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#ポップ・ミュージック
nakamorijuan · 10 months
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中森明菜 - アルマージ Akina Nakamori - AL-MAUJ
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kennak · 4 months
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2024 年にテレビ視聴者が期待できることが 1 つあります。それは、料金の値上げとコマーシャルの増加です。 主要なストリーミングサービスであるAmazon、Netflix、Hulu、Disney+、Maxは いずれも 料金値上げと新たな広告政策を発表した。 私が新著『 24時間年中無休の政治: ウォーターゲートからFOXニュースまでケーブルテレビとアメリカの断片化 』で示しているように、ケーブルテレビを危機に陥れたストリーミングブームは、実際にはテレビ視聴者にお金を支払わせたのと全く同じビジネスモデルに基づいて構築されている。数十年前の月額制のサブスクリプション。 前任のケーブル会社と同様に、ストリーミング会社は、より優れた、より安価な視聴体験を約束して人々を魅了してきました。 現在、同社は強固な加入者ベースを獲得したため、料金の値上げを進めていると同時に、より多くのコマーシャルを導入したり、顧客にますます多く支払ってもらうために番組をバンドルしたりしているところだ。 ただし、違いはあります。 1980年代後半にケーブル会社が同様の戦術を試みたとき、そのような商慣行は有権者にとって「不公平」であるとして政治家から大騒ぎになった。 今では、のぞき見はまったくありません。これは、顧客を搾り取ろうとする企業の気まぐれにアメリカ人がいかに慣れてしまっているかを示しています。 「有料テレビ」の流れを食い止める ストリーミング会社と同様に、1960 年代のケーブル TV の起業家たちは、より少ないコマーシャルでより多くの選択肢を得る道として、ケーブル テレビを構成するビジネスの可能性を見出しました。 当時、 連邦規制は、 」にも貢献する限り、放送波を独占することを許可することで、競争を圧殺しました CBS、NBC、ABC という「ビッグ 3」放送ネットワークが、曖昧に定義された「公共の利益 。 広告主が番組の費用を負担したため、視聴者は毎月のテレビ料金を支払う必要はなかったものの、コマーシャルを我慢しなければならなかった。 このビジネス構造は、可能な限り幅広い視聴者を広告主に提供するために、大衆にアピールする番組制作も奨励しました。 しかし、すべてのテレビ視聴者が、放送波を独占していた定型的なクイズ番組やホームコメディに満足していたわけではありません。 未開発の機会を察知したテレビ起業家たちは、ビッグ 3 の支配を回避する方法をでっち上げようとしました。 ケーブルテレビの歴史は 1940 年代後半にまで遡ります。 」 (CATV)として知られていました。 当初は「コミュニティ アンテナ テレビ 大都市から信号を受信できない小規模なコミュニティに放送信号を届けるために使用されていたため、 当初、このテクノロジーは、競合するサービスを提供するのではなく、CBS、NBC、ABC のサービス範囲を単に拡大するものでした。 元 NBC 幹部のパット・ウィーバー氏は、娘の女優シガニー・ウィーバー氏とともに、初期からサブスクリプション TV の支持者でした。 ロン・ガレラコレクション/ゲッティイメージズ しかし、1963 年に、パット ウィーバーという元 NBC 幹部が サブスクリプション テレビを提案しました。 、有線接続を介して専門チャンネルにアクセスするために月額料金を支払う ウィーバー氏は、自身の会社であるSTVが、全米のお茶の間まで届く「広告トリビアの広大な土地」を回避する方法を提供したと、ある公開フォーラムで説明した。 ウィーバー氏は、個々の加入者により多くの選択肢を与えることで、放送番組の限界を打ち破るビジネス モデルを構築できるのではないかと夢見ていました。 結局、STVは続かなかった。 放送局と劇場所有者は、このような実験によってすべてのテレビが有料テレビに変わり、アメリカ人がテレビにアクセスできる人とそうでない人に二分されることを国民に説得するために動員された。 放送ロビイストらは 、「有料テレビ」は視聴者から無料でテレビを視聴する権利を奪い、「非民主的で不和の影響を与える」と警告した。 あるチラシには、 テレビに入れる十分なコインを持たず、サッカー用のヘルメットをかぶった打ちのめされた少年が描かれていた。 「ポップは、球技の試合を観るのにもう1ドル半も持たないと言っている」とキャプションには書かれていた。 無料テレビの終了に関する悲惨な警告は効果をもたらし、有権者は 1964 年に定期購読テレビを非合法化する州投票計画を 支持した。 裁判所は合衆国憲法 新しい法律を破棄しましたが、STV は存続しませんでした。 修正第 1 条に違反するとして ケーブルが引っ掛かる しかし、有線テレビが視聴者により多くの選択肢を提供するという考えは変わりませんでした。 1970 年代にテレビ放送の限界に対する不満が 政治分野全体で強まる中 、消費者、選挙で選ばれた役人、規制当局は皆、代替手段を提供するケーブル テレビの可能性を受け入れました。 1970 年代半ばまでに、ケーブル システムの衛星経由で配信される番組の実験により、視聴者が興味を持つかどうかを確認するために、ノンストップ映画、スポーツ、音楽、天気などの新しいタイプのニッチなチャンネルや番組がテストされました。 1975年、HBOはモハメド・アリとジョー・フレイジャーの国際ボクシング試合「 スリラ・イン・マニラ 」の生中継が、苦境に立たされていた有料テレビ事業の活性化につながると賭けた。 1972 年に初めて開始された HBO のような有料テレビ サービスからの収入は、 急増しました。 1975 年の 2,900 万ドルから 1980 年の 7 億 6,900 万ドルまで 以前の STV と同様に、ケーブル会社は放送とその広告モデルに対する不満を利用しました。 彼らは、HBO のようなプレミアム チャンネルが「ノーカット、ノーコマーシャル」で映画を提供できると約束して、サブスクリプションを販売しました。 何百万人もの人々が、ケーブルのサブスクリプションや、さらに料金がかかる HBO などのプレミアム チャンネルに熱心にサインアップしました。 規制緩和国家 特定の層にアピールするニッチなケーブル チャンネルがすぐに登場しました。 ブラック エンターテイメント テレビは、黒人視聴者に向けた番組の新たな機会を生み出しました。 デイタイム チャンネルは女性向けのエンターテイメントやニュースを提供し、MTV はミュージック ビデオを通じて若い世代とつながりました。 次に、1979 年から下院にカメラを設置したケーブル業界が資金提供する C-SPAN の取り組みがありました。1984 年にネットワークに宛てた手紙の中で、熱心な視聴者は広報チャンネルが「裏側からの情報」を提供していることを賞賛しました。 -共通の関心事については近隣住民と柵を設けて議論するが、その範囲は近隣住民の範囲が米国全地域を網羅するものとする。」 ケーブルの人気は業界のロビー活動を後押しし、議会に事業運営の重要な側面の規制緩和を促した。 1984 年に彼らは成功しました。1984 年のケーブル通信政策法により、 企業がサブスクリプション サービスに請求できる金額に対する地方自治体の制限が特に撤廃されました。 価格高騰と顧客サービスの低下という結果がすぐに明らかになりました。 その後数年間で、ケーブルの基本料金は急騰し、 平均 90% 増加しました 。 政治サッカーをする 当時テネシー州を代表する野心的な上院議員だったアル・ゴアはチャンスを見出しました。 同氏はこの問題を激しく非難し、ケーブル会社とロビイストが、 同氏が 「市場の完全な支配」と呼ぶような方法で消費者の需要をどのように利用してきたかを非難した。 ジョン・マローンは 20 年以上にわたり TCI の CEO を務めました。 リック・メイマン/シグマ、ゲッティイメージズ経由 ゴア氏は業界を 米国人の「コーサ・ノストラ」と非難し、テレ・コミュニケーションズ社(TCI)幹部の ジョン・マローン 氏を「ダース・ベイダー」に例え、1989年の議会公聴会で平均的な米国人を「揺さぶった」として同氏を激しく非難した。 。 マローン氏はこれに反発し、ケーブル放送で人々が前例のない選択肢を得ることができたことを強調した。 料金の値上げにより、ネットワーク放送テレビでは決してチャンスがなかったニッチな番組の実験が可能になった、と同氏は付け加えた。 また、こうしたサービスを提��するために全国に電線を敷設し、その後アップグレードするための費用の支払いも支援しました。 古いものはすべて再び新しくなります ケーブルバッシングは、ゴア氏と最有力候補のアーカンソー州知事ビル・クリントン氏の選挙活動において効果的だった。 しかし、いったん就任すると方針を変えた。 と考え��いる情報ハイウェイを構築することを望んでおり 彼らは、民間産業が政府の政策課題の中心である 、ケーブル会社は何百万もの家庭に引き込まれている同軸線を所有していました。 4 年後、ゴアとクリントンは 1996 年の電気通信法 を祝い、ゴアが 1992 年の選挙活動中に支持していた多くの料金規制措置を削減しました。 根拠は? 市場での競争と番組の選択だけでも公共の利益に貢献できるということ。 結果? 民間企業とその利益率の基盤の上に築かれたメディア環境の拡大。 利上げ、 パスワード共有の制限 、利益を上げることを目的とした変更に対する今日の不満にも関わらず、 、スポーツイベントの独占ストリーミング契約など 人々はかつてのように、政治家にこれらの懸念を乗り越え、対処してくれるように頼ることはなくなっています。 規制緩和に対する超党派の信念が、代替政策に関するこうした議論を閉ざしているように見える。 だからこそ、ケーブルは新たなビジネス モデルへの道を切り開くだけではなかったのです。 また、選挙で選ばれた役人や有権者に、公共の利益について、市場が最高に君臨するという異なる理解を受け入れるよう説得した。
料金の上昇と広告の増加により、Netflix、Disney+、Hulu などのストリーミング サービスは、ケーブル TV の古い戦術を利用して利益を得ています。
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togekiss4ss · 2 months
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修       翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ。ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはないものと思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをやらなきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで、何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置かれた抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッセージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックスって、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだからね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そして社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていうと、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係ないんだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだよ。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を運れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアート·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ。もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイズム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。バンドそしてオーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさないんだったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今、もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?成功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかなり扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないからね。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに澄ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱したらどうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発なんだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
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soulbounce · 1 year
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細野晴臣と坂本龍一
坂本龍一が亡くなってから彼の作品を聴いているうちに細野晴臣との共通点に思いを馳せるようになった。 一時細野晴臣と坂本龍一が緊張状態であった事が知られているが、少なくとも80年代いっぱいまでは創作については双方向から影響を与え合い、ほぼ同じ方向を向いていたと思う。
最初の同期現象はYMO結成前夜78年の細野晴臣のソロ「はらいそ」に収録されている「ウォーリー・ビーズ」と坂本龍一のソロ「千のナイフ」に収録されている「The End Of Asia」のコーダ部の相似が指摘されており、細野晴臣は「あのメロディーは確かに私も創ったし、坂本龍一も創ったのだが、それは同時に使ったともいい直せるのだ。」と、表現している。
80年に入ると坂本龍一から細野晴臣への影響として坂本龍一がYMOに持ち込んだ現代音楽的アプローチがある。 80年に坂本龍一が制作したソロ「B-2 UNIT」がYMOの「BGM」に大きな影響を与えたことはよく知られているが、81年にYMOにて坂本龍一主導で制作されたライヒ的ミニマル・ミュージック「体操」がきっかけとなって細野晴臣82年のソロ「フィルハーモニー」では影響全開となり、特に「Luminescent/Hotaru」でのガムラン的ミニマルな音作りはモロに現代音楽的であり、はっぴいえんどからの彼のファンにとっては驚きだっただろう。
二度目の同期現象はYMO散開後86年に坂本龍一ソロ「未来派野郎」、細野晴臣のプロジェクト、フレンズ・オヴ・アースの「SEX ENERGY & STAR」ではいずれも来日していたジェイムズ・ブラウン・バンドのメイシオ・パーカーを取り合うようにして起用(細野晴臣は御大JBまでをも担ぎ出した)、ファンクへの目配せを互いに行った。
89年には三度目の同期現象が発生、エスニック・ミュージックというキーワードで二人ともアルバムを作成している。 坂本龍一は「ビューティ」で沖縄、セネガル、中国、細野晴臣は「オムニ・サイトシーイング」で江刺、アラブ、南米といった欧米以外の辺境の地に息づく音楽をすくいあげ、彼ら流のポップ・ミュージックに昇華させた。
そして細野晴臣から坂本龍一への最大の影響といえば「YMOのコンセプト」であったと思う。 YMOの結成当初の目的が細野晴臣による「海外での成功」ではあったが、ワールド・ツアーの成功後に日本に引きこもり(体力の問題という指摘アリ)、本格的に世界に出かかってやめた、という状況になってしまった。 その後坂本龍一は「戦場のメリークリスマス」をきっかけに映画音楽を活動の中心に据えてソロとして海外に進出したが、本人も「最初のYMOの目的や理想を引き受けて、一人でやってるってことがある」という旨の発言をしており、80年代の終わりに「ラストエンペラー」でアカデミー賞を受賞してからの活動はYMOのコンセプト通りのものであった。
90年代にはいると細野晴臣はアンビエント・ミュージックの森の住人となり、坂本龍一は本格的に海外に打って出て異なる視点で創作を行うことになるが、80年代いっぱいの二人の活動を振り返ると驚くほど視点が似ており、あの確執はアカデミックに分析して自分のものにしていた坂本龍一に対し、飄々と自分のものにしてしまった細野晴臣への坂本龍一からの近親憎悪だったのかもしれない、と思ってしまった(笑)。
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doublegroovesite · 11 months
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MOURNING FOR SACHIKO
DOUBLE
終わることのないDOUBLEの歌
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6月2日に発表したプロローグ・アルバム 「Crystal」が、オリコン初登場2位を記録。
そんな輝かしい結果を知ることもなく、姉・SACHIKOは永眠してしまった。
決して来ないエピローグ。それはきっとDOUBLEに終わりがないことを意味するのだろう。
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 DOUBLEの二人に最初に会ったのは今年2月のこと。 それはソニー・マガジンズ から 『Gb』と『GiRLPOP』の別冊とし て発行された 『JAMSiS 』 に彼女たちが登場し、僕が編集に携わっていたからだった。
 その取材のために、小気味よくリズムを刻む 「Shake」を初めて聴いたとき、DOUBLEがマスに受けそうな予感がした。それほどR&B/ヒップホップに興味を持っていない、むしろ日本のヒットチャー トを追うようなリスナーにも親しみやすいのでは、とそう思ったのだ。「Shake it、Shake it、Shake it、Shake it」というリフはキャッチーだし、ふたりのフェイクによる掛け合いも、ちょっとソウルっぽい歌を聴いてみたかったという向きを満足させるものだろう。 そしてなによりDOUBLEの歌声がフラット、否、ビブラートをそれほど多用していなかったからだ。これがDOUBLEがマスに受けたキー・ポイントだと、僕は思っている。 DOUBLEの楽曲は基本的にポップ・ミュージックとして機能する面がある。R&Bといっても決してドス黒いコブシがまわるものではない。あえて言うならライト感覚。だからこそ気軽にDOUBLEの曲はロずさめる。言ってしまえば、 DOUBLEの曲はカラオケでも歌唱可能なぐらいだ。そして、「Shake」には、それくらいの普遍性=マス・アピールがあった。R&Bという以前に優れたポップスとして成立する。これは重要なことだ。
 一番上の姉から影響を受け、メアリー J.ブライジやSWV、TLCなど向こうのR&B/ヒップホップなどを聴いていたDOUBLE。彼女たちは、98年2月に「Fon me」でデビューを飾った。それに続いて同年5月に「Desire」を発表。 この2曲は筒美京平作曲、福富幸宏編曲という優れたポップ・ソングでありながら、彼女たちを満足させるものではなかったらしい。R&Bを歌いたい。そんな彼女たちのベクトルとは違っていたのだ。そして、そんな背景がDOUBLE流のR&Bスタイルを生みだした。
DOUBLEの楽曲はTAKAKOが作曲を担当している。そのためか、取材などで自分たちのR&Bに対するビジョンをはっきりと伝えるのは、主にTAKAKOの役割だ。そしてSACHIKOはその隣でニコニコとうなずいていることが多い。おっとりしていて、恥ずかしがり屋で、人見知りで、ちょっと天然ボケ気味で。 SACHIKOにはそんなイメージがある。しかし・・・。
先述の「JAMSIS」の取材で写真撮影に応じていたDOUBLEのふたりは、空き時間になるとニュー・シングルとなる「Shake」のプロモーションビデオの振り付けを練習し、コーラスのハモリを練習していた。そのときマイクに通っていない生の歌声を聴けたわけだが、そこでSACHIKOの太い歌声にビックリしたことを覚えている。パワフルかつソウルフルで、華奢な体からは想像できないほどの生命感にあふれていた。好きな人には積極的に120%の自分をアピールしようとする女の子のように、そのときのSACHIKOは大好きな歌をうたうことによって、120%の魅力と躍動感と快活さを見せていたのだ。
 5月21日、 SACHIKOは25歳という若さで永眠した。5月27日に発売されたアナログ盤「Make Me Happy」は即日完売、ふたりが精魂を込めて制作したプロローグ・アルバム「Crystal」 もオリコン初登場2位を記録しているという。今後TAKAKOがどのような活動をしていくのか、 現時点では未定だが、1日も早く歌声を聴かせてもらいたいというのも、DOUBLEの足跡が日本のR&Bシーンの成長過程にとっても序章にしかすぎないからだ。そう、 まさしくこれから、ここから。 だからこそ、DOUBLEに終わりはないのだ。
文:猪又 孝
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mobsprooftheweb · 1 year
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『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』公開決定
伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティの歴史を綴った初のドキュメンタリー!!
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世界の音楽やファッションなど、あらゆる芸術と文化に強烈なインパクトを与え、またヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズの拠点であり、NYパンク・ロックシーンを生み出したことでも知られる伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティ(1965-1981)。
本作『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』はこのクラブの歴史を綴った初のドキュメンタリー作品である。かのCBGBより8年ほど歴史は古く、芸術家、作家、俳優、ミュージシャンなど文化人の社交場でもあったこの店は、アンディ・ウォーホルと彼の取り巻きたちが集い、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、ルー・リードが同じテーブルを囲み、ジョン・レノンやミック・ジャガーらも度々訪れ、ピストルズ解散後のシドもステージに立った場所。
マクシズ・カンザス・シティの成り立ちから終焉までの全軌跡を、本作で初公開となる映像やエピソードの数々を交えながら、当時を肌で経験したスターたちが振り返る歴史的にも稀少な映像作品である。
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「音楽のムーブメントには、必ず発祥の地がある」 ソウル・ミュージックがポピュラーになったのは1960年代のデトロイトであるし、ヒッピーとヘッド・ミュージックは、スピリチュアルの総本山サンフランシスコを中心とした西海岸で進化をとげた。パンクという名で知られるようになった音楽のルーツはニューヨーク、特にダウンタウンのナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ」にあると、断言してもいいだろう。 ルー・リードは、ロックンロールのリリックスへの新たなアプローチを打ち出し、70年代冒頭にマクシズのハウスバンドのような存在となる“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”でそれを結実させた。同時代に登場した“ニューヨーク・ドールズ”もまた重要な意味を持つバンドで、マーサ・アーツセンター崩壊後は彼らもマクシズを拠点とした。 アメリカのとある一角で、ヴェルヴェッツとドールズがパンクの道を切り開いた。 それを可能にしたのがこの、パークアヴェニューサウスにあるマクシズ・カンザス・シティである。ここで生まれたムーブメントは後に続くポピュラー音楽の波に変化を与え、そして今もなお、影響を与え続けている。 これはパンクが生まれた物語であり、それを生み出したナイトクラブの物語である。 (ジミ・ラルミア)
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本作は、ニューヨークで最もクールで影響力のあるナイトクラブ“マクシズ・カンザス・シティ”の15年以上にわたる歴史を記録した、ダニー・ガルシアによる新たな形のドキュメンタリー映画である。
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1965年から1981年まで、マクシズはアンディ・ウォーホルと彼の取り巻きをはじめ、マンハッタンとその周辺に住むアーテイストたちの格好の集いの場となった。画家、作家、詩人、俳優、映画監督、ミュージシャン、モデル…ドラッグ・ディーラーや売春婦までもが、ウォーホルが鎮座するかの有名な“楽屋”に集っていた。この店のオーナー、ミッキー・ラスキンはひよこ豆とボウルに山盛りになったサラダを提供し、食えないアーティストの多くはそれで飢えをしのいでいた。 「サラダにはよく虫が混じっていたけれど」ウォーホルのスーパースターの一人で1968年からこの店のレギュラーであったルビー・リンは振り返る。ペニー・アーケードもまた、68年の半ばに、ジャッキー・カーティスと一緒にフリーフードを狙って通い始めたという。
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「ドラァグクイーンが欲しがるものといえば、タダ飯だから」 マクシズはニューヨークのLGTBコミュニティにとって安全な場所であっただけでなく、世界初のトランスセクシャルDJウェイン・カウンティ(現ジェーン・カウンティ)が2階の小さな部屋で60年代のレコードを回していたことでも有名である。 店の常連だったドアーズの広報担当兼ストゥージズのマネージャー、ダニー・フィールズはミッキーにバンドのライヴ演奏を提案し、やがてヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージーズ、アリス・クーパーらが2階のステージに立ち始める。その後Suicide、ニューヨーク・ドールズと続き、マクシズは次世代ミュージシャンの革命的拠点となるのである。パンク・ロックと70年代のニューヨーク・ロック・シーンの誕生である。 「本当に多様なだった」とエリオット・マーフィーは語る。「フォークシンガーもいたし、アーロ・ガスリーやジョン・フェイヒーもいて、俺もそこにいたんだ」。 マーフィーも友人のブルース・スプリングスティーンとともにマクシズのステージに立ち、大手契約を結んだ。同じくエアロスミスも、マクシズでのステージをCBSのトップであったクライヴ・デイヴィスが気に入り、その年にレコード契約に至ったのである。
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74年の終わり、ミッキーは負債を抱えそのままマクシズを閉店してしまったが、トミー・ディーンとその妻ローラが、すでに知名度が高かったこの店を引き継いで再オープンさせた。 新しい経営者のもと、2階の部屋は拡大され、ブッカーのピーター・クローリーの目利きにより、マクシズは再びニューヨーク・ロックのメッカとなった。 70年代半ばにはバワリーの新しいスポットCBGBが台頭してくるが、映画の中でエリオット・マーフィーは、CBGBが嫌いだったと語る。「ゴミ溜めみたいな場所だった。マクシズは好きだったよ」。
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ドールズの終焉後、新世代のアーティストたちがマクシズ・カンサス・シティとCBGBのステージを奪い合い、そして歴史を積み上げていく。 ブロンディ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、パティ・スミス、ハートブレーカーズ、クランプス、ウェイン・カウンティ、バックストリート・ボーイズ、デッドボーイズなどは氷山の一角に過ぎず、その下には何百ものバンドが毎晩両クラブのヘッドライナーとサポートの地位を巡り、知名度とレコード契約を求めて戦っていた。 いつの時代もそうであるように、多くの者は敗れて散ったけれども、70年代はニューヨークで歴史が作られたのである。エリオット・マーフィーは回想する。「あの時は黄金時代だった」まさにその通りだった。 「1981年になるとシーンはかなり悪化していた」とジェシー・マリンは語る。ネオン・レオンは「シーンを殺したのはシドとナンシーの死だ」と言う。 81年にはマクシズでスティミュレーター、ミスフィッツ、バッド・ブレインズ、ハート・アタック、レーガン・ユースといったバンドによりハードコア・シーンが始まり、さらにドールズとラモーンズが積み上げた歴史を塗り替える新しいバンドの波が押し寄せてきていた。
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マクシズの終わり方は、あまりにもシビアで突拍子もなく、すべてを語ることに躊躇するほどだが、トミー・ディーンとローラ、アトランティックシティ、コカイン、そして偽ドル札が関わっているとだけ述べておこう。 このドキュメンタリーで綴られるこの一連の軌跡、こんな最高にクールなナイトクラブがどのようにして出来上がっていったのか、そしてどのような終焉を迎えることとなったのか、それは知っておくべき歴史のひとつであることは間違いない。
4.29(土)新宿K’s cinemaにて公開 全国順次上映
『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』 (2022年/スペイン/英語/89分/カラー・モノクロ/16:9) 監督:ダニー・ガルシア(『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』『Sad Vacation ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』)
<出演> アリス・クーパー、ジェーン・カウンティ(ウェイン・カウンティ)、ビリー・アイドル、シルヴェイン・シルヴェイン(New York Dolls)、ルビー・リン・レイナー(Ruby & The Rednecks)、エリオット・マーフィー、アラン・ヴェガ(Suiside)、スティーヴ・スティーヴンス、ペニー・アーケード、ジミー・ゼロ(The Dead Boys)、レニー・ケイ(Patti Smith Group)、ハーレイ・フラナガン(Cro-Mags/Stimulators)、ニック・マーデン(Stimulators)、フランク・インファンテ(Blondie)、ジェイ・ジェイ・フレンチ(Twisted Sister)、ジェシー・マリン(D Generation/Heart Attack)、ソニー・ヴィンセント(Testors)ドクター・ノウ(Bad Brains)、H.R.(Bad Brains)、ミッキー・リー(Mutated Music/The Rattlers)、ジョン・ホルムストロム、ボブ・グルーエン、マーティ・ソウ、ピーター・クローリー、ジミ・ラルミア and more
配給・宣伝:CURIOUSCOPE
© Chip Baker Films / Dudeski Ltd.
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dogonodog · 1 year
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2022 Best Albums 10
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コロナ禍の収束の兆しが見え始め、それと同時に街の動きも加速し、日々多忙を極めた一年。あまりにも忙しく、2022年は音楽を積極的に聴く気になれなかったのですが、そんな中でも心に響いた作品を10枚選定しました。
再度聴きなおして、やっぱり良いなぁ~と思った作品が中心です。(順不同)
Fontaines D.C. - SKINTY FIA
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アイルランドはダブリン出身の 5人組 ロック バンド が 3rd AL をリリース。自身のルーツを振り返り、現状をシニカルに表現したロック レコード です。
I Love You
本作はアイルランド人でありダブリン出身のメンバーがロンドンに移住してから経験したことを時に荒々しく、時に文学的に描き、詞に落とし込まれています。私は日本で生まれずっと日本で生活しているので、共感することは難しいのですが、アイルランド人としてロンドンで生活する息苦しさ及びアイルランド人としての矜持を吐露する感情が曲に籠っているので、聴いていて感傷的な気分になりますね。
そんな背景はもちろんですが、やはり曲が良い!リード トラック M-4 “ Jackie Down The Line “ や M-9 “I Love You “ を筆頭に、激しくも非常に重々しくて暗い曲が並んでいるのですが、それがたまらない。なんかイギリスの ロック バンド って感じがして好きなんですよね。儚げなコーラスと掻き鳴らされるギターとフロントマンである グリアン・チャッテン の切ないシャウトが印象的な M-10 “ Nabokov “ で私は昇天しました。
無骨さが目立った Debut AL の ポスト・パンク サウンド から スケール アップ した Fontaines D.C. ...デカいステージが似合うようになってきました。
2月の来日公演が楽しみだ!
Camp Cope - Running with the Hurricane
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オーストラリアはメルボルンの 3 ピース フィメール ロック バンド が 3rd AL をリリース! 力強くエモーショナルな歌声とフォーキーな ロック サウンド はまるで全てを肯定してくれるようで、希望を照らしてくれる一枚です。
Blue
本作も最高だ…!サウンド自体はとてもシンプルで、だからこそ響く ジョージア・マック の力強い歌声。Debut AL ~ 2nd AL の エモ / パンク からの影響が色濃く反映され、バンド シーン の女性差別などを訴えていた頃は ”怒り” が一つの重要なファクターとなって曲を作っていました。ですが、本作はその頃とは雰囲気が変わり、それは曲を聴けばすぐにわかります。 M-10 “ Sing Your Heart Out “「 You can change and so can I ( あなたも変われることはできるし私も変われる) 」という一節を歌い幕を閉じるように、どの曲も優しく包み込んでくれるように暖かく、希望に満ちているようにも思えます。
その大きな理由にメンバーはパンデミックの間、ワクチン接種の仕事をするため看護婦として働いていた経験が大きく影響されているようです。
「音楽は最高だけど、それ以上に大切なものはたくさんある。たとえ自分たちの音楽を気に入らない人が多くいても気にしない。ワクチンを打って生きているんだから。」と語る彼女たち。音楽を聴かなければいけない。それが自分のアイデンティティだとある種、強迫観念に囚われていたといっても過言ではない時期が私にもあったけど、いい意味で所詮は音楽。聴きたいときに聴いて等身大に楽しめばいいんだよと、微笑みかけてくれるような一枚です。
個人的に現在のシーンで一番カッコいい フィメール バンド だと思っています。
Whatever The Weather - Whatever The Weather
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ロンドン の エレクトロニック・ミュージック プロデューサー Loraine James 別名義での 1st AL。温度を音で表したコンセプチュアルなアンビエント レコードです。
17℃ 
何度も再生してはいるのですが、正直聴いているうちに寝ていたので、ちゃんと一から最後まで聴くのは今が初めて。でも改めて聴くと、めっちゃ気持ちいいですね... 
どうやら本作は曲名を温度で表しているように気温や気候がテーマなのですが、天気というのは予測できないことから即興で演奏して作曲した模様。実験的であり美しさが光る作品です。
M-1 “ 25℃ “ (これは徐々に気温が高くなる春の温かみを表現しているのか..) を聴くとアンビエンスなアレンジが中心なのかなと思いきや M-2 “ 0℃ “ (これは水が氷結する瞬間を表現しているのか..) から M-3 “ 17℃ “(これは朝晩の気温の寒暖差を表しているのか..) の流れからは IDM 的アレンジも感じ取られ、また、M-9 “ 30℃ “ (これは夏になり人々が活発に過ごす様子を表現しているのか..) では幽玄なヴォーカルが乗ったエモーショナルな ビート・ミュージック と様々な表情を見せてくれます。これは抗えない天候の変化に伴い自然や人間の変化をも表すようです。
タイトルが温度なのでこの音は何を表現しているのか考えながら曲を楽しむこともできるし、ヒーリング・ミュージック としてリラックスする時に聴くこともできる素晴らしい一枚でした。
Dry Cleaning - Stumpwork
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サウス・ロンドン の注目株が去年に引き続き早くも 2nd AL をリリース!  鋭利でメロディックなナンバーがそろった名盤です!
Anna Calls From The Arctic
相変わらずループするビート上(特に ベース・ライン がヤバい!)で炸裂する���ターがエロい.. そして、感情が一切排除された フローレンス・ショウ のヴォーカルはあまりにもシュール過ぎるしセクシーだ。本作は、緊張感ある演奏でミニマルに展開しつつその上に抒情的にジャキジャキと響かせるギターが印象的だった Debut AL の延長線上にある作品ですが、一曲一曲がよりメロディックになっています。
高揚感を誘いながら疾走する M-2 “ Kwenchy Kups “ ~ M-3 “ Gary Ashby “ に、アジアンな雰囲気を醸すサイケデリックなナンバー M-5 “  Hot Penny Day “ やハード・ロック風のサウンドからへろっへろなギターリフの高低差に思わずニヤニヤしちゃう M-8 “ Don't Press Me “ など、どの曲も個性的で、2nd の時点ですでに Dry Cleaning 節を確立させたといってもいいでしょう。
来日公演マジで最高だった!!!
Gilla Band - Most Normal
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アイルランドはダブリンの狂気性を孕んだ 4人組 ノイズ・ロック バンド が3年振りに 3rd AL をリリース!神経と脳みそがぐちゃぐちゃになっちゃうほど興奮させてくれる猟奇的な一枚です。
Eight Fivers
Ex. Girl Band。時代の波により改名を余儀なくされてからの (Gillaは古いアイルランド語でGirlの意味だそう) 新作。はい。不快過ぎます。神経を逆撫でする音で埋め尽くされていますね。最高。
濁流かと思うのほどのノイズと病的に発狂するヴォーカルは彼らの個性でもありますが、より一層聴き手を試すようなナンセンスなサウンドに磨きがかかっているのかなと思います。
オープニング トラック M-1 “ The Gum “ は凶悪につんざくインダストリアル ビート。絶対に良くないことが起こるんだろうなと不穏を煽る見事なナンバー。ばつんとノイズ&シャウトが止み、何事もなかったようにすっとぼけた音が聞こえてきたかと思えば、展開が予測不能でひりついたAメロから一気に感情を暴発させる M-2 “ Eight Fivers “へとジェットコースターのように曲は流れていく。そして曲が終わると同時に次の曲へ・・そう、本作は一度再生してしまったら最後、聴き手に息をつく暇をあたえないサドスティックな構成になっているのです。細かくインタールード(しかしこれらも不快なノイズを用いている)を挟んでオープニングからエンディングまで曲を繋いでいくことで強制的に本作に没入させる。ただ煩いのではなく、つぶさにアレンジを効かして聴き手を圧倒する構成力に私はもうメロメロ.. 
世には様々なジャンルの煩い音楽で溢れていますが、私が Gilla Band を贔屓する要素でもある「理性的に狂気を音に落とし込んでいる点」がそれらと一線を画す要素なのかなと思います。
聴く際はヴォリュームを気持ち4つほど上げて欲しいのですが、聴いた後、頭が痛くなるので注意が必要です.. M-5 “ Binliner Fashion “ のアウトロ30秒間の濁流ノイズとかマジヤバ過ぎる..
Weird Nightmare - Weird Nightmare
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カナダ の ノイズ・ロック バンド Metz のフロントマン アレックス・エドキンス がソロ作品をリリース! 甘酸っぱくもヒリヒリした最高な ガレージ・パンク レコード です!
Searching for You
大好き。こういう音楽をずっと聴いていたい。パワー・ポップ とか キャッチーな メロディック・パンク はもちろんテンションが上がるのですが、時折軽さや計算高さを感じてしまい個人的には物足りなさも感じたりします。しかし本作には、野性的に楽器を鳴らす荒々しい (それこそ初期 Cloud Nothings のような..) サウンドと直感でドカンと鳴っているプリミティブな勢いがそのまま曲に乗っているので、だからこそ興奮するし涙腺にも直撃してしまいます...  M-3 “ Lusitania “ ~ M-7 “ Dream “ はヤバ過ぎる.. 拳突き上げっぱなし!
また、M-9 “ Oh No (feat. Chad VanGaalen) “ では本業でもある Metz 然とした激しさや、ラスト M-10 “ Holding Out “ では現行 エモ / インディー・ロック シーン にも通ずるノスタルジーさも感じられるので、決して思い出をなぞった懐古ではない、現代にリリースした ロック レコード だと認識させてくれます。
クレジットを見るにいろんな ゲスト ミュージシャン が携わっているようですが、Bully の フロントマンである アリシア・ボグナノ も参加しているのですね。大いに納得な出来。。
羊文学 - our hope
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メジャー レーベル の ソニー から 2nd AL を2年振りにリリース。期待を優に超えていく、令和が誇る ジャパニーズ オルタナティブ・ロック の名盤レコードです。
光るとき
一曲一曲がとにかく強い。タイアップ曲 M-2 “ 光るとき “ や M-11 “ マヨイガ “ は言わずもがな、グッド メロディー がふんだんに凝縮している一枚。自然と口ずさみたくなるナンバーばかりです。
なんだろう.. 聴いていて幸せな気分になるんですね。M-3 “ パーティーはすぐそこ “ はとってもキャッチーでついつい口ずさんじゃうし、M-7 “ くだらない “ では切なくなっちゃうし、M-9 “ ワンダー “ で掻き鳴らされるファジーなギターにいつも頭がくらくらするほど恍惚とした気分になるし、スーパーカー を断片的に彷彿としてしまうエレクトロ テイストなアレンジが煌めく M-10 “ OOPARTS “ も大好きだ。それだけでなく、ルーツ・ミュージック の影響が色濃く反映されている M-4 “ 電波の街 “ や M-5 “ 金色 “ も淡くて良いんですよね..
また、デビューしてからずっと通ずることなのですが、フロントマンである 塩塚モエカ の歌声が良過ぎる.. 透明感と力強さが伴った歌声.. 歌が上手いことの シンプル イズ ベストな力って凄いなと羊文学を聴くたびに思わせてくれます。
「魅せる」という意識もあるのが羊文学の良いところ。ステージ衣装はいつも素敵だし、本当に良いバンドだなと思います。
12月25日のクリスマス公演は最高な体験だったな.. 
Alex G - God Save the Animals
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US はフィラデルフィアの SSW が 神秘的な 9th AL をリリース。不思議な魅力を放つ唯一無二の世界がここに広がっています。
Runner
フィラデルフィアという地は本当に味わい深い インディー・ロック バンド を生み出してくれます。その中でもひと際不思議な存在感を放つ SSW Alex G こと アレックス・ジアンナスコーリ の様相は未だ掴めずにいます。元々彼は宅録ミュージシャンで一人で作曲をするタイプではありましたが、本作ではパンデミックの影響もあり、外に出て友人とともにいろんなスタジオで作曲したようです。そういったこともあり、たしかに以前よりは開放されたムードが感じられます。ですが、何度も聴いても未だこのアルバムとの距離感が掴めていません。
ピアノやアコギを基調とした胸を打つほどにグッド メロデイーが際立つ M-2 “ Runner “ や M-3 “ Mission “ は素朴で親近感を感じますし、ヴァイオリンの音色が優しく響く M-12 “ Miracles “ はどこか郷愁的。
しかし、ストリングスをバックに奇妙なエフェクトがかかったヴォーカルが乗る M-4 “ S.D.O.S “ やエレクトロニックなアレンジが加わった哀愁あるフォーク ナンバー M-7 “ Cross the Sea “ からアウトロでシンセサイザーが突飛に鳴り響いたかと思えば M-8 “ Blessing “ では謎な神々しさを演出するハードなナンバーへと展開していくさまは中々に奇妙でやっぱり掴みどころがないなと感じさせられます。浮遊感漂うポップなナンバー M-10 “ Immunity “ も異質な存在感がありますね。
一言では決して表せられないジャンルレス。しかしどの曲にも通底して切なさと暖かさが同居している秀逸な インディー・ロック レコード です。
Spoon - Lucifer On The Sofa
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US が誇る ベテラン インディー・ロック バンド が渋くも踊れる 10th AL をリリース!キャリア豊富な大人たちが無邪気に鳴らすロックンロール ナンバーに酔い痴れること必至な一枚です。
The Hardest Cut
Spoon。名前は知っていましたが聴かずじまいだったバンドの一つで、新譜を5年振りにリリースするというニュースを聞き、いい機会だと思っていざ聴いてみたら、完全に心を鷲掴みにされてしまいました..
20年以上続くキャリアから醸し出されているのか.. 落ち着きを払った大人の余裕から薫る煙っぽさが全曲通してむんむんと漂っています。しかしそれはクセがあるようで無く、誰でもいいから気に入ったヤツから一緒に踊ろうよと誘うかのようにキャッチーなサウンドばかりだったりします。リードトラックである M-2 “ The Hardest Cut “ と M-4 “ Wild “ を一聴してみてほしい。熟成した熱が帯びつつも軽やかなバンド アンサンブルは大衆性も孕んでいるかと思います。
中でも M-3 “ The Devil & Mister Jones “ と M-7 “ On The Radio “ がお気に入り。前者は卒なく仕事をこなすかのようにジャキジャキと歪ませて鳴るギターがたまらなくエロいし、後者はピアノの切ない伴奏の上で響くギターとフロントマン ブリット・ダニエル のハスキーな歌声に文字通り酔い痴れてしまいます..
2022年個人的に最も良いと思ったロックンロール レコードでした!
新進気鋭な尖った若手たちには出せないオーラに感服.. 
Cwondo - Coloriyo
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No Buses のフロントマン 近藤大彗 によるソロ プロジェクト Cwondo が 3rd AL をリリース。00年代のエレクトロニカ シーンを彷彿とさせるノスタルジックでキュートな一枚です。
Sarasara
ひどくエモーショナルな気分になりま��ね。この妙な懐かしさと人懐っこさは。心がやられているときに不意に流れると絶対に涙腺が崩壊すると思います。M-2 “ Midori “ とかヤバいです.. ��感な思春期に何もすることもなく、ただ教室からぼーっと青空を見上げていたそんな淡い情景が嫌でも思い浮かんでしまいます。(さすがに抒情的になり過ぎ..?)
全曲通して、とてもキャッチーで愛おしいエレクトロニカ・ミュージックを聴かせてくれます。たしかに聴いていて心が温かくなる。しかしこの温もりは、少なくとも無償の愛や生命の儚さといった自然的な要素から起因するものではないと思います。
曲を象る音はどれも人工的で生々しい。それは i am robot and proud や The Postal Service を彷彿とさせる音。都市で生きる人々が無意識に欲する現代的な温もりともいえると思います。特に、機械的なピアノのフレーズの上に少々大げさにエフェクトがかかったサンプリングが切ないメロディーを生む M-4 “ Sarasara “ が象徴的だなと思います。
本業である No Buses は The Strokes や Arctic Monkeys からの影響がうかがえる ガレージ・ロック バンド (これまたとてもカッコいい!) で、バンドを稼働しつつも気付けばあっという間に Cwondo名義での作品は3枚目に突入しており、近藤大彗 というミュージシャンは本当に音楽を作ることが好きなんだろうなとストレートに伝わってきてそこも素敵です。
ようやく海外ミュージシャンの来日公演が増えてきたので、2023年はたくさんライブに行けたら良いな。
2022 Best Songs 27 もまとめました!
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#音楽を聴こう #staytune #tokyocitypops #トーキョーシティポップス #japanesesoul #ジャパニーズソウル #music #音楽 #DJ アナタのデスクトップライフをちょっとだけたのしくしてくれるトーキョーシティポップス。 2022年11月のテーマは「オトコとオンナ」☆ https://www.mixcloud.com/kanekohideshi_tyo/221111_tokyo_city_pops/ #November #オトコとオンナ #manandwoman #戦争反対 #nowar #Winter #news #ニュース #ミュージック #partymix #djmix #jpop #jポップ #musiclife #desktopmusic #デスクトップミュージック #カネコヒデシ #kanekohideshi #knkhds #東京 #tokyo https://www.instagram.com/p/CldlvruSYlu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tomoyakumagai · 2 years
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ミチ・ヒロタ・インタヴュー(2003)
Interview: 熊谷朋哉(SLOGAN)
Photos: ミチ・ヒロタ (Michi Hirota) + 廣田丈自 (Joji Hirota)
https://jp.audionetwork.com/browse/m/composer/joji-hirota_588
●はじめまして、熊谷と申します。
「あっはじめまして。ヒロタです」
●ミチ・ヒロタさんは日本でも全く謎のヴェールに包まれている方でして、実は私、非常に緊張しております。
「いえいえ大丈夫ですよ〜(とても明るい)」
●ありがとうございます。えーと、『スケアリー・モンスターズ』のリリース以来23年、日本にもミチさんの情報はほとんど入ってきていないんですが、日本のジャーナリスムの取材を受けられたことはあるのでしょうか。
「一度だけ、橋本さんというジャーナリストの方にインタヴューを受けたことがありますね(註1)。雑誌名は忘れてしまいましたが、ボウイのことだったかスパークスのことだったか。スパークスの『キモノ・マイ・ハウス』のジャケットに私が出ているんですけれどもね」
●え、そうなんですか!? すごいですね〜。じゃ、私、ミチ・ヒロタさんの顔を見たことあったんですね。すごいですね〜。びっくりしました。あのジャケットには2人の日本人女性が写っていますが、どちらなんでしょう?
「右側なんですよ。髪の毛を上にあげてるほうですね。左側は私のお友達なんですけれどもね。スパークスの連中とカメラマンにああいう顔にしてくれって言われてね。ああいうほうにしたほうがインパクトが強いからと。多分、そのときに一度記事が出ていると思うんですよ」
●あ、そうなんですか。いや、びっくりしました。えーと、今はロンドンにお住まいですが、どういった経緯だったのでしょうか。
「生まれは茨城の水戸でして、地元の音楽高校を出て、駒沢大の英文科でなんやかやしてるうちにフランス語を勉強したくなってヨーロッパに飛んだんです。だから海外は、ロンドンじゃなくてパリが最初だったんですね。パリ滞在中に、ツトム・ヤマシタの「レッド・ブッダ・シアター」というのがやって来て、知り合いになって、じゃ一緒にやってみないかと。で、それが大成功致しまして、ヨーロッパとアメリカと廻って、それからイギリス公演を行って」
●そこで廣田丈自さんとはお知り合いになられたんですね。
「そうですね。彼はまだ大学の4年生で長髪でしたけれど(笑)、ツトム・ヤマシタのところで音楽監督と打楽器をやっていてね。まじめで、毎日練習も一番最初に来ますしね。まじめで熱心な方だなあと思いまして(笑)」
●あのころのロンドンのアヴァンギャルドなアートシーンというのはどういう感じだったのでしょう?
「やっぱりね、ほんとにね、全盛期でしたよね。これまでにない形だったんじゃないでしょうか」
●ロンドンに拠点を置かれたきっかけというのは?
「ツトム・ヤマシタのロンドン公演が大盛況で長くなりましたから、必然的にロンドンに拠点を置くことになりまして。で、廣田丈自の周りにも仲間が出来てきまして。ヤマシタさんたちは帰ってしまったんですが、彼はこちらで音楽活動をやりたいということでこちらに残ったんですね。その後結婚致しました。仲間の皆さんに祝って頂いてね」
●なるほど。ミチさんご自身は、どういう音楽がお好きだったんでしょうか?元々スパークスやボウイといった、少しモダンなポップ・ミュージックがお好きだったんでしょうか?
「私はポップ・ミュージックじゃなくてですね、ジャズとかクラシックが好きだったんですよ。ジャズだとアル・ジャロウとか、今も大好きですね。いわゆるプログレッシヴ・ロックだとウェザー・リポートとか、ああいう系統が大好きなんですね。クラシックだとオーストラリア人の、あの顔長いおばさんの、そう、ジョーン・サザーランドですね。  デヴィッドに関しては、常にメッセージを出されていて、あの姿勢には感服していました。もちろんヤマシタさんもスパークスも好きな人たちでしたよ」
●スパークスやボウイとはどういう経緯で共演をすることになったのでしょう? ボウイも、廣田丈自さんやミチさんと同じくリンゼイ・ケンプ・カンパニーとの関係がありますけれど。
「うーん、リンゼイというわけではないんですけれどもね。デヴィッドとリンゼイの関係はずっと昔のことで、私や廣田がリンゼイと関係していたときとは時代が違うんですよ。  本当に、いろんな出会いがあるんですよ。偶然にどっかのパーティで会って友達になって、で、その関係で紹介されたりとか。えーと、デヴィッドの場合はどうでしたでしょう、私はそのとき役者をやっていたんですね。ユル・ブリンナー、伝説の大俳優ですけれども、彼がブロードウェイから『王様と私』のロンドン公演を行うことになって。それで私がオーディションを受けて合格しまして、その関係だったかもしれません。自宅に電話が来まして」  
●「デヴィッドです」って感じですか。
「いや、トニー・ヴィスコンティさんがお電話をかけてきまして。会いに行ってみたらそこにボウイが居て、日本語を教えてくれませんかと」
●なるほど。ボウイの第一印象は如何でした?
「そうですね、綺麗で清潔感のある、やっぱり綺麗な方ですよね」
●それで日本語の先生を始められたわけですね。それは、先に歌詞があってそれを教えていたということなんでしょうか?
「いえいえ、普通の会話を教えていたんですよ。「私は旅館が好きです」とか「私はお寿司が好きです」とか(笑)。彼が日本語で(音楽を)やりたかったのかもしれませんけれども。でもとても難しいというのがわかったんでしょうね。で、私の声を聞かせているうちに、この声が自分の音楽に乗ったら面白いんじゃないかということでああいったアイデアが出てきたんですね。日本語の響きが良いし、ミッチの声は合うんじゃないかと」
●ボウイは日本語で歌おうとしていたんでしょうか?
「ちょっとね、そのへんがあやふやなんですけれども、もしかしたらそうかもしれませんねえ。あんなに急に日本語を習いたいというのはね。でもまあ複雑なセリフは難しいということで、やっぱり「私は旅館が好きです」というところから(笑)」
●なるほど(笑)。どういう生徒さんでした?
「いや、まじめな人でしてね。あのですね、彼はほんっとにまじめなんですよ。どっちかというとおとなしい感じの、とっても好感度の高い方でしたね。大スター独特の横柄な態度もありませんしね」
●それで共演されることになったわけですね。「It's No Game (Part 1)」の録音はニューヨークで?
「いえ、録音はロンドンの、トニー・ヴィスコンティのアース・スタジオだったかな、そういうところでしたね」
●アルバム自体はニューヨーク録音でしたよね?
「そうなんです、ですから、私のあの歌は、デヴィッドとトニーと私との3人だけで作ったものなんですね。元々録音されていたものを私が何度も何度も聴いて、それに語りを、どちらかというとインプロヴァイズで乗せていったという感じですね」
●となると、ああいう演劇調の語り口調を考えられたのはどなたなんでしょう?
「ここの部分はもっと怒ったようにしてくれとか、もうちょっと押さえてくれというのはトニーとデヴィッドからディレクションを頂いて、その他の部分は私のインプロヴァイズですね」
●レコーディングはどういう雰囲気だったんでしょうか?張りつめた空気が感じられるのですが。
「もうほんとにね、最高に幸せな、もう、何と言うんでしょう、レコーディングしてますという緊張感はまったくありませんでしたね(笑)。聴く人にはわからないだろうと(笑)。3人で肩を組みながら、こういうふうにやろうぜとかそういう感じで。自由にやらせていただきました。ほとんど私のイニシアティヴで」
●あ、そうなんですか。何度も録り直し等はされたんですか?
「どういうふうに詞を乗せるかを考えるために、曲はかなり聴きましたけれども、テイク自体は3回か4回しかしていませんね。結構短時間で録りました」
●あの歌詞に関してはどう思われました?
「うーん、難しいですね。日本の大学教授が書かれたということで、ちょっと難しい内容ですけれども、でも、宜しいんではないでしょうか。デヴィッドの体制に対する反逆精神みたいなものが充分に出されていて」
●出来上がったアルバムを聴かれたときにはどう思われました?
「やっぱりそれも難しいですよね。音としては面白かったですけれど、あとは、音を聞いて頂いた方がどう思われたかということですよね。私としては全��を尽くしたというか楽しくやらさせて頂きましたし」
●なるほど。ミチさんは、その頃からずっと俳優をやられていたんでしょうか?
「いや、総合芸術みたいなものですね。だから普通の役者と言うより、セリフをしゃべるというよりは、歌を歌ったり踊ったりというか、そういうことをずっとやってきていました」
●役者といえば、ボウイの『エレファントマン』は見られました?
「あ、見ましたねえ。宜しいんじゃないでしょうか。『エレファントマン』は、私、リハーサルにも行っていたんですよ。そういえばその後で、デヴィッドから、私にライヴ・エイドのコーラスをやってみないかという話があったんですよ。でも、あいにく、私、ポップスが歌えないんですね(笑)。一応デモテープを送ったんですけれどもね、でもやっぱりミッチにポップは合わないねということで黒人の女の子を採用することにしたと。最初から全然期待はしていませんでしたけれどもね(笑)」
●「It's No Game (Part 1)」がライヴ・エイドで生で流れたかもしれなかったわけですね。惜しい(笑)。ボウイとの記念写真はお持ちですか?
「ないんですよぅー(笑)。ほんとに無頓着でして」
●惜しい(笑)。廣田丈自さんもそうですが、ロンドンで、世界の最前衛の活動をしていくというのはどういう感じでしょう?
「そうですね、どこで活動するというのは人それぞれだと思うんですね。日本で活動するのが向いているという方もいれば、海外のほうが自分を発揮できるという人もいるでしょうね。ただ、こちらで活動するにはやはり個性が強くないと埋もれちゃうということがありますね。外見云々じゃなくて強い信念が必要ですね。で、良いものであればこちらの人は受け入れてくれますよね」
●ミチさん個人の今後のご予定は?
「バレエを続けております。健康のためにね。それと発声練習もしてまして、主人の仕事のほうにももっと携わっていきたいなと思っています。これからデビューというのもなんなんですけれども、改めて歌もやっていければと思っています」
●日本には時折戻られていらっしゃるんでしょうか?
「ええ、毎年里帰りしております」
●あ、そうなんですか! お正月とかお盆とか日本にいらっしゃっているんですか?
「前回はいつ行ったんだったかな。2ヶ月ほど前に、娘の画材を買いに行きましたね。彼女はロンドンの美術学校でグラフィックデザインを学んでおりまして、彼女が使う和筆なんですけどね、こちらだと輸入品ということで5倍くらいのお値段になっちゃうんですよ。まあ別に旅費を掛けて行くほどのことではないんですけれども、里帰りのついでにね、重たいものを買って参りました!」
●なるほど。今度日本に来られるご予定は?
「日にちは決まっていないんですけれどもね、また来年行こうと思っています」
●あのー、関係あるのかないのか、廣田丈自さんもボウイ顔でいらっしゃいますよね。
「昔はね(笑)。昔ロンドンのレインボー・シアターでツトム・ヤマシタでやったときにね、武満徹さんが彼にね、「君はデヴィッド・ボウイのようだな」なんて仰ったことがありましたね。もうちょっとうちの主人のほうが骨っぽいんですけれどもね」
(註1)周囲に聞いてみたところ、近田春夫氏はこのことをご存じだった。
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siteymnk · 6 days
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The Beatles完コピ倶楽部の第135弾は"For No One"。1966年の作品。
休暇中のスイスのスキーリゾートで書かれたポールの作品。バロック・ポップとチェンバー・ミュージックを融合させた楽曲で、曲中のホルンは「ロンドンで一番のホルン奏者」と評されたアラン・シヴィルによるもの。レコーディングに際し、ポールは楽器の音域を超えた音を吹くように迫ったという(シヴィルは果敢にその希望に答えた)。AIR社より借りてきたクラヴィコードを加えて、格調高い雰囲気を醸し出している美しい曲である。
ちなみに、レノンとジョージ・ハリスンはレコーディングに参加していないが、ジョン・レノンは「ポールが書いた曲の中で一番好きな曲の一つ」と評している。
このアルバムは、本作からエンジニアとして参加したジェフ・エメリックの影響からか、これまでの美しい残響を特徴としたサウンドから、よりデッドな密室間のあるサウンドに変化している。収録曲も"She Said, She Said"や"Tomorrow Never Knows"等のサイケデリックに振り切った曲と並んで、"Eleanor Rigby"、"Here, There and Everywhere"、そしてこの曲のようなクラシカルな作品が平然と並んでいて、作戦だったのか偶然だったのか、結果ビートルズの只ならぬ風格を(その突飛なアルバムジャケットと共に)圧倒的な存在感で示す事になったのだと思う。ポールはジョンによる奔放な作品を横目で見て、あえて逆側に振り切ったのかもしれない。
さて完コピ。ハモリもないポールの独唱。ポールの歌い回しは親しみやすく癖が無いようでいて実はかなり個性的というか、声そのもののカラーも含めて「ポールっぽさ」ってのが如実にあるのだなと、完コピを繰り返すうちに痛感するようになった。楽曲だけでなく、声や歌い方も唯一無二となると、そりゃトップになるよなーという感じ。あまり気張らず、ポールが自然に歌った感じを目指してみた。
さて次回は、ホワイトアルバム収録の「みんなで歌おう」ジョンのあの曲です。
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mreiyouscience · 2 months
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全日本人的ムーニーマン現象の処方箋は"あおはる"に立ち返ること
 経済学によると、人口とGDPには相関関係があるそうです。この課題に挑んだのが本書であるといえるでしょう。しかし、それをやり遂げるのは誰なのかあいまいです。例えば、東京一極集中との批判がたびたびなされますが、現在地方は疲弊しており、東京が地方から吸い上げる吸引力がなくなってきており、近い将来東京の地盤沈下が生じるとの指摘もあります。では、なぜ地方は衰退しているのでしょうか?それについて地方創生のプロフェッショナルである筧氏は女性の出生率の低下が本質であると述べています。では、なぜ出生率が低下しているのでしょうか。または、子供を産まない”女”に責任があるのでしょうか。おそらくあなたはご存じかもしれませんが、若い女性の多くは子供を授かりたいと考えています。しかし、彼女たちは子供を授かりたいという旨を夫に相談すると、夫は「給与水準も低く、まあた、日本の将来に明るい見通しがないにもかかわらず子供を授かりたいと考えることは親のエゴだ」と彼女たちを非難するのです。たしかに彼女たちの夫の意見ももっともです。子供の子育てには想像以上のお金が必要となります。習い事、教育費、養育費等。では、なぜそのお金を工面するために必要な給与水準に達しないのでしょうか。それは企業が内部留保をためているからです。企業としてはこれからの日本経済は衰退の一途をたどるため、今のうちに貯金をしないといけないというのです。彼らの代弁者である経団連は総理大臣に対してロビー活動を行います。そんな総理大臣は日銀や官僚を責め立てます。そして、彼らは異次元緩和や様々な政策を行い、経済学的な指標は改善傾向にあるものの、われわれはその恩恵をあずかっているという実感が伴いません。そんな彼らは疲れ切り、国民に非があると考えます。単刀直入に言えば、人口減少が原因である(”女���が子供を産まないからだ)、と。結局のところ、誰がいけないのでしょうか。僕が思うに、日本沈没は連帯責任だと思います。この責任からみんなで逃げているだけです。そして、この連帯責任から”逃げるが恥だが、役に立つ”のです。
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まさにビートdeトーヒのように。
「と���あえず
 ポップなビートで逃げ出したい
 現実から遠く目を逸らしたい
 ずっとずっと鳴りやまないで ミュージック」
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僕はこの現象を心の中で”全日本人的ムーニーマン現象”と呼んでいます。ムーニーマン(日本国民)が赤ちゃんのようにぐずった時、誰かがムーニーマン(日本国民全員)のおむつを取り替えなければいけません。その引き受け手がいないことが問題なのです。このような悲惨な現実はムーニーマン(日本国民)から搾取するダークムーニーマン(特殊詐欺犯)を生み出しているようにも思います。
 この”全日本人的ムーニーマン現象”という呪縛から乗り越えるためには何が必要なのでしょうか?僕にはわかりませんが、みんなで問題意識を持ち、主体的に考えることはできるのではないかなと思いました。
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モーニング娘。 『LOVEマシーン』 (MV)
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【目から鱗の日本経済論】アメリカの名門大 経営学者が語る「タイトな文化」と日本/失われた30年に悲観するな/それぞれの国の選択を尊重
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nakamorijuan · 11 months
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中森明菜 - ブロンド Akina Nakamori - BLONDE
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togekiss4ss · 2 months
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Bernard Butler
Bernard Butler
ジョニー・マーを敬愛し、自らを「いくじなしで間抜けなやせっぽち」と語る清純なる音楽人間バーナード、世界初単独インタヴュー
インタヴュー=増井修       翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●実はあなたのステージを見るのは昨日で3度目だったんですが、僕はステージの上でニッコリ微笑みながら手を振るあなたの姿を見る度に、すごく奇妙な気持ちになるんです。アイドル的なファン·サービスとしてやっているのではもちろんないだろうし、でも、かといってシニカルな意味が込められてるわけでもないだろうし。あなたとしては、觀客に対してういう気持ちで接しているんですか?
「まず、シニカルなものではないことは確かだよ。ステージは観客とのコミュニケーションがすべてなんだ。楽器が弾けるようになると、その楽器を使って自分の気持ちを表現したくなるだろ。歌にしたってそう。歌うことでその気持ちをほかの人たちに伝えたくなる、コミュニケートしたくなるんだ。だからステージでプレーするのさ。逆に最も無礼で最悪なのは、ステージの上で「俺はポップ·スターだ。俺はすばらしい。みんなが俺を愛してる」って思い上がった態度をとることだ。そもそも俺はああいうことができるタイプの人間じゃない。ステージであんなふうに振る舞うなんて、とても恥ずかしくてできないよ。俺には我慢できない。観客がこぞって自分を崇拝し始めるなんてさ。そういう観客もいるっていう事実は事実として受け止めてるけど、でもやっぱりバツが悪いし、俺としてはできる限りそういうのはなくしていこうと思ってる。だってステージの上から俺が伝えたいのは、“俺は普通の人間だ”ってことだけなんだから。生まれてこの方ろくなことは何もやってない、どこにでもいるただの間抜けな人間なんだよ。��、そんな俺にもギターが弾けるってことがわかって、しかもたまたま上手に弾けたもんだからじゃあもっと上手くなってグレートなレコードを作ってやろうって決心したんだーーこの通り、何も難しいことじゃないよ。俺がやりたいのは、音楽に対する俺の感じ方を表現する、それだけなんだ。そして『ほら、いいレコードだろ?いい曲だろ?俺気に入ってるんだ。君たちもきっと気に入るよ。一緒に楽しもうよ』ってことを伝えたいんだーー単純なもんさ」
●じゃ我々観客の側としては、ああいったあなたのアクションが表しているのは、ステージで純粋に音楽を楽しんでいるあなた自身なんだ、と受け止めていいわけですね?
「その通り。俺の楽しんでる姿を見て、自分たちも楽しめるんじゃないかって気持ちになってほしいんだよね。すごく簡単なことさ」
●(笑)。あなたのギターについて伺いたいんですが、あなたのサウンドを聴いてると、ギタリストになるためにギターを始めたというよりも、ヴォーカリストが歌っているようなギターだなあという印象を受けるんですが、元からギタリスト指向だったんですか?
「うん、そうだね。歌わなくて済むからさ。マイクを持って歌わなくて済むようにギターを選んだわけ(笑)。でも曲作りという点では、確かに君の言うようにヴォーカリスト的な視点から作ることが多いね。だって、ギター·プレーがあまりにもつまらない音楽が多過ぎるからーー特に俺が育った80年代の音楽はね。それにインディー·シーン、あるいはいわゆるオルタナティヴ·シーンのギタリストは、誰も彼もがぶっきらぼうな弾き方をしてるだろ?シンガーの後ろでただやみくもにコードを掻き鳴らしてひどいノイズを出すだけでさ。そうやって、何の努カもせずにすごくくだらないやり方でギターを弾いてる人間を見てると、イライラしてくるんだよ……。だから、俺はいつもギター·リードを考えながら曲を書くのがいいと思ってやってきたんだ……言葉ではやっぱりうまく説明できないけど、でも君の言ってることは正しいと思うよ。実は、子供の頃は最初ヴァイオリンをやってたんだ。で、4年間続けたんだけどギヴ·アップしてギターに乗り換えたわけ。でも俺は決して巧くはないよ。テクニック的には俺はいいギタリストだとは言えない。ただ曲作りがうまいから救われてるんだと思う。でも確かに俺は、ヴォーカル·ラインをなぞるようなぶ厚いギター·サウンドを出すのが好きだね。実はスウェードの連中と出会う数年前に、ロンドンで何度もバンドを組もうと頑張ってたんだけど、どうしてもシンガーが見つからなかったんだ。何度も広告を出して募集したのにね。もしかするとそれで自然とこういうギター·サウンドを出すようになったのかもしれない。シンガーがいないままスタートしちゃったから、シンガーが歌っているようなメロディー·ラインをギターで弾くようになったんじゃないかな。無意識の内にーー」
●ブレットはあなたとのことを「互いに喧嘩し合ってるシャム双生児だ」と表現し、また「名曲というのはものすごい緊迫感がないと生まれないものだ」とも言ってるんですが、そういう意味で、あなたと彼の間の曲作りというのはどういうふうに行われているんですか?
「確かにテンションはあるよ。でももちろん個人的なテンションじゃなくて、さっき君が言ったように、俺ってギターでヴオーカル·ラインを作ってしまうだろ?だから二人して互いの頭の中にあるメロディーを詮索し合おうとするわけ。そういう『あいつよりいいメロディーを書いてやろう』っていういい意味での緊張感はあるよ。それに、基本的に俺が音楽を作っててブレットが詞を書くから、常日頃から奴のために曲を作っておいて、その中からいい曲を探してやらなきゃならない。でも、奴がその曲に詞をつけたい気分じゃない時は、俺がいろんなアイディアを持ち込んで何とか書かせようとするんだ。さもないと曲自体がゴミ箱行きになりかねないからね。だから喧嘩はよくするし、緊迫感はすごくあるよ。次のシングルはどうするかで常に争ってるからね。俺がすごくいい曲を作っても、ブレットが放ったらかしにしたりなかなかうまい具合に詞が書けなかったりすると、俺はすつごくイライラしちゃうよ。たとえば“アニマル·ナイトレイト”なんて、ブレットが詞を完成させる1年も前から曲の方は出来てたんだ。どのシングルも、俺には曲を書いた時点で『これはシングルになる』って直感でわかるんだけど、あの曲を書いた時も絶対シングルにしたいって思った。でもブレットは全然乗り気じゃないんだよね。で、1年間ブレットに「なあ、これはシングルにしなきゃ。詞を書いてくれよ」って再三に渡ってプレッシャーをかけ続けて、ようやくこれはと思える歌詞が出来上がって、シングル·リリースしてみたらさ、ナンバー·ワン·ヒットになったというわけ」
●へぇ(笑)。“アニマル·ナイトレイト”は、あなたのアイディアが1年間大切に暖められた結果出来たものなんだ。
「そうなんだよ。ブレットを説得するために随分時間を費したな。とりあえず詞が完成した後も、まだ奴は果たしてこれがシングルに適してるかどうか不安がってた。俺が『これこそまさにシングルにうってつけの曲じゃないか。キャッチーだし、ノリはいいし』って言っても、『いやあ、どうかなあ』ってゴネ続けてね。で、プロデューサーの後押しでようやくスタジオに入ってレコーディングを始めたんだけど、ミキシングの段階に入って、ようやくブレットにも、これこそシングルにぴったリの曲だってはっきりとわかったみたい(笑)。時々フラストレーションを感じてしまうよ。奴と俺とは考え方や、やらなきゃならない仕事の中身が違うからね。俺は音楽を作ってればいいだけだけど、でもブレットは大変だよ。詞を書くからもっと慎重に集中してやらないとできないし、その一方でプレスの相手もしなきゃならないから、どんどん状況が悪化してきてる。難しいよ。音の方が完成していてもブレットが動けない、っていうすれ違いが生じて、せっかくの曲が無駄になってしまいかねないからね」
●あなたとブレットはことあるごとに“モリッシー&マー"という関係と比較されていますが、やはり嫌ですか?
「んー……ま、ある意味ではそうとも言えるしそんなことはないとも言えるね。だってあの二人はとびきりすごいソングライターで、俺もすごく尊敬してるから。子供の頃の俺にとって、当時の偉大なソングライターと言えばあの二人だったからね。ものすごく影響を受けたよ。俺はジョニー·マーのギター·プレーが大好きなんだ。彼は同時にすばらしいソングライターでもあるしね。唯一煩わしいのは、スミスのTシャツを着たファンにTシャツにサインしてくれって頼まれたり、絶えず『あなたこそジョニー·マーだ』、『あなたこそモリッシーだ』って言われることだね。だってそんなのまったくのウソだもの。俺のプレーはジョニー·マーとは全然似てないし、ブレットだってモリッシーみたいな歌い方はしてないぜ。とにかくどう考えたって、俺たちのサウンドは、スミスのサウンドとは似ても似つかないと思うけど。なのにこういう比較をされてしまうのは、スミスが解散してからこの方、英国の音楽シーンに彼らのようなバンドが久しく出てこなかったからだよーースウェードが登場するまではね。二人のメンバーがポップ·ソングの古典的名作を作り、ギターを使い、ストーンズ、T-レックス、ビートルズ、そしてロキシー·ミュージックといった偉大なブリティッシュ·バンドの伝統を継承する音楽を作り出したーーそういう意味でスウェードはスミス以来のバンドだったんだよ。ほかのバンドは一切こういった偉大なバンドからインスピレーションを得てなかったように思う。それにもう一つ、スミスが偉大だったのは、モリッシーの歌う言葉がすごくシンプルで感動的で、しかもごく普通の言葉だったってことだ。ジョニー·マーのギターにしてもとてもメロディックで、直接的で、聴く者を感動させるようにプレーされている。べつに奥の深さなんてまったくなかったのさ。すごくストレートに訴えてくるんだよね。そして彼らが解散して以来、誰もスミスのようなことはやってしないんだよ。ファンの視点から考えてみてもそうさ。スミスが英国の若者に与えた影響、そしてファンの反応——どっちもすごくパーソナルなものだったよね。当時の英国のティーンエイジャーにとって、スミスは最後の避難場所だったんだよ。そして彼らはみんなのお気に入りのバンドになったんだ。ビートルズが国民の人気者だったようにね。でも今じゃ誰も“お気に入りのバンド”なんて持ってやしない。音楽が好きでレコードも買うし、NMEも欠かさず買ってるかもしれないけど、大好きな特別のバンドというのがないんだよ。そこまで重要なバンドが全然存在しないからさ。スミス以来、長いことそういうバンドが不在だったんだ。そして俺たちがその不在に終止符を打とうとしているんだと思う。スウェードはみんなのお気に入りのバンドだと思うからね。でももちろん、俺とブレットがモリッシー&マー·コンビと同じくらいすばらしい曲を書くとみんながみんな思ってる、なんて言うつもりもないし、彼らみたいに俺たちの名前も歴史に残るはずだなんて言うつもりもないよ。あの5年間にスミスがやったことそしてあの解散は、まったくすばらしかった。一方今のモリッシーがやってることはゴミ、ゴミでしかないね……。つらいけどそれが現実さ。ジョニー·マーのことは今でも尊敬してるよ。今の彼は楽しみとして音楽をやってるからね。あの偉大なロック·バンドで5年間プレーし、それが終わった後は戻りたいなんてもう思ってもいない。“スミスは偉大なロック·バンドだった、でも5年目に終わったんだ"っていう事実を受け入れてるんだよ。でもモリッシーの方は今でもスミスをやりたいんだと思うよーー彼はどんなにスミスが偉大だったかってことに気付いてないけど、もう気付くべきだね。あの5年間のスミスは本当にすばらしい音楽を作り出す偉大なバンドだったってことを認めるべきだ。そしてスミスは終わった。あのまま続けていたらひどい結末が待ち受けてたはずさ。だからモリッシーも、もう何かべつのことを始めるべきなんだ。でもジョニー·マーの方は既に、偉大なスミスでの5年間というのを受け入れてるよーー5年の間まさに自分のやりたいことやり、そして解散したという事実をね。そしてその後の彼は、とにかく音楽を楽しむことにしたのさ。気晴らしにギターをプレーし、好きな人に曲を提供し、ほかのバンドのプロデュースをやり、プライヴェートでは奥さんや子供との生活を楽しんでるんだ。彼の幸運を祈るよ。今でも彼のことは100%尊敬してるんだ」
●あなた自身もそういう道を辿りたいと思います?スウェードではあなたの望むようなことができなくなり、いい音楽が作れない状態になったとしたら、バンドを去ってジョニーのように気晴らしに音楽をやるようになりたい?
「うん。気晴らしというのとは違うけど、死ぬまでミュージシャンでいることを楽しみたいね。でもバンドは基本的に若いうちしかできないよ。だって30代半ばにもなってごらんよ……誰にも感動なんて与えられなくなるぜ。若者にインスピレーションを与えたりなんかしなくなる。ジェネシスだって若者の心を動かしたりはしないだろ。べつにスウェードもそこまで長い間続けると言ってるわけじゃないんだ。終わるべき時に終わるって言いたいだけ。だからそれは明日かもしれないし、10年後の話になるかもしれない……本当のところはわかんないし、あんまり知りたいとも思わないけどね。でも一生ミュージシャンをやっていたいという気持ちは確かさ。そしてスウェードが終わった時には、それまでとは根本的に違うことをやってみたい。俺たちのやってることの性質上、つまり俺たちってギターをフィーチャーした古典的なイギリスの口ック·バンドだから、それが俺の履歴書の最後の記録になる必要はないと思うんだ」
●なるほどね。じゃ、ジョニー·マーがかって「バンドというのは“こいつと切り離されたらもう死ぬしかない"っていうほどの強迫観念がないとやっていけないもんだ。強迫観念がないのならバンドをやっている意味などない」という名言を吐いたことがあるんですが、この言葉に何か通じるものを感じますか?
「うん。わかるなあその意味。スミスが終わった後のジョニーの生き方は、まさに俺も望んでるものなんだ。俺も退屈である意味ではうんざりするようなことをいろいろやってみたいんだよ。多くの人が人生で経験することだけど、ステージでは経験できないことをね」
●というと?
「とにかくいろんな退屈なことだよ。子供を作ったり、すてきな家を建てたりさ……。今の俺たちはほとんどの間ツアーに出てて、バックステージが我が家のような状態だからね。ゆっくり曲を書いたりレコードを買ったりする時間もない。もちろん今はそういうことはやれなくて当然だし、やりたいとも思わないよ。だって、俺にもこのバンドに���わってることの大切さがわかってきたからね。理論的な意味で言ってるんじゃないんだ。ただ自分のすべてをこのバンドに注ぎ込む必要があるんだってこと。だからスタジオに入ったらずっとその中に留まって、レコードが出来上がるまで離れないしね。デビュー·アルバムを作ってる最中とか“アニマル·ナイトレイト”をミックスした時も、20時間ミキシング·デスクに座ったまんま、完成するまでずっとスタジオに籠り切りだったんだぜ。そういうふうにしてないと駄目なんだ。バンドに取り憑かれてないとね。眠れないし、疲れるし、頭ん中で曲がずーっと鳴っててほとんど気が狂いそうになるしで、もう最悪だったけど、ある日突然『すっごく楽しいな』って気付いたのさ(笑)。だけどこのニつって、同じ時点で崩れ去っちゃうと思うーー楽しめなくなった時点でいい曲は書けなくなるってことさ。でもどこまでやれるかなあ。とにかく一定のレヴェルまではやってみて、もうこれ以上は無理だって思ったら、ほかのものに乗り換えるよ」
●こうして話を聞いていると、あなたが心から音楽を楽しもうとしているのがよくわかるんですが、ジャーナリストの追求や大衆の注目といった、名声に伴ういろんな煩わしい間題を避けて通れなくなる中で、音楽をやることへのプリミティヴな喜びを保持していくというのは大変じゃないですか?
「ああ、まったくその通りだよ。一番いい例はツアーさ。俺たち2月か3月以来ずっとツアーして回ってるんだけど、これだけ長期間やってると、以前はライヴをやるのが大好きだったのに、今ではまったくやる気が失せてしまうこともあるんだ。たとえば“ドラウナーズ"なんて、プレーする番になると『またかよ』って気分になっちゃうことがある。だって何度も何度もそれこそ毎晩のように、しかも毎晩新鮮な気持ちでプレーしなきゃならないんだからね。すごく厳しいよ。ここまで無事やってこれて驚いちゃうくらいさ(笑)。それに、プレスの人間には本当にイライラさせられる。奴らには俺たちのことなんてわからないんだよね。俺たちが作る音楽も、俺たちが音楽をやってる理由も、連中にはわかってないのさ。英国で1年余りの間俺だけが特別に音楽業界との距離を保ってきた理由の一つがそこにあると思う。俺はこの業界の人間とは一切付き合いがないんだ。ぼかの3人はある程度は付き合ってるけどね。音楽業界に友達は一人もいない。ブレットとプロデューサーのエド·ビューラーを除いてはね。業界の人間は嫌いなんだよ。英国の音楽業界にはあまりいい奴はいないんだ。連中は自分がプロモートしている音楽よりも自分自身のことを信じてるからね。連中は、いつもシニカルを決めてなきゃ駄目だと思ってる。本当にフラストレーションを感じるよ。それに、俺がブレットを憎んでるだの、ブレットがスターで自分はスターじゃないってことを気にしてるだの、事あることに書き立てられて……。オランダで、間違って英国盤とは違うジャケットでレコードが出された時も、俺がブレットへの当てつけでやった、なんてことを言う奴がいたりしてさ。すごくアンフェアだよ……(沈黙)。もううんざりさ。時々どうしようもなくなることがあるんだよね。…でも、なぜこんなにフラストレーションを感じるかっていうと、やっぱり俺にはアカデミックな視点から音楽を見ることができないからなんだよ。俺は学問肌の人間じゃないし、知識人でもないからね。何でもありのまんまを楽しむ人間だから。ま、見方はちょっと浅はかかもしれないけどね(笑)。俺が音楽に楽しみを見いだせるのは、レコードを聴いてて『こりゃスゴイや』って思える瞬間だけなんだ。なぜスゴイって思うのかもわかってる。ただ、じっくり座って『ここがこうだから』だの『あそこがああだから』だのと理論付けすることができないんだよ」
●しかしそう言われてもやはりここでジャーナリスティックな質問をしなきゃならないんですけど……。
「(笑)」
●スウェードの音楽の何がすごいかというとやはり、「オーディエンスの側に“エロティックな無法地帯”を作ってやるんだ」というバンドの強い意志を感じさせるところだと思うんですよ。そしてやはりこういう姿勢というのは世間のモラルに抵触することが多いものだと思うし、そういう意味ではすごく攻撃的なコンセプトだと思うんです。で、そういうバンドの基本的なコンセプトにあなたは賛同しているんでしようか?
「んー……(と突然言葉に詰まり出して)。そうだなあ……。俺たちの音楽のセクシュアリティー云々についてはしょっちゅう話題にされてるし、しょっちゅう誤解されてもいる。つまりこれもすごく単純な話だってことさ。ブレットの『自分はホモセクシュアルの経験のないバイセクシュアルだ』っていう発言も、完全に前後関係を無視して引用されてしまってるんだよね。奴が言いたかったのは『誰かがゲイでも俺は気にしない。そして俺がもしゲイだとしても、そのことが君にとって重要な問題になるべきじゃない』ってことだけさ。俺はゲイじゃないしブレットもゲイじゃない。日本でも英国でも、誰もがブレットはゲイなのかを知りたがってると思うけど、これが真実さ——奴はゲイじゃない。俺が知ってる。でもサイモンはゲイだよ。そしてブレットはそのことで何の問題も感じちゃいない。ブレットが言おうとしたのはそれだけさ。俺たちのように英国の小さな町で生まれ育った人間は、どちらか一方にならなきゃならないのさ——つまり、サッカー好きで酒好きのタフ·ガイで、女性を卑下し、ホモセクシュアルなど、社会のドロップアウトあるいは変わり者とみなされているあらゆる人間を毛嫌いするファシストになるか、それともそいつらに攻撃される側になるか­­——どちらか一つなんだよ。こういう抑圧的な環境の中で、俺たち、ある部分いくじなしとして育ったんだと思うんだ。俺たちみんな、どこかいくじなしだと思うよ——みんな泣くしさ……ある部分でフェミニンなバンドなんだと思う。べつに胸があって女の子の格好をしてて、っていう意味でじゃなく、若い頃には出来なかったやり方で人々に理解してもらおう、通じ合おうと必死になってる、そのアティテュードが女性らしいっていう意味さ。若い頃は、俺たち、周囲の男たちに何らかの形で抑圧されていたからね。そんな中で人生に希望を持つなんて、俺には土台無理な話だった。こんな瘦せっぽちの俺の話なんて誰も真剣に聞いてはくれないからね。こういう環境って、性的な部分でも威圧感を与えると思うよ。俺たちの作る普楽にすごくセクシュアルなグルーヴが漂ってるのはそのせいさ——すごく優雅に、上品にね。粗暴じゃないという意味において、すごく“か弱い"音楽なんだ。みんなの頭を撫でて振り向かせる音楽というか」
●つまり、あなたがたの音楽の中で表現されているセクシュリティーは、通常とは反対のやり方で社会に対して攻撃している、ということですね?ヘンリー·ロリンズのような人は音楽によってダイレクトに社会を攻撃していますが、それが唯一の攻撃方法ではない、瘦せっぽちの人間が上品に社会を攻撃することも可能なんだと。
「うん。でも俺たちはセクシュアリティーだけを取り上げてるんじゃないんだよ。ブレットがステージ上で『あっちのほうは試したことがあるかい?』なんて、ホモセクシュアリティーを思い起こさせるようなことを言っても、その言葉通りのことを意味して言ってるわけじゃ決してないんだ。奴が言いたいのは『こういう生き方を試そうとしたことがあるか?親に言われたからといって16歳で銀行に働きに行ったりしない、女性はみんなキッチンの流し台を掃除していればいいなんて考えを持ったセクシストにはならない——そういう生き方をしようとしたことがあるか?』ってことなんだ。こういったことはどれも俺たちが育った社会の気質に反してる。痩せっぽちのノッボっていうだけでもちゃんとした男とは見なしてもらえないんだものね。一度に10個のレンガを持ち上げられなきゃ一人前の男じゃないんだよ。だから、必ずしもセクシュアリテイーに関る問題だけじゃなく、ライフスタイルそのもののことを言ってるんだ。『瘦せっぽちでも構わないんだよ。君のことを気にかけてる人たちがいるんだから。この人たちは君がどんな思いでいるかわかってくれてるし、君のことを考えてくれてるんだ。だから自信を持つんだ。俺たちの作ったすばらしい曲を聴いて、そこから君自身のやり方で希望を得てほしい』。そうみんなに語りかけてるのさ」
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protestsong · 4 months
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 韓国はどのように対抗すべきだろうか。この記事を読んでいる読者の中には、文化に対決など、どこにあるのかと不快に思う方もいらっしゃるかもしれない。韓日文化商品の米国における収益を韓国ウォンに換算までして、民族的・経済的価値にばかり没頭しているのではないか-と舌打ちする方も、確かにいらっしゃるだろう。どうしたものか。もともと、韓国人がそうなのだ。ラテン・ミュージックがKポップよりも米国市場で強力に浮上しているという話はそのまま聞き流すのに、日本の大衆文化が韓国を上回るという話を聞くと、胸のどこかに潜んでいた妙な愛国心のようなものが無性に出てきて、人をちょっとおかしくするところがある。もともと隣り合って国境を接している国同士は、全てそうだ。英国とフランス、ギリシャとトルコ、ブラジルとアルゼンチンが、死ぬほど相手側をけん制していることを一度考えてみてほしい。そして文化とは、それほど厳粛で大したものなのか。文化も、国境を���えたらオリンピックになる。  大衆文化世界市場における韓日戦が本格的に始まった。それぞれ異なるジャンルを武器にしているから安心だとでも? 2023年を振り返って、私の気がかりはこれだ。半世紀にわたって既に多数のファン層を従えた多様なIP(Intellectual Property/知的財産)を保有している、日本の大衆文化の倉庫と同じくらいに、韓国の大衆文化の倉庫は十分だろうか? もしや、伝統ある金持ちの逆襲が始まっているのではないか? 
Kカルチャーの米国征服? Jカルチャーの逆襲が始まった 【朝鮮日報・寄稿】
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doublegroovesite · 3 months
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姉妹ならではのハーモニーと卓越した歌唱力で話題のユニットがDOUBLEだ。 ブラック・ミュージックをベースに、ソウルフルな歌声を聴かせてくれるふたり。 昨年の10月には日本人として約27年ぶりに米軍横田基地内の将校クラブで パフォーマンス、大絶賛を浴びた。日本中で旋風を巻き起こす日も近いぞ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ナチュラルで、クールで、キュート。 R&Bのしなやかさと、ポップスの華やかさをそなえたボーカル・デュオの登場。SACHIKOとTAKAKOの姉妹によるDOUBLEが、シングル「For me」でデビューする。 3人姉妹のうち次女と三女にあたる。
ふたりは、幼い頃から自然に音楽に接し、姉(長女)の影響で小学校高学年で洋楽ポップスに目覚める。マドンナやシンディ・ローパーがヒットを飛ばしていた時代。テレビの人気洋楽番組「べ ストヒットUSA」なども見ていたという。そうして成長したふたりはSWVなどのR&Bと出会う。
「いちばん上の姉がアメリカに留学した時にCDを持ちかえったんです。そのなかにけっこうR&Bが多くて。それで影響されました。あと、夜遊びして(笑)、クラブでかかってた曲などにもたぶん影響は受けてるでしょうね」(TAKAKO) 「私は最近なんですけど。ずっと一緒にいるので、TAKAKOの好きな音楽とかも耳にするから。その影響をうけました」(SACHIKO)
ふたりがデュオとして活動するようになったのは、イベントなどで歌うことになったのがきっかけ。 「歌うことはもともと好きだったと思います。地元で、イベントとか、お祭りとかで、歌ったり、踊ったりするっていうお話がありまして、それをふたりでやって、“イケるじゃん。ていう感じで(笑)」(SACHIKO) 「子供の頃から姉妹3人そろって何かに取り組んだりしていたので、それとあまり変わらないかなって感じがします」(TAKAKO)
デビュー前にすでにLAのクラブや 在日アメリカ軍・横田基地内のクラブ でのパフォーマンスも実現。ちなみに横田基地では、日本人の出演はデュー クエイセス、伊東ゆかり以来7年ぶりとのこと。近所のアメリカ人と家族ぐるみの交流で身につけた英語力もDOUBLEにとって強みだろう。 「『ピュー、ピューッ”とかって指笛鳴らしたりしてくれるのが、けっこうやりやすかった」(TAKAKO)
デビュー曲となる「For me」は、最近、再評価の声も高い筒美京平の作曲。筒美は洋楽、ソウル、R&Bの洗礼を受けた感覚を独自の日本の歌 のスタイルに反映させる大家であるだけに、この「For me」にもゆるやかなR&B感覚とともに日本的な情感が込められている。実は、テレビの歌謡番組全盛時代、アイドル全盛時代の記憶もほのかに残っているというDOUBLEのふたりの内にも、きっとそうしたバランスがあるはず。 「いろいろ候補曲があったなかで、いちばん気に入った曲でした。懐かしい感じでもあって」(SACHIKO) 「シックな感じがしました」(TAKAKO)
作詞はSACHIKOが担当。手の届きそうなところにいる相手なのに、 思いが届かないもどかしさ、待つだけではないが、積極的にアプローチするまではいかない今の日本人女性としての自然な気持ちを描き出している。 「ちょっとずつ書いては誰かに見せて、アドバイスをもらいながら書いたんですけど。あまり自分ではテーマっていうのもなかったし、自分の経験ていうことも考えなかったんですけど、書いてる途中に少なからず、いろいろ入っているんじゃないかなと思いますね」(SACHIKO)
曲によりふたりの役割も自在に変わる。「For me」ではSACHIKOがメイン・ボーカルをとり、ちょっとウィスパーっぽく、ソフトだが張りがありクールな響きもある声を聴かせる。そこへTAKAKOのやわらかいファルセット・ボイスが重ねられる。 「地声じゃ出ない高さだし、ウィスパ ーっぽいほうが合いますよね? 曲に合わせて、いろんな歌い方で、自分のイメージに合うように歌えたらいいと思います」(SACHIKO) 「曲のもつ色っていうのを大事にしたいなと思って、あんまり私が、私が”って感じとか、歩いてる人の腕をちょっと待って!”ってつかむような気はないので」(TAKAKO)
カップリングではUAの「甘い運命」SACHIKOが英詞をつけている。英語のボーカルはTAKAKOにまかせる部分が多いとのこと。おっとりしたSACHIKOと活動的なTAKAKO。まさしくユニット名が示すとおり、太陽と月のパワーやJ-POPとR&B、やさしさと強さなどつねにふたつの要素を合わせもつ。 気負うことなくグローバルなポップ感覚を手にするDOUBLEは、これからのシーンを先取りする存在だろう。
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junnosukeamai · 5 months
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ミュージック・マガジン 2023年11月号
The Kills
Y2Kリヴァイヴァルを考える
昨今、ポップ・パンクやドラムンベースなど、2000年代前後の意匠を取り入れたサウンドが新鮮なものとして受け入れられている。いわゆる「Z世代」を担い手として、音楽以外の領域でも巻き起こっている、この懐かしくも新しいリヴァイヴァルの正体に迫る。
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