜和技巧! 如果您像我一樣喜歡託管,請在下面註冊以接收免費食譜和提示! 宮保蝦仁 食譜
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poetry-for-absence · 14 hours
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『吉村 順三』  - 詩的想像力と変容の神話 - (2017)
神話的想像力と心のかたち、というテーマで吉村順三について論じたく思う。
 
・創造を駆動させる神話的想像力
 鳥になりたいと願うこと、馬のような速力になりたいと思うこと、それらの想像力が飛行機を生み、自動車を産んだ。人間には変容 metamorphose の願望がある。それが技術を駆動させる。自然を流動する力の純粋さそのものになること。変容し、同化すること。
 吉村順三は、軽井沢の山荘をつくる構想をしていたときに、 “これらの樹々のうえで鳥のように暮らしたい” と思ったそうだ。「鳥のように」。変容と同化。これは神話のなかでの思考の様態である。そうした想像力により突き動かされた意志の力が、自然の力を変質させる。そしてその自然の力を人間の側に取り込むことが、プリミティブな意味での<技術>である。吉村の技法には、心の想像力による素直で素朴な表現がある。
 吉村には、技法における素直さと誠実さがある。それは、効果・操作・目的の表現における整合が慎ましく成し遂げられているということである。例えば、軽井沢の山荘では、モデュールを2尺にするか3尺にするか最後まで迷ったそうだが、考えるべきことと考えなくて良いと措定しているものが目的(求めている完成像・世界像)と整合しており、成し遂げられたものも突飛なところがなくオーセンティックである。
 
・心のかたちと生活のこころ
 「こころ」とdesignateされる知性のあり方には、<身体的な感受>と<知的な把握>の両極の宿る、統合的なものがある。吉村の建築には、そうした「人のこころ」の温かさと優しさが感じられる。
 例えば、ノルウェー大使館のプランに関していえば、応接室の隣に書物のための部屋があり、そこを通りダイニングルームへ移る、という動線があるが、そこには、吉村の抱く生活の心像や、人間観がある。吉村の心に映る人間観、世界像。そのようなものが中心となり、元型となり、そのまわりを様々なあらわれが変奏曲として立ち上がってくる。強い形式性は、簡素で実直な技法でもって、さまざまなあらわれをもったヴァリアントとしてそのかたちを得る。心の円やかさが優れた建築をつくる。
 心が人と人の生命をつなぐ。その宿る建築のことば。建築という物の形を通して、心のまろやかさを磨いてゆくこと。心像とは全体性を持った全体性を持った、ひとかたまりのたましいである。ここから音楽や詩がうまれる。それは、自然世界の中心とかさなる、喜びの源泉である。「詩」という漢字には、「心の動き」という意味があるそうだ。池に飛び込む蛙の水音の静寂に世界の無限の広がりを感じ取るとき、主体と世界の分離はなく、互いに溶け合っている。心の機微を宿す、姿をもったかたち。それをとおしてはるかの世紀を超えた交感が生まれる。想像力は距離を超える。
 心と心が人をつなぐ。それは存在に沁み渡っている。そして、鳥の心、風の心、樹々の心…世界とはひとつの心の響きなのだ。心で感じることは分析的な言葉よりも速い。ポエジーや美の感受は一瞬である。
 普遍的善というものは存在する。それは日々の普通で平凡な日常である。それは時に陳腐な姿をとるかもしれない。新しいふつうの日常をつくること、陳腐さを恐れずに「愛のことば」を発すること、そのさきでの心の連帯をもとめること。そのことが、デザイナーに託された、てらわない使命であると言えるかもしれない。吉村順三の誠実な建築からは、そのようなことが正しいことなのだということを感じさせる。
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irori556 · 2 years
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3hairsalon · 1 year
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catonoire · 22 days
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「ほとけの国の美術」展
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府中市美術館で「ほとけの国の美術」の前期展示を見る。毎年恒例の「春の江戸絵画まつり」の企画展である。神も仏も信仰しない無宗教者で抹香臭いのも嫌いだが、「春の江戸絵画まつり」は大好きで毎回なるべく行くようにしているし、府中市美術館が単に抹香臭いだけの展示をするわけがない、と思って今年も足を運んだ。前期と後期で大幅な展示替えがある。
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第1章、浄土と地獄。まずひときわ目を引かれるのは京都・二尊院の「二十五菩薩来迎図」。金がふんだんに使われていて豪奢だが、描写が繊細なためか品がある。この時点ですでに「抹香臭いのはイヤだな」などと思っていたことをすっかり忘れて、絵に見入ってしまった。二尊院では、2体の本尊(釈迦如来と阿弥陀如来)を中央に、右は太陽を先頭に、左は月を先頭に、その他の菩薩の皆さんがずらりと並ぶように掛けられる。展示室では、たとえば掛軸の配置や掛軸をかける高さ、掛軸の背後の襖(たぶん実物?)など、可能なかぎり本来の形に近づける工夫がなされていて、最大限のリスペクトを感じた。また、ロビーではこの来迎図の修復の模様が映像で流れており、来迎図自体と同じぐらい興味深かった。修復から院外貸出に至るまでの経緯もちょっとしたドラマになりそうな気がする。
前期のみ展示の「観経変相曼荼羅図」には、ランク別の往生が図示してあっておもしろかった。最上級の往生である上品上生では仏教界のえらいひとたちに恭しく迎えてもらえるが、最低ランクの下品下生だと蓮の台のみのお迎え。しかしなんといっても蓮は仏教では特別な植物なのだし、粗末なものではなさそうである。往生が叶うというのはたとえ下品下生でもすごいことのように思える。
同じく前期のみの「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、基本的な来迎図のお約束にのっとりつつも、変わった点もあるとのこと。たとえば、地上の光景の描写が具体的で充実している(たぶん一般的な来迎図では地上の様子を詳しく描いたりしない)。そして、来迎図の菩薩たちはふつう楽器を演奏しているが、この来迎図では楽器を持っていない。しかしよく見ると、描き表装の中に楽器が描かれている! この凝り方はなかなか心憎い。
通期展示の「十王図」もとてもおもしろかった。地獄の審判である十王を描いたもので、現在は6幅が伝わっている。派手な朱色の色遣いが大津絵を彷彿とさせる。地獄で働く鬼たちの描写がどこかコミカルで、地獄に落ちてきたワルいやつらを相手に鬼がまじめに働いているのかと想像すると、思わず笑みがこぼれてしまった。
第2章、禅が教えてくれること。ここでは禅画やそれに類する作品が展示されている。禅画にはやはり少し抹香臭いというか説教臭さを感じてしまうが、仙厓の「三福神図」は、福神を好んで描いた仙厓らしい作品。また、甫雪等禅「叭々鳥図」はかわいいながらもキリッとしていて魅力的だった。
第3章、古典美としての仏画。美術の世界では「仏画が美術として魅力的だったのは平安・鎌倉時代まで」と言われていることを引きつつ、江戸時代の仏教絵画を紹介するコーナー。狩野探幽「文殊菩薩騎獅像」は、墨の濃淡を基調とした中に赤や青などの色が部分的に施されているのが美しい典雅な作品だった。文殊菩薩がお経と花を持って獅子に乗るという定番モチーフを知らなかったので、その点でも勉強になった。
第4章、ほとけの国の人気キャラ。府中市美術館が本領を発揮しそうなコーナー。ここで取り上げられた「キャラ」は、考えてみると、布袋さん、阿弥陀さま、大仏さま、などと親しげに呼ばれる存在ばかりで、納得がいく。
第5章、円空の仏像。このコーナーのみ木彫の展示である。円空の仏像を見るのはたぶん初めて。あえて作り込まない感じの作風でゆるさがあるが、真似しようとしてもできない雰囲気を持っている。
第6章、涅槃図と動物絵画の時代。仏画の中では涅槃図がいちばん好きなので、このコーナーもとても楽しめた。
一般的な涅槃図に加えて変わり種もあり、上田公長「芭蕉涅槃図」が特に気に入った。芭蕉の死の床の周りに弟子たちが、さらに芭蕉の句に詠まれた動物たちも集まっている。猿が蓑を着ていたり(「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」)、馬が花をくわえていたり(花はおそらく「道のべの木槿は馬にくはれけり」のムクゲ)、ちゃんと句の内容を踏まえているところもよい。
動物絵画については、動物にも仏性があるという仏教の教えの影響があった、という解釈、位置付けが新鮮に感じられた。
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なお、入場時にクイズが載ったリーフレットを渡される。クイズに答えると帰りにポストカードを1枚もらえるということで、せっかくなので答えて1枚いただいてきた。
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冷泉為恭「童子読書図」敦賀市立博物館所蔵。
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aya-azana · 24 days
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スクレイピング・ユア・ハート ― Access to SANUKI ―
あらすじ 平凡な大学院生である丸亀飛鳥。 新規気鋭のイラストレーターで、飛鳥の後輩である詩音。 四年ぶりの再会を経て、二人は奇妙な出来事に巻き込まれていく――――
 物語の始まりなんて、なんでもよかった。  偉人の言葉を引き合いに出して、壮大な問題を提起する冒頭が思いつかない。洒落た言い回しを使った、豪華絢爛な幕開けが思いつかない。ああ、思いつかない。とにかく、思いつかないの。  一般教養が足りないとか、センスがないとか、そんなんじゃない。  ただ、平坦。二十三年生きた人生に山も谷もない。  一般的な都内の中流家庭に産まれ、すくすくと成長し、苦難なく小中高大を卒業。  特に研究したいこともないが、働くのが嫌で大学院へ。研究生活の中で平均くらいの能力を身につけ、今でもゆるゆると日常を謳歌している。  そんな人間が想い描く物語だ。たとえ始まりを豪華絢爛にしたところで、面白くともなんともない。  だから、始まりなんてなんでもいいん『そんなことないわ』  ……そうかしら。それなら、もう少し頑張ってみ「お願いだから止まって、止まって!」  ……どっちよ。  これは、寝る前にするちょっとした妄想。クラスを占拠した悪漢を一人でやっつける、みたいなもの。  目を瞑っているのだから周囲は真っ暗だし、私以外の声が聞こえるわけ「先輩!先輩!しっかりして!」  うーん。うるさいわね。  聞き覚えがある女の子の声。少しガサついていて綺麗な声音ではないのだが、なぜか心地よくて、落ち着く。  ……寝る前に聞く、ちょっとえっちなASMRの切り忘れね「先輩!?」。面倒だけど一度起き『ダメよ』
 身体がビクン、ビクンと震える。
 表面上は高潔な雰囲気を纏っているものの、ねっとりとした厭らしさが滲みでて、根底にある魔性を隠しきれていない女性の声。  今まで一度も聞いたことがない。声の主なんて知るはずがない。それでも狂しいほど切なく、堪らないほど愛おしい。  そんな声が全身を駆け巡り、電撃のような痺れとなって身体を激しく愛撫したのだ。  『貴女の全てが欲しいの』  唐突に発せられた媚薬のような愛の囁きに、動悸が早くなって頬が火照る。恋愛感情に近い心の昂りが瞬く間にニューロンを焼き焦がして、身体にむず痒い疼きを与えた。  『貴女は快楽の熱で、ドロドロに蕩かされていく』  そう告げられると、容赦ない快感が次々と身体に打ちつけられ始めた。  堪らず身を捩ろうとするが、金縛りに遭ったように手足が動ない。舐めしゃぶられるように身体中が犯され、許しを乞うことすらできない。ただ一方的にジュクジュクとした甘ったるい快楽の波が全身に蓄積していく。  やがて許しを懇願することさえ忘れ、頭の中が真っ白に染まってしまう。もう耐えきれない、決壊してしまう。  『そして、深く深く流れ落ちていく』  そのタイミングを見透かしたように、許しの言葉が告げられる。同時に、心の器が壊れ、溜め込んだ全ての快感が濁流のように全身を駆け巡った。  意識が何度も飛びそうになって、頭のチカチカが止まらない。獣のように声にもならない嬌声をあげながら、やり場のない幸福感に身を委ねて甘く嬲られることしかできない。何もかもがどうでもよくなる程、気持ちがいい。  永遠に思えるような幸福な時間を経て、すぅっと暴力的な快楽が引いていくのを感じた。代わりに、深い陶酔の中へ身体が沈み始める。  そして、自然と強張っていた身体から力が、いや、もっと大切な何かが抜けていく。でも危機感はない。  たとえ声の主が猛獣で、彼女に捕食されている最中であっても、私は目を開けず身を任せてしまうだろう。  ゆっくりと身体の輪郭が曖昧になり、呼吸が浅くなっていく。意識が朦朧として何も考えられない。ただ、恍惚たる快楽の余韻に浸りながら、彼女の言葉の通り深く深く、流れ落ちていく。  『おやすみなさい、愛しい貴女』  赤ん坊に語りかけるような優しい声音で別れが告げられる。そして、私の意識はブレーカーが落ちたようにプツンと切れた。  遠くからぼんやり響いた悲痛な叫びは、もう私に届くことはなかった。
 ***    もしあたしにインタビュー取材依頼がきて、最も影響を受けた人物を聞かれたら、間違いなく先輩と答えて彼女への想いを語り続けるだろう。  コラム執筆依頼がきたら必ず先輩の金言を引き合いに出して最高のポエムに仕上げるし、ラジオに生出演したら「いぇい、先輩、聴いてるー?」が第一声と決めている。  現に初めて受賞した大きなイラストコンテストの授賞式の挨拶では、会場にいない先輩に向けて感謝の気持ちを述べた。それほどまで、高校で先輩と過ごした二年間はかけがえのない宝物だったのだ。  だから、あたしという物語の始まりは必ず先輩との思い出を引き合いに出すと決めている。  そんな小っ恥ずかしいことを寝巻き姿で平然と考えてしまう程、あたしこと讃岐詩音は浮かれていた。  なんせ今日は先輩と四年ぶりの再会である。  窓から差込む小春日和の暖かな日差しが、今日という素晴らしい日を祝福しているようにも思えた。
 「詩音、朝ごはんできてるわよー」  「うん」  一階から聞こえたママの呼びかけに応じる、蚊の鳴くような声。自分のガサついた地声が嫌で、どうしても声量が小さくなってしまう。  おそらくママには聞こえていないので急いで自室から出て階段を降り、リビングに移動する。閑静な高級住宅街に建つ一軒家に相応しくないドタバタ音が鳴り響いた。  「危ないからゆっくり降りてきなさいって言ってるでしょ」  ママのお小言に無言で頷きながら、焼きたてのバターロール一個とコップ一杯のスープをテーブルに運ぶ。いつものご機嫌な朝食だ。  「バターロールもう一個食べない?消費期限今日までなの」  ママの問いかけに対して首を横に振って拒否した。少食なあたしにとって、朝の食事はこの量が限界。これ以上摂取すると移動の際に嘔吐しかねない。  「高校でバスケやってた時はもっと食べてたのに。ママ心配よ」  そう言われてしまうと気まずいが断固としてNOだ。先輩との大切な再会をあたしの吐瀉物で汚したくない。  話題を逸らすためテレビをつけると、ニュースキャスターが神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。  「横浜市のアトリエで画家の東堂善治さんが倒れているのが見つかり、病院に搬送されましたが意識不明の重体です」  たしか、以前参加したコンテストの審査員だったような。国際美術祭で油彩画を見たような。あと生成AI関連で裁判がうんたら。  「東堂さんは世界的に権威のあ……また、スポンサー契約を交わしていたFusionArtAI社に対して訴……捜査関係者によると奪われた絵……」  ニュースの内容を聞き流していると、概ねの内容は記憶と合致していた。どうやら、高校を卒業してから勉学の道には進まず、創作活動に勤しむようになったあたしの記憶力はまだ健在らしい。少しだけ、ホッとした。  「最近物騒ね。よく聞く闇バイト強盗かしら。ほら、この前も水墨画の先生が殺されたじゃない。詩音も今日のおでかけ、気をつけなさいよ」  「ん、気をつける」  ママを心配をさせないために少しだけ大きな声で返事をして、深く頷いた。  食事を終えた後、アイロンがけされた一張羅に着替えて身なりを整え、先輩が待つ喫茶店へ向かった。    ***    ――――ちょうど三週間前のこと。  本業のデジタルイラストの息抜きとして始めた水彩画にハマりにハマって、気がつけば丑三つ時。ふと先輩の顔が頭に浮かんだのだ。  丸筆とパレットを置いてから勢いよくベッドにダイブして寝転がり、流れるようにエプロンのポケットからスマホを取り出す。  先輩はSNSを実名で登録するタイプではない。それでも広大なネットのどこかに先輩の足跡みたいなものがないか、淡い期待を抱いて名前を検索してしまう。  そんな自分がちょっと気持ち悪い。  自己嫌悪に陥りつつ検索結果を眺めていると、思いもよらない見出し文を見つけたので間髪入れずにタップした。
 「情報システム工学専攻修士1年生の丸亀飛鳥さんが、AIによる雛の雌雄鑑別システムに関する研究で人工知能技術学会最優秀論文賞を受賞しました」
 ゆっくりとスクロールしながら情報を集める。やがて研究室のホームページに掲載された集合写真にたどり着く頃には、これが先輩の記事であることを確信した。  ……正直言って自分がだいぶ気持ち悪い。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい人だ」  先輩の活躍ぶりに足をばたつかせながら興奮していると、ピコンと仕事用のアドレス宛に一通のメール。見慣れないアドレスだったが、ユーザー名が目に入った瞬間飛び起き、正座になる。  「marugame.asuka0209って、これ絶対に飛鳥先輩だ!」  偶然にしては出来すぎているが、なんの警戒もなく開封をして内容を隈なく読み込み――――読み終える頃には呆然としていた。  要約すると研究協力の依頼であり、可能であれば一度会って話せないか、という非常に堅苦しい内容である。  気がつくと涙が頬を伝っていた。  四年ぶり、つまり先輩が卒業してから初めて貰った連絡。元気?今度ご飯でも行かない?みたいな、そういうのを期待していたあたしがおバカじゃないか。  ――――いいや、先輩が悪いわけではない。これが普通。むしろ、あたしがおかしい。  何を隠そう、あたしと先輩の間に特別な繋がりはない。友達でもなければ恋人でもない。ただ、バスケ部の先輩後輩というだけで、練習��試合だけが共に過ごした時間の全て。連絡も練習に関することだけ。そんな程度の仲。  「……それでも好き」  あたしに手を差し伸べてくれた先輩に対する想い。四年経ってもこの気持ちは色褪せていない。  でも、これが最後になるかも。もし拒絶されたら、ただの先輩後輩ですらなくなってしまったらどうしよう。そう思うと、胸が苦しくなる。だから今まで一度も自分から連絡できなかった。  ――――涙を拭い、ありったけの勇気を振り絞る。  先輩に会ってお話しがしたい、その気持ちだけで震える指をどうにか動かし、書いては消してを繰り返す。文面が完成しても、何度も声に出して読み上げ続け、早三時間。返信を完了する頃には外が薄明るくなりつつあった。  急にドッと疲れが出て、再びベッドに倒れうつ伏せになり、顔を枕に埋める。そのままうめき声を上げて、湧き出る混沌とした感情を擦り付けていく。  このあられもない姿がママに目撃されていたことは、あたしの人生最大の汚点となるのだった。    ***    ――――いつの間にか私はドアの前に立っていた。  温かみを感じるレトロな木製のガラスドア。ここは大学から離れた場所に佇む、少し寂れた喫茶店の玄関前だ。私の憩いの場の一つで、よく帰り道に訪れている。  ぼーっとしていると、店内が薄暗いからか自分の姿がガラスに反射していることに気がついた。  ガラスに映る、ケープを羽織ったおさげ姿の美少女。うどんのように白い肌が彼女の纏う儚さに拍車をかけている。    彼女の名は讃岐詩音。    私の一個下で、高校バスケ部の後輩だ。  某バスケ漫画に憧れて入部したという詩音は、初心者という点を考慮しても信じられないほど下手だった。  ドリブルやパスはへんてこだし、一番簡単なレイアップシュートすらろくに出来ない。おまけに口数が少ない不思議ちゃんで、趣味と特技がイラストときた。  そのため、次第に周囲から腫れ物のように扱われるようになる。  それでも詩音は部活を辞めず、直向きに人一倍努力を続けた。  しかし、周囲からの扱いは変わることはない。下手っぴが一人で頑張っても嘲笑の対象になるだけだ。  だから私は、詩音に手を差し伸べた。少しでも彼女が笑顔になれるように。  ――――精一杯頑張る彼女の姿が、どこか冷めていた私の憧れだったから。    原因は不明だが、今、私は『詩音』の姿になっている。まるでVRを体験しているようだ。なんにせよ、玄関前で棒立ちを続けるのは迷惑だ。  混乱しながらドアを開けて入店すると、店員がにこやかに迎え入れてくれた。  「いらっしゃいませ、讃岐さんですね。丸亀さんはあちらの席でお待ちです」  会釈をするも、妙な違和感。戸惑いながら店員の案内に従い、席に移動した。そして私は大っ嫌いな女と対面することになる。  緑色の黒髪が綺麗な、リクルートスーツ姿の美女。気品のある見た目をしているが、中身は空っぽ。連絡が来ないから嫌われたと思い込み、自分を慕う後輩を四年間も放置したクズ。そんな女性が私を見て微笑む。
 『久しぶりね、詩音』
 そう、『『私』』だ。まるで鏡を見ているかのように、『私』が机を挟んだ向こう側に存在している。  詩音と四年ぶりに再開したあの日の夢を見ているのだろうか。  唖然とする私を無視して、目の前に座っている『私』は一方的に話を進めてい��、本題に移り始める。
 『研究室が推進するイラスト生成AIプロジェクトが難航しているの』
 原因は技術の普及と発展に伴って、目視であっても判別できないAIイラストがウェブ上に溢れかえったことだ。  その結果、クローラープログラムがウェブを巡回してイラストを収集するスクレイピング技術で作られた学習データにAIイラストが混入し、AIプログラムが崩壊する報告が多数出ている。  余談だが、私の研究は養鶏農家から提供される写真を使用しているため、全く影響を受けなかった。それゆえ、最優秀論文賞を繰り上げ受賞してしまったのだ。
 『研究用のデータ加工が大変なのよ』
 これはイラストレーター達が自衛として、データをそのままウェブにアップロードしなくなったからだ。  近頃はデジタル画像を紙に印刷した作品やアナログ作品を造花などで飾り付けてからカメラで撮影する、2.5次元作品が主流となっている。  イラスト本体の解像度劣化やカメラフィルターによる色合の変化、装飾物による境界の抽象化などが原因で、2.5次元作品はAIで学習できない。  修正AIで2.5次元作品を2次元作品に加工しようとしても、誤認識のパレードである。そのため、ゆうに一万を超える大量のデータを人力で加工するしか手立てがないのだ。
 『FusionArtAI社のデータも法外的な値段で八方塞がりなの』
 FusionArtAI社は唯一ピュアなイラストデータを扱っているユニコーン企業だ。東堂善治のような大御所アーティストらと契約し、安定して高品質なデータを取得しているらしい。  AIやらNFTやらを壮大に語っているが事業内容がよく理解できない。それに莫大な資金が何処から出ているのか非常に疑問である。  加えて詩音がモニターとして、AIの学習を阻害する絵具を貰ったのだとか。胡散臭すぎる。
 『だから詩音のイラストのデータを全て譲って欲しいの』
 「……は?ちょっと待ちなさい」
 今まで無言で頷いていたが、思わず声が出てしまう。
 『貴女の全てが欲しいの』  「そんなこと言っていない!私は研究協力の依頼を断るように警告したのよ!!」    ことの発端は詩音がイラストコンクールの授賞式で私の名前を出したことである。偶然その授賞式に私の指導教員も来賓として出席していたのだ。  後日、ゼミで彼女の挨拶が話題に出され、私は迂闊にも恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった。  指導教員は詩音が語った人物が私のことだと察した。そして詩音宛に研究協力の依頼を出すよう、私に指示を下したのだ。  なんせ、詩音は今や業界を席巻する超新星。その作品を利用できれば、データの質の担保だけでなく、研究に箔をつけることができる。  下手をすれば詩音が筆を折りかねないその指示に対し、私は強い憤りを感じた。  しかし、上の言う事は絶対。だから大学から離れた喫茶店に呼び出し、密かに依頼を断るように警告したのだ。  ……加えて、授賞式のようなオフィシャルな場で無闇矢鱈に人様の個人情報を出さないよう、情報リテラシーの講義もみっちり実施した。  詩音は私の言葉を素直に聞き入れてくれた。ただし、研究室の厄介事に巻き込んだお詫び?として、週末に作品撮影のアシスタントをする約束をした。    ――――その撮影日が今日。  そこは、誰も寄りつかない瓦礫まみれのビーチ。  遥か昔、海辺に栄える水族館だった場所。  青空の下、詩音が無我夢中になって作品の飾り付けをしている。  装飾材を補充するため、彼女が水彩画に背を向けた刹那。  額縁からコールタールに似た漆黒の液体が勢いよく溢れ出し、彼女を襲う。  だから私は彼女を突き飛ばして。  悍ましく蠢く闇に、『食われた』。    「……ようやく思い出したわ」  これは、妄想でも夢でもない。相対する『私』の皮を被る怪異が起こした現象だ。  理解不能な存在に生殺与奪の権を握られている。その事実を認識した途端、体に悪寒が走り、鳥肌が立つ。今にも腰が抜けそうだ。  怪異は恐れ慄く私の眼をじっとりと見つめながら、ブリーフケースから同意書とペンを取り出し、机の上に置いた。  『貴女とはいい関係になれると思うの』  そう言いながら、怪異は小指を立てながら厭らしく微笑む。  私の生存本能が、この文字化けした書類にサインをしてはいけないと警鐘を鳴らしている。サインをすれば、死ぬ。  それでも私は震える手でペンを掴んでしまう。    ……だって、私なんかが敵う相手じゃないもの。   怖くて泣きじゃくる無様な私に何ができるの。  そうね。きっと、あっけなく死ぬのよ。  ――――そうだとしても    「大切な後輩を襲ったお前だけは、絶対にぶっ殺してやる!!」    私は決死の覚悟を決め、一世一代の大啖呵を切った。瞬時に怪異に対する怒りの炎が燃え上がり、滞っていた思考が急激に動き始める。  相見えるは常識の埒外の存在。裏を返せば奇想天外な自由解釈が可能であり、不格好でもそれっぽい仮説を立ててしまえば、私にとっては常識の埒内の存在になる。  きっとそう強く信じなければ、目の前の『私』は倒せない。  唇に人差し指をあてながら、ただひたすらに、常識や記憶の間に無理やり関連性を見出して理屈をこじつけることを繰り返す。  やがて、その思考過程を経て、一つの結論に辿り着く。    この怪異の正体は、『クローラーを模した淫獣』だ。    こいつは複数回にわたって人を襲い、心の記憶から作品を抽出していくタチの悪い存在。全ての作品を取り込み終えると、獲物に大量の快楽成分を流し込んで再起不能にする恐ろしい習性を持つ。  おそらく詩音も何度か寄生されていて、今日が最後の日になるはずだった。  ところが、すんでのところで私が身代わりになったため、情報の吸い残しがあると誤認が生じてしまった。それは淫獣にとって重大なエラーである。  そこで、やり直しを試みるも、改めて詩音の同意が必要となってしまった。  だから先日の会話に基づいてこの空間を生成し、『私』の皮を被ってサインを迫っているのだ。――――今、自分が捕食している獲物が『丸亀飛鳥』であることに気が付かずに。  そして、最も重要なことは淫獣が人工的に作られた存在という点である。  これまでの同意書に重きを置くような言動を見ると、魑魅魍魎の類とは思えない。何より、元凶に心当たりがある。  そう、FusionArtAI社だ。淫獣の正体が例の胡散臭い絵の具であり、密かに多数のイラストレーターを襲っているとしたら、全て辻褄が合う。  ――――そうであると信じるの。そうすれば、こいつに一矢報いることができるはずよ。  汗ばんだ手で同意書を手繰り寄せ、ゆっくりとペン先を近づける。  すると、自分勝手に喋っていた淫獣が口を閉じ、紙面をじっと凝視し始めた。それだけではない。空間を構成する全てが、その瞬間を見逃すまいと監視している。  張り詰めた空気の中、私は素早く紙を裏返して、こう書き記す。    robots.txt  User-agent: *  Disallow: /    その意味は、『クローラーお断り』。  今や対魔の護符に等しい存在となった同意書を握りしめ、勢いよく席を立つ。  「私の全てが欲しい……そう言っていたかしら?」  沈黙。詩音の好意や才能を踏み躙った淫獣は、口を開かない。  『An error occurred. If this……』  どこからともなくアナウンスが聞こえるが今はどうでもいい。
 「これが私の答えよ」
 大っ嫌いなクソ女の顔面が吹き飛び、振り抜いた私の拳が漆黒の返り血に染まる。  一呼吸おいた後、心から詩音の無事を願い、静かに目を閉じた。    ***    茜色の空。漣の音。磯の香り……それと、ちょっと焦げ臭い。  そして、私の身体に縋って嗚咽する大切な後輩。  どうやら私は死の淵から生還できたらしい。無事を知らせるため、詩音の頭を優しく撫でる。それでも泣き止まないので、落ち着くまで背中をさすってあげた。  「心配かけたわね。詩音が無事でよかった」  詩音は私の胸に顔を埋めたまま、コクリと頷く。  「先輩も無事?」  「ええ、大丈夫よ」  これ以上、詩音を不安にさせないように気丈な態度をとるものの、重度の疲労を感じ、もはや立つことすらできない。  「ここはまだ危ないから、早く詩音だけでも逃げて」  「やっつけたから、モーマンタイだよ」  詩音が指差す方向を見ると、黒い液体に塗れた水彩画が静かに燃えていた。焦げ臭い匂いの原因はこれか。……やっつけたってどういうことかしら。  些細なことに気をとられている場合じゃない。  先ほどから微かに聞こえる、複数の物音。  何者かが物陰で息を潜め、私たちの様子を窺っている。  今や炭になりつつある淫獣の回収が目的か。いや、それは私がでっち上げた荒唐無稽な陰謀論にすぎない。  ここは、電波が届かない人里離れた廃墟。無防備な女二人がいつ襲われてもおかしくない、危険な場所だ。  詩音も気が付いたのか、私に抱きつく力が強くなる。意地でも私から離れないつもりのようだ。高校の時から感じていたが、この子は気が弱いわりに頑固だ。    ――――息が詰まるような空気を、遠くから鳴り響くサイレン音が切り裂いた。    同時に複数の人影が足音と共に遠ざかっていき、私は安堵の息を吐いた。  「もう大丈夫。定刻を過ぎても私から連絡がなかったら、警察と救急に通報するよう、母さんに頼んでいたの」  半分は今のような不足の事態に陥った時の保険として。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい」  もう半分は、尊敬の念を向けている後輩から刺された際の保険として。……絶対に黙っておきましょう。    ***    ――――事件から三か月後。  結局、私た���を襲った存在の正体は分からず終い。一方、あの場にいた不審な人影は東堂善治を襲撃した闇バイト強盗であった。そのため私達の不法侵入は霞んでしまい、一切お咎めなし。私達の身に何があったか、深く聞かれることもなかった。  まぁ、警察に事情を説明するにしても――――  FusionArtAI社が作ったスライム型の淫獣に襲われてデスアクメしそうになりました。奴らはアーティストの心の記憶に存在する作品データを狙っています。  という私の支離滅裂な説は口が裂けても言えない。それに、FusionArtAI社が不正会計絡みで呆気なく倒産したため、もう追及のしようがなかった。  ちなみに、詩音は黒い液体の正体が亡霊の祟りだと思い込んでいる。だから制汗スプレーとライターで除霊?しようとして、そのまま引火。あの有様となったそうな。  「貴女のおかげで助かったのかもしれないわね」  私の言葉に首を傾げる後輩は、今日も美少女だ。  あの事件以来、私達はお互いの身を案じて一週間に一回は会うようになった。といっても、毎回普通に遊んでいるだけだ。  今日は私の行きつけの喫茶店でまったりとお茶をしている。お紅茶がおいしい。  紅茶の香りの余韻を味わっていると、詩音の手招きが。  またか、と思いつつ耳を寄せる。
 「先輩のケーキ、一口欲しい」
 耳元で囁かれる妙に蠱惑的な声と熱の籠った吐息にゾクッとしてしまう。あの事件で私が晒した醜態から、余計なことを学んでしまったのだろう。  悪戯っぽく笑う詩音。本音を言ってしまうと非常に嬉しいのだが、どうも照れ臭くて顔を背けてしまう。  でも、これから時間をかけて慣れていけばいい。あの事件が私という物語の始まり、いや、――――私達という物語の始まりと決めたから。  二人に降り注ぐ優しい木漏れ日が、これからの日常を祝福しているように思える。  ――――そんな気恥ずかしいことを考えてしまうほど、私こと丸亀飛鳥は幸せだった。
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ichinichi-okure · 1 month
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2024.3.25mon_tokyo
「雨は路上の屑を洗い流してくれる」とロバート・デニーロも言ったけれども、その夜は流し忘れがあったようだ。
 安物のスペイン産ワインとナッツをボロボロのトートバッグ(高校の時に買ったもので、ちょうど12インチのアナログ盤がピッタリ入る寸法になっている)に突っ込んで、仕事終わり帰路に着く。耳元で最大音量で鳴り響くのは、グラント・グリーン。駅のホームまで雨に濡れたブルーな街にはグリーンが似合う。ケニー・バレルなんか聴いていたら泣いちまうよ。
 と、水浸しのアスファルトに赤い花びらの散っているのが見えた。血まみれの鱗みたいだ。ちょうど仕事先でクロソイを捌いたばかりだったし、仕方がない。下品な比喩を許して欲しい。とはいえ夥しい数の花びら。意表をつかれて空を見上げると既にグリーンになりかけていた桜の木が両手を開いていた。桜だったんだ。随分と寂しい春の迎え方をしてしまった。雨の怠けた仕事ぶりに落胆する。全部流してしまったらよかったのに。
 春、まだ空気の冷たい春。ボクはイランにいた。ペルシア語と、現代詩と、哲学を学ぶ学生だった。留学とは言っても、授業はほとんどオンライン上で行われた。COVID19なんてものもあったが、イランにいたのは2022年のことだからこのウイルスが原因ではない。端的に言えば、イラン国内が混乱状態だったのだ。ボクがイランに入国する前日、路上での大規模なプロテストが報じられた。プロテストの内容は、1人の女性の死に関する体制に対する責任追求だった。北西部の街、サッケズから親戚の元を訪れていたクルド系イラン人女性が、その服装を理由に警察に勾留された後に息を引き取ったのだ。人々は彼女が拷問を受けていたとして、警察と政府に説明を求めたのだった。このプロテストはやがてイラン全土に広がり、各国のマスメディアはこの混乱を「1979年のイスラーム革命以降最大の危機」と報じることとなる。イランは、1979年に一つの転換を迎えている。新米政権を担っていた当時の国王(この時のイランははパフラヴィー朝として王が最高権限を持つ王朝体制だった)を、石油採掘による利益の独占や社会保障制度の不十分などを理由に国民が自らの身体を以って追放したのだ。その後に政権を樹立したのが、現在まで続くイスラーム共和制の体制だった。法制度はイスラーム法を下地としたものに刷新され、女性は外出にあたってヘジャーブと呼ばれる布で頭髪を隠す、臀部まで覆われる丈の長い衣類を装着するなどの服装既定が設けられた。2022年の抗議はこうした現体制のあり方に対する熱烈なアンチテーゼだったのだ。
 ただ、イランで暮らした日々の追憶の中でボクの脳裏に焼きついているのは「運動家」たちの顔ではないのだ。寧ろそれは、写真家であり、演奏家であり、医師であり、コックであり、整備士であり、詩人であり、教師である人々の顔だ。ボクが毎日ウィンストンを買いに通っていた売店の2人のおじさんの顔だ。柘榴から作ったという密造蒸溜酒の満ちたグラスを交わして、ハーフェズの死を誦む詩人の声、交差点を守る武装警官たちの去った闇夜の路上で吠える男のアルトサックス、北部、ラシュトの森の中で、七面鳥がボクの革靴を踏んづけるのを見ていたあなたの笑い声。近所のカフェのウェイトレスが、自殺したと聞いた夜。自らの生を生きることは、ただ生かされることとは必ずしも重ね合わない。生活する者たちの目に青い焔が揺れているのをボクは見た。そしてその灯は食事の時も、情事の後の「小さな死」の最中にも、消えることがなかった。
 午前1時35分、東京。スペイン産ワインはもう底をつきかけている。グラスを持つボクの右手の甲には火傷の跡が浮かんでいる。老子がいつか言っていた、博打をしてでも手を使え、と。だから、火傷跡のある右手と切り傷の左手で下手くそなギターを弾いている。イランでの生活が教えてくれたのは、生活が、日常が、闘いそのものであるということだった。闘いは、夏休みにやるものでも、有給を貰ってやるものでもない。何気なく呼吸している最中にも、常に流れる時の瞬間が闘いであり、生なのかもしれないと思う。だいたい呼吸は受動的なものだ。呼吸によってボクらの肺が直面するのは酸化という事態だ。望む望まぬに関わらず、生きるためには酸化、つまり腐敗せねばまならぬ。泥人形からボクたちを作った神様の気まぐれを恨むわけにはいかない。生の根本的矛盾。しかしこの根本的矛盾の間に、とてつもないエネルギーが生まれることがある。それは痙攣的なもので、重層的なものだ。電気信号のように、そのエネルギーは身体を踊らせる。テヘランの地下鉄で、印象的な場面に出くわした。ショートヘアーで、デニムと黒のタートルネックを着ていた1人の女性が突如として踊り出したのだ。ヘジャーブは身につけていない。音楽が鳴っていたのかすら、ボクの記憶にはない。混乱。彼女の周りにいた人々ができたのは何か恐ろしいものでも見るような表情で彼女の痙攣的な身体の動きを見つめるだけ。次の停車駅で彼女は何事もなかったかのように車両を降りて行った。その様子を語り尽くそうとて、虚しいことだった。例えピントを合わせたとしても、それは一部に過ぎない。言語活動というのは単焦点レンズと同じようにできているのだ。だから、「全体」を捉えようとするボクたち���試みはいつも失敗してしまう。それなのに、いや、だからこそボクはその美に魅了されないではいられない。
 午前2時をまわった。半地下の一室、レコードプレーヤーからはチリチリとしたクラックルノイズが微かに聞こえてくるだけで音楽は聴こえない。この時間になると外から聞こえてくるのは木々の囁きくらいだ。ボクの住んでいる部屋の周りにはこの地区で最後の原生林が細々と残っている。この木々たちも、踏んづけた桜の花びらで春の訪れを知った男のことを憐んでいるのだろう。とはいえ、日記をつけること、回想することは気に入っている。ボクが確かに経験してきたことと、いまのボクの生活を結びつけるか細い糸を見つけていくような気分だ。明日は朝から足元ではなく空を見てみよう。もっとも、朝に起きられたらの話だが。おやすみなさい。
-プロフィール- Nagi 23歳 東京 イタリアン料理人、演奏家崩れ https://www.instagram.com/moriarty___57
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wangwill · 3 months
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開學日1967
H:9月開始上小學,開學日由母親帶著,早上點名,參加升旗典禮,分座位,中午放學回家。
19670901日記
今天是星期五,開學第一天,乙班有58人,原有54人。另寄學4人,林坤弘、周漢菁、王正賢及另位同學寄學。教室在學校進門的最右側中間位置。
早上新生由家長陪伴,導師周明通先生,穿著白色短袖襯衫,依照新生身高排位置,男女分開,兩人一個桌子。每個新生學生裝扮,男的穿白色短袖上衣,卡其色短褲,脚穿黑色膠鞋。女生穿白色短袖上衣及黑色裙子。排好位置後,家長陸續返回。第一堂課讓大家熟悉環境及檢查課本。中午吃午餐後,放學回家。
名册:
光復後第二十八屆畢業生民國六十一學年度六十二年六月畢業
王前寧 王勝文 呂錦坤 陳漢章 陳佳泉 陳應春 林永清 曾進益 林棟迪 林永泰 黃有明 王明和 林銘坤 周賢龍 王文仁 陳漢明 黃丞業 林文淡 周鴻基 鄭焜輝 林長壽 陳東義 卓建生 陳國意 周世坤 
王明和 陳明仁 林本川 周佳增 林世明 周志同 王秀霞 陳淑珠 蔡錦秀 林淑芬 林秀梅 王麗美 李金嬋 林寶貴 陳麗雲 鄭麗紅 陳素真 陳玫如 陳彩珠 鄧雅翠 張桂春 陳淑芬 黃麗華 許芳菊 王錦惠 
林美霞 林美惠 林瑞娟 李義芳 王財露 林適鴻 林正智 鄭利達 王正坤 林坤煌 王傳志 王文石 簡賜本 王德豐 周明仁 鄭源業 林三元 謝寶發 王世南 陳阿雄 王東盛 林忠慶 王財加 林正雄 陳德和 
周國瑞 林文池 許連清 林賢榮 陳朝漢 王麗芬 王麗雪 王秋香 王明黎 林美室 林玉卿 陳名麗 王秀蘭 陳寶玉 李玉琴 王淑華 林雪玲 王淑灑 鄭美富 王碧芬 陳淑美 林麗珠 呂麗華 王 款 王秀哖 
林逢時 陳 足 陳素蘭 王美文 鄭美女 顏碧鳳 林清全 鄭水深 陳印堂 王世賢 陳亨祿 黃志良 江基全 陳金川 陳財福 周明進 劉塗興 鄭村淼 江基森 呂萬賜 許武雄 楊德慶 陳水樹 羅德火 鄭登仁 
林金山 林東信 高朝清 林漢業 鄭連碧 林阿章 陳鴻幀 鄭李坤 林文聰 薛賢明 高銘烺 王淑胤 曾淑芳 鄭美華 鄧月冬 林秋蓮 周月子 林素真  王守后 王美貞 陳淑枝 王寶玉 王梅鳳 張素圓 江美雪
 許淑賢 林紅杏 王玉霜 林麗卿 王麗雲 高美桂 王寶春 王佩雯 周麗雪 高秋月 陳淑枝
維基文庫:
愛的教育
始業日► 我們的先生 
      今天開學了,鄉間的三個月,夢也似的過去,又回到了這丘林的學校裡來了。早晨母親送我到學校裡去的時候,心還一味想著在鄉間的情形哩,不論哪一條街道,都充滿著學校的學生們;書店的門口呢,學生的父兄們都擁擠著在那裡購買筆記簿、書袋等類的東西;校役和警察都拼命似的想把路排開。到了校門口,覺得有人觸動我的肩膀,原來這就是我三年級時候的先生,是一位頭髮赤而卷攏、面貌快活的先生。先生看著我的臉孔說:
  “我們不再在一處了!安利柯!”
  這原是我早已知道的事,今天被先生這麼一說,不覺重新難過起來了。我們好容易地到了裡面,許多夫人、紳士、普通婦人、職工、官吏、女僧侶、男用人、女用人,都一手拉了小兒,一手抱了成績簿,擠滿在接待所樓梯旁,嘈雜得如同戲館裡一樣。我重新看這大大的休息室的房子,非常歡喜,因為我這三年來,每日到教室去都穿過這室。我的二年級時候的女先生見了我:
  “安利柯!你現在要到樓上去了!要不走過我的教室了!”
  說著,戀戀地看我。校長先生被婦人們圍繞著,頭髮好像比以前白了。學生們也比夏天的時候長大強壯了許多。才來入一年級的小孩們不願到教室裡去,像驢馬似的倔強,勉強拉了進去,有的仍舊逃出,有的因為找不著父母,哭了起來。做父母的回了進去,有的誘騙,有的叱罵,先生們也弄得沒有法子了。
  我的弟弟被編入在名叫代爾卡諦的女先生所教的一組裡。午前十時,大家進了教室,我們的一級��五十五人。從三年級一同升上來的只不過十五六人,慣得一等獎的代洛西也在裡面。一想起暑假中跑來跑去遊過的山林,覺得學校裡暗悶得討厭。又憶起三年級時候的先生來:那是常常對著我們笑的好先生,是和我們差不多大的先生。那個先生的紅而卷攏的頭髮已不能看見了,一想到此,就有點難過。這次的先生,身材高長,沒有胡鬚,長長地留著花白的頭髮,額上皺著直織,說話大聲,地瞪著眼一個一個地看我們的時候,眼光竟像要透到我們心裡似的。而且還是一位沒有笑容的先生。我想:
  “唉!一天總算過去了,還有九個月呢!什麼用功,什麼月試,多討厭啊!”
  一出教室,很不得就看見母親,飛跑到母親面前去吻她的手。母親說:
  “安利柯啊!要用心羅!我也和你們用功呢!”
  我高高興興地回家了。可是因為那位親愛快活的先生已不在,學校也不如以前的有趣味了。
50年代國小課本(01)課本目錄
http://cses59g.blogspot.com/2012/07/5001_28.html?m=1
清水國小 59畢同學會
2012年7月28日 星期六
50年代國小課本(01)課本目錄
遷台以來國小歷次課程修訂
41年「國民學校國語社會二科修訂標準」
51年「國民學校修訂課程標準」
57年「國民小學暫行課程標準」
64年「國民小學課程標準」
82年「國民小學課程標準」
89年「國民中小學九年一貫課程暫行綱要」
民國57年以前國小課本目錄
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    國小國語課本 第 1 冊
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 一 爸爸媽媽       九 一同上學
 二 哥哥弟弟       十 同學多
 三 大貓小貓       十一 老師早
 四 大貓小貓都可愛    十二 坐好了
 五 大家來拍球      十三 媽媽做新衣服
 六 妹妹拍球       十四 新年到了
 七 姊姊拍球       十五 新年好
 八 大家一同坐      十六 我們的國旗
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    國小國語課本 第 2 冊
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 一 開學了        十六 花兒真好看
 二 我愛國旗       十七 牛耕田
 三 好兒童        十八 稻子成熟了
 四 好學生        十九 懶牛拉車
 五 天亮了        二十 小麥黃
 六 上學校        二十一 小馬長大了
 七 上課了        二十二 學跑路
 八 放學回家       二十三 學拉車
 九 兒童節        二十四 大野狼
 十 起身早        二十五 大家一齊來
 十一 運動會       二十六 一群小螞蟻
 十二 來賽跑       二十七 蒼蠅爬過的東西
 十三 桃花開       二十八 打掃乾淨
 十四 燕子忙       二十九 姊姊愛清潔
 十五 小蜜蜂       三十  小病菌
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    國小國語課本 第 3 冊
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 一 愛護同學       十六 比賽本領
 二 小鳥和螞蟻      十七 用錢要節省
 三 司馬光救了同伴    十八 有公德心的學生
 四 兩隻羊過橋      十九 好心的軍人
 五 蟋蟀和螞蟻      二十 孔融讓梨
 六 放羊的孩子      二十一 送衣服給同學
 七 稻草人        二十二 打虎救父
 八 國父的故事      二十三 忠心的狗
 九 國慶紀念       二十四 小白兔請客
 十 國旗的故事      二十五 牙齒疼了
 十一 愛國少年      二十六 小華的日記
 十二 怎麼少了一頭牛   二十七 買飛機
 十三 中秋的月亮     二十八 美國兒童號輪船
 十四 老鴉喝水      二十九 雪夜讀書
 十五 聰明的孩子     三十  蜘蛛織網
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    國小國語課本 第 4 冊
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 一 勤勞的蔣總統     十六 愛護主人的獵狗
 二 大家來做工      十七 孝順的兒子
 三 還是去種田吧     十八 愛國的老農夫
 四 種核桃的老人     十九 共匪太殘忍了
 五 小華的日記      二十 種牛痘
 六 拔蘿蔔        二十一 把指甲剪短了吧
 七 老農夫的兒子     二十二 小明的日記
 八 樹上還有幾隻鳥    二十三 送瞎子回家
 九 稱大象        二十四 這是誰失掉的鈔票
 十 油瓶打破了      二十五 排隊取水
 十一 三兄弟       二十六 王烈送布
 十二 給表哥的信     二十七 努力向上
 十三 乘火車       二十八 鐵棍磨成針
 十四 孝敬父母      二十九 愚公移山
 十五 給外婆的信     三十  借書的便條
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    國小國語課本 第 5 冊
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 一 一隻怪小雞      十六 海
 二 老鷹和母雞      十七 爸爸捕魚去
 三 老萊子        十八 一陣西北風
 四 小松樹        十九 時鐘
 五 用荻莖寫字      二十 日曆
 六 王冕畫荷       二十一 請假信
 七 勤學的匡衡      二十二 寫賀年片
 八 國慶日        二十三 獅子和老鼠
 九 可愛的中華      二十四 愛護小動物
 十 木蘭從軍       二十五 和善的劉寬
 十一 平定了亂賊     二十六 物還原主
 十二 江南好       二十七 國父的革命精神
 十三 好人活不了     二十八 愛國的蔣總統
 十四 天堂變成地獄    二十九 盡忠報國
 十五 農家        三十  咬碎了牙齒
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    國小國語課本 第 6 冊
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 一 春天來了       十六 石童子
 二 插秧曲        十七 捨己救人的號手
 三 小雨點的希望     十八 救了全村人的性命
 四 媽媽的苦心      十九 狼和小羊
 五 于右任的童年     二十 李明失蹤了
 六 不要怕困難      二十一 英勇的國軍
 七 巴律西        二十二 我們的家在大陸上
 八 種樹         二十三 沒有主意的人
 九 臺灣寶島       二十四 蘋果拿到了
 十 自由中國的工廠    二十五 聰明的老領隊
 十一 母愛        二十六 晏子使楚
 十二 悔過        二十七 誰最快樂
 十三 偉大的母親     二十八 尋找失物
 十四 媽媽生日的禮物   二十九 小華給父親的信
 十五 滑翔機       三十  給老師的信
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    國小國語課本 第 7 冊
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 一 橋          十六 訪友
 二 手和腦        十七 電報稿
 三 電的自述       十八 斑馬線
 四 廣大的森林      十九 交通安全
 五 孔子學琴       二十 不能忘
 六 寫完一缸水      二十一 鄭成功
 七 作文和製衣      二十二 老火車頭
 八 四季         二十三 西螺大橋
 九 日記一則       二十四 國父的幼年時代(一)
 十 海邊看日出      二十五 國父的幼年時代(二)
 十一 溫泉浴       二十六 保密防諜
 十二 月兒彎彎      二十七 藺相如和廉頗
 十三 聞雞起舞      二十八 艾森豪勸架
 十四 愛國的牧羊人    二十九 蘇軾替人畫扇子
 十五 奮鬥到底      三十  最可敬佩的行為
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    國小國語課本 第 8 冊
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 一 藍色的舊書包     十六 開闢荒地
 二 不怕死的媽媽     十七 貪玩的小蚱蜢
 三 孔子講孝       十八 勤勞和懶惰
 四 春光好        十九 盧溝橋
 五 吳鳳         二十  愛國兒童(一)
 六 白衣天使       二十一 愛國兒童(二)
 七 守燈塔的女孩     二十二 老當益壯
 八 雲彩         二十三 虹
 九 非洲探險       二十四 高貴的友情
 十 聰明的叔叔      二十五 荀巨伯
 十一 歌唱比賽      二十六 蘇武牧羊
 十二 神箭手       二十七 急口令
 十三 堅強的小松樹    二十八 蔣總統的家書
 十四 選舉克難英雄    二十九 快樂的生日
 十五 青海青       三十  考期快到了
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    國小國語課本 第 9 冊
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 一 開學日        十三 偉大的母親
 二 慈愛的老師      十四 採蓮謠
 三 堆棧和工廠      十五 義勇的漁夫
 四 讀書四到       十六 偉大的工程師
 五 好學的故事      十七 借書
 六 西湖秋泛       十八 捉匪諜
 七 月夜         十九 五言絕句四首
 八 月光曲        二十 好習慣和壞習慣
 九 墨翟和公輸般     二十一 天資和努力
 十 自強不息的蔣總統   二十二 防空演習的一幕
 十一 日出        二十三 做一個研究科學的孩子
 十二 忠勇的男兒     二十四 談談規律生活
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    國小國語課本 第 10 冊
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 一 好的開始       十三 梅雨
 二 詩二首        十四 日記三則
 三 兩頭蛇        十五 孟母
 四 勇敢的忠臣      十六 母親節的禮物
 五 八指將軍       十七 仲夏的夢
 六 懷大陸        十八 端午節
 七 整潔樸素       十九 我國書籍的發展
 八 少康中興       二十 七言絕句-田園詩
 九 雙城復國       二十一 父親告誡的話
 十 我很羨慕發明家    二十二 武訓興學(一)
 十一 疑問與答案     二十三 武訓興學(二)
 十二 待反攻的號角響   二十四 暑期進修會
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    國小國語課本 第 11 冊
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 一 新生活        十三 義俠的行為
 二 燕子         十四 希望
 三 至聖先師孔子     十五 看報
 四 大教育家孟子     十六 日記一頁
 五 台灣         十七 過西陵峽
 六 愛國詩人丘逢甲    十八 畫題
 七 七言絕句三首     十九 寓言三則
 八 天空的景色      二十 鹿車同挽
 九 怎樣保持你的健康   二十一 義友
 十 愉快的旅行      二十二 安樂王子
 十一 橫貫公路      二十三 愛國的孩子(一)
 十二 麥舟濟友      二十四 愛國的孩子(二)
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    國小國語課本 第 12 冊
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 一 朝氣         十三 過印度洋
 二 明日歌        十四 禪讓之世
 三 春曉赴陽明      十五 禮讓之風
 四 佳作欣賞       十六 辯論
 五 愛惜時間       十七 雨中的海
 六 愛惜公物       十八 讀課外書
 七 海峽上的月亮     十九 雲岡石佛
 八 國父孫中山先生軼事  二十 古代的歌謠
 九 知音的人       二十一 代父從軍(一)
 十 名畫家的故事     二十二 代父從軍(二)
 十一 書法家的故事    二十三 購贈紀念品的提案
 十二 偉大的軍事學家   二十四 畢業典禮講演詞
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清水國小59畢同學會 於 晚上9:32
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nccwa · 4 months
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舊雨浥今塵–奧本海默的聯想
                  夏烈(夏祖焯)
           人類在瞭解它之前不會怕它,但在使用它之前不會瞭解它。 - 奧本海默(有關原子彈)
    近觀兩部電影:《奧本海默》及《媽的多重宇宙》,引起一些回憶及感觸,千山懷往釀成繽紛的秋季,無聲,煙霧楓紅交融,昨日默然降臨。
原子概念始自連環圖畫
    原子的概念小時就開始了,不外是癌症放射治療及原子彈,那時還沒有核能電廠。唸小學時在台北市南昌街小攤子上租連環圖畫看:原子彈是一顆大炸彈在天空中爆炸後分解,產生千千萬萬顆小炸彈,每顆後面有一隻白色小降落傘,鋪天漫地的大批降下……這是對原子彈原理的最初瞭解。能有這種想像力的連環畫家也算是別具創意了。兩顆原子彈在日本落下後超過20萬人立即死亡,所以「原子」本身是個威力強大的新物種,也進入我們的日常生活。作曲家姚敏當時曾譜一流行歌曲〈夫妻相罵〉:
   妻):自從嫁了妳呀,幸福便算完 _ _ _ _這樣的家庭簡直是殯儀館 (此句重複一次)
   夫):自從娶了妳呀,每天聽你煩 _ _ _ _這樣的女人簡直是個原子彈 (重複一次)
    原子彈型的女人威力應是很強大。後來又有「原子筆」出現,取代墨水鋼筆;「原子襪」是尼龍製襪,不容易磨損;「原子褲」名出自香港;還有原子錶及原子鐘,內容不詳;反攻大陸的民國四十年代,台北有位大發明家陳永松君,研究一種可以「對抗原子彈的新武器」,一枚可以炸毀台北市,二枚消滅共匪的上海市。何凡在聯副「玻璃墊上」專欄表達憂慮陳君在台北市做此偉大研究實驗:「萬一失手爆炸了怎麼辦?」   
    所以,那時代全世界不分強弱,都已進入原子時代。下去是醫藥治療,核子動力潛艇、航母、船艦等等,核子飛機及核子衛星至今尚未出現。蘇聯在1954年建成第一座商用核能電廠。以後是否會出現核子人工智慧?如果人工智慧與核子混合,威力會更遠超越人類史上最強大,最有名的能量公式E=mc² 。E是能量,m是質量(重量),c 是每秒30萬公里的光速,因為光速的平方是天文數字,所以落在廣島及長崎的原子彈只不過用了幾十公斤的濃縮鈾及僅6公斤的放射性佈,就產生約2萬噸黃色炸藥的殺傷能量。
    我所有的學位都是工程,與核子物理無關。在德克薩斯州念書時與李文和博士同學,而且同屬一個台灣留學生組的伙食團,他做一手好菜,甚至能做出全桌酒席大菜。他後來進入製造原子彈的新墨西哥州洛斯阿拉莫斯國家實驗室工作,也就是奧本海默在沙漠中建立的原子彈聖城。李兄在那兒不是做菜,是做原子彈。他被誤為中國大陸核子間諜,無故坐牢九個月。其實他是非常台灣本土思想的工程科學家,喜好文學及古典音樂,曾協助審閱我寫的大學教科書《近代外國文學思潮》(聯合文學出版)。終於,法官判無罪,還在庭上向他道歉,賠償165萬美金,好像課稅及律師費用之後只拿到一半。後來我推薦他回到他母校成功大學教書一年,至今他竟已出了三本英文的核子工程有關專業書籍,也真是傑出人才了。他是台灣唯一內陸縣南投農家出身,手巧能修許多機電及木工物件,為人忠厚老實,甚至有些天真,如此才會變成美國官方內鬥犧牲品。
    另外一個與原子彈有關的台灣人是張憲義上校。他是中山科學院核能研究所的副所長,因向美方舉報台灣發展原子彈狀況而逃往美國。此舉對台灣人民安全是有害還是有利?見仁見智。因為大陸曾表示攻台的三大原因之一是台灣製造出原子彈。
宇宙浩瀚,原子細微
     鑒於量子力學有機率的特質,所以多重宇宙或平行宇宙的概念出現。如果進入世界(或世間)的起源,亞伯拉罕三教(猶太教,基督教及伊斯蘭教)咸認世界是上帝(或阿拉)創造的。佛教則認為世界起源無始,乃由眾生無息無止、共業感召生成,我們在三界中生死輪迴,居住的娑婆世界,乃是一佛所化三千大千世界的中心。即使有宇宙物理學或宗教學不同的解釋,《媽的多重宇宙》並沒有表達複雜、模糊未定的天體科學理論,或是充滿幻想及神話的宗教體認。只是利用多重宇宙的背景,為一個簡單的移民奮鬥及家庭倫理故事添增情節,令這影片更有魅力,甚至離奇。觀眾對此片的反應相當兩極化,顯然與年齡有極大關聯。年長一代基本上無法進入狀況,觀賞不到三分之一就入睡或離場。我課堂上年輕大學生則個個叫好。但寫實的《奧本海默》影片表達方式顯然迥異。
    在另一個宇宙的太空遨翔,那是個無限靜寂、魅麗、遙濶、充滿綺思的世界,令人流連忘返。然而在原子彈爆炸的那一霎那,無限的火焰及紅光,巨大的聲響,則是美麗而醜陋的世界,充滿了毀滅灰煙,此種感受只能做形而上的描繪。這兩部電影給人的聯想會是歡愉還是痛苦?天堂還是地獄?或是百感交集,不能自已?
    奧本海默由歐洲學成返美,在柏克萊加州大學教書,也是最先研究黑洞及引進量子力學到美國的科學家之一。「曼哈頓計畫」有18人得到諾貝爾物理獎,「原子彈之父」奧本海默被提名三次,卻未得獎。他有學問,有才華,但在物理學的研究上沒有聚焦點,無重大發現 ─物理學只是他的眾多愛好之一。這說明了什麼?你能告訴我嗎?
     電影中沒提到他與李政道、楊振寧、吳健雄的關係。他曾說過:『我最喜歡看見的景像就是李政道與楊振寧並肩在普林斯頓大學的草坪上散步。』吳健雄在產生原子彈的「曼哈頓計畫」遇到連鎖反應無法延續的難題時,協助解決,否則原子彈轟炸日本勢必延緩。多久,沒人知道。奧本海默稱吳健雄院士為「姐姐」。   
     影片的上映引起一些議論,因為奧本海默是80年前原子彈生產計劃的總負責人,卻曾與美國共產黨有關,又公開發表言論反對原子彈及後續氫彈的進展,成為爭議性人物。實際上不投原子彈,美軍登陸會遭遇日本「本土決戰」死鬥,估計將產生起碼上百萬至數百萬軍民的死亡,奧本海默不可能不知。這筆帳要怎麼算?而他後來竟有悔意,在心理上算不算是個堅強及有理性的人?他太聰明,是失去腳的鳥,不停飛翔,不能棲枝或落地,終將帶著他泥濘的人生,疲憊以終。
原爆生存者來聽我演講
    加州大學在地柏克萊的圖書館,亞洲部門主管是台北畫家郭雪湖先生的女公子郭惠美,和她長兄郭松棻都是台大外文系出身,所以重視文學。我被惠美邀請演講12次,每次五百美金,講完一概掏出來請大家吃晚餐,皆大歡喜。有一次講木下惠介導演,高峰秀子主演的反戰名片「二十四の瞳」(「二十四隻眼睛」),因我用英文講,有大批日本後裔前來聽講,場地爆滿,講台前地毯上都坐滿了聽眾。講完問題回答時間有一位矮小
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                       高峰秀子主演「二十四の瞳」                     
平頭,面容粗糙的老人站起用日本腔英文發言,告訴大家他曾經歷廣島原爆,因距離逃過一劫,沒說多遠,但是他說看到強烈的亮光。我請他多報告一些,同時也表達他的感想,但他英文說不好,聽不太懂,大家只能點頭稱許。這是此生唯一見到吃過原子彈的人 (我忘了問他:是否見到千百顆後面戴著白色降落傘的小炸彈冉冉飄下)。
   另一位與原爆有關的是蔣渭水先生的長子蔣松輝學長。他是建中(日據時代台北一中)校友,畢業入長崎醫大讀醫。後因蔣渭水留下的奠儀生活費用罄而輟學轉往上海謀生。他前腳走,後腳就是長崎原爆。所以他說是因窮活命。此事我寫在〈紅樓賦〉一文,發表在前幾年的聯副。另一台中清水友人蔡寬博士 (因他父親喜愛菊池寬的小說,而為他取單名寬),當時全家住在關西,被日本政府下令疏散,以躲避美國空軍的大肆轟炸。他們決定往北遠走北海道,要是往西近處走,就進入廣島原爆,後來也不會畢業於政大新聞系,與我同在密西根州的研究所同學了。我兩不同行,聊天卻很愉快,因為我到底是新聞家庭出身。
    《奧本海默》與《媽的多重宇宙》都與科技有關,都採用數個故事線交叉剪輯的製片技巧,也都摻入許多科技名詞,如量子力學、平行宇宙、連鎖反應、有機率、分子波函數……等等。片中也出現我當年在工學院念書時讀到的科學家、工程師及數學家如費米、愛因斯坦、勞倫斯、尤勒、貝塞爾、泰勒、鮑林、波爾....等等。有幾位在舊金山灣區的場合見到過,並無上前握手交談的經驗,但在影院黑暗中見到這些熟習的名字,還是很高興。我後來轉業在新竹清華及台南成大教授近代歐洲文學及日本文學。雖仍與工程界掛勾,那只是為了有許多老朋友及從事風險性投資賺錢,實際上已與工程、數理(STEM)本體脫鉤。有一天走到地下室儲藏間清理,恰巧看到唸研究所時使用已塵封的教科書及筆記。打開一看,艱深複雜的數學公式簡直就是天書,我很驚訝那時我居然這麼聰明,有這麼大的本領能看得懂這些天書 ─ 現在已經不聰明了!
台北被轟炸毀壞 
 
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    有些人說原子彈轟炸日本是對黃種人的種族歧視。其實本來是準備核爆德國,因為德國的原子彈研究遠比日本成熟。但在美國試爆成功時,德國已投降。美國在日本投降前,曾對許多城市(甚至有些中小城市) 做大規模、一般性炸彈及燃燒彈的轟炸,包括平民市區,死亡人數比兩顆原子彈還多許多倍,這一點奧本海默應也有深刻認知。實際上,最先空襲日本的不是美國飛機,而是事後任空軍總司令的徐煥昇將軍。他於1938年駕機夜航空襲日本,在幾個城市投下數百萬份傳單,令日人瞭解中國空軍也能飛入日本領空。大名昭彰的美國空軍杜立特將軍則是四年後的1942年才開始轟炸日本,卻出了大名。
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                             28歲的徐煥昇上尉(右)駕馬丁轟炸機空襲日本
    我在美國任工程師時,有一次調查加州某一老舊機場的跑道損壞情形,他們告訴我以前杜立特將軍在此起飛多次,不可能是去轟炸東京,因為航程太遠。兩顆原子彈是小心翼翼地海運去關島以北的天寧島機場,然後在1945年8月由B-29載去廣島及長崎投彈。那艘運原子彈去天寧島的巡洋艦印第安那波利斯號,不久被日本潛水艇以魚雷擊沉。這令人想到:如果在運原子彈到達天寧島之前被擊沉,會是什麼樣的局面?要何時才能投下原子彈?但是那時美國已計畫在1945年底前共製造出九顆原子彈。8月15日日本昭和天皇「玉音放送」宣布投降,所以剩下的原子彈不需使用了,聽說現仍存在洛斯阿拉莫斯國家實驗室,不知是否公開陳列,以招徠世界各國觀光客。當然是拔了塞不會爆炸,否則就如陳永松君在台北市試驗炸彈一樣。陳君的炸彈「一枚可以毀滅台北市」。
    又想到曾到舊金山灣的阿拉米達港參觀已除役的大黃蜂號 Hornet 航空母艦,現在是航母博物館。艦上可看到承載飛機,甲板起落架,海軍官兵起居餐廳,飛行員起飛作戰前的戰報室。還看到1969年人類首次登陸月球返回地球降落太平洋,被大黃蜂號接應吊起的太空艙。記得首步踏上月球土壤的太空人阿姆斯壯說道:『這是我的一小步,卻是人類的一大步。』(One small step for a man, one giant leap for mankind)那天我是在密西根州大的結構工程教授家觀看此歷史鏡頭。他和我同樣對文學有興趣,工程之外的文學暢談總是極為愉快,不能罷休。如今他已離世,一些談得來的朋友都走了,我也逐漸老去,何時會再遇到一位 ─ 還是遇不到了。
    大黃蜂號曾對台灣轟炸多次,甲板下飛機庫牆上有一張掛圖顯示轟炸台灣的次數。記得台灣被標示為Formosa。基本上,台灣並未像廣島、長崎、小倉、新瀉、京都等被列入原子彈投擲候選名單。但是對台灣的一般性轟炸先是軍事目標,然後是港口及工業, 1945年展申到城鎮市區。5月31日的大轟炸以台北市的總督府(今總統府)為轟炸集中點,週遭台銀、台大醫院、地方法院都被潑及,重慶南路的第一女高(北一女)及南海路上的台北一中(建中)也吃了炸彈。北一女災情我不知道,但建中紅樓西側被炸得斷垣殘壁,我唸書時還未清除,猜是國共內戰百廢待舉之故。數學傅禺老師的《建中養我三十年》書中提到一些野狗在那兒築窩。建中之前我念隔壁的台北實小,不記得實小有任何損毀。建中紅樓正對面是植物園國語日報社址的前「建功神社」,也不記得有任何損毀。我小學時常去此神社,因為先嚴曾是國語日報的社長及發行人。
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      1945年5月31日總督府南側被炸毀  
       
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大黃蜂航母轟炸Formosa (右第五行)
    轟炸台灣其實始自1938年,以蘇聯與日本是宿敵,所以蘇聯飛行員駕援華飛機轟炸台北飛行場(今松山機場),因那時日本海軍航空隊駐紮於此 (日軍編制無空軍,戰機屬海軍或陸軍航空隊)。以後除美國外,英國、澳洲及墨西哥的空軍也曾轟炸台灣。墨西哥人因講西班牙語,所以曾有一隊空軍駐紮前西班牙殖民地的菲律賓。1944及1945的多次轟炸,在台灣共炸死六千多人。澎湖因有日軍設施,也遭轟炸多次。我服少尉軍官役於野戰第51步兵輕裝師,曾調防澎湖5個月,駐守過山水海灘及拱北嶺頂雷達站,倒沒聽耆老鄉親說過曾被轟炸的事,相信也沒什麼值得探討的,山的那邊就是墳墓,或是天堂。 
    彼時有許多戰爭,所以死亡不是陌生人。那些化為千風的孤魂,在白雲藍天飄逸。台北是我故鄉,曾在夢中見到過降雪的台北,大地一片銀白,無聲無息的雪花飄落,那豈是進入秋天最後旎旖的回憶。走筆至此,冬日即將到來,輕柔壓抑的情緒依然熟悉,觸景生情,心中感概不已,但願人長久,台北故鄉爾後安然無恙。
(2024年1月7日及8日聯合報副刊連載)
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