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#カレー行けへん
nomuch · 1 year
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今日はチキンビリヤニが無性に食べたい❗️ シンズキッチンでランチ‼️ 土曜日限定のキチンビリヤニ‼️ 早い目に行って炊き立てを😁👍 カレーはキーマ❗️ 追加カレーはドライチキン黒胡椒炒め❗️ 本日のスペシャルから試食多数😋 ホクホクのチキンビリヤニが最高に旨い😋 寒い日はスパイスたっぷりのシンズ料理が 身体の芯から温まります‼️ ご馳走様🙏 #カレー #インドカレー #シンズキッチン #Singh's Kitchen #Hyderabadi Biryani #chicken Biryani #チキンビリヤニ #日本橋 #大阪カレー特区 #ランチ #カレー療法 #カレー曜日 #カレー星人 #カレーは最強 #夏日はカレー #カレーは宇宙 #カレー行けへん? #駐車場は味園ビルが安い #カレーライフ (インド家庭料理 シンズキッチン) https://www.instagram.com/p/Cl-PzNGSiKO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 10 months
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 「スパイス」や「バター」を使った料理は、当時の日本人の口に合わなかったのです。しかし、ある日本の調味料がきっかけで、一転して「肉が大好き」になりました。その魔法の調味料は「味噌」と「醤油」です。普段から馴染みのある調味料を使って、獣肉の臭みを消すことに成功。かくして牛肉にネギ・コンニャク・豆腐などを入れて、味噌・醤油・砂糖で煮込んだ「牛鍋」が誕生、大流行しました。明治8年(1875)、牛鍋屋は東京で100軒を越え、2年後にはなんと558軒と激増。大正時代になると、焼いた牛肉を醤油・みりん・砂糖で煮込み、溶いた生卵につけて食する、関西発祥の「すき焼」が主流になり、現在に至っています。岡田哲氏は「なぜ日本人に肉食が浸透したのか」について、以下のように考察しました。 「肉鍋の調理形態は、獣肉から牛肉へ、そして、味噌から醤油と砂糖へ移行していく。換言すれば、米飯に合うおかずとして発展しはじめる。しかし、欧米の肉料理に共通する、香辛料(スパイス)の使用はまったく見られない。つまり牛鍋は、日本人の食卓を欧風化したのではない。洋風素材の牛肉を、和風鍋に取りこんだ」 『とんかつの誕生~明治洋食事始め/岡田哲著』から抜粋  日本人は、西洋料理をそのまま受け入れることはせず、自分たちの主食である「御飯」に合うように日本風にアレンジしていったわけです。小菅桂子氏も著作で「カレー」にまつわる面白いエピソードを紹介しています。 「かつてインド料理店のインド人のコックが『ボンカレー』を食べて、「これはなかなかおいしい日本料理だ。なんていう料理か教えてくれ」と真顔で訊いたという嘘のような本当の話も伝わっている」 『にっぽん洋食物語大全/小菅桂子著』から抜粋
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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lllusioninthehead · 3 months
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2024/02/01
文化村通りを歩いても東急本店は見えない。壊される前の鉄の塊があり、その周りでは素知らぬ顔で経済活動が繰り広げられてる。
ワンフロアに広々と本が置かれた書店もなくそれがなによりも悲しい。待ち合わせにも、暇つぶしにも、もちろん本を買うにも通った場所だった。屋上は人がおらず、暖かいだけの紙コップのコーヒーを買って、ペットショップやグリーンショップを見つめていた。あの生き物たちはどこに行ったのか。
目線を道に戻せば笑いながら歩く人達。お店からお店へ渡り鳥のようにどこへ行く。宇田川町の片隅にある居酒屋まで、そんなにふうに歩いた。
飲み屋では鳥取や佐賀や岡山から上京してきた人と話していたが、この人たちが言う、そして住む東京と自分がいる東京が同じ場所だとはどうしても思えなかった。
東京という水槽に入り、淡水魚が海水に慣れていくようにそこで自然に息ができるようになる。そんなふうに思っているようだ。
でも、自分が思う東京は異国だ。自分は異邦人で帰る場所は近くて遠く。電車で30分強。家しかないような場所。いつも東京はとなり。川崎市出身なんてこんなものだ。横浜出身ならもっと違うのかな。
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飲み会が終わり帰り道にある味噌ラーメン屋で締めを食べた。卓上にあるカレー粉をいれるとスープカレーような味になりますよ。と隣の女の子たちが教えてくれた。
なぜか、こういう情景がずっと頭の片隅に残って何度も思い出したりするんだよな。断片化された記憶の物語。一瞬の邂逅。それぞれに戻って進んで消えていくまでの。自分がかけた言葉も誰かの断片に残ったりするのだろうか。
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば���り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点��あるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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nordic-language-love · 7 months
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昨日、友達と一緒に仙台市に行った。山形市から仙台市まで車で1時間ぐらいかかる。電車で2時間ぐらいかかる。だから、日本人の友達は運転した。
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まずはポケモンセンターへ行った。友達はポケモン好きじゃないけど、私はポケモン大好き。そして、今月イギリスに戻るから、家族にお土産を買いたかった。兄さんと義理の姉妹もポケモン大好き。たくさんを買った。
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それから、ムーミンマーッケトに行った。全部がかわいいと思ったけど、何も買った。
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ムーミンマーケットに行った後で、ルピカに行った。ルピカで茶を買える。イギリス人は紅茶が大好きだね。おいしくて面白い紅茶をたくさん買った。例えば:クッキーの味とかキャラメルとラムの味とか。家族にあげることが楽しみ。
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仙台の名物が牛たん。牛たんカレーをレストランで食べた。おいしくて柔らかかった!
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食べた後で、ハワイ人の友達は瑞鳳殿に行きたかった。瑞鳳殿は伊達政宗の霊廟。伊達政宗はとても有名な侍だった。瑞鳳殿が面白いと思う。建物はすごい!そして、歴史と文化が好き。
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それから、山形市へ帰った。疲れったから、車でちょっと寝た。
仙台へ行ったことがある?何と思う?
知らない単語:
義理の姉妹(ぎりのしまい)- sister-in-law
名物(めいぶつ)- speciality, famous product
霊廟(れいびょう)- mausoleum
Corrections welcome/wanted!
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furidashi-ni-modoru · 5 months
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2023/11/6 ちょっと前のことだけど
私は11/3の祝日も稼働だったので、6に有給取得。恋人も一緒にとってくれたのでめちゃめちゃ充実した1日をすごした!
平日でしかできないことをしようと言って、ずっと行きたかった平日営業のカレーやさんに。
めちゃめちゃ人気で整理券が必須なので朝早起きして並んだ。
お昼までの時間、いきたかったお店に朝ごはんを食べに行った。
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チーズサンドにトマトクリームスープ。
このスープがおいしすぎた!
朝ごはん食べながら、カレー食べた後どうしようという話になって、急遽せっかくだし!!と、ディズニーのアフター5にいくことになった。しかもその前に脱出ゲームもすることに。
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念願のカレー、おいしすぎた。
そのあと脱出ゲームをして、なんと脱出成功した。
そしてアフター5でディズニーへ。
めちゃめちゃ空いてるわけではないけど、結構アトラクションものれて楽しかった。
その日に決めてディズニーにいっちゃうって大人になったなって感じする、、、
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見渡せばもうクリスマスムードだね〜、一年すぎるの早いな、、、
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sayunegi · 7 months
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【トレス】音無し🔇ver.
カレーうどん狂騒曲で見たい所だけ動かした
カレーうどんが食べたくなりました
音有り🔊ver.はyoutubeへ
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hirowrite-o0 · 1 month
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おいも 人生で初めて職務放棄する
執筆者: プリンス聖徳
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あいつな、とうとう仕事サボったんだって!(笑)
あ。あいつっていうのは、妹子のことだぞ。真剣な顔して資料の写し書きをしてたと思ったら、急に姿が見えなくなったんだってさ〜。
その話が私の耳に入ったのは、多分偶然だと思うんだけど。
多分っていうのは、騒がしい現場を見かけた私がそこへ割って入って行った時に、聞かされた情報だったから。
そこは朝廷の中庭が見渡せる廊下で、丹塗りの柱が何本も並ぶ、まあまあ壮麗な場所だったんだけどさ。そこに人だかりができてんだ。廿人以上はいたかな?みんなしてガヤガヤやってたからさ、気になって私も人だかりの中へ割って入って行ったんだ。
そしたらたまたま強く肩がぶつかっちゃったのかな、一人の子が私に気がついたんだ。
「あっ。太子………様?」
「うん。お疲れ。これ何の騒ぎ?」
「ああ…詳しくは知らないんですが、どうも小野先輩が逃げ出したらしくて」
「え?妹子が?」
呆気に取られて聞き返すと、彼は「はい」って頷いて困った顔をしてた。どうやら妹子に見てもらわなければならない書類があったらしくて、多分それだろうなって文書の束をギュッと抱き締めてた。
「それ妹子じゃないとダメなやつ?」
抱き締められて今にも潰れそうな文書が不憫だったんだよ(笑)
私がそれらをチラッと見ながら言うと、彼はすがるような目で私を見てきた。
「いえ、別に…。記録の取り方や書き方なんかで、きちんと書けているか見ていただきたいだけだったので。公文書ですし…」
「そうなの?じゃ私が見ておくよ」
「えっ」
彼の表情が、焦りとも安堵とも言えない顔になったのが分かったよ(苦笑) 多分新人なんだろうな。冠位も拾弍位だし…
となるともう、今度は文書よりこの子助けてあげたいってなるじゃない?(笑)
そんな悪いですよ、とか、とんでもございませんとか言ってたけど、最終的には半ば無理矢理私が見てあげることになって。
妹子もさ、疲れてると思うんだよね。
前に渡随をお願いしたら発狂して嫌がってたし、帰国以降は冠位も上がって上の顔色も下の顔色も伺わなきゃいけなくなったから。
ちょっとでもあいつの負担を減らしてあげられるかもなって、
なんかそんな気持ちもあったんだよな(笑)
たかが書類数束だけどさ。
まあそんなこんなで書類受け取ってさ
このまま戻るのもなんだから、他の人たちにもいろいろ聞いてみたんだこの件のこと。おいもとはいえ、心配じゃん?
(以下、スーパー聖徳聡耳で聞き取った内容。)
【Aさん(拾位)からの情報】
先に居合わせた先輩官吏から聞いた話とのこと。一緒に仕事してた妹子の先輩が「そろそろ息抜きしろよ」って声をかけておいもの方向いたら、既に姿がなかったらしい。ついさっきまでいたし、何なら咳払いの音とかも聞こえてたのに。
【Dさん(玖位)からの情報】
妹子が部屋から出て行く所を見たとのこと。突然障子と障子の間からゆらっと出てきて、そのまま真っ直ぐ、Dさんの視界を横切る形で歩いてったって。お疲れの様子だったから心配になって、妹子が歩いてった方向を目で追ったけど、その時にはもう妹子の姿は見えなくなっていた。
【Zさん(伍位)からの情報】
Dさんと同じで、妹子が部屋から出て行く所を見たとのこと。疲れたから一服しようと思って今の場所に出てきて、柱にもたれてぼ〜っと遠くを見ていたら、中庭を突っ切って歩いて行く妹子が見えたんだと。ちなみにこの人妹子の知り合いで、私の手が空かなくておいもがぼっちの時だけ一緒にお昼ごはん食べる間柄なんだって。だからちょうどいいタイミングで妹子見つけたと思って「小野ー!今日はどうー?!」って大声で呼んだらしいんだけど、無視されたと怒ってた…。
【E氏(参位)からの情報】
妹子に用があって、会いに行ってたんだって。(妹子がいなくなった騒動から30分くらい前とのこと。)妹子と話をしていたら、突然はっとした表情で顔を上げて、辺りをきょろきょろ見回して。その時は「ん?」 「いえ別に」みたいななんでもないやり取りで終わったみたいなんだけど、その後も同じようなことがニ、三回あったらしくて。「疲れてるなら少し休みなさい」 って言って、別れたんだと。
【Sさん(拾弍位)からの情報】
こいつが人だかりの原因らしい。妹子と一緒に仕事をしてた先輩とたまたまここで出会して、おいもがいなくなったことを聞いたとのこと。それは大変だと思い、大声で「妹子さんが逃げたー!!!仕事ほっ��ってどっか行ったらしいでーーーーーーーーーーーーーーーーす!!!!!!!!!!!!!」と叫んだ。しかも何回も。この大声で人が集まってきてくれたと言っている。
以上。あとは皆大体似たり寄ったりな話をしてたから割愛するぞ〜。
妹子の居所を掴むような有益な情報はなかったけど、でもホラやっぱりさ?妹子も疲れてるんだよな、きっと。皆からの話を聞いていてますます思ったけど。
だって毎日仕事詰めの残業だもん。
そりゃ疲れるし、逃げたくもなるよ。
私は全然いいと思う。
仕事したくない気分の時はさ、何も考えずに歌うたったり走り回ったり、ワンちゃんのこと考えたり。な?
そんでカレー食べて寝れば気分サッパリリフレッシュするって〜♪♪
そんで気持ちがスッキリしたら、そのうちブラッと帰ってくるだろ。おいももヤワじゃないからな。
でも心配ではあるから、日が暮れても戻ってこなかったらちゃんと探しに行くぞ!その準備も今からしておく😤🍙
……………それから念のため言っとくけど
皆は絶対探しちゃ駄目だからな?
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tokyomariegold · 1 month
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2023/11/11
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11月11日 今日が11月11日であることに日記を書いて気がついて、スーパーで特段トッポやポッキーやプリッツ(こう考えると棒状のお菓子多い)がイベント販売されていなかったことに気がつく。 ポッキーの日って浸透しているようしきっていない。
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昨晩狂ったように掃除をしてしまいへとへとだったので、朝起きて余裕があったら9:30の歯医者へ行こう、くらいに思っていた。 急げば間に合う7:45に起き上がってしまい、特段急がずに支度をして家を出る。 売ってしまうつもりの赤いコートを着たけれど、それでも今日は寒かった。 15分遅刻した歯医者は30分もかからず外れた詰め物を入れ直してもらって終了。 次の予定まで時間があったので大学の図書館で久しぶりにゆっくり雑誌を読めた。まだ神保町の街は始まっておらず、でもキッチン南海とラーメン二郎には人が並んでいた。 図書館でファッション誌やインテリア誌、医療関係の雑誌をパラパラして、やっぱりインターネットで見るよりもずっと落ち着いて見れちゃうアナログ人間。
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12時に浜松町で友人と待ち合わせをして文学フリマへ行く予定だった。 ここ数日忙しすぎてあまり正確に気持ちは向いていなかったけれど、とにかく友人に会って、関西に移住できる表向きな理由をさがしていることや、さっき図書館の雑誌で見つけた深澤さんの展示とインヴィトウィーン展を観に行きたい事などを話したかった。
友人を待つ間、浜松町の駅で推している北陸旅行のカニの展示を眺めていた。 文フリっぽい人はあまりいない気がした。
20分くらい経ったところでラインを確認すると“夫が池袋で倒れたのでそっちに向かうのでキャンセルさせてください”とのこと。 私も倒れそうになった。
ドタキャン、ダメ絶対!だけど今日は私が彼女に会いたさすぎていて、こんな大変な時に大切にあってもらえない奈良別に今日でなくてもいいね、と思った。 いつも旦那さんのことを“同居人”と呼ぶところを“夫”と書いてあるところに、とても緊急性を感じた。大丈夫だったんだろうか?と思いながら、突然倒れた時に私が呼ばれる相手や、突然自分が倒れた時に呼ぶ相手が、今の私にはいなくて、突然自分が倒れっぱなしにならないように気をつけている毎日です。
“お詫びさせて下さい”とメッセージにあり、何がいいかな?と年内できるだけちょっとしたお茶をしてほしい、と思った。 あと、メガネは破ります。
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1人で文フリへ行く気分ではなかったので、日本橋へ取り寄せていた服を試着しに行った。髙島屋がとても空いていて心地よかったけれど、また百貨店存続の危機を感じる。
アポテーケフレグランスの金木犀のお香と、白いバラと、ビオセボンでちょっとしたスープやスパイスを買って、東京駅まで歩いて帰ってきた。
昨日tumblrを更新した時にメッセージが届いていたっけ、とおそるおそる確認。 “よろしければご参加下さい”とURLがあり、おそるおそるリンクへ飛ぶとインターネットの方々が各々の2023ベストオブイヤー(?)を語るアドベントカレンダーのイベント会場だった。 メッセージをくれた方は、たぶんIMAのコンペから私のインターネットのことを知ってくださり、ご自身のスクラップブック(?)で私のことを記述してくださっていた。 ベスト…と言えるほど2023のまとめを書ける自信はないけれど、写真を通して広がった新しいつながりの場に参加したい気持ち。
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年賀状も新しい作品も、今は手がつかなくて、日記の更新をするたびに日々が更新されて、こちらも追いついていない。少なくとも丸一年は日記を続けたので2023年で辞めてみても良いかもしれない、と思っている。
今日もぶんぶんチョッパーしてレンジでカレーを作ってみた。でもトマトの煮込みみたいになってきているので、やっぱりフライパンで炒めたりした方が美味しいのかもしれない。
お部屋の温度計が20℃をきった。
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tsukishiro-himari · 7 months
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「数年前備忘録」
役に立つ自分を作ろうと必死で練習し
加入当時のお披露目では15曲
ステージに立たせて頂きました 
バンドリハやお家に帰ると
自分の無力さに泣いてばかりでした
責任や悲しみから潰れそうになったり
苦しいこともありますが
それ以上にきっと変わらず
愛しています
与えられた試練には
血汗涙を流す勢いで打ち込むけれど
それは変わらず、愛故にだけれど
時々私が頑張る事は
良くないと思う時があります
でも、続けるからには
力を抜く事も今は分からず
我慢が必要な時あります
そして私みたいな人が居る事を
伝えてくれて知りました
寄り添い照らしたい、私でも
夏のもくもく雲
可愛い
空と電線の風景がだいすき
最近は電波塔の美しさに惹かれています
活動を通して様々な方と
ひとつのものを作り上げていく過程で
時に食い違うことがあれど
お互いに妥協せず
断念してしまわず
突き詰めていこうとする心を感じる度に
感動してしまうんです
中学生くらい迄アトピーが酷く
プールの授業でも包帯を巻いて
入っていたんです
少しづつ良くなっていったけれど
関節の曲げ伸ばしが出来ない位
ひび割れてた時期もあって
アイドルを始めた頃も
また酷くなった時期がありました
グループへ加入した時も
全身の肌荒れが酷く自信も無く
それでもまた少しづつ
上手に付き合える様になり
そして良くなってきて
最近は演出的に肌を出すことも増え
公開される迄は恐くて仕方ないけれど
受け入れてもらえた時自信になりました
今の状態がいつ迄続くかは分からないけれど
美しくある努力は怠りません
みて居てくれたら嬉しいです
周年記念ライブが終わりました
私が伝えたいこと
どんな時も変わらない
節々で痛いほど感じるんです
伝えていきます
今日迄も、そしてこれからも
いつもみていてくれて
本当に本当に、ありがとう
すごく眠たくて何度寝かを繰り返し
その度夢をみて
最後に「私も夜鷹役をやりたいです」と
自分の中の小学生が
学芸会での役決めで発言できたルートの声で
起きたよ
最近いぬを
「ぬい」と呼ぶことにはまっていて
道行く「ぬい」たちが可愛くて仕方ないよ
人間椅子さんの新アルバムの
キャッチフレーズ
「人生は苦楽。苦あればこそ楽が輝く。」
を忘れず頑張っていきたい
喫茶店でアイスココアに
ラム酒をお好みでかけてってしていて
美味しかったな
お家でもしてみたいな
レトルトのカレーに
蒟蒻が入っていたのだけど
蒟蒻、カレーに合うのだと感動....
運命の出逢い───
優しく強く美しい人になれる様に
頑張るからね。
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oka-akina · 7 months
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0920
今度の文フリ東京の新刊、ツイートした件とその続き。
新刊をお願いしようと思っていた印刷会社さんが11月の文フリ東京では直接搬入をやらないことがわかりちょっと慌てている。 配送ドライバー等人手不足とのことで時勢柄まあそうだよなという感じなんだけど、かなり〆切が変わってくるのでぎゃーーっと声が出た。問い合わせてみたらやはり宅配搬入だと一週間以上前倒しになるだろうとのことだった。 直接搬入は、イベント当日に印刷会社が自社便などで会場へ運び入れてくれるもので、やってない会社も多い(同人誌専門の印刷会社がある程度大きめのイベント・会場だとやってくれる…というイメージ)。宅配搬入は、印刷会社から宅配業者経由で会場へ搬入する。イベント主催の指定した搬入期間内に送るので〆切は早くなる。参加者が自宅から荷物を宅配するのと同じ。イベント前日に入稿して当日できたてほやほやの本になっている…みたいなギリギリ入稿は直接搬入ありきの話。 いやまあべつにそんな騒ぐようなことではないんだけど、気が小さいので自分で決めた予定が崩れるとけっこう動揺してしまう。とくに今回はひとさまに表紙デザイン(カバーイラスト)をお願いしているのもあって、動揺しながら取り急ぎ連絡。〆切が前倒しになるかもなので別の印刷会社さんの利用含めていったん検討したい…と伝えた。こういうときのぎゃーーって感じはぜったいメールの文面ににじみでちゃっていると思うので恥ずかしい。
今回の文フリ東京は土曜日開催で、直接搬入をやらない業者さんも多いみたい。しかも例年より二週間近く早い日程なので、そもそも〆切がとても早い。なんかこう自分の体内時計的に慣れない感じで落ち着かない。文フリ=勤労感謝の日らへん=慌てるのは文化の日過ぎてから…みたいなスケジュール感覚が自分の中にできてしまっているというか。
とりあえず使いたい紙やプランを比較しつつ、いくつかの業者さんに直接搬入の有無と〆切を問い合わせ(11月のイベントあわせスケジュールはまだ公開してない印刷屋さんが多く、サイトを見ただけではわからなかった)。夜のうちにぽこぽこメールを送って返信待ち。
・本文用紙は嵩高紙 ・カバーは特殊紙 ・本体表紙は色付きがいいな ・〆切は可能な限り遅く ・直接搬入
こうして挙げてみると、自分の希望はかなり贅沢なような気もする。直接搬入についていえば、体力的なことを考えると家から宅配便を送ったり手搬入したりはできるだけ減らしたいし(重いものを持つのが本当にとても苦手)、何よりギリギリまで〆切を引っ張れるという点でもできるだけ直接搬入を利用したいんだけど、そういう便利さに慣れきった同人活動をしているんだよなーとちょっと省みる。 というかこういうさまざまな便利さに頼らなければ自分のような人間は本を作ってイベントに出るのは難しいかもとも思う。計画性や体力のない人でもやれる方法があるというのはありがたいし豊かなことだよな…。計画性や体力のない人の作品もあったほうがいいし世の中に出回ったほうがいい…とちょっと自分を励ましてみる。
次の日の昼すぎ、回答メールがぽこぽこ届き始めた(メールを送るのも受け取るのも「ぽこぽこ」って感じだと思うんだけどなんでなんだろう)。 「〆切は調整中、待ってて」「だいたいそんな感じだけどまだ日にちは決まってない」「目安はこのくらい」「未定だけどだいたいこれでいけます」…まだ出揃わないけどだいたいどこもそんな感じの回答。まあやっぱ1ヶ月以上先だとそんな感じだよなーと思った。 ふだんなら自分一人の作業だから「やってるところに突っ込む」でどうにかするだけなので(これまでそれで本当にどうにかなっている)、こんなに早くからカレンダーとにらめっこして日にちを数えているのはちょっと新鮮。ひとさまにデザインを依頼するのって大変だな…と思いつつ、描いていただく作品がめちゃめちゃ楽しみなので、こういう大慌てのぜんぶの根底にも喜びがある。 直接搬入できる業者さんは意外とあった。ただサイトの書きぶりだとそのあたりを読み取れないところも多かったので(土曜のイベントについては言及してないとか)、こういうプラン等の比較もある程度元気なときにやらないとしくじりそうだなと思った。調子が悪いと人と会話をするとか質問するとかがおっくうになってしまうので、パッと問い合わせするとかが本当にできなくなるし、思い違いや見落としもやらかすし。
まだ回答待ちの印刷会社さんもあるけど、〆切日や仕様がけっこうちがうのでどこにお願いするかとても悩む。「本体とカバーをべつべつの印刷業者に発注して当日会場でカバー巻きする」…という力技になるかもしれない…? 本体だけ直接搬入にして。ただ会場の長机でカバー巻きなんてできんのかな〜とも思う。 じゃあやっぱカバー巻きありで直接搬入のある印刷屋さんにお願いした方がいいのかな。でもそれだとカバー用紙か本文用紙かどっちかはあんまり希望のものではないんだよな…とかぐるぐる考える。こういうの検討していると、自分にとって譲れないポイントってそこなんだなーみたいな発見もある。あと利用したことない印刷屋さんや用紙は単純にワクワクするというのもある。読む本でも旅行でも、いつも未知のものがいちばん面白い…気がする。 そうしてぽこぽこ届いたメールの一通に、「入稿お待ちしております。頑張って描いて下さい。」と励ましの言葉があり、ちょっとなごんだ。
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エチオピアのカレー。神保町の本店のところはカレー屋が三軒くらい並んでいる。
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myonbl · 4 days
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2024年4月23日(火)
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<SOU・SOU>から毎月足袋下2足+手ぬぐいが届く頒布会、皐月号が届いた。まだ月末まで一週間あるのだが、そうか、連休に入るので作業を前倒ししたのかな。今月のテーマは<にほひ>、旧仮名遣いは言葉の意味以上に聴覚や嗅覚が刺激されて楽しい。おじさんの汗の臭いなど鬱陶しい限りだが、横座りの浴衣姿の女性の団扇越しに香ればそれはどうしたって<にほひ>でなければならない。いい季節になったよなぁ・・・。
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5時起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
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朝食。
珈琲。
弁当*3。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
O姉と一緒に出勤する。
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名神手前のMK石油で給油、@171*34L=¥5,814。
順調に到着する。
昨日の入力課題をチェックする。
地球洗い隊にシークワーサー発注する。
O姉と簡単な打合せの後、3限・4限は<スタディスキルズ(看護学科)>。今日から具体的なスキル獲得、まずはグループワークとディスカッション、4つのテーマから1つを選んでブレインストーミング、結果をワークシートに記入して提出する。3限のクラスは前置きが長くなったので時間ギリギリ、4限はかなり修正して余裕で終了。最後に一人の学生が近づいてきて<あのぉ、まだ教科書買ってないのですが>、ありゃりゃりゃ。生協に問い合わせるか、Webショッピングで購入するように指示する。
火曜日クラスはそれなりに作業ができるので大過なく終了、早めに帰路に着く。
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順調に帰着と言いたいが、燃費がかなり悪いのが気になる。
ツレアイは午前中に訪問、午後からはMQJ・Newsの原稿執筆、私が帰る頃には自転車で買物をはしごしていた。
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夕飯は昆布締めポークソテー、焼きソーセージ2種、タケノコと〇〇の煮物、レタスとトマト、我が家定番の大皿料理である。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第8話「誘拐された総理大臣」/ The Kidnapped Prime Ministerシーズン 2, エピソード 8 パリの会議へと向うイギリスの首相が狙撃された。運良く軽傷で済んだ首相は、そのまま秘書のダニエルズ中佐と会議に向う。だが、パリに着いた首相は誘拐されて行方不明に。会議まで32時間。政府はジャップ警部の推薦するポワロに捜査を依頼する。
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腹ごなしに町内ウォーキング、西七条御旅所に立ち入って寄付のリストを確認する。
明日の夕飯用に、無水地鶏カレーを仕込む。
片付け、入浴、体重は昨日より150g減。
パジャマに着替えて日誌書く。
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それでもあの人は負けないと思う、とりあえず今日の勝ちを良しとしよう。
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runpenparis · 1 month
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12時間を切る
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昨日の朝9時に出発して 伊賀上野に向かった 一人の客人を乗せて インターに繋がる信号機で 後ろについた車が気になった おそらく近所の人だ たぶん静岡へ行くんだろう 料金所であっという間に 先を急いで行った お土産は出来なりの場所で買うつもりだから 進めるだけ走ろう ナビは4時間で着きますと表示 客人は静かに乗っている 清水でトイレ休憩 雨はひどくは無いが不快 お土産にわらび餅を買ったが 店員さんがカタコトの外国人で 一個300円と少し不信感で走り出す 今朝は寒かったので車内の温度設定は25℃ とても寝心地のいい環境で 客人は気持ち良さそうだが こっちはもう危険を感じる眠気と戦う 掛川でトイレ休憩 顔を洗い 客人のお仏壇へ少し手を合わせる為の お土産と本当に目的の伊賀上野への お土産を買う 温かいブラックコーヒーを飲み干した 客人はお土産を買ってきた うなぎパイだった なんと無くがっかりした もっと目移りしそうなお土産があるだろう 客人は80歳手前の女性 少し同じ事を聞く事が多くなってきているらしい 腰が悪いのでその痛みをさせる体勢で歩き もう思うように歩けているとは言えないが 本人はまだ自信を持っている感じ 簡単にまとめるとまだまだ頑固な客人 掛川で眠気を飛ばして 車内温度を24.5℃にして 先を急いだ 客人はもう眠気にやられ いい気持ちで眠っている 掛川で買った眠気覚ましのタブレットが 安心を少しくれた 愛知県に入った頃 客人が話を始めた 2話あったが1話は続かず もう1話は一方的に話が進んだ 内容は昔の考え方でのイザコザ お墓に入れないとか お金は死んだら全部、国に取られたとか 客人が全部、最後の世話を片付けたとか もうこんな昔話は生では聞けないだろうと 聞いていたら 客人がお昼はどこで食べようかと 話を変えてきた 刈谷がいいというので 刈谷で昼食にした 客人はカツカレー 自分は味噌カツ定食1100円 これから渋滞があるかもと言う事で トイレを済まし 行こうとした時 客人がカレーの後の口が気持ちが悪いから 何かさっぱりした物を食べたいと言い出した 少しわがままを言い出した こっちは最終目的の伊賀上野へ 早く着きたい 今日は土曜日だし車も多い 一緒にプリンを食べようと誘われたが そんな時間の余裕は無く 冷たく断った こういう状況は避けたかったが 仕方が無い この年代の人は甘く返すと その甘さにどんどんわがままになるから 客人はワッフルを2個買いそうになったが 瞬時に自分はいらないですと断ったら 1個にしていた お腹が膨れると眠くなる事を理解していないからようだ たぶんそんな事は一切考えて無くて 客人は自分の欲を満たしたいだけの 事に気をつかって巻き込んできたと思った 予想通りに刈谷を出発したら いきなり渋滞になった 三車線が一車線になる渋滞1.6km 原因は道路中央に出来た穴だった 高速道路では危険な穴に感じた その後は順調に進み 客人を関まで届けて 仏さんになむなむとしてトイレを借り 客人がお礼のお金を用意している間に 逃げるようにその場を去った 4時間ぐらい着く予定が 5時間30分もかかった 客人の世話とお昼の時間が 予定を超えた 身軽になったそのスピードで 伊賀上野の実家へ 年末に自動車に引かれた母の近況を確認 補聴器を付けないので話がかみ合わず 5分ぐらいどんな状況で住んで居るのかを カメラに収めて戻る事にした それにしても伊賀上野はつまらない 覇気を感じないこの雰囲気が嫌いだ この日は曇天で特に暗い感じがした もうここには来たくない感情が大きくなった その気持ちは そのご東名阪から伊勢湾岸道 新東名を懐かしい音楽を大音量で 80kmのスピードで走って 返って来た ナビが目的地到着のアナウンス 4時間34分 自宅着は20時31分 まだいつも好きで見てる番組が見れた この時のビールが 本当にうまい
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lllusioninthehead · 3 months
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2024/01/18
アデノウイルスに感染してからどうもお酒を欲しない。さすがに4日間も高熱に浮かされてたら体質も変化するか。それでも仕事を休むわけにもいかず。
1/10から新入社員が入ったということもあり手続きに新宿をウロウロしていた。
新宿は年金事務所やハロワや労基署が微妙に遠い。電車を使う気がしない程度の遠さ。
なのであっちへうろうろ。こっちへうろうろ。
流石にもう治ったので来週の北海道出張は問題無しも、「こっちはドカ雪だよー」と連絡あり。
出張の翌日は横須賀でセミナー講師案件なので帰れないと困る。どの程度降ったら、新千歳空港から飛行機飛ばないという基準というか感覚がわからないので不安でしかない。
セミナーさえなければ何泊でもしたいのに。
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お昼はもうやんカレー。完全栄養食目指して野菜と肉とスパイスを煮こんで「これは胃腸に良いぞ!」とご飯と食べてたら「あれ?これ巷ではカレーと呼ばれるものなんじゃ…」となったという変な店。
ランチの食べ放題がお得です。
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tajimahiroe · 1 month
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お花人間59---
野花のsampo道
木片の絵 薄いバージョン
桐板
意外にやっと実現した→展示している絵のスカートを履いている人を展示するの巻き💡😆
これまた、搬入時sampoさとこさんの閃きにより
自由に宙を散歩できる人となる♡
気持ち良さそうー♩💨
今日は、やっと行けた🙌
如春園さんと
TE HANDEL platform と
TE HANDEL homeへ。
出来たばかりの布絵やてぬぐいをお届け◯
如春園さんでは、newカレーに出会う✨😍
ちょっと間が開いただけで、毎度の季節の副菜と併せて新鮮な驚きと美味しさを…
思いっきり堪能できる幸せ♡
TE HANDELさんでは、今日までの「ひかりばこ」展にぎりぎり滑り込み🙌⭐︎
展示名の通り、ぴかぴかの太陽が降り注ぐ夕方の良き空間の中
お茶と @tanzawacooboo さんのおやつをこれまた堪能幸せ✨
今日はアオサギスカートを履いて
アオサギさん発見😍
サワサワと長い首の羽が風に揺れる中、今日も凛と立っていらっしゃった◯
小田原も大磯も
歩く道全てで、春の様々な野花に出会えで歩み進まない季節🌱🌱🌷
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spring-is-yours · 1 month
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インスタに載っけてたが、思ったより見られてて恥ずかしいのでコチラに再掲。来週からここ!ピース!
3.11 月
本日から日記を付けることにする、理由としては1ヶ月を振り返った時にあまりにもこの1週間、何?みたいな空白が多過ぎるからである、空白には空白なりの色があり、1年後だか5年後だかに振り返ったらウケるだろうと思った、ただ紙に書くのはだる過ぎるし毎回何かにアップロードするのもキモいので1週間分溜まったらInstagramにアーカイブ機能を駆使して投稿する、Instagramなら携帯が明日ぶっ壊れてもログインすれば見れるし、なんかオシャレな感じがして夢のシティボーイに近づける感じもする。は?
今日はまさかの13時間睡眠で午後に起きてしまい、午後からバイトに行った。不覚にも程がある、正直人生で1番金がない今、寝過ぎてバイトに遅れて行くのは、もう、カスここに極まれりというか、普通に隣にいたら殺してると思う…。明日からは必ず8時50分に起きて1日働くことを誓うね、おれは。コールセンターのバイトはあまりにもいつも通り、かと思いきや、バンドの後輩が面接しに来てめちゃウケたしその場で受かっててもっとウケた、おれも面接その場で受かったな〜。スーパーに寄って帰ってきて洗濯して飯食ってやんなきゃいけないバンドの事務作業をこなし、明日のバイトの為にもう床に着いている、なんとしても働かねばならない。ご覧の通り、特に面白みもない日記だが、自分の為に書いてるので、それで良し、明日は、果たして…。
3.12 火
早くも日記を忘れそうになる。昨日あれだけ誓って気合いを入れて23時入眠したのだが、2時間後の1時にはハッッッキリと覚醒してしまい、6時まで眠れず、8時に起きたものの気圧頭痛睡眠不足花粉バーストで動けなくて結局午後から出勤。キチガイここに極まれりである。バイトにyouthのお客さんがいることが発覚してかなりやりづらさはある。バイトしてる時のおれはマジでアオモリソラトではなく、青森空和ですらなく、青森くん、て感じで、マジで1人も友達とかいないし、業務以外で本当に喋らないし、そんな姿をあまり見られたくないっつーのが本音ではあるんだけど、そんな我儘通る訳でもないし、上手いこと折り合いを付けていくしかない。帰ってきて、バンドのやるべき事務作業を昨日に引き続き、淡々とこなした。結構鬼くそ面倒臭いので誰かにこの努力を評価して欲しい、とか思うけど、努力が評価されるのは余裕で学生だけ、結果がすべてなのだ、オーケーオーけ、こんなんやってねーカスよりマシだよーん!おれだけがわかってればいいよネーん。明日こそは午前から就業し、夜に帰宅して、楽器の練習したい。あと明日起きたらなんかの間違いで冷蔵庫治ってて欲しい。冷蔵庫ブッ壊れてからマジで納豆と米しか食べてなくて結構イヤになってきている。食事って案外、精神的に大事なんだなー、バイト以外なんの予定もない日は飯さえ別に楽しくもなんともなくて、何のためにこんな必死こいて生きてんのか訳わかんなくなる。同級生達は就職を控え、春休みに入り、なんか楽しそう、何してんだかね、わしゃね、もうちょいこの意味不明な地獄の行先を駆け抜けますわよ〜〜!2億円くれよ!無理なら、死ね!
3.13 水
もはや遂に日記を書くことも忘れていて現在時刻で言うと14日の昼間、バイトの昼休憩中である。これはおれが三日坊主にも満たないスーパーお馬鹿というわけではなく、来たるべく15日の前橋でのライブの為、宇都宮の女帝、るなみが高崎に前々乗りをしてきて朝までガッツリ遊んでヘトヘトで寝たことに起因している。先日冷蔵庫がブッ壊れてからというものの、白米と納豆とふりかけしか食ってないのだが、バイト先でカレー味のせんべい食ったら味覚が爆発してやばかった。ここに書けることといえばそのぐらいで、退勤後のパーティはもう、何も聞かないでくれって感じ。金曜の取り置きが徐々に増えてきて嬉しい。やる。
3.14木
バイト行ってルナみがきてるのでその足で合流し、練習したりしなかったりラーメン食べたり食べなかったりした。子供の頃行きまくってた懐かしのラーメン屋がめっちゃ上手くて脱帽。深夜のスタジオにるなみがこない。ウケる。明日はライブ、多分今日昨日と忙しすぎて手抜き日記。
3.15 金
インディアカヌーのツアーでDYVER。苦しんでた集客は余裕で黒字でマジで流石おれ。ライブはギターの音ハードロックすぎておもろかった。めっちゃ目開いて歌った。ケータイとかエフェクターとか無くしてマジヤバかった。インディアカヌー、カイくんはまあ言わずもがなだけどこのツアーであっくんと徳ちゃんがめちゃくちゃバンドマンになっててヤバい。クソカッコいい。全員いたら確実に無敵すぎて太刀打ちできなかった可能性ある。てかyouthで歌うのおもろすぎてヤバい。カイくんはおれと真逆の発進の仕方をしてるだけで伝えたいことは近いのかもなあとか思った。照れや不器用で尖っちゃうところもネ。てへ。おれよりマヒト好きな人間初めて見てウケたしラーメン食べてる間も楽しかった。友達だ、と思いたい、流石に!インディアカヌー号で送ってもらえて嬉しかった、普通に事故怖すぎたけど。なんか17号でヤバいスピード出してたし…。最近ジローに会えてて嬉しい、好きなようにおやり!きみも!
文字数が多すぎるらしくて土日の分の日記が載っけられないっつー、一周目から幸先悪すぎるミス、こうなったら翌週以降も投稿2発に分けてやってく、てかそれしかない。本当はちょっと嫌。
3.16 土
群馬で、てかDYVERでライブをする日が金曜なんてあり得ないのであまりにも日曜か月曜すぎるテンションで1日過ごした。てかこの日記インスタに書くから他人に言えないこと書けないしもしかしてあんま意味ない?日記なんか人に言えない気持ちを忘れねー為に書いてるもんじゃねーの?なんか暗号とか記しとく?まあいいか!人に言えないようなことする方がよくないしねーー(知らんけど)(人に言えないことない人間とかいないけど)。
てか昨日今日無くしものしすぎでヤバい。一生なかった、FIRE stick無くしてヤバかった。気をつける。自戒。LEIDEY見に行けなかった。ごめんって感じ、でも生きてるし許してすべてって感じ。
3.17 日
11時間寝た。るなみがいた期間の疲れが溜まりすぎてて起きた瞬間から眠くてヤバかった。サンバーストでlilyrayを見て新曲ヤバすぎて爆笑、トラスト顔出したのに誰も居なくて爆泣き、サテライトむつきと初めて2人で軽く遊んで爆ウケ。22時?とかに大人しく帰った。家で1人になって気付いたっつーか諦めて認めたんだけどさ、一人暮らし始めて2年��とか経つけど、最近のわたし、寂しい。わりと。なんで?誰かにいて欲しい、家に。なんでこんなこと思うのかはマジで不明。毎晩不安を注意深く見つめると気付く。おれ、寂しいんだなーって。とりあえず明日からもがんばて働く。寝れたら寝る。寝れなかったらなんとかしてほしーよ、誰かにさ。
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