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#土塗り壁
kazuya-ikezoi · 1 year
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住まれて5年、点検にお邪魔しました 木部や塗壁、モルタルと、経年変化や汚れも 素材感よくつくると、いい味だなぁと感じます 塗壁の雨垂れが気になると相談がありました 写真のように軒下の窓は、雨がかりが少なく 雨垂れしにくいです 雨がかりがある場所は、定期的に窓上の 埃を水で流し落としてもらえると、かなり 解消します いずれにせよ、手をかけて手入れいただくと 愛着も湧いて、味も楽しめるかなと思います 他にも事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てください #目隠しルーバー #木格子 #デザイン格子 #モルタル土間 #宅配ポスト #木と塗壁の家 #塗壁 #ベルアート  #ハウスメーカー #マイホーム #住宅 #新築 #注文住宅 #家づくりのアイデア #間取り #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/CqAi5EWPCmB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kohanakonohana · 28 days
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暖かくなってまいりましたので、地震で崩れた土蔵の壁を、縁側の壁崩落箇所の下地に使おうかと分別を開始。
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水簸の設備もないのでちまちまとふるって。
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出てきた石は庭に撒きましょう。
あ、土蔵の足元ちょっと固めればいいのかな。最終的に。
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さて崩落現場。
猫さまが外を眺めている窓の反対側で、織部屋の壁の外側にあたる部分。
ここは木摺下地なのかぁ、と思っていましたら…
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今日この溝の部分を剥がしていったら、あらびっくり。
中に壁があるよ?
白いよ?
おまけに割れてるね!?
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オマエのせいかー!?
…割れたからなのか、ここに明かりを引きたかったからか、どうも漆喰壁の上に木摺の枠組みをして再度漆喰が塗ってあった模様。
真ん中も4寸材が立ってるし、織部屋側からも塗り直す予定だからトータル強度はいいのかな(割れてるのが気になる)
割れの奥にほんとの芯材らしき小舞竹っぽいものも見えるので、元の壁のこちら側はそう厚くはなさそうだけど、これはいったいどうしたことか…
とりあえず下塗り開始です。
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astk-design · 11 days
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House in Shukugawa
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建て隣家に囲まれた旗竿型のコンパクトな敷地にあります。 プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指しました。 “大きな気積をもったドーム”と“適度に求心性のある平面”によって空間に包容力を持たせることで、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら心地良く過ごせる住まいを計画しました。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The "moderately centripetal plane" and the "dome with a large volume" give the space an inclusive feeling, so that even in a closed box, the client does not feel cramped, but can enjoy the beautiful greenery and light while living comfortably. The house was designed to be comfortable while loving beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box.
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⚪︎ロケーション
 立地は兵庫県西宮市。周辺は自然が豊かで古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリア。地価が高く坪単価も比較的高いため、土地が細分化され密集している地域も多くみられる。 敷地はそのような地域の旗竿型のコンパクトな土地であり、四方を2階建て隣家に囲まれた窮屈な印象があった。クライアントは、周辺環境の良さと幼い頃から慣れ親しんだ地域であるという点を重視しこの土地を購入された。
⚪︎要望
 クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画にも変化や緩急があること
空間の多様性、ボリュームのメリハリ
普遍性のあるデザイン
⚪︎デザインコンセプト
 プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指した。共有していただいた好みのインテリアイメージにはヨーロッパの空気感を感じるものが多く、意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まず敷地に対して可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、外に閉じた箱型の計画とした。内部でも自然や四季を感じ取れるよう、比較的採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りにリビングダイニングやキッチンなどのアクティブスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。  この住まいの最大の特徴であるホールは、外に閉じた住まいの中で窮屈さを感じることなく、家族や親しい人達と親密な時間を過ごせる空間を目指したものである。適度に求心性のある平面が団欒を生み、ドームの大きな気積により人が集まっても居心地の良さを担保できる。暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。  さらに完全にプライベートな空間である2階に対して、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を持たせることで、狭い箱の中に変化と奥行きを生み出そうとしている。床のタイル仕上げ、路地のテラス席のようなダイニングテーブル、吹き抜けに突き出したバルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトが醸し出す少し厳かな雰囲気、などの要素が相まって1階の空気感をつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として全体の照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最大限美しく感じられるように明るさの序列を整理した。また壁天井の仕上げは淡い赤褐色の漆喰塗りに統一することで、明るさを増幅させながら光の暖かさも感じられるようにした。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。
⚪︎構造計画
 木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。
⚪︎造園計画
 この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。
⚪︎照明計画
 ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。
⚪︎室内環境
 居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法
⚪︎まとめ
 近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。
⚪︎建物概要
家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa
⚪︎Positioning the land as the background
 Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.
 The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood.
⚪︎Requests
 The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
To be able to feel nature (greenery, light, wind) and the four seasons (change of time) even inside the house.
To be able to cherish hygge (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy.
The spirit of "In Praise of Shadows" should be valued, and changes in shadows and ambient light should be sensed with subtlety. The lighting scheme should not be uniformly bright, but varied and gradual.
The entire space should be loosely connected, but with a variety of spatial volumes to suit different uses.
The design should have a universality that will allow the owner to enjoy the house, from the interior to the exterior, for a long time.
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied.
⚪︎Design concept
 The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)
 The hall, the most distinctive feature of this house, was intended to be a space that gently envelops time with family and close friends without feeling cramped in a house closed to the outside. The hall has a moderately centripetal plane that creates a sense of harmony, and a large dome-shaped volume that ensures a cozy atmosphere even when people gather together, giving the space a sense of inclusiveness.
 In contrast to the completely private space on the second floor, the first floor has a semi-public atmosphere even though it is a house, creating a sense of change and depth within the narrow box. The tiled floor, the dining table that resembles a terrace in an alley, the balcony-like landing that protrudes into the atrium, and the slightly austere atmosphere created by the dome and symbolic top light all work together to create the atmosphere of the ground floor.
 In terms of lighting, it is important not only to have brightness, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.
 In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space.
⚪︎Interior Environment
 A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.
 The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.
 The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator.
⚪︎Structural Planning
 Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs.
⚪︎Landscaping plan
 The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.
 The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium.
⚪︎Lighting Plan
 The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.
 On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space.
⚪︎Summary
 In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle.
⚪︎Property Information
Client|Couple
Total floor area|70.10m2
Building area|42.56m2
1floor area|39.59m2
2floor area|30.51m2
Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan
Zoning|Article 22 zone
Structure|Wooden 2 stories
Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad
Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring
          Walls: Marble Feel paint finish
          Ceiling: Marble Feel paint finish
Design Period|November 2022 - July 2023
Construction Period|August 2023 - March 2024
Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier
Construction| Minoru Construction Company
Landscaping|Ogino Landscape Design Co.
Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co.
Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co.
Dining table and sofa|wood work olior.
Dining chairs|tenon
Interior styling|raum
Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato)
Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co.
Text | O Kato
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kennak · 4 months
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■2016年4月18日(地震から2日後以降) 金曜深夜の地震から2日、月曜日になりました。 実家も事務所の入った建物の1階もつぶれてしまいましたが、うちは不動産屋です。今日から不動産会社としての仕事が始まります。 私は管理物件のクレーム(水が出ない、給湯器が倒れた、エレベーターが動かない等)対応は社員さんにお願いして、会社がある1階がつぶれた建物の入居者さんの対応をする事に決めました。 改めてみても、ひどい状況でした。 ①入居者さんへ補償をするべきなのか。仮に自社が地震保険に入っていたのならば入居者さんにそれを分けるべきなのか ②賃貸借契約はどうなるのか ③中の荷物をどうするか この3点が重要だと思いました。一番に、弁護士さんへ相談に行きました。弁護士さんは、すぐに、法律的な見解と建物所有者としてやるべきことを示してくれました。 ①オーナーも天災の被害者なので入居者さんへ補償をする必要はない。地震保険は仮に入っていたとしても入居者さんへ分配する必要はない ②「賃貸借契約」は建物が滅失した時点で終了している。敷金と建物滅失後の日割家賃は早く入居者さんへ返した方が良い ③中の荷物はオーナー側で運ぶ必要はない。建物への立ち入りを許可して事故になると責任が発生するので、入居者さんの自己責任で荷物を取りに行ってもらうこと これを聞いて、正直救われた気持ちになりました。入居者さんにお見舞金として、1部屋50万円くらいは支払わなければいけないだろうと思っていたからです。1部屋50万円でも16部屋なら800万円になります。 地震保険は父の方針で入っていませんでした。会社は事務所も備品も通帳も印鑑も手形もデータもないという状況でした。自社の事だけでも大変なのに、さらにそんな大金を準備できる体力はありません。 ■1階がつぶれた建物の入居者さん対応 すぐに入居者さんの次の住まい探しを始めなければと思いました。近所の不動産業者を回ったり電話を掛けたりしましたが、「管理物件の安全性がまだ確認できていないのでお貸しすることは出来ません」と言われました。 不動産業者は機能していない、と思いました。次にオーナーが自主管理している物件にお願いしようと、近所のオーナーにお部屋を貸してくださいと頼みました。すると「水が出ない状況でも良ければ」と了承してくれました。 次は、日割家賃と敷金を返金するために契約内容を調べる事にしました。 たまたま地震の約1週間前に私のPCの調子が悪くなって買い替えたのですが、これが奏功しました。 不動産関係のデータを外付けHDから、「シュガーシンク」というクラウドストレージに預けるように変えたばかりだったのです。「賃貸管理システム」を再ダウンロードすれば契約情報がわかるはず。システム会社に事情を話すと、その日のうちに使えるようにしてくれました。 夫は、入居者さんの為になる情報を集めてきてくれました。 これからの為に「罹災証明」という書類が必要になること、郵便物は倒壊した建物には届かない事などがわかりました。 私は調べた情報を一人ずつ、入居者さんへ伝えました。 ――――― ①賃貸借契約は建物が滅失した4月16日で終了したので、敷金と日割家賃の返金があること ②大変なご迷惑をお掛けしたので、補償金を支払いたいが、自社の事で手いっぱいでお金がなく、法的にもお互いに被災者で支払う義務がないため、申し訳ないが当てにしないで欲しいということ ③荷物を建物から出す作業に関しては、手伝ってあげたいけれど、社員に業務命令で危ない真似をさせられないから手伝えないこと。建物の立ち入りは自己責任でお願いしたいこと ④「罹災証明」という書類を役所で発行してもらうために、建物の外観の写真が必要。この写真はうちで準備して配ること ⑤郵便物は届かなくなるから、すぐに「転送届」を出して欲しいということ ⑥賃貸住宅用の火災保険は弊社で加入している人は地震保険の申請を手伝えること ⑦住む家を探したい人は、入居斡旋を出来る物件を対象にしたツアーを行うこと(みなし仮設住宅制度が出来る前でしたが、5名の方がこのツアーで次の住まいを決めました) ⑧建物の解体の時期はまだ決まっていないが、決まったら連絡すること ――――― ここまで、手探りで1週間近く掛かりました。未熟な私は1週間近く掛けてもこれだけしか出来ませんでした。でも、私の至らない点は、入居者さんたちが補ってくれました。 ご自分の仕事を差し置いて、毎日、入居者さんの荷物の搬出を手伝ってくれる方もいらっしゃいました。ご飯を分けてくれる方もいらっしゃいました。助け合いの心を感じました。本当にありがたかったです。 そして地震から数日後、入居者さんたちはそれぞれの次の住まいへと移っていかれました。一件だけ、何度も補償を求めて訪ねてこられた方がいましたが、街から被災割合に応じて支払われた「生活再建資金」150万円が支払われると、連絡はなくなりました。 ■被災した管理物件について 倒壊した建物の入居者対応に目途がついてちょっとほっこりしていると、社員君から、「他の物件も手伝ってください!」と声がかかりました。マジで今まで丸投げしててごめんなさいと、それから他の物件の対応に移りました。 <水が出ない> 水が出なくなった物件は、受水槽が割れていたことが原因でした。修理を依頼すると、「受水槽の搬入路が確保できないため、受水槽交換が出来ない」と言われました。FRP塗装でも受水槽の水漏れが治せるとわかり、その手配を取りました。ようやく水が出るようになったのは、地震から20日後でした。 <エレベーターが動かない> エレベーターは地震で部品が変形して動かなくました。EV屋さんが板金で部品を再調達してくれて、1週間程で復旧しました。 <電気温水器が倒れた> 電気温水器がある物件は、ほとんどの住戸で温水器が倒れました。設置の際に3箇所止めていたら倒れないらしいのですが、熊本市内の物件は2箇所止めしかされていないものが多く、数多くの物件で被害が生じました。 被害は深刻で、部屋中が水浸しになってカビが生えた部屋や、天井が落ちた部屋もありました。電気温水器を交換して内装工事をしましたが、すべてが完了するのに半年くらいかかったように思います。 <室内の被害への対応> 入居中の方から、「室内の被害を見て欲しい」という連絡が山ほどありました。クロスのひび割れや、物が倒れた事による床の傷・壁の穴については、退去時に「地震の影響」と言���てくれれば原状回復請求はしませんと伝えました(申し訳ないですが直しませんでした)。 古い戸建では瓦が落ちたり、お風呂のタイルがボロボロと剥がれたり、壁が割れたりしました。これはさすがに危険なので元に戻す修理をしました。 <地震保険の請求> オーナーチェンジで購入した物件は保険を引き継いでいたので、地震保険に加入していました。 外壁のひび割れなどが激しかったために、保険請求をしましたが、「RC構造は梁と柱の構造で外壁や設備は構造体ではないから、損傷の点数にならない」という返事で、一部損壊判定にしかなりませんでした。それでもひび割れをコーキング・塗装で治すくらいの費用にはなりました。 ■ありがたかった様々な支援 地震後に私が行った対応は、以上のようなものです。 1階が潰れた社屋ビルはその後、解体され、今は「貸土地」になっています。 被災して建物や設備に被害が生じた中小企業は「グループ補助金」を利用したところが多かったようです。うちも利用させていただきました。 あれだけの被害を受けても会社がなくならずに済んだのは、「罹災証明」の被害状況に応じて被災者に支給された国や地方公共団体からの支援金、そして全国の皆様からの寄付や義援金のおかげです。大変ありがたかったです。 <当時の支援内容(主なものの一部)> ・義援金 ・被災者生活再建支援金 ・仮設住宅 ・みなし仮設住宅(民間賃貸住宅借上げ制度) ・補修型みなし応急仮設住宅の補修費(入居時修繕負担金)の支援 ・被災民間賃貸住宅復旧事業補助金 ・公費解体 ・グループ補助金 これらは地震発生から時間が経ってから、徐々に発表されました。 今回、被災された方は、地震発生直後は色々ご不安だと思いますが、今回も同様の支援がある可能性がありますので、情報を追っていかれることをお勧め致します。 うちは夫が調べたり、申請用の書類を準備してくれたりしました。自分一人ではやりきれなかったかもしれません。こういう時は、人を頼ることも大事だと思います。 ■「耐震診断」と「補強工事」について 次に、地震に対する備えである「耐震診断」と「補強工事」についても少し言及させていただきます。 木造住宅であれば、安価で耐震診断・住宅劣化診断をして頂ける機関があります。「一般社団法人 木造住宅耐震普及協会」です。 熊本県で10年ほど前に会長の池上さんが発足した団体で、とても良心的に丁寧に建物の診断をして下さるので、耐震性に不安がある物件をお持ちの方は一度相談されてみることをおススメします。九州内は出張費用が掛かりますが、見てもらえます。 他の地域ですと、私は利用したことはないですが、「一般社団法人 日本住宅耐震普及協会」というところがあるそうです。相談してみるのも一案かと思います。 私の熊本地震での経験が何かのお役に立てば幸いです。
地震後の入居者対応。オーナーとしてできる事、できない事【地震編/後編】|不動産投資の健美家
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mochipro2022 · 2 years
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#70 プロジェクト内体験会 part1
日時:10月26日 10:45~12:15 場所:223教室 出席:8人(高安休み。早く元気になって)
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今日は、B-LogをCO-MAPの人たちに体験してもらいました!! 今回作った使用手順で結構自発的に進められていたのはよかったです。
B-Log
デジタルの方は、画面を縦にすることができたのでこれからは画面と具材のリサイズ、個数表示をしていく形になります。 バンズの上と下については、今日色塗りを行ってそろそろ全ての模型にNFCタグをつけられそうです。 ルールについては、もう少し詳しく書く必要があるかなと思いました。 案として、自分達がプロダクトを使って話し合いをしている映像みたいなのを撮って、「こういう時もピッてしていいんだよ」というのを伝えるのもアリかなって思いました。(撮ったり編集したりの時間はないけれど)
CO-MAP
コマップの方は、金曜日にプロジェクト内体験会���行うため、その準備を行いました。今日は壁を新調していました。 よこちゃんが壁用の新しい紙を買ってきていました。おそらくそれを使って壁を作る感じになると思ってます。(個人的な推測です。)
担当から一言
体験会に色んな人を誘ってみてますが、土曜開催が無理という人が多く、休みの日は家から出たくない人が多いみたいです。実家暮らしの人は特に向ヶ丘遊園まで来るのが大変みたいで......高安には早く戻ってきてもらいたいですね。 写真のレタスがほうれん草っぽくなってますが、レタスって打って変換したらこうなりました。 いないと寂しい😭ので元気になってください٩( ᐛ )و
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dadnews · 2 years
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新本堂の土壁塗りお手伝い 東温の大安寺で檀家や住民ら [愛媛新聞] 2022-09-18
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ndmnemosyne · 9 months
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2023.8.6
わたしのヒースクリフ、今日もよく晴れた。青い空はそのまま青い空として輝いていた、時々白く眩しく。
土日は人の出入りが爆増するので(それに夏休みだし!)土日続けて働くのは辛いが、忙しい分考えなくても済む肉体労働だけが残るので、好きとも嫌いとも言えない。午後四時ごろになると身体全部がほぼ限界で、残しておいた保冷ボトルのコーヒーを景気付けに飲んでしまいたくなる(しかし、そこで飲んでしまうと今度は帰宅できない)。だんだん重くなっていく両足を引き摺って最後まで片付け続ける。それを見ている人は多分いない、でもする。それが今のわたしの仕事だから。サンドリヨンとは違うのよ、舞踏会のお話ひとつ舞い込まないのだからね。
今日は『いもうとなんかいらない』(ロイス・ダンカン 小宮由訳/岩波書店)を読んだ。メアリー・ケイの妹スザンナは聞かん坊の暴れん坊。お人形たちとのティーパーティもめちゃくちゃにされるし、塗り絵は邪魔され挙句に壁にクレヨンで絵まで描かれてしまう。ほとほと嫌になったメアリー・ケイは、誰かにスザンナをあげてしまおうとするのだけれど……。昔話にはよくある繰り返し(三回目にドラマが動く)を使いながらメアリー・ケイの心情もしっかり追っていて好印象。
わたしには妹がいない。四つ下の弟はいる。わたしは弟が家にやってきた時から好かなかった。なんだこいつはとずっと思っていたし、静かに過ごしたいわたしにとって弟はやかましすぎてうんざりだった。テレビアニメの真似をして戦いごっこを仕掛けられたら負け確定(母に怒られるのはいつだってわたし!)今後一生仲良くなることはない。だから時々姉妹にすごく憧れる。わたしも誰かにあげちゃえば(あげよ!と思いつけたら)よかったな……。
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chisasarasa · 10 months
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230603
昨日の夜がつづいたまま、何かが生まれそうな、ふくらんだ気配。 絵を描きたい、と思ったまま、詩とか製本とかをする。 絵の描き始め方を忘れてしまって、絵が描けない。 絵と詩と本と、バランスのとりかたが分からない。
東京蚤の市。 台風一過、痛いくらいの晴れ。 日焼け止めを塗り忘れたことを、早々に悔いる。 太陽が眩しすぎて頭が少し痛いような。でも、あちらこちらに素敵なものが散らばっていて、あちらこちらに引き寄せられてしまう。 一緒に来ていた友人はいくつもの茶色のカップを手に取り、何度もよくみて、2つ選んで購入していた。わたしは取っ手のついたかごを買った。食器は買わなかった。 素敵と思うものはあれど、なんとなく買えなくて、友人をうらやましく思った。のは、彼女の生活かもしれなかった。 今のわたしは1Kの一人で素敵な食器を置く場所も、一緒に楽しんでくれる人もいなくて。 だから、たぶん、買えなくて。 自分で選んだ生活だけれど。
カフェで食べた、サンマルクっていうケーキ、おいしかった。
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230604
アルバイト。 今日もいい天気。 壁にうつる木々の影がたのしげ。風に揺れている。 今日は早く帰ろうと思っていたのに、画材屋へ。 紙を探しているときはわくわくと楽しかったけれど、レジは長蛇の列で、疲れてしまった。
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230605
朝、疲れが取れていないのを感じる。 金土日、休み全部、外出してしまった。
晩ごはん、じゃがいもとひき肉を炊いて、甘辛く味付けした。 せっかちなわたしにしてはちゃんとじゃがいもに火を通すことができた。
腰が痛くて、それによさそうなヨガをして、ねた。
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230606
朝、夢をみつつ、おきる。 米の上に目玉焼きをのせて食べる。 体が重く、ねむい。気圧のせいだろうか。雨。静かな雨が降っていて、濡れながら帰っても苦じゃなかった。 なすの煮びたしを作って、食べる。 ささやかでも料理をして、食べる。 生活がしっかりするような感覚。 落ち着いて制作したくて、家事を食い気味に終わらせたけれど、眠気がとまらず、5分タイマーを繰り返しかけ、ねていた。 制作はあきらめて、日記をかいて、ねた。
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ari0921 · 1 year
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軍事力強化 目そらすな 
    【櫻井よし子 美しき勁き国へ】
 一体誰がこのデモを想像しただろうか。10月の中国共産党大会で鉄壁の支配体制を築いた習近平国家主席に11月末、白紙を掲げた若者たちが「習近平、辞めろ」と叫んだ。習氏は厳格な都市封鎖を基本にした中国式新型コロナウイルス対策は米欧諸国より優れていると誇った。一党独裁体制は西側の民主主義体制より優れていると胸を張り、米国を嘲(あざけ)ったが、「コロナ流行から3年、人々はいらだっている」と認め、封鎖緩和の可能性も指摘されている。
 だが、「人民第一」の中国なのに大多数の高齢者のワクチン接種は未完了だ。緩和策でコロナが広がれば医療体制は崩壊し200万人の死者が出るといわれる。緩和策がなければ若者たちの不満はさらに高まる。進むも地獄、引くも地獄の局面に習氏は立つ。
 若者の不満噴出はコロナ対策がきっかけだったが、事の本質はそれを越えたところにある。共産党大会で共産主義回帰を明らかにした習氏は、「社会全体の文明度を向上させる」として、党と国家のために役立つ精神文明の推進を打ち出した。最高指導者である自身の主張に従い、逆らうなというに等しい政策である。時代に逆行するこのような統治への不満は容易に消えるものではあるまい。
 中国の歴代政権は大衆の反乱を最も恐れてきた。中国共産党100年の歴史でも大衆の不満への恐れは顕著で、不満発散の仕組みとして常に外に敵を作った。かつての標的は日本、今は台湾だ。
 台湾では11月26日の統一地方選挙で蔡英文総統の民進党が大敗した。民進党の支持率は33・5%、国民党の18・6%よりもはるかに高い。
なのになぜ敗れたのか。中国による民進党をおとしめるサイバー攻撃があったと考えてよいだろう。目的達成に最終的には軍事的手段を用いるが、その前に巧みな情報戦を展開するのが中国の特徴である。防衛相のシンクタンク、防衛研究所の「中国安全保障レポート2023」によれば、前回の総統選挙に重なる2019年9月から20年8月まで、中国から台湾に14億回以上のサイバー攻撃があった。今回もそれに劣らぬサイバー攻撃があったと見るのは当然だ。
 防衛研究所の報告書によると、中国は03年に正式採用した三戦(世論戦、心理戦、法律戦)戦略を発展させ、制空権や制海権の樹立には情報こそ物を言うとして「制情報戦」という概念を打ち立てた。それはいま「制脳権の確率」まで進化しているという。文字どおり、相手の思考を虚偽情報を駆使して操作するという作戦である。
 頭脳まで支配するすさまじい情報戦を仕掛けられた台湾は少なくとも現段階で敗北しているわけだ。ならば、日本が取るべき道は諸国と協力して情報戦で反撃することだ。台湾防護は日本防護である。
 安倍晋三元首相は「自衛隊には継戦能力がありません」と明言し、岸田文雄首相も「(継戦能力は)必ずしも十分ではない」と国会答弁した。2人の首相が自国軍の継戦能力を否定しなければならない。情報力だけでなく軍事力においても、わが国は尋常ならざる危機の中にある。
 中国の習近平国家主席はそんな日本に狙いを定めて中国式海洋支配の法を昨年2月、施行した。海警法だ。「中国の管轄海域」で外国船が中国の法律、法規に違反した場合、強制退去させ、武器使用を含む全ての処置を講ずるという内容で、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で海上保安庁など日本の船に武力行使すると宣言したのだ。
 中国は海警局を正式に軍に組み入れるために数年かけて準備をしたが、その間、日本は基本的対処策をとれずにきた。2017年には中国国内の治安維持などにあたる人民武装警察隊(武警)に新たな任務として「海上での権益維持」が付与された。18年1月、国務院と中央軍事委員会の二重指揮下にあった武警は、正式に中央軍事委員会の一元管理下に置かれた。同年には武警の下部組織に海警局を編入した。
 こうして中国は全ての船や装備を軍の一部として使うための法整備を完了した。それを逐一見ていたにもかかわらず、日本は「海保に軍隊としての組織・訓練・機能を禁止する」という海上保安庁法25条の改正ができないで今日に至っている。海���を所管する国土交通省はこの10年間、公明党のポストであり続けた。海保法改正ができなのは公明党の責任か。
 日本は、中国海警を海保同様の?非軍隊?組織と見なしているが、組織上、装備上、法で定められた行動基準上の全てにおいて海警局は準軍事組織である。中国は海警局の船体を白塗りにして灰色の軍隊と異なる体裁にし、日本の抵抗を最小限にとどめて尖閣周辺海域での実効支配を強めている。
 こうした中、米国防総省は11月29日、中国の軍事力に関する年次報告書で米国に急迫する中国の軍事力の実態を公表し、米国の圧倒的優位性が変化していると認めた。わが国の安全保障状況の危うさが際立つ。どこから見ても現状は平時ではなく有事である。自衛隊の軍事力を早急に強化しなければ、日本国は危うい。
 アルゼンチンが英領フォークランド諸島に侵攻したフォークランド紛争のとき、英国のサッチャー首相(当時)は保守党長老のマクミラン元首相の助言を得て、戦時内閣からハウ財務相を除外した。「われわれは軍の安全を財政上の理由のために危うくしようという気には決してならなかった」と、サッチャー氏は書き残した。
 岸田首相は財務省の影響を受けていると指摘されるのを嫌い、財務省主導の「有識者会議」の提言は「参考」にとどめてよいとの考えを示している。財務省は防衛予算の増加を抑制するのに躍起で、有識者会議は防衛費増かの財源は増税や予算削減で賄うことを進言した。
 大事なことは細かなことにとらわれず、目的に集中することだ。巨大な軍事力と経済力、侵略の意思を持つ中国に強い抑止力を働かせるには強い軍事力がいる。その軍事力を強化するという最重要の課題から目をそらさないことだ。財務省の国益なき議論は横に置き、日本を��る軍事力の構築を岸田首相は死に物狂いで主導してほしい。
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ichijimak · 10 months
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230708
前回書いたミュージシャンの方から急遽仕事を頼まれた。ボロボロの壁の応急処置をしてほしいという依頼である。
こんな壁
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これはかなり急な話で、諸事情で水曜までにはなんとか見れるようにはしたいと。とりあえずこの土日にやるしかないので今日行ったのだが、どうやるかすら思い浮かばない。
ない知恵を絞って、一番酷いところに簡易的に棚のようなものを取り付けて隠すことにした。比較的マシなところはペンキを塗る。ホームセンターに行ってベニヤを切って貰って、なんとか材料を調達した。(何をするにも道具がないのがもどかしい!)
今日はとりあえず下地をボンドでつけて、明日まで待つことにしたのだが、下地が凸凹すぎて、ちゃんと接着されている自信が全くない。なぜそのボンドについてちゃんと調べなかったのか後になってから後悔した。30%くらいの希望にかける。ダメだったらそのときはそのときだ…
正直この依頼に関しては無茶振りすぎて、ベストは尽くすけどできることしかできないよ!という気持ちでいた。ロバートの「文字の110番」のことを思い出しながら作業していた。
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kazuya-ikezoi · 1 year
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ガルバリウムと塗壁と板貼りの玄関の事例 玄関を隠した事例をいくつも紹介していますが 自邸はオープンだったりします笑 敷地や間取り、外観のバランスを色々考えます ドアや板貼りをフワッと照らしてくれるかなと 壁灯を選びました メインがあるので、器具自体はシンプルに 灯りがいい感じです 他にも事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てください #ガルバリウム外壁 #縦ハゼ #軒天板貼り #玄関植栽 #ベルアート #塗壁 #モルタル土間 #スウェーデンドア #家づくりのアイデア #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/Cowv3hOvl1B/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと���めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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tatami-stuff · 1 year
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魂を削らないといけない訳ではない
アートの定義が広くてわからない。
音楽はまだ明快なものがある気がする。ライブハウスで爆音鳴らすバンド音楽。
自分から絞り出した言葉を並び替えて適当に弾いたコードに乗せる、メンバーと合わせて鳴らす、爆音で。したら完成形。
しかしアートの完成形がわからない。音楽と美術は芸術系でまとめられがちである。通じるものがあるか?と聞かれるが特に無し!!!
高校生の頃、アートセンスとか美術センスとか言われるのが本当に嫌いだった!自分が自分のことアーティストとは思ってなかったし美大を目指しているだけであってセンスがある訳でもなかったから。わたしを知ろうとしてくれない人だけがそう呼んでいた。
紙にクレヨンでぐちゃぐちゃに描く、それは赤ん坊ちゃんでもできる。壁にペンキを塗る、それは土方にいちゃんだってできる。
同年代が活躍していって美術も音楽も中途半端な自分は置いて���ぼりで最後まで何も成し遂げられない、志半ば野垂れ死ぬのは自分の方かもしれないのに。焦りが部屋の汚さへ繋がる。
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senpenbanka0426 · 2 years
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デカい家(4)
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今回は地上3階、4階、1階を書いて行く。
で↑のスクショは3階になりやす。 色別の枠で囲ったように3つの小部屋を1つのセットとして考えつつ家具を配置。スクショ内の矢印はその部屋にアクセスする扉が設置してある場所で、もし完全に個人の部屋としてプレイしたくなった時にロックする扉にもなる予定。
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で、赤枠で囲った部分を拡大表示するとこんな感じ↑。 ベッドルームとバスルームと活動部屋の3つを1つのセットにしてシムを割り振る予定で設計。
おおよそ、置いてあるものや配置はその他の部屋も同じ。強いて違うのは配色くらい。パソコンとかも一人一台設置する予定ではあるけど、生活モードでプレイ始めて不都合が出たら撤去する予定(笑)(パソコンの自律行動の優先度が高すぎるんだよぉ!)
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ちなみに大体シムの目線と同じ高さからこの部屋を見るとこんな感じ↑。 ちょい薄暗くて装飾品も少なく感じるかもしれないが、その辺の調整は家全体がおおよそ出来たらやっていく予定。
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お次は最上階の4階部分。 4階は屋根の都合上、その他の階と形は違うが3つの小部屋を1セットってのは変わらない感じ。
殆ど同じ物を置いていくだけの作業なんでサクサク終わったりはするんだが……やっぱ途中から飽きるんだよなぁww
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で、次が1階部分。 1階部分が他と大きく違う所は中庭と使用人用の部屋があるところ。
使用人用に料理と器用スキルが高いシムを4人くらい住まわせようかなぁ、とか今考えてるが、スキル上げ作業とか大人数の世帯でやっていけるかどうか分からん(笑)
ちょい前にストリップクラブ経営するプレイで13人世帯とか回したけど……あれまたやるのか……って気もしなくはない(笑)
あと、私は持ってないが洗濯パック(Laundry Dayだっけ?)持ってるなら使えそうなランドリールームを一応設置。使用人部屋ならそれくらい近場にあった方がそれっぽいやろっていう割と安直な考えで作ったぜ!
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使用人の休憩所と寝床みたいなポジションの部屋だけど、置いてある家具はそこそこ高級なもので固めてある。金額的にまだまだ行けそうなら絵画とかも飾る予定。使用人用とは言え、粗雑な部屋をこの家の中に置きたくないってだけなんだが(笑)
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あと中庭はこんな感じ↑。時間設定を夜で撮影したせいで暗いが、多分これ以上光源は置かないと思う。下手に光源置きまくるとスクショが白飛びして逆に見にくくなるんだよな。(私のモニターだけヤバい可能性もあるが(笑))
あと、このスクショ見てて左奥の壁に柱付け忘れてるのを発見したわww マジでデカいとこういう付け忘れ、塗り忘れが多発するのがしんどいねんな……。
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で、ここまで作った所での区画の価値はコチラ↑。シャトー・ピークの土地が35,000ドルだから、おおよそ建物だけで500万ドルにはなった模様。 あとは地下4階分作ってどこまで行くかだなぁ。今の所は目標は↑の数字が9,999,999になる事なんだが、このままいくと若干厳しいかも。まぁ、その辺はついでに達成できれば良いやって感じなんで今は考えない事にする(笑)
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あとはどうでも良いけど個人的な家具の配置の話とか。 パソコン置いた机の近くには必ず椅子を置くようにしてる。まぁ、なんかパソコンで作業してるシムの隣で立って会話するより座って話してる方が自然やんってだけの話なんだが。
たまにテレビの前にソファ置いてあっても立ってテレビ観てるシム居るが、「とりあえず座れよ」って思っちゃうんだよな(笑)
あと、建築する時に私が良く使うキーは
F5(細かい家具配置の時に)
Alt(オブジェクトを自由に配置したい時)
Shift(同じオブジェクトを連続で置きまくる時に)
「(オブジェクトを大きくしたい時に)
」(オブジェクトを小さくしたい時に)
+(家具の配色を変えながら設置したい時に)
こんな感じ。割と有名なキーだけど私はSims4プレイ始めて2年くらいずっとしらなかったゾ。公式でキー紹介してるページとかないんかね? 私が知らないだけかい?
あと、オブジェクトの配置する高さ変える「9」と「0」もあるけど、これはそこまで多様しないかなぁ。装飾をそこまで気合入れてやる事がないからな(笑) 使いこなしてる人は凄いと思うわ。
デバッグアイテムとかも全然分からんww デバッグアイテム出す方法は知ってる��使い道が全くと言って良いほど思いつかん(笑) たまーに眺めてると面白いアイテムとか見つける事あるけど、そこまで建築に応用できる気がしないww
そんな感じで次回からは地下の部分になると思われ。飽きずに作り終える事が出来たら記事になりやす(笑)
次回へ
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af3ura · 2 years
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2022.08.29-31
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ぬいぐるみは買わないぞ!と思って渡英したのに普通にネッシーのぬいぐるみ買ってしまった。HAPPY NESS まてよ? HAPPYとNESSで改行されてるからハッピーなネス湖かと思ったけどこれってハピネスってこと?!イングリッシュダジャレじゃん 買ってよかったわ
2022.8.29
瓶が回収される音で起床。ようやく清掃が始まったらしい。
フェスティバルは昨日までだったけれど、はみ出して上演していたMacbethを観劇。スコットランドの話をまさに観れてよかった。
観劇後、見たい展示があるスコットランド国立博物館に向かった。つもりだったが、MUSEUMの文字だけ見て全然違う博物館に入っていた。しかし全ての展示を見終わるまで違う博物館に入ってたことに気がつかないのであった…。
迷い込んだのはSurgeone’Hall Museum、エジンバラ王立外科大学の博物館…。 (撮影禁止だったので何の写真もない。)
解剖学の展示にお出迎えされ、デスマスクやマジの人体が並んでてギャアー!となりながらなんとか全部見る。大学院の座学版体育みたいな授業で謎に解剖学の回あったな…とか思い出しながら次の展示室行くと歯科についての展示だった。考えるだけで痛そうな器具たちに再びギャアー!となる。現代医療ありがとう。麻酔大好き。
既に息切れしていたのに、次の展示室では吹き抜けの二階建てスペースに所狭しとホルマリン漬けのマジの人体が並んでいて私の元気タイムは完全に終了した。まつげがついたままの目の周りの皮膚(だけ)とか、脳みそが見えるように上の方を切り取られた頭部(だけ)とか、もうしばらく肉は食べれません…自分のことこんなにナイーブだとは思ってなかったけれど、本当に肉はしばらくいいです…。
見てる最中、解剖ってやばくない?どういうメンタル?と思わず医師の友達にLINE。 「解剖ってグロいとか思わないの?」 「全く思わないしそういう人は見たことない」 やっぱ最初から耐性がある人が医者目指すのか。 「ちなみに解剖の授業ではここがミノだよとか言いながらやってるよ笑」 いや笑じゃねえー!お医者さん怖過ぎる。情緒どうなってる?
まあこの友達からは恐ろしい回答が来る予感はしていたので、海洋学部の友達にも聞いてみる。 「解剖グロいと思う?」 「どこかにグロいと思うラインがあると思う。生きてる魚はグロいけど死んでる魚は美味しそうに近い。」 確かに。私も死んだ魚は捌ける。生きている、もしくは生きているに近い状態だとグロく感じる?何故?
全てを見終わり「元々見たかった展示がひとつもなかった…ここは一体…?」と思いながら外に出て振り向き、博物館の名前を見る。ようやく違う博物館に来たことに気がつく。本来行きたかった方の閉館時間まで1時間しかなかったけれど、だいぶげんなりしていて口直しが必要だったので行くことにした。
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入ってすぐ絶対に見終わらないことを確信。National Museum of Scotland
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一番見たかった世界で初めて生まれたクローン羊Dollyの剥製。 哺乳類のクローン実験だったのだろうけど、どうして羊が選ばれたんだろう?
やっぱり見終わらなかったので潔く諦めて退館。
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あとまじでこれ2枚食べるごとにリップ塗るぐらいしょっぱすぎて唇痛くなるから食べて欲しい。
深夜に部屋に戻ると、同室の人を起こしてしまった。明日出発するんだ、私もだよと会話をしてたらいつの間にかインスタを交換してた。 アイルランドの人だった。
2022.8.30
荷造りして出発。 美術館も行きたかったのだけど、まずは博物館へ。
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朝ごはん。展示室に近い館内で食べれるのめちゃgood
さあ昨日の続きから見るぞ!2時間くらいで見終わるかなと意気込んで周り始めると、昨日は気がつかなかった展示室を発見。どうやら私がデケー!と思ってた吹き抜けの方はSCIENCE&TECHNOLOGY館(?)で、スコットランドについての展示室は吹き抜けの方とは別で8階分あった。
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絶対に2時間では見終わらない。美術館はすっぱり諦めて博物館に全振りを決意。
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一番好きだった展示。勢いよくスカラベを差し出してる像。スッ!
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SIENCE&TECHNOLOGYの方はこの規模の展示室が4つくらいある。
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セントラルヒーティングもおしゃれだった。
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ミュージアムショップでイギリスの木刀売ってた。23£。高え。
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気になったものだけ立ち止まる駆け足スタイルで見るも、全部まわるのに4時間かかった。ちゃんと1日かけたかったが、エジンバラ城の予約入場チケットを買っていたので、St.Giles大聖堂を再び駆け足で見学。
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めちゃくちゃよかった。 めちゃくちゃよかったんだけど、大聖堂来る前に寄った図書館の消毒ジェルが臭過ぎて、ファインダー覗く度に苦しめられた。
ステンドグラスの作画(?)がかなり違っていたけれど、どうして作成時期がズレているのかは聞けなかった。
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何かの力を発揮してる瞬間のステンドグラス good
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お土産屋さんで十字架を買ったらプチプチに包んでくれた。
大聖堂も足早に駆け抜けて、初日ぶりにエジンバラ城へ。入場列が長く、入るまで30分くらいかかった。
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角に通りの名が書いてあるのをいくつか見た。
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監獄に入ったら窓で鳩が寝てた。ここに投獄された人もこうやって鳩を見たかな。私の次に入ってきた人に思わず鳩いるよと教えると小声でwow...と言っていた。寝てる動物を見る時の反応は万国共通。
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ていうかチケット買ったのに誰にも確認されなかったんだけど私は何のチケットを買ったんだ?と思いながら下城。
名残惜しいけど、エジンバラから出発。次の目的地Durhamへ。
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海沿いを通る汽車なので絶対に景色が見たい!と思い、窓側の席を買ったのに壁だった。なんで?
座席は進行方向の逆を向いていて、ひっくり返したりすることもなくそのまま出発した。いつか方向転換する時が来るのか?と思いつつ、仕方ないから隙間から見た景色は後ろから前に流れていく。
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羊と牛と馬がのんびり放牧されていて、なだらかな丘の麦畑がずっと向こうまで続いてる。 前回の日記で山より丘の方がよく出てくるかもと書いたけど、本当に山がない。ずっとなだらかな丘。山がない分空が広いのと、街並み以外は概ね北海道に似ていた。羊たちがむしゃむしゃ草を食べてるのを見てヨブ記のことを考える。
そして電車の向きは変わることなく、後ろ向きのままDurhamに到着した。
バーの上のホステルに宿泊。バーに入るとガタイのいいお兄さんが気さくに挨拶をしてくれた。予約してますと伝えると、従業員用出入り口的なところを通されて、実家よりも狭い階段を上った。キャリーケースを持ってくれたお兄さんはマジ重だね☆て笑って持っていってくれたけどそうなんだよお兄さんのそのガタイでマジ重☆な荷物を私はどうやってチェックアウト時におろしたらいいの?と不安なままついていく。
久々の1人部屋で就寝。
2022.08.31
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ようやくイングリッシュブレックファースト。 テーブルにパン直置きなの面白いけど、とても美味しかった。このあと7時間くらいお腹が減らず。
宿から目的地まで徒歩20分くらいだったので雨だったけれど歩いてみた。 シルバニアみたいなカラフルな家々が並んでるのを見ながら歩いてたら鹿のうんこ踏んだ。
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今日の第一目的地 Durham Cathedral . 1093年に設立された教会。こんなに長い間信仰の地になり続けているの本当にすごい。
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上ばっかり見ちゃうけど床のタイルも素晴らしい。
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ハリーポッターのロケ地。ホグワーツの中庭と廊下。テンション爆上がり。 子供たちがウィンガーディアムレヴィオーサ!と言いながら走り回ってた。わかる。
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静岡滞在中のnoteでも書きまくってたけど、当時の石の削りがわかるの本当に大好き。
隣のDurham城(現大学)も見学。 観光ガイドボランティアのおばあちゃんがたくさん話しかけてくれたけど断片的にしかわからなかったのでとにかくwow...で乗り切った。 再びホグワーツの食堂でテンション上がる。
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街を散策しながら帰路。
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帰りは晴れた。
今日も書きすぎ。明日からようやくロンドン。
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usickyou · 2 years
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What a wonderful worldend
 今日、南極点のそばで美波ちゃんに出会った。  偶然だね。そう言った彼女も、聞けばどうやら探し人の途中らしい。「寒いところで、生まれた子だから」って北極に次いで南極に訪れたという彼女を「効率悪いねえ」って揶揄したら、「本当にね」ってくすくす笑ってたから、それが彼女たちのリズムなんだろうなって、あたしは妙に納得してしまう。  ちょっとおしゃべりしようよ、って白夜に放棄された基地へ忍び込んで、運良く残っていた燃料で暖を取りながら肩を並べる。「元気にしてた?」「全然。美波ちゃんは?」「私も全然。あの子には会えそう?」「にゃは、意趣返しだ」「違うよ。会ってほしいって思うから」。  それは、本心なんだろう。彼女はそういうふうにできていて、それだけは、全てが変わろうと何も変わらない。「金色の、風が吹いてるんだよね」「うん」「たどっていけば、会えるって思うんだ」「うん、素敵だね」「美波ちゃんにもそういうのない?」「うーん……そうだ。流れ星、追いかけてみようかな」「幸せだねえ」「うん、幸せだよ」。  そうやってのろけ話を交わして、朝、目を覚ましたら彼女はもういなかった。物質的な痕跡は何も残さず、ただ眠る寸前に寄せた右肩の感覚だけが残っていた。  彼女は本当に、ここにいたのだろうか。  どちらでもいいし、それに、またいつか会えるだろう。  だって、世界の終わりにはみんな、誰かを探してる。
 *
 通り雨が上がって、ぬかるんだ地面に足を取られた。けれど汚れたのは右手と左手も若干それだけで、上手に処理したなあってアイドルだった頃の努力を今さらにも感じていたら、押しころすみたいな笑い声が聞こえてきた。  フランス、シャンパーニュ。右手に広がる常盤色のブドウ畑、その向こうに万年雪のお化粧をしたアルプス連峰。左手もブドウ畑、小屋や農機具。後ろ、歩いてきた茶褐色の道。前、進んでいく未舗装の道。「3、2、1……」「ごめんなさい、つい」。そう、この道を形成する石垣の影から静々と現れたのは奏ちゃん。手に持った葡萄を差し出して「どう?」「やだよ、酸っぱいでしょ」「私も食べる前に知りたかったわ」って苦笑い。石垣に腰を下ろして、インディゴのサテンワンピースから伸びた脚は宙をぶらぶら泳いでいる。  何してるの、って聞こうとして寸前にそれが無意味だって気付いた。「どうしてここなの?」「だって、あの子すごく自由でしょう」「にしても、もっとそれらしい場所ありそうだけど」「思いつくような場所は行ったわ」「それもそうだね」。風が、あたしたちの髪を揺らした。南から吹く、温暖な風。たくさんのものが変わってしまって、失われて、そうして自然は少しだけ優しくなった。  葡萄を一つもらって、かじってみる。それはやっぱり酸っぱくて、だけど新鮮な果実の甘みは思いがけない喜びをもたらした。一緒に食べたら、エメラルドみたいな瞳はどんなかがやきを見せてくれるだろう。「志希は、訊くまでもないわね」「聞いてくれてもいいよ」「パリ、どれくらいかしら」「一緒に行く?」。そんな気もないのに、言ってみる。「あなたが望むならね」。彼女は石垣を下りて、あたしが来た方の道へ歩き出した。裸の足が柔らかい土を踏みしめるたびに鳴る音は、確かに生命を感じさせて、だけど振り返ればきっと彼女はそこにいないんだろう。  さようならって声が聞こえた気がしたけど、答える代わりに葡萄をもう一個、口に放り込む。
 *
 真っ赤な凝灰岩と赤煉瓦の建造物に焼けるような夕日が射して、世界は燃えている。「暑いねー」「これ、冷えてるわよ」「それ、もっと熱くなるやつ」「そんなことないと思うけど」「ほっぺ赤いよー」「だって、暑いんだもの」「なによりだね」。かつてこの国、イランには禁酒法があったらしいが、それは全く正しい判断だったとその人は身を以て教えてくれる。  こんなに暑い昼間のうちに歩き回らなくても、と入り込んだ煉瓦の家に、楓さんはいた。やけにターバンが似合って、「異国情緒よねえ」って皮袋から何らかのアルコールを摂取して、なんだかその姿は、誰よりもこの世界を楽しんでいるように映る。「だって、私たちアイドルでしょう」「うんうん」「……」「お酒、おいしい?」「ええ、とっても」。  日が沈むと、この国はよく冷えた。とは言え気候としては過ごしやすく、眩しいほどの星明かりの下をあたしたちはふらふら。訊けば探し人は、月がよく似合うらしい。「なんだか、予感がするわ」「何度目の?」「初めて。あの人と会う時は、いつもそう」。そう言った、横顔があまりに美しいから、空を見上げた。綺麗な月だ。もしかしたら、あたしの探し人はそこにいるのかもしれない。月がちょっとだけ金色に輝いているのは、そこで彼女が歌っているからかもしれない。なんて考えていて、地上に意識を戻した時には、楓さんはもういなくなっていた。  きっと、そこに行ったんだろう。  彼女の歌が聞こえたか、帰ってきたら教えてもらおう。そう心に結んで、残していったターバンを巻いてみる。  なぜか心地良い、アルコールの香り。ほんのりと。
 *
 みんな、その色がこんなにも美しいと誰かに伝えたくて仕方がないから、この街は思い思いの好きで溢れている。けれど、降り注ぐ太陽があまりに優しくて、あたしは、今はもういない彼らの願った通りにたくさんの色を好きになっていく。  キューバ、トリニダ。ここは、そういう街だった。  彼女なら、どんな色を選ぶだろう。萌黄色か、コーラルピンク、ベイビーブルーもいいかもしれない。毎日その日の気分で家の壁にペンキを塗って、そんな毎日を過ごすのもいい。「げ、志希」「にゃは、奈緒ちゃんだー」「逃げていいか?」「いいけど、すぐ捕まえるよ」「……だろうなあ」「よしよし」。  市街に描かれた緩やかな曲線を、のんびりと下っていく。気候は暑くも寒くもなく乾いても湿気ってもいない。降りてきた天国のようだった。白い窓枠を花が伝って、さながらニンフェットの住処だと思っていたら、「海に行きたいって言ってたから」と彼女がぽつりとこぼす。「そこにいるかも?」「いやーどうだろ、けっこう回ったんだけど」「案外、渋谷のマクドナルドとか」「否定しきれないって」裏とか表とかそういうのがバカらしくなるくらいの笑顔は、やっぱり今日の太陽によく似合って、あたしは彼女のことをもっと好きになる。  でも、この海はちょっと特別かも。そんなことを言おうとしたけれど、彼女が駆け出したせいで行き場を失った言葉は潮風に溶けて消えていった。「海だー!」子供みたいに大声を上げて坂を下っていく背中に「転ばないでねー」ってまるでママみたいな言葉を送って、ちょうど差しかかった木陰で足を止める。なるほど見下ろした海のアクアマリン、乱反射する光に誘われて、駆け出したくなる衝動で脚は疼いていた。  だけどもう少し。たとえばこの坂道を一緒に下って、波間に踊るその手足を想像していたい。それからでも、何もかも遅いってことはもう、この世界には一切なくなってしまったのだから。  そうしてあたしは、すっかり見えなくなってしまった彼女に手を振った。
 *
 タンザニア。この砂と礫の海で人間は誕生した、という説がある。正確には、あった。その真偽は保留するとして、ここは、そう考えるにはあまりにロマンのない場所だ。少なくとも、彼女の起源を辿ればここに行き着く、なんて説はあたしの知の全部を尽くして否定しなければならないだろう。  けれど、良いところもある。たわむれに蹴った石が傾斜を転がり落ちて、生まれたのは跳ねる音符、やけにハッピーなメロディ。意味もなくばらまいた砂粒は、陽光にきらめく極小のトパーズ。「あーあ」ってため息がこぼれて、乾いた喉に流し込んだ水は信じられないくらいおいしくて、もっと、彼女に会いたくなった。  どこにいるんだろう。  終わってしまった世界で、あたしは彼女を探し続けている。(まだ、何歩か進んだだけだよ)(あたし我慢って苦手なんだよね)(泣き言なんて、似合わないわね)(そう聞こえた? ならそうなのかも)(ちょっとくらい、休んでもいいんじゃないかしら?)(止まったものを動かすのって、エネルギー使うんだよ)(あ��つも、志希のこと探してるんじゃないか?)(自分だって、そう言われても待て��いでしょ)。それぞれが、それぞれ勝手に喋りかけて、まあ、退屈はしないけど。  でも悪いけど、今日は閉店。洞穴に入り込んで、涼やかな風を楽しみながら、目を閉じる。瞼の裏に、何度か彼女の色が射した気がして目を開くけど、その度見えるのはゴツゴツした火成岩の岩肌。外はもう暗くなっていて、もう寝ちゃおうってちゃんと目を閉じたら「そのまま、開けちゃダメだよー」って、聞き間違えるはずがない、ずっと、ずっと聞きたくて、何度も思い返して、夢にだって数え切れないくらい見たんだよ。「もしかして、夢?」「なら、開けたら覚めちゃうよ」「そっか、目、閉じてれば覚めないんだね」。  あたしたちは、たくさん話した。最初は、見てきた景色のこと。モンゴルの草原で寝ころんで見上げた空の深さ。スイスのなだらかな丘陵で牛に葉っぱをあげたこと。カナダ、メイプルの群生林で凍えていた夜。フォークランド諸島で追いかけまわしたペンギンたち。「ぜんぶ、一緒が良かったんだよ」「うん、ふたりで行こうね」。それから、出会った人のこと、出会わなかった人のこと。咲いていた花の名前。月齢の数え方やアーチ状の格子窓がどれだけ綺麗か。そうして、この世界がどうやって終わっていったか、なんてつまらないことを話そうとしたらキスをされて、言葉は消えてなくなった。抱きしめられて、空間が消失した。幸せで、満ち足りて、もう何もいらないなあ、なんて思ったけれど、「またね」「うん、ありがとう」って目を開けば朝日は柔らかく射し込んでいて、周囲に人間が存在していたことを示す痕跡は何一つ残っていなかった。  洞穴の外に広がる礫砂漠をぼんやりと眺めていたら、あくびが一つこぼれた。もうちょっとだけ眠ろうとする体を「よいしょ」って起こして、タンザニアの青い空、太陽の下へ足を踏み出す。  金色の風は、今日も彼女と同じ温かさで、あたしの手を引くみたいに、吹いていた。
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