Beauty – Understanding Minami Maito’s beauty 美~瞭解水美舞斗之美
Taken from KAGEKI November Issue 2022. 來自11月歌劇號。
(This was kindly scanned by my good mutual BJ! This is for her, and all the other Flower Troupe fans! 特別鳴謝BJ的圖片,獻給她還有其他喜歡花組的朋友們!)
The commitment to beauty when standing on stage 站在舞台上對美感之執著
1) An honest heart 誠實之心
Since a person’s conditions – good or bad – can be revealed on stage, my feelings and mentality are very important. No matter how healthy I am physically, if I’m not feeling good psychologically, then I can’t do a good performance, so firstly I want my mental health to be good. That’s my wish (laugh).
由於在舞台上可以看到一個人的情況好或壞,自己的心情感受是很重要的。不論自己多健康,如果心靈上感覺不好,就不可以做一個好的表演,所以首先我希望心靈健康。是我的願望啊(笑)。
2) Point of view 視角
It’s also important that my point of view and my heart is aligned. No matter if it’s for acting, dancing or singing, I’m wary of the creation process: the presentation of how to deliver and portray the performance to the audience. As a stage performer, it’s not exploring places I feel good about, but rather thinking it from what’s the best perspective that the audience would enjoy. Also, people have greater impression of the performance on greater things rather than small details like makeup, so I also think it’s important to think of the overall framework. How I dress up and how I make my face look sharper are some focus points too.
心與視角要一致都是重要的。不論是演技、跳舞、唱歌,我很著意當中的創作過程:如何傳遞與呈現公演的表現方式。作為舞台人,並不是要探索自己感覺良好的地方,而是要想著對觀眾來說最好看的地方。還有,比起化妝的小事,人們對於公演的其他重要事情更會印象深刻,所以想到整個框架都是重要的。如何打扮、如何讓臉上線條更深明也是幾重點。
3) The vibe 氛圍
The stage is not created by one person, but formed with the first time with the performers, the staff, and the audience. I feel so grateful to the audience’s presence in the corona pandemic, and because there are more days where I spend the day alone, I can only feel myself breathing on stage. Unlike the cheerful vibe in the rehearsal room, but the vibe created because of the audience’s presence. That’s what makes this world so enjoyable for me.
舞台不是一人之力創造出來的,而是由表演者、工作人員和觀眾才可以一開始這樣建立出來的。這個新冠疫情讓我很感激觀眾的存在,由於有更多日子是自己一人度過,才會發現自己果然在舞台上才是感受到自己呼吸著。與那種在稽古場開朗的練習不同,而是因為有觀眾而萌生的氛圍。這就是為何世界可以變得這麼值得享受了。
Things I find beautiful 讓我覺得美麗的事情
A heart to improve 上進心
When I see the underclassmen just practising and keenly pursuing to do better, it really moves me and I can see that they really have a direct sense of love to the stage when they rehearse and I find that very beautiful indeed.
看到稽古場的下級生純粹的追求著做得更好而努力練習的姿態,真是打動到我,讓我感受到她們真的對舞台有種直率的愛,所以覺得這是很美的。
The history of Takarazuka 寶塚的歷史
Since I entered Takarazuka because I was fascinated with its stage, when I performed in the stage of the Flower Troupe 100th anniversary at that time, while inheriting from the traditions, I think it’s beautiful to see how there are irreplaceable things even if my style is continuously updating and changing. Be it the new things in every performance and stage I create together with the people I regard greater than family, the things upperclassmen teach underclassmen, the lessons I learnt from upperclassmen I admire...that point about Takarazuka is really amazing.
因為自己是憧憬著寶塚舞台而進入劇團的,上次出演花組100週年的舞台,不但傳承著傳統,我還認為改進自己的風格同時有一些不可取代的事情是很美麗的。不論是與比家人還重要的人一同在每個公演、每個舞台上創作的事物,上級生教下級生的東西,從憧憬的上級生學到的東西⋯寶塚的這一點是很美的。
Offstage beauty when standing on stage 舞台之下對美感之執著
1) Healing 治癒的事情
I want to have something healing (LOL). When I receive a phone call from my niece or nephew, or see videos or photos of my dog, or breathing the nice air and looking at the scenery on a drive...In order to have a healthy heart on stage, I’ll relax at once when I’m offstage, and I think it’s necessary to spend some time when you don’t have to think of anything. I’d really want to go to the hotsprings or the sea or somewhere I like, but since most of them are closed, I’d have to find something healing to spend the time.
我想有一些治癒的事情啊(笑)。收到侄子的電話、看到愛犬的影片或者相片、呼吸著美好空氣,看著風景駕車⋯為了在舞台上有一個健康的心態,OFF的時候一定會讓自己大解放一番,而且可以度過什麼都不想的時光是很重要的。我真的好想去溫泉、海邊或者我喜歡的地方,但是因為現在有些會是關閉的,就要自己找一些治癒的事情來度過時間啦。
2) Cleanliness of the house 住處的整潔。
Isn't there a saying that if your heart is frustrated then your surroundings show it? If I return home to a messy house, I’d think “Ah, I was so tired before” (LOL). That’s why I can’t let that happen. I like to be surrounded by good scents, and there’s the after-shower aroma spreading in the house and I’d feel so happy when I smell the aroma from the fragrant pouch when I sleep. I’d open the window in the morning to let the air circulate a bit, and thought of different things so that the house won’t be stuffy. If I have time, I’d also decorate (the house) with some flowers.
不是有「若心情很煩擾,可以從身邊的環境看到」的一句話吧?回家時若發現家裡很亂,就會想「啊,之前一定很累了吧」(笑)。所以不可以讓這事情發生。我喜歡香氣四溢的感覺,還有洗澡過後的香氣、睡覺的時候聞到香包會心情很好的。早上會開窗子讓空氣流通,想著不同的事情讓住處不會悶熱的。有時間的話,會用花兒裝飾住處。
3) Smile 笑容
When I’m contacting my friends and mutuals, or watching a comedy and laughing along with it, I think it’s important to have a time to laugh unlike the time when I’m on stage. I laugh when I watch the telvision...maybe because I’m from Kansai (LOL). Because I have a time to have a heartfelt laugh, I could continue doing better again tomorrow.
與朋友、關係好的人溝通的時候,看著喜劇跟著笑的時候,我認為自己有一些與舞台不同,又可以笑的時間是很重要的。看電視的時候自己會傻傻的笑著⋯可能我是關西人吧(笑)。因為有從心而笑的時間,才可以在明天繼續努力的。
A pose I find beautiful 美麗的姿勢
The pose when dancing the kuroenbi dance. When I wear the white shirt contrasted with the black swallowtail, and you can see the white within the black together, I love that it's the most quintessential essence of an otokoyaku in an otokoyaku kuroenbi dance. For this beautiful pose...it doesn’t turn out good right now so I’m sorry (LOL).
黒燕尾群舞跳舞的姿態。穿上白色襯衫與黒燕尾,黑白分明的對比,我就是很喜歡黒燕尾是最經典不過的男役之看點。這個美麗的姿態⋯現在做的好像不太美麗感到抱歉了(笑)。
Fans 粉絲
They experience the same happiness and sadness and go through the same cycle during performances with me...I’m cleansed by this profound love and their warm thoughts and this is my source of working hard. Alternatively, there’s also times when I wanted to show this side of myself to the audience. Their existence is already indispensable.
他們與我經歷同樣的喜樂與傷感,與我度過公演中相同的循環⋯這種深厚的愛與熱情的想法能淨化我的心靈,也是我努力的動力。相反,我也會想努力展現這樣的自己。他們的存在已經是必不可少。
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人類の『原初的在り方』を廃絶 - トランスヒューマニズム的アジェンダの目指すもの
ロビン・カイザー
オリジナル動画:https://youtu.be/OW2mCF7fbpg
公開日:2023年3月5日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
今しがた、人間の本来の在り方(原初的イデア)を廃絶しようとする試みをリストにまとめてみました。
この原初的イデアについては、他の文脈でお話ししたことがありますが、それは人間としての本質、私たちの本来の神的存在の本質に相当するものです。
現在、この地球上では、さまざまな方法、さまざまな手段を以て、この人類独自の在り方を廃絶しようとする試みが行われています。
その意味で、このビデオは他のものとは多少異なります。なぜなら、私は重要なポイントを押さえたテキストをベースにしており、人類の原初的在り方を廃絶しようとする個々のポイントを皆さんと一緒に一歩一歩進んでいきたいと考えています。
要するに、トランスヒューマニストのアジェンダと、彼らが人類の原初的在り方、つまり人間を人間たらしめるものを組織的に廃絶させようとしている個々のポイントを明確に把握することで、あなたはいつものように自分自身に注意を払い、何に共鳴するか、しないかを確認することができます。
1. 性別の廃止、第三の性別「divers (多様)」の導入。
お気づきの方もいらっしゃるでしょう。近頃、男性・女性だけでなく、divers(多様)、あるいは他の中性的な性的立ち位置(ジェンダーポジション)がチェックシートに追加されるようになりました。
そして、この混在と中立的なジェンダーポジションは、本来の人間的な在り方を廃絶しようとする一環です。なぜなら、私たちは中性のハイブリッド的存在ではないからです。
2. 人類の生殖能力への攻撃
ジェンダーカルトは人類の生殖能力へ組織的な攻撃が行われていることと密接に関係しています。とりわけ、女性の生殖能力ですが、男性の生殖能力も、さまざまな薬物や、遺伝子操作された食品を通して攻撃されています。人類は次の世代でますます不妊になることが予想されており、すでに提示されている解決策は、試験管ベビー、あるいは人工子宮です。
「私の子は目の色と髪の色と、こうした知能指数を備えているべきだ」と正確に構成し、それに応じた遺伝子を組み合わせて人工的に遺伝的に最適化された赤ちゃんを人工子宮で育てることができるのです。
それが、向かっている方向です。それが、トランスジェンダー・カルトが、介入や 遺伝子への出生前介入などを通じて、すでに今日、私たちに提供していることなのです。
そして、いつしかそれは我々の前にこのように提示されることになるのです: 「人類はますます不妊になり、自然な出産の過程でますます多くの遺伝的欠陥が発生しているのだから、試験管の中で子供を繁殖させる方がずっと安全で、ずっと良く、ずっと最適なのだ。」
これはトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なキーとなるものです。
3. 家族の廃絶
項目2に並んで、家族の廃絶も非常に重要なポイントです。
子どもたちの養育は国家が完全に把握することになり、家族の絆、家族の結束、さらには文化の結束は解体され、普遍化されます。
教育システムを持つ国家が子どもたちの教育の役割を担うので、そういう意味での親や親の役割は、将来的には実はもう必要なくなるのです。
これもトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なポイントです。
4. 国や文化の撤廃
この惑星、地球では地域を超えた規模で国や文化が撤廃されていっています。私たちはすでに、もはや国というものが存在しなくなってきているのを目の当たりにしており、個々の協同組合、個々の企業、個々の会社が、国や国の背後にある政治を完全に支配しています。つまり、デジタル権力複合体、企業複合体が存在し、その複合体は実際には国々を駒としてしか見ていません。その良い例が、現在ヨーロッパで起きていることです。
これが、トランスヒューマニストのアジェンダのもう一つのポイントですが、我々は「人類の原初的在り方とは何か」ということを常に心に抱いていてもいいはずです。本来のデザインにおける人間とはいったい何なのか?
そして今、人間の行動や特性をすべて体系的に廃絶して、この地球上で何が起きているのでしょうか?
そして、単一の世界政府によって、異なる国家や政府を撤廃すること、それが目標です。
単一世界秩序は何度も繰り返し述べられてきました。
私たちはこの方向へ高速で進んでいます。個々の国家や政府は全く発言することができず、影の政府、背景の政府が、チェス盤の上にこれらすべての個々の国を位置づけ、善悪の闘いのような幻想を私たちに見せているのです。
5. 各国通貨の廃止とデジタル管理された中央銀行貨幣の導入
このことについては、すでに他の人が詳しく扱っており、私は個人的には専門家ではありませんが、注意してください。ある時点から現金がなくなり、その後、通貨システムとして到来するものは、人間自身の自由の廃止を本当に意味するからです。
6. 異なる言語の廃止
異なる言語が廃止されることで、私たちの文化の言語的記憶も失われます。たとえば、ドイツ語圏でドイツ語を使わなくなり、すべてがアングラ化された形で別の文化圏に移されたとしたら、ある時点から私たちは自分たちの文化を覚えていられなくなることでしょう。
そして、トランスヒューマニズムのアジェンダが目指しているのは、最終的に英語が世界語になることです。そして、もはや異なる言語は存在せず、全世界がどこでも英語を話すようになるということです。
よく分類され、統計的に規格化された標準語が、全世界に浸透していくのです。
7. 自己の思考の廃絶
次のポイントは、非常に明白なことですが、自分自身の思考の廃止です。これは特に、学校制度や教育制度を見ているとよくわかります。私たちはいつも、廃止されたものの代用品、つまり人工的な代用品を手に入れます。人間の自然な生活の一部は常に廃止されていき、その代わりに人工的なものを手に入れるのです。そして、誰かがすでに考えたことを最もうまくオウム返しできる人たちが、最もよい成績をとるという、一般的な教育システムです。
それは、独立した思考、何よりも創造的な思考の廃止なのです。
8.人間の感情の廃絶
これは、私個人にとっても非常に心を揺さぶられるので、どうかよく見てほしい、と思う点です。すなわち、人間の感情の廃絶です。
街角で人々に目を向けてみてください。彼らにどれだけ感情を表すことが出来ているでしょうか?彼らのエネルギーや感情体はどれだけ共鳴出来ているでしょうか?
心理学は、正常な範囲から逸脱したものをすべて病的なものとして提示する役割を担っています。
そして、おそらくトランスヒューマニズムの道を歩む人類は、ある時点で感情というものが心理的な疾患とみなされ、もし感情を示す人がいれば、即効で心理学者や精神科医のもとに送られることになるのでしょう。
これが、輝かしいトランスヒューマニズムの新世界です。
9. 原初的な天然遺伝学の廃絶
このことは、他の場所での文脈の中で既に沢山お話してきました。
遺伝子プログラムには、私たちをハイブリッド化(雑種化)し、人間型機械生物に近づけるとされるものがあります。私たちは、遺伝子レベルで、このトランスヒューマンなハイブリッド化を世界的に経験したところです。
注射によって私たちの体に入れられるはずのものが、ハイブリッド化の前段階であり、人間の遺伝子をデジタル化するものです。
それは、異なる遺伝子配列の混合ですが、例えば注射だけではなく、私たちの食品によってもなされています。
したがって、例えば昆虫など、自然界において人が食べないような食材を食べるようになったとしたら、それは実は、ある特定の遺伝子プログラムの入った食材が人に押し付けられている、ということなのです。
つまり、人間がこの食品、遺伝子操作された食品、あるいは自然の食事には登場しない食品を食べると、特定の遺伝子配列が自分のゲノムをハッキングして、最終的に人間をますます非人間的にし、遺伝子プログラムのレベルで書き換えてしまうということです。
これに関連して、自然生態系の大切な動植物種の絶滅も重要な問題です。私たちは今、種の絶滅という巨大な事態に直面しています。かつてはとても多くの動物がいましたが、今では簡単に絶滅の危機に瀕しています。それは、これらの動物が存在しなくなれば、人間もいつかは存在しなくなるという事実にも関係してきます。
10. 自然治癒法の廃絶
それは何に置き換えられるのでしょうか?もちろん、製薬会社による集権化によってです。
私たちの自然治癒の知識。当時はまだどの薬草が何に効くか知っていた女性たち、当時はまだ自然で癒していた女性たち、これら全ては人類の集合意識から懸命に追放���れようとしていて、単に人工の錠剤を処方すればいいだけ、ということにされてきていますが、これは結局は依存度を高め、更に病気にならせていきます。
皆さんもお気づきのように、このリストはまだまだ続きます。しかし、皆さんがこのリストを読み進めるのに、私も付き合います。
感情的にもエネルギー的にも、それは楽なことではありません。
しかし、このようなことに目を向けることは重要です。なぜなら、人間の根源的な性質に対し、今まさに正面攻撃が行われているからで、我々は人類として立ち上がり、人類の価値観に立ち返り、トランスヒューマン主義のアジェンダには追従しない、と言うことができます。
とても重要なことです。
11. 天然食材の廃絶
これについては先程すでに少し触れましたが、何よりも、そして非常に核心的なこととして、現在非常に多くの食品が認可されており、ますます多くの遺伝子操作された食品が私たちの食卓に並ぶようになってきています。
遺伝子操作された食品には、人間が食べるとDNAに影響を及ぼす遺伝子配列が導入される可能性があり、その結果、自身のRNA/DNA複製が阻害されることになります。そしてこの食品は、あまり健康に良くないだけでなく、私たちの元来の遺伝子を変えてしまうのです。
数世代後になって、私たちが食べたものが人間の本質、特に人間のエネルギーシステムを変えてしまったことに気づくかもしれません。
12. 異なる宗教の廃止
さて、これはまだ先の話かもしれませんが、この世界のある時点で、一つの世界宗教が確立されるだろうということを、私は感じ取っています。
いつの日か、多様な宗教はもはや存在しなくなり、一種の現代的な救世主カルトが発足し、導入されるという兆候がたくさんあります。
そのようなシナリオがどのように構築さ れるのかは非常に様々ですが、恐らく人類の領域がどんどん不安定になり、人々が最も助けを求めて叫び、宇宙に向かって、なぜ誰も助けてくれないのだ、と言うようなことが起こるのでしょう。
そして、ある時、何かがこの世界に現れ、こう言うのです:我々があなたを救います。我々がすべての解決策を提供します。ここにサインするだけで 新しいテクノロジーを提供し すべての問題の解決策を提供します テクノロジーによって永遠に生きる方法や ほとんど永遠に生きる方法を教えます。
そうして、ある日、この計画の場に、偽の救世主が現れるかもしれません。
そして、この偽救世主は統一宗教を形成しようとするでしょう。
今日、盲目のキリスト教徒、あるいは盲目のイスラム教徒で、宗教的な聖典を信じている人々はこれが救いだと思い、トランスヒューマニズムのアジェンダに盲目的に突っ走ることになるでしょう。
このテーマについては、もっと語るべきことがたくさんあるので、別のコンテキストで、この世界中の宗教制度が繰り広げる巨大な再編成の異なる経過をもっと詳しく観察していくつもりです。
13. 直感的理性と自然な倫理規定の廃絶
普段、私たちは絶対的な直感力のある生き物で、何が正しくて何が間違っているのかを正確に知ってい��す。二元的なレベルでは、です。
当然、より高いレベルではそのようなものは存在していません。
しかし、このレベルにおいては、理性と道徳と道徳と倫理のようなものが存在します。
そして、それは今日では一体、どこにあるのでしょうか?
誰がまだその言葉を守っていますか?
自然な倫理観のようなものがまだどこにあるのでしょうか。
人間の誠実さはどこにあるのでしょうか?
人としての尊厳はどこにあるのでしょうか?
それとも、近頃、どこかへ消えてしまっていませんか?
そしてもちろん、人間の内なる規範である尊厳が置き換えられています。
人間の内的理性は、人工的な司法制度、規則、規制、契約などに置き換えられてしまっているのです。
これらすべては、私たちが自然な理性のセンスを養えるようにするものではありません。
なぜなら、外の世界では、すでに司法制度がすべてを規制しているからです。
もちろん、人類のために、とのことです。
14. 個々人の個性表現の廃絶
非常に重要です。そしてこれは実は、トランスヒューマニズムの他のすべてのアジェンダポイントを含んでいます。
個々人の個性の廃絶:均一的人類、ハイブリッドな均一的人類が形成されることになります。そして、実際に人間というものを構成するすべての個性的な逸脱、すべての性質、すべての特徴は、ますます病理化さていきます。
ですから、学校で8時間椅子に座っていられず、そわそわしている子どもは、ADHDと診断されます。
昔では、こういう子供は天然の「落ち着きのない子」として扱われましたが、今日では病気とされ、錠剤で治療されるのです。
そして、人間としての自然な性質、私たち人間が単に感情という幅広いスペクトルの中で持っている自然な特性が、病気として呈示されるわけです。
これは人間に対する正面攻撃であり、異なった人格の廃絶、精神性に重点をおくことを廃するものです。
15. 道徳、そして自然な価値体系の廃絶
相変わらず、人工的な価値観が確立されています。私たちはもう長い間、この人工的な価値観に慣れきってしまい、もはや人工的な価値観であることを全然認識できなくなっています。
それはお金です。お金は、実は人間の本来の価値観を完全にひっくり返してしまい、自然の価値観があるところをことごとく切り下げてしまっています。
つまり、人間の価値、社会的な価値を、人工的なお金のシステムが切り下げてしまっているのです。
それは、例えば、社会システムで人々がどれだけ稼いでいるかでわかりますね。そして、人工的な価値は、お金の力によって人為的に再評価されます。例えば、デジタル金融複合体の中で人々がどれだけ稼いでいるかを見ればそれがわかります。
16. 自然のリズムとサイクルの廃絶
これは、この世界で、我々が人工的に時間と日付を決めていることと関係があります。
17. 人間の真の歴史の廃絶
私たちの歴史学の語り口に疑問を持つすべての歴史家は、口封じされることになります。
一般的な物語である歴史学を疑うすべての人々は、特に現在、歴史家として困難な時を過ごしています。そして、人工的な歴史学に置き換えられてしまう。なぜ歴史は常に、何らかの紛争の勝者によって書かれるのでしょうか。そして、勝者が歴史を書くからこそ、現在の支配者の視点から自分にとって都合の良い異なる時空の出来事や 前置きを組み合わせた人工的な歴史を振り返っているのです。
18. 本や図書館の廃絶
これは、私の個人的な心情にも深く関わってきます。
実際、ジョージ・オーウェルは正しかった。本の廃止は、トランスヒューマニズムのアジェンダの一部です。
電子書籍に置き換えることで、デジタル空間での知識はますます増え、物理的な物質空間での知識はますます減っていくのです。
そして、それは電子書籍に取って代わられ、デジタル空間ではますます多くの知識が増え、物理的な物質空間での知識はますます少なくなっていきます。
そして、そして、ある時点でデジタル空間にあるすべての知識が消えてしまう事態が、簡単に起こったりします。
そして、本がなくなれば、知識も記憶もなくなります。
ですから、本がどんどん廃止され、すべての知識、すべての情報がデジタル空間でのみ行われるようになれば、人々が何を知るべきか、何を知らないでいるべきかは、デジタルレベルでの情報の流れのコントロールによって完全に決定され、指示されるようになることが、いとも簡単に起こりうるのです。
だから 物理的な形をした本は、もはやそのようなものが存在しないかもしれない未来にとって、本当に貴重なものとなりうるのです。
これらの点すべてにおいて、もちろん、自由、そして何よりも人類の主体性を廃絶しようとする試みがなされているのです。
そして、実は長い間研究されてきた非常に新しいコンセプトとして、グローバリズムの都市、ここではスマートシティというキーワードが使われていますが、そこではすべてがデジタル化され、すべての生活プロセスが完全な依存システムの形でそこに構築されているだけで、人間はもはや自分の環境と自然な関係にありません。
スマートシティとは実際、コンピュータープログラムによって、人々にいつ、何を、どのように提示するのか、すべてを決定するものです。
どこで働くか、どのように通勤するか、そのすべてを決定します。
つまり、スマートシティというキーワードは、トランスヒューマニズムのアジェンダの中で重要な要素なのです。
ご覧のように、これは概要です。この概観は完全なものではありません。ただ、今流れてきたもの、今書き留めたもので、人類廃絶のいくつかの主要となるポイントを表していると感じるものです。
19. 人情、そして人間の心という真のクオリティの廃絶
これは本当に大きな大きな問題です。もちろん、感情ボディの廃絶とも関係があります。
心理学を少しかじった人なら、意識の中に特定の区画を作る方法を知っています。これは、できるだけ具体的かつ集中的にトラウマを植え付けることによって行われます。
それはかつて、例えば子育ての枠組みの中で、実際にある特定の文化に組み込まれていました。子供を育てるための一種のメカニズムとして、トラウマを導入するのです。例えば、殴ることを介して。この黒い教育法は世界的に適用されています。的を絞ったトラウマが人の意識領域で繰り返し演じられることによって、最終的に人間の意識は分裂し、とりわけ人間の感情ボディは分裂した状態にあることが確実となり、トラウマは精神の分裂をもたらすのです。
おそらく、ある時点から多重人格化が起こるのでしょうが、それはあくまで参考程度にとどめておきましょう。
ここで重要なのは、トラウマや心的外傷の状態が長引けば長引くほど、その人の本質的な部分が切り離されたままになってしまうということです。
そしてそれは、戦争やテロのような事態が何度も何度も起こされることで、感情的な存在、感じ取る存在、情動が、集団としての人の意識領域から切り離されようとしていることを、私たちは現在目撃しているのです。
20. ダーウィンのサバイバル・プログラム
これは、私たちに何らかの形で演じられている原理で、私たちは、皆が皆と争い、肘鉄を食らわせ合う社会で何とか自分の道を切り開かなければならず、1等賞だけがホールケーキを手に入れ、社会には単に対立があるだけという生活をしていますが、いったん本来の人生を眺めるようになると、起こっているすべてのことは共生的でお互いのためだとわかるのです。
21. 所有物の廃止
現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。
私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。
人々は働く必要がなくなり、誰もがタダでお金を使えるようになります。このタダで使えるお金は、超社会主義のルールにできる限りおと���しく従っていれば、分配されます。
そうです、これは非常に大きな論点です。
社会主義システムを構築する試みは何度も繰り返されてきましたが、社会主義システムは資本主義システムの解決策にはならず、資本主義システムどころか、少なくとも更に自由が失われていきます。だからこのレベルでは、どうにも埒が明かないのです。
21. 人類の原初的在り方(イデア)の廃絶
これは、常に我々の念頭にあるものです。
[訳注:このテーマはロビンさんは別動画で説明。この後で翻訳を予定しています]
文化史的なおとぎ話や神話は廃絶されてきています。つまり、かつてキャンプファイヤーを囲んで語り合った物語は、とうの昔に忘れ去られてしまった。
人工的な代用品として、その代わりとして私たちが手にするのは、ますます平坦になっていくエンターテインメント産業です。かつて、私たちは互いに物語を語り、歌を歌い、おとぎ話を語り、文化的に非常に重要な要素を世代から世代へと受け継いできました。そこには、たくさんの知恵がありました。
ラジオやテレビ、インターネット文化など、エンターテインメント産業が完全に平坦化されているのです。
リストはあと、まだ1ページほどあります。
分かっています、中々濃い内容ですよね。消化しきれないこともあるでしょう。しかし、私たちはそれに向き合うことを許されています。
それがとても大切なことなのです。もし私たちが人類の原点に戻りたいのであれば、どこで、どのレベルで、どのような手段や方法を通して、この人類の原点である考えを廃絶しようと試みているのかを見つめれば良いのです。
22. 乗り物と移動形態の廃絶
私たちはまだガソリン車に乗り、自分でハンドルを握ることができますが、ある日、自動運転する電気自動車が登場するかもしれません。
もちろん、仕事場までの往復はしてくれますが、行くべきでない場所には…つまり、私たちが自由に移動できる距離が決まっているはずです。あるいは、ある一定の自由なキロメートル数があり、それが私たち人間に与えられている逃げ場となるのでしょう。
しかし、自動車や移動手段は私たちに一定の自由を与えてくれるものの、その範囲を超えるとある特定の方法で遠隔操作できるようになるため、もはや私たちの意向に従わなくなるのです。
23.天然素材の廃絶
今、あなたが着ている服を見てください。合成素材でできている可能性が比較的高いと思います。そして、合成素材、つまり人工的に作られた素材は、私たちの生活から天然素材をどんどん追い出していくはずです。合成物質がどんどん増えていく、巨大なプラスチック文化なのです。
私たちが肌にまとうものは、当然、肌から吸収されます。だから、私はここで呼びかけているのです。自分の持っている服がどれだけ化繊のものなのか、そして、天然素材の服を着て、定番のファッションから少し外れた方が人間らしいのではないか、と考えてみてください。
均一な人間のプロトタイプが形成さ れようとしていることを思い起こします。
ジーンズを履いているとか、ネクタイをしているとか……ね?あなたの頭の中には、あなたのイメージがあるはずです。
この一律なファッションから逸脱する自由を手に入れ、自分に許可してください。
人間という種の違い、多様性があるからこそ、人間としての人間らしさがあるのですが、全員が同じスーツに詰め込まれ、全員が同じような均一的なファッションを身につけると、いずれはロボットになってしまいます。
そして、それが今現在の私たちの姿なのです。
統一されたファッションは、実はエネルギー上の攻撃であり、私たちのエネルギーボディはそれを通して拡張することができません。
タイトなジーンズやタイトな服を着て、どうにかしてエネルギーボディを拡大しようと試みたことはありませんか?
かつて18世紀のファッションでは、大きな舞踏会用のガウンを着ていたそうです。そして、それらは人間のエネルギーシステムを支えていたのです。
しかし、現代では… 私たちの原初的な自然を表現することのない、合成繊維で作られた均一的なファッションとなっています。
24.美しい音楽の廃絶
自然な、調和のとれた、また本当に美しい音楽。これも、私の心に深く迫る問題です。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいました。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいた。そして、これらの音楽を聴いてください。純粋に生き生きとしています。音楽には魂が宿っている。生きている、振動している、呼吸している。音楽の中に魂があるのです。昔の音楽です。古い音楽を聴いて、その音楽の中にある魂を感じてみてください。
そして、その対照的なプログラムとして、ラジオをつけます。そして、平坦にな音に耳を傾けてください。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。そしてこの周波数は、人間の意識を拡大する役には立ちません。むしろその逆です。現在、私たちは、痛みを感じるほど平坦化された電子ポップスのラジオ音楽を聴いているのです。
しかし、魂は新しい音楽からだけでなく、すべての人間の領域における魂と同様に、トランスヒューマニストのアジェンダによってますます廃絶されようとしています。
25.雇用の廃絶
今、多くの人がこのことを気にしています。トランスヒューマニズムのアジェンダにある他の点は全く気付かれていないのです。なぜなら、突然、自分の口座に給料明細が入らなくなったとき、人々は初めて目を覚ますからです。
つまり、雇用の廃止はもちろん、ロボットや人工プログラム、人工知能に取って代わられるのです。
もう働かず、家のソファに座って市民手当をもらい、一日中エンターテイメント業界を見ている人…そう、彼はすでに、創造的で自立した考えを持たず、何も感じず、自分の魂と接触していない、トランスハイブリッドなユニット型人間にかなり近い状態になっています。
その中で、中産階級、中堅家業の大規模な廃止が起こっています。
ということは、ある時点で、中産階級や家族経営、伝統的なビジネス、そのすべてが廃止されます。特に農業の廃止は、単に権力を集中させ、ビジネスを集中させ、最終的に中産階級を破壊しようとする組織的なものとなります。
私は常にトランスヒューマニズムのタイムラインの可能性について話しています。それがすべて実現するとは言っていません。これは、非常に重要な違いです。
そして、狙いは二階級カースト社会をつくることです。
支配カーストと労働カースト。中産階級を破壊することが目的。二 階層カースト制。
そしてもちろん、人類の大部分は労働カーストに属することになります。そして、支配カーストには少数のエリートがおさまるのです。
26.自然の天候や 気候の廃絶
これも重要な要素で、おそらくまだ集合的な認知領域に到っていないのでしょうが……。
気象操作や気候統計の操作による、自然気象の撤廃、自然気候の撤廃は、今日、私たちの天気に注目してみると非常に重要な部分です。
よく観察してもらえれば、驚くほど異常に暖かくなったりしたかと思うと、また天気が崩れたり、自然のリズムが失われていることに気づくはずです。
これは、HAARPやその他の気象操作システムのような、技術的手段によって、非常に焦点を絞った方法で天候を指示・制御することができる大規模な設備と関係があります。このことは、後の出来事に関して、絶対に留意しておかなければならないことです。なぜなら、トランスヒューマニズムのアジェンダが計画する、後の出来事において、天候が大きな役割を果たすことになるからです。
なぜなら、彼らは実際に天候を… 武器のように利用するからです。
天候を操作することで、ある種の戦争を仕掛けるようなものです。
例えば、地震が起きて、突然、気温が非常に低くなった場合、例えば、生き残る人が少なくなる可能性が高くなるのです。これは詳細を省いた一例です。
しかし、忘れてはならないのは、テクノロジーが発達して、気象操作が当たり前になったということです。これは1950年代から行われていることで、今では雨が降る場所と太陽が照る場所をかなり正確にコントロールできるまでに完成されています。
難題かもしれませんし、咀嚼するのも難しいでしょう。
でも、そうなんです。
皆さんも自分で調べてみてください。私が挙げたこれらの点すべてについて。インターネット上には、それらの情報があふれています。私たちはただ、自分たちに情報を与え、それに応じて、人間の原初的な考えを再び思い出せばいいのです。
27.自然光の廃絶
非常に重要。これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。
これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。ほぼLEDだけで、ナチュラルな生活光を持たないことで、私たちも実は何世代にもわたって遺伝的に変容しているのです。
私は個人的にお勧めします。昔の電球を復活させてください。
んな理由であれ、何かが法律で禁止されるときは、常に意識を向けるようにすることです。
従来の電球が不経済という理由で市場から駆逐される、禁止される、と聞いたとき、私は意識を向けることになりました。
それは、私たちがますます人工的な光の下で暮らすべきということと関係しています。
単純に自然の光源、例えば太陽は当然ながら放射力が全く異なり、全色スペクトルで放射しているのに対し、LEDは非常に狭い周波数スペクトルの光を放射しているのです。
そして文字通り、私たち光の存在です。
もし、私たちが常にLEDの下で生活し、仕事をし、LEDのプラットフォームやスクリーンの前に座っていれば、私たちはそれに応じて変化していくでしょう。なぜなら、それはすべて体細胞レベル、遺伝子レベルに影響を与えるからです。
28.文化特有の祭事や祝儀の廃絶
これはあまり注目されていない重要な点です。
私たちはいつの間にか、この世界にふさわしい祝儀の仕方を忘れてしまいました。
文化によっては、まだそうしたことが行われています。しかし、世界中のすべての人々が、ある特定の時期に特定の祭日を設けるだけで、そこにはおとぎ話や神話、歌や踊りなどといった文化特有の祭事はなく…これら、文化の一部を成すものが廃止されてきています。
29.異文化や異人種の廃絶
[訳注:この部分でロビンさんは、魂のレベルで強く惹かれあった異文化間の男女関係の成立を批判したり、子供をつくることなどを拒絶しているのではなく、『移民計画』などで無理矢理に異なった文化や異人種を混ぜ込もうとしている黒い闇側の意図を指摘してしています]
上の、28.の中に、実は異文化と異人種の廃絶が込められています。
そして、今、カメラの前に進み出て「そうですよ、あなた方は異人種というものを廃絶しようとしていますよね」とでも言おうものなら、どう描写されるでしょうか?人種差別主義者?
人間の原点は、多様性、差異から生まれるものなのですよ。
しかし、何度も何度もまじりあえば、その多様性は死に絶えてしまう。
これは人種差別とは何の関わりもありません!
どの文化にも、どの民族にも、���れぞれの個性がある。そして、この特殊性が失われたとき、例えば、異なる文化を押し付けることによって、大きな混血が起こり、その結果、ある時点から均一な人間が出現することになります。
しかし、それは人類の「原初的在り方(次回和訳予定)」に相当しません。
人類の『原初的在り方』は、統一の中の多義性、多様性です。
そして、ある人種が他の人種より優れているということはなく、その違いが尊重され、祝福されるのです。
パーソナリティ特性の違いも、人種の違いも。
そして、これが無差別に、盲目的に、遺伝子のレベルでも混ぜあわされていると、ある時点で大きな不安定が生じます。遺伝子のレベルでも。そして、私たちはますますハイブリッドな 統一人間へと変化していくでしょう。
それはワンネスの意識の中で生きている人間ではなく、高次の意識を完全に失い、スピリチュアルな魂のレベルで自分が何者であるかがわからなくなった人間です。
世界には、例えばアラブ諸国など、観光が禁止されている国もあります。私はそのような国々に深く敬意を表します。なぜなら、彼らはグローバリストの計画を正確に把握しているからで、観光を許可すれば、欧米が自国を侵略し、文化全体を押し付け、離間させることをよく知っているのです。
このようなアラブ諸国は、自分たちのやり方で、人類の『原初的在り方』を守ろうとしているのです。
もちろん、それはまったく違う形で私たちに提示されていて、「“変わり者”だと思っておけばいいのさ」と言うことにされています。
昔、ヨーロッパには、さまざまな国があり、さまざまな文化がありました。
私は、これを原則として支持しているわけではありません。しかし、なぜこのようなことをするのか、その理由はよく理解できます。
30.真の深遠なスピリチュアリティと自然の廃絶 - 地球とのつながりの廃絶
当然ながら、私はずっとそこで意識を高めようとしてきました。
こうした中で最も苦しい状況にあるのは、これです。
そして人類は…この地球上で唯一、他の種を虐待している種です。そして、それを目の当たりにし、観察するのは苦痛です。
つまり、真のスピリチュアリティの廃絶です。
スピリチュアルなシーンは全くありふれており、全く平坦な状態です。私はそれをフラットランド・スピリチュアリティと呼びたい。
"私は自分の夢の世界を顕在化させます:それがスピリチュアリティ"
それは、地球・原初の自然・人間から切り離されたところで、高次元の空中に城を建てることです。
ピリチュアリティがここにあるのは、そのためではありません。
スピリチュアリティは、人間の原初的な在り方を肉体に根付かせることに関係していて、高次元の体験をするために何らかの方法で肉体を離れることではなく、そもそも肉体を完全に離れることではありません。そういうことではなく、高次元からの振動を自分の意識を介してフィジカルな物質に取り込むことなのです。
そして、私にとって非常に重要なのは、真に自然と深く結びついたスピリチュアルな生き方が意味するものとは何か、人類が気づくことなのです。
次が、最後のポイントとなります。
31.ありのままの地球の廃絶
私は何を言おうとしているのか。
今、ますます大きな宇宙計画が進んでいますが、ある時、我々に人類として提案があったらどうでしょう。
あなたはそのスペースシャトルにしか乗れず、すでに都市が建設されている他の世界がある…例えば、その世界では高い技術があり、これらの世界では、生活全体がもっとより良いものです。
あるいは、地球上の生活は成り立たないと言われるとします。地球上の生活は、あれやこれやで絶滅の危機に瀕しているとか。人間が生き続けたいのなら、他の惑星圏に大規模な移住プロジェクトを行うしかありません。
ありえるでしょうか?ありえるかもしれません。
もうすでにそうなっているのかもしれない。もしかしたら、将来的にそうなるかもしれない。つまり、人間は地球から引き離されようとしているのです。
そして、このすべては結局のところ、人間の内にある霊的なものを追い出そうとしていることに他なりません。霊性のある人間をより高いレベルの意識から切り離すのです。
そして、何かが切り離されるところ、何かが取り除かれるところには、人工的な代用品、人工的な代替品が挿入されるのです。
ーーーーーーーーーーーー
訳者より最後に:
ロビンさんの言葉遣いは独特で、訳するのは楽ではないのですが、それでも内容的には波動が非常に高く、訳をしながら深めるのが私は好きです。
このトランスヒューマニズムのアジェンダは2つ〜3つ訳しては、Telegramのチャンネルに小出ししていましたが、途中でさすがに非常に苦痛に感じてきました。
私自身が「そうした波動を感じるようになってきてしまった」のかもですが。
ロビンさんも途中で述べていますが、これらの中で既に実現が始まっているものもあれば、実際にそこまでの大きな影響があるのか定かではないもの、また既にがっつり始まっているものもあります。
これは、不安を起こさせるためのメッセージではなく、今後自分の世界線を選ぶことになった時、自覚のある選択をするためのものだと受け取っています。
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【刀剣乱舞】映画黎明感想2:解釈『刀剣乱舞』と刀剣と日本人
映画「黎明」、端的に言えば「最高でした」になるんですが、もう少し言葉を尽くしましょう。
物語の中の刀剣には元々興味があったのですが、2015年1月14日PC版「ONLINE」を始めてから本格化。以来実物の鑑賞勉強と多方面の本をちまちま続け、2022年12月だったかにやっと入り口としての問いに自分なりに解を出せました。
「なぜ刀剣なのか」
「日本刀とは、日本人にとって何なのか / 何だったのか」
一年の計は元旦、ならぬ春にあり。旧暦の春は一旦勉強を離れて5月から本腰を入れて刀と向き合おう。そういうタイミングだった2023年3月31日に公開された「黎明」は、私が8年かけてたどり着いた境地への「答え」そのものでした。
というわけで、この機に映画「黎明」の筋書きをベースに解を記したいと思います。
■
刀剣に関わり始めて幾度となく言われた言葉があります。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀剣は武器です。映画「黎明」でも冒頭では、罪なき(と思われる)人々が為政者によって無惨にも刀で斬り殺されている。それでもふしぎなことに、戦や暴力とは程遠い世界で生まれ育った少女が「綺麗」と見惚れる魅力を持っている。なぜなのか? その答えへと、天下五剣の中で最も「美しい」とされる三日月宗近と、「綺麗とか言うな」山姥切国広が主軸となって導いていく。これだけで映画「黎明」を喝采せざるを得ません。
先に答えを言ってしまうと、どんなに社会に溶け込めなくても、どんなに報われなくても、人を傷つけることを厭い、人を傷つける己を律する、そんな心を持った人間が刀と共にあり続けたからだよ。象徴するのは「美しい」刀2振りの仮の主、琴音と伊吹でした。
ユング心理学者の河合隼雄は、人間の精神性を「包含」と「分断」の2軸で説明しました。全体主義と個人主義とも言いかえられるでしょうか。日本人は前者の気質が強く、そのために時として他者どころか己の子を(心理的に)喰い物にする「山姥」のようになってしまうとのこと。それを防ぐためには「分断」の気質も高めて相互補完し、心のバランスを保つことが大事であるとかなんとか。
こうした説明を読んだ時、新渡戸稲造『武士道』の記述を思い出しました。
刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。
刀は基本的には斬るための武器で、つまりは「分断」の機能を持っています。そんな刀を「伴侶として愛」することは、己の「包含」気質を抑え、心のバランスを取ることに寄与していた……つまり、概して日本人て刀と向き合い刀と共にあることで、やっと真っ当な人間でいられたのでは?
反対に、武器である刀を「包含」気質の強い日本人が持っていたからこそ、「分断」の機能が抑制され武器を超えた存在として千年受け継がれてきた。そういうことなんじゃないでしょうか。
■
さて。美しき刀の仮の主、琴音と伊吹からその辺りのことを見ていきましょう。
まず琴音。彼女は特殊能力故に居心地の悪さを覚えていますが、高校に通い、友達にも恵まれた、「平凡」の範疇に入れて良い少女です。日本のたどる歴史の中ではぬるま湯と呼んでも支障がないだろう21世紀にどっぷり浸かり、だからこそ事態が切迫しても理解が追いつかない。友達が被害に遭っているし察しはついていますが、解決策として人を殺すという選択肢がどうしても採れない。
大義のためには、という男士……刀の「分断」機能から見れば鬱陶しくなるくらいの甘ちゃんでしょう。私も実は最初ちょっと苛ついていたのですが、あれが日本人の持つ「包含」気質の象徴と思えばむしろああでなくてはいけないと思い直しました。ことここに至っても有害だからと切り捨てられない、だからこそ三日月は友の信じる主であり、歴史の流れに踏みにじられた弱者を斬る「汚れ」にはまみれずに済む。
そして琴音も、三日月という刀と繋がりを持ったことで、協力は嫌だと駄々をこねるだけのところから、彼女なりに伊吹を心の鬼と「分断」する力添えをするに至る。琴音はひたすら伊吹に言葉を投げかけていましたが、河合隼雄に言わせると言葉は「分断」属性なんだそうです。つまり彼女はあそこで象徴的に刀を振るっていると同義とみなせます。最後に物の「言葉」に耳を傾けられるのも「分断」機能が向上したからかもしれません。見事な相互補完関係です。
■
次に伊吹くんですが。まず目下の人間に暴力を振るうのは「低次の「包含」機能に支配されている」と河合隼雄はズバリ言ってます。要はまず父親からして「包含」気質の奴隷。そんな父親に支配された伊吹もまた「包含」に呑まれており、弟への執着……依存は、見ていて心配になるほどでした。実際弟との離別(「分断」)に気付いた瞬間伊吹は心の均衡を失い、父と同じ属性を持つ酒呑童子と一体化してしまいます。
そんな時、「分断」機能の権化たる刀・山姥切国広が問います。「それは本当に“あんたの”願いなのか」と。これは明確に、酒呑童子と伊吹を分断するための言葉です。三日月の影響を受けた琴音の言葉による介添えもあり、伊吹は己の「分断」能力を高め、山姥切国広と共に己の心の鬼を断つ。
さらに言うと、伊吹に対して山姥切国広は刀としての「分断」機能だけでなく山姥切という属性の持つ「包含」機能も活きたんじゃないかと考えています。
実は包含機能は母性原理(地母神)、分断機能は男性原理(天父神)として説明されることもあります。だからこそ負に働く包含機能が「山姥」に例えられるんですが、伊吹の家は、父、兄、弟で女が不在なんですよ。包含機能のモデルケースがいない。だからこそ父は暴力をふるい、伊吹も悪役として活動し鬼になりかけたんだと思うんですが、そこを補ったのが山姥切国広でした。
とにかく彼は言葉を挟まず伊吹に寄り添う。彼がすがる醜い「弟」をも込みで伊吹の心を守ろうとする。それで世界が滅んだとしてもその結果をも受け入れるつもりだったのでしょう。こうしたどこまでも温かな「包含」を与えられたからこそ、彼は鬼を分断する心を得られたんじゃないかなと。そして恐らく保護員である女性と繋がることができたのは、やはり象徴的です。
■
母性原理と父性原理はあくまで心理学上の便宜上の説明であり実際の男女の役割を固定化させるものではないんですが、まぁ21世紀から見るとちょっと野暮ったいですよね。実はその辺もうまく配慮されてて、映画「黎明」本当にすごいなと感心しました。
琴音は物の声を聞く審神者に近い存在。伊吹は鬼に憑依される依代に近い存在。古来審神者は男、依代は女に多く(絶対ではない)、両者の二人三脚で祭政が行われてきました。でも審神者に近い琴音は女、依代に近い伊吹は男で男女の役割が逆転しています。そして両者が恋仲……一対になるわけでもなく物語は幕を下ろす。
実弦と加々美も伝統的な男女の役割が逆転しているように思えました。実弦は恐らく黒田家の末裔。そういうポジションは従来だったら男が担うものです。そして加々美。為政者たる男に侮られ、細かな気配りでお茶を出し、長義には絶対服従というレベルで絶大な信頼を寄せて言葉少なに彼の意に添う。これ普通に良妻モデルですよ。でも彼は男です。けれどそれでおかしいわけじゃない。実弦は黒田家の末裔たるギャルだからこそ、加々美はまるで良妻な男だからこそ、それぞれの刀と最高の相棒関係を見せてくれた。ジェンダー規範に囚われず生きたい現代審神者への全力のエールだと思います。
そしてそういう現代的な生き方をする彼らを、日本の歴史そのものたる神道に携わる倉橋さんと、あの大江山急襲に参加していた髭切(渡辺綱が腕を切り落としていた)とその弟の膝丸が付かず離れず見守っているというのが、なんか、途方もなく優しかったなと、今思い返してちょっと涙目になってます。『刀剣乱舞』どこまでも推せる。
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そろそろ終わりに向かうため、最初の問いに戻りましょう。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀は武器だ。けれどそれは、何も生身の人間を斬るだけじゃない。
日本最古の物語『古事記』には既に刀の物語が多く語られています。そのうちの一つである布都御魂剣は、初代天皇・神武天皇の東征時に以前の持ち主の加護を受け、霊障治癒、怪異退治を果たしています。これ、映画「黎明」で刀剣男士が行うそのままなんですよ。
彼らは元は異なる人の持ち物ですが、そこで培った力を活かして「新たな」主を守っていく。鬼を斬り、想いを吸われ病にかかったように倒れ伏した人々を回復させました。
そして持ち主が心をしっかり保っていれば、彼らは血に汚れることもなく、誰を傷つけることもなく、ひたすらに持ち主の心を守ってくれる。
「こんな素晴らしい“伴侶”を見て、楽しくないわけがありましょうか」
この言葉を胸に、ゲームに実物に物語に、死ぬまで刀と向き合っていきたいなと改めて思いましたし、改めて思わせてくれた映画「黎明」に心からの感謝を送ります。円盤ぜったいに買いますからね!
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補記。刀の話に終始しましたが、刀にこだわる必要もないよっていうのを示しているのがまた映画「黎明」の憎いところでした。
大事な人からもらったブレスレット。ずっと身につけている腕時計。文字通り十把一絡げで売られているスーパーボール。どんなものだって、思い入れを込めた物なら心を守ってくれるんだよと。
「誰もが審神者になる可能性を持っている」という台詞はゲームのユーザー数を増やしたい的なメタ要素を置くとして、日本人と日本刀は長らく蜜月だったのでそりゃもう日本人や日本文化に興味を持つ人なら誰だって刀の加護を得られるでしょう。けれど刀に興味を持てない、どうしても怖くて近づきたくない人だっているわけで。そういう人だって、身近にある何かがあなたのことを守ってくれるよというメッセージは普遍的なもので、すっごく良いですね。
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補記2。以上は人間たる私から見た解釈でしたが、主題歌「DESTINY」が刀からのアンサーとして見事で私は泣きました。別れは避けられないけどせめて彼らに悔いを残さないように死なないとなぁ。
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