Tumgik
#マルクス・エンゲルス
destalva25 · 1 year
Text
[ Character Introduction ]
Tumblr media Tumblr media
マルクス エンゲルス [Marx Engels] anime.
.
Tetsu Inada as Karl Marx
Yuichi Nakamura as Friedrich Engels
(This just an ordinary fanart, not a serious project)
Voice samples on my twitter (i can't put 2 videos in 1 post)
https://twitter.com/destalva25/status/1589591809927577600?s=19
188 notes · View notes
reportsofawartime · 5 months
Text
Tumblr media
習近平 (2021): 「カール・マルクスとフレデリック・エンゲルスは、社会主義の下での市場経済の可能性を想定していませんでした。したがって、彼らは社会主義国が資本をどのように扱うべきかを予測できませんでした。ウラジーミル・レーニンとヨシフ・スターリンは、高度に集中化された計画経済の下でソ連の社会主義発展を主導しましたが、彼らは資本に起因する重大な問題には遭遇しなかった。 社会主義市場経済の創設は、わが党の最大の成果の一つです...社会主義経済の資本は多くの点で資本主義経済の資本とは本質的に異なりますが、どちらも利益を追求する傾向があります... 私たちは、社会主義市場経済における資本のマイナスの影響を抑制しながら、そのプラスの貢献を高める方法を模索する必要があります...金融王たちの悪徳行為を許してはなりません。一方、資本が生産要素として適切に機能することを確保する必要がある。」
2 notes · View notes
manganjiiji · 11 months
Text
ガシャっとやったらポンと出る
この体から心臓を取りだして一時、この体を動かす役目から解放してやりたい。まあなんか居心地のいい場所で自分のためだけにゆっくりと伸縮するか、または完全に停止してくれてもいい。内臓は一生休めないんだなあ。
という下書きが残っていた。たぶん心臓の鼓動が早くて息苦しかった時のものだろうと思う。バンダイナムコはガシャポンという名称でガチャ商品を出しているから、アイマスシリーズのソシャゲの中のガシャも、ガチャではなくて「ガシャ」と呼ぶのだ、とガチャガチャの筐体を見て気づいた。友達(故郷ジャンルはSideM)がいつもガチャのことを「ガシャ」と言うのはなんとなく気になっていて、それはアイマスシリーズからだろうなと思っていたのだが、実際に物理的に存在する「ガシャポン」が由来だとわかった時には、違和感というか、あの不思議な感じが消えた。なるほどそれはたしかに「ガシャ」だ。ガチャではない。
毎日のToDoとして、英語(読み)に触れよう、というのと、「国際政治史」(有斐閣ストゥディアを使っている)かアレント「人間の条件」のどちらかのテキストを進めよう、というのと、なんでもいいから少しでもいいからフィクションに触れよう、というのがある。
英語は結局それかよ、という感じだが、また速読英単語の上級編を読んでいる。もう何周目かわからない。3周はしている。それでもまだ内容がうろ覚えのところがあるし、単語に至ってはぼろぼろなので、単語の思い出しのためだけにぼーっと書き写して調べて読んでいるという感じだ。いつも通り。単語帳、なんらかの、Duoとか?All In Oneとか?を進めるほうが効率がいいのかもしれないが、どうも私はある程度のかたまりの文章の中で出てきた単語の方が覚えやすい。それは日本語の単語を覚える時にもそのコースを辿っているからだと思うが。分からない単語をとりあえず分からない単語として措いて、文脈からあとで多分あの単語、こういう意味だろうなと、いくつかの文章からの経験で、自分の中で辞書を作っていく。時間がかかっても英語もそれのほうが私にはいい気がする。となると、速読英単語を何周もしていないで、英検のテキストの長文、要は初めて見る文章(単語的に準1級が丁度いい)も読んだ方がいいなあ。働いていない時は速読英単語+英検テキストをセットでやっていたのだが、それはけっこう時間がかかる。が、軽く1日1題流し読みする程度に英検テキストもまた触ろうかな。
国際政治史と人間の条件は、今のところ人間の条件がさくさく進んでいる。国際政治史は毎日やっていた頃から大分間が空いてしまい、前回までのところを忘れている。この思い出し作業が面倒なので、なかなか手を出す日が少ない。本当はアレントと1日ずつ交代でやれればいいのにと思う。アレント『人間の条件』は、牧野雅彦さんの講談社メチエのテキストを進めている。かなり整理されていて、こちらをやってから本テキスト『人間の条件』を読むと、かなり何を言っているのかがわかる。人間の条件は訳文が痺れるほどに格好いいのだが(ちくま学芸文庫)、古い時代の訳なので、かなり頭が良くないと1文のなかのどこが重要な結論なのか分からない時がある。とにかく何回も前後を併せて読め、という感じだが、牧野さんのテキストを見てからでないと誤読しそうで結構はらはらする。これは10年前くらいに買って、時々書き写して小��の文体の手本にしていたが、内容は全然わかっていなかったため、今回ちゃんと読むことにした。マルクス、エンゲルスに多く関わる内容であることを知らなかった(労働という単語が目次にある時点で分かれよという感じだが)。古代ギリシアから西洋精神史を辿っていく構成なのは助かる。というか、これは精神史というか、人類学、政治史など、つまり大きく言って歴史のなかでの人間の生活やそれを導く思想の変遷を辿っていたりもするので(序盤)、とても楽しい。歴史というものにいつでも還元してしまうなあ(自分は)と思う。歴史というか、因果関係というか、原因究明というか、価値観の転回の瞬間とか、そういうものを連続体で見ていくのが好きである。
あとは、最近読んでいるフィクション。今日は菊竹胡乃美さんの『心は胸のふくらみの中』を読了。今年出た歌集。とにかく多くの傷から目をそらさないで問題提起とその傷つきを高らかに歌う人だと思った。そしてとにかく上手い。内容よりも正直技巧を学びたいと思って買った。最後には内容のすばらしさに圧倒されてしまったけれど。こういう内容に「ぎとぎと」しない感じで、でも読んだ人の心臓の横にはっと刃物を突きつけられる爽やかさは、やはり技巧だと思う。文体のなせるわざ。どこを述語的にするかとか、名詞、現象の想起のさせ方、動詞、口語体の取り入れ方、文あるいは節の繋げ方、全てが私の好みで、つまりこういう形式の短歌を作ってみたいんだよな〜!の理想形の人であった。それにしても内容は結構生々しい傷をこれでもかと突きつけてくるので、よくここまで書けるな、若さというか切迫、切実さだな、と思ってしまった。私はもうここまで困ったり傷ついたりすることはない。老人の呑気さだ。それでも私が読める程度には生々しくないのは、やはり高潔な感性と、短歌の形式に感情を嵌め込む時、とてもきれいに整備しているからだと思う。この歌集については、引用して少しちゃんとした感想をどこかにまとめたいものだ、と思う(思うだけで終わると思う)。
そして、短歌パスポート(しらしら号)を立ち読みして、あれっ、この人いいなあと思って、その場で歌集を探して買ってしまった、堂園昌彦さん『やがて秋茄子へと到る』。タイトルは色んなところで目にしていたが、きちんと歌を見たことがなかった。なんと、なんとなんと、秋茄子の最初の一章を今日読んだのだが、物凄かった。全ての歌が、私の持っているいちばん大切でいちばん美しい時代の世界の見え方をいちいち脳内から引っ張り出させてくる。つまり、10歳頃までの記憶や見え方を。こんな幸福なことってあっていいのだろうか。これも知っている、これも、これも、この光景も知っている、と、自分事のようにすべての歌が「思い出」となって目の前に現れる。むしろ恐ろしいことかもしれない。この人の歌は、他の人にもこのような作用をもたらすのだろうか。私と特別相性がいいからこのような現象が起こるのだろうか。なんにしろ、短歌の中に使われているこの抽象的とも言えることば(具体的な言葉を組み合わせて抽象をつくる達人だと思う)が、こんなにも特定の思い出を引き連れてくることがびっくりする。歌そのものの光景ではなくて、歌が引き出したイメージの一部から、長らく忘れていた景色や風景や色や匂いが連れてこられてしまう。とくに秋と冬の歌が序盤多いからだろうか。私の幸福な、でも忘れてしまっていた記憶がどんどん引き出されていき、自分は完全に、完璧に幸福な子供であったことを思い出した。現状把握能力が未熟なゆえ、未知ゆえの幸福。とても狭い世界で、世の中の平均値と自分を較べることを知らず、ただただ目の前の寒さや眩しさにまみれて必死で生きて、守られていると感じていた頃。実際的に守られていたし、問題を問題とも感じていなかったから、ひたすらに幸福だった。自然が自分に与えるものを、体ひとつですみずみまで感じ、享受していた。その頃の気持ちがそのまま『やがて秋茄子へと到る』所収の歌たちが背負ってくれている。とにもかくにも「懐かしい」歌集で、私は懐かしいことが大好きなのだった。ほかに、ずっと読みさしている『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』『地上で僕らはつかの間きらめく』あたりをちまちま〜と読んだりしている。時間戦争のほうは、うっかりすると一気に読んでしまいそうで勿体ない。ただ、小説を読んでいると「物語飽和症」の症状により、よし、この辺まででもう頭がいっぱいだ、となり、5ページくらいずつしか読めない。
それでは寝ます。おやすみ。
2023.6.15
3 notes · View notes
kirezilla · 21 days
Text
とはいえ、国家は、ブルジョアが外にたいしても内にむかってもその財産と利益をたがいに保証しあうために必要とする組織形態以外のなにものでもない。いまどき国家の自立性がみられるのは、わずかにつぎのような国ぐにである。すなわち、身分が階級にまで完全に発展しきっておらず、先進諸国では廃止された身分がなおあるていどの役割を演じていて混在状態が存在しており、そのために住民のどの部分もそのほかの部分を支配することができないような、そういう国ぐにである。
── マルクス&エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(新訳刊行委員会訳)
0 notes
honyakusho · 27 days
Text
2024年4月2日に発売予定の翻訳書
4月2日(火)には『英語で読む 漫画「マルクス&エンゲルス」』を含めれば13点の翻訳書が発売予定です。
キングと兄ちゃんのトンボ
Tumblr media
ケイスン・キャレンダー/著 島田明美/翻訳 金原瑞人/監修
作品社
森の鹿と暮らした男
ジョフロワ・ドローム/著 岡本由香子/翻訳 高槻成紀/解説
エクスナレッジ
中国美術全史 第四巻 明・清
単国強/著 古田真一/翻訳
東京大学出版会
私たちは何を知らないのか 宇宙物理学の未解決問題
ローレンス・クラウス/ 長尾莉紗/翻訳 北川蒼/翻訳
KADOKAWA
別れを告げない
ハン・ガン/著 斎藤真理子/翻訳
白水社
名前が語るお菓子の歴史 [新装版]
ニナ・バルビエ/著 エマニュエル・ペレ/著 北代美和子/翻訳
白水社
チョコかバニラか?
ジェイソン・シガ/著 岩城義人/翻訳
アリス館
作文宿題が30分で書ける! 秘密のハーバード作文法
ソン・スッキ/著 岡崎暢子/翻訳
CCCメディアハウス
英語で読む 漫画「マルクス&エンゲルス」vol.3
野口美代子/著 丸川楠美/イラスト 奈良勝行/翻訳
高文研
材料系の固体物理学
E. Zolotoyabko/著 大友明/翻訳 鵜沼毅也/翻訳 早水裕平/翻訳 山田智明/翻訳
東京化学同人
ビギナーズ量子力学
M. Suhail Zubairy/著 廣田修/翻訳
東京化学同人
民法典序論
ポルタリス/著 金山直樹/翻訳・解説
日本評論社
29歳、今日から私が家長です。
イ・スラ/著 清水知佐子/翻訳
CCCメディアハウス
0 notes
yymm77 · 3 months
Text
西洋の社会システムを真似ると不幸になる
西洋の社会システムを真似ると不幸になる 産業革命は19世紀の前半には成熟期に入り、その中心的存在だったイギリスは1870年代まで世界最大の工場国として君臨しました。当時のイギリスは世界で最も豊かな国だったはずです。 ところが国民の生活が豊かになったかと言うと、けっしてそうではなかったようです。 霧の都ロンドンの「霧」は、かつてはメキシコ暖流による湿度の高い空気から発生していたものでしたが、産業革命以後は工場の煤煙(ぱいえん)を原因とする、いわゆるスモッグに取って代わられました。 工場から排出される煤煙や排水で環境汚染が進み、労働者は公害の街に住み、生産カの向上だけを追求する計画に組み込まれ、過酷な労働を強いられていました。 1848にマルクスとともに『共産党宣言』を発表して資本主義を徹底的に批判することになるエンゲルスは、1845年に発表した『イギリスにおける労働者階級の状態』という論文…
View On WordPress
0 notes
shimadasyouzi · 7 months
Text
コロナの日本経済の現状:島田 秀次の分析
日本経済の現状については、年初から新型コロナウイルス(Covid-19)感染症が拡大し、日本及び世界は戦後最悪の経済不況に陥っております。 これが今の最大の問題です。
日本において、今(2020年11月)から冬にかけて最も心配されているのは、通常のインフルエンザに加えて流行の第3波が到来することです。
Tumblr media
第3波の到来。
このような状況の中で、日本経済はどうなっているのでしょうか。 2020年4~6月の第2四半期と比較すると28.1ポイント(第2次速報値)下落し、戦後最低を更新した。 リーマンショックに端を発した金融危機よりも落ち込みが顕著で、消費低迷の影響は甚大です。 日本のGDPは約500兆円で、その約6割が消費となります。 経済の本当の中心は家計支出と個人消費です。 設備投資や輸出に比べ、消費は比較的安定している。 なぜなら、人の命は日々や月毎で大きく上がったり下がったりすることはありえないからです。
しかし、今回の新型コロナウイルス流行の中、政府は消費抑制を目的とした政策を採用しました。 外出意欲を阻害する要因は、消費において購買意欲よりも影響力が大きいと考えられ、店舗経営を直撃しています。 外食や観光関連の支出が著しく落ち込んでいる。 19世紀以降の世界経済史の中でも稀少で特別なモデルでもあります。
2020年7月の総務省統計局の5月分「家計調査」では、特別付録として「週間消費支出統計」があり、通常は月次統計ですが、週間統計は大きな関心。 新型コロナウイルス感染症流行第1波における消費動向を週単位でみると、3月に入ってから消費は徐々に減少し、緊急事態宣言発令(2020年4月7日)以降は4月27日から5月までに26.4%減少した。 3. パーセンテージ ポイント。これは第 1 波の底です。 それ以降はマイナスが続いており、5月31日まで続いた。
アベノミクス、7年8ヵ月を経ての評価
その後、安倍首相が辞任し(2020年9月16日)、菅義偉新政権が発足した。 7年8カ月続いたアベノミクスの時代が終わり、メディアではアベノミクスの振り返りや評価をどうするか議論が始まりました。 まず、安倍首相の辞任表明後、さまざまな世論調査が実施されました。
最初に話題になったのは、朝日新聞社が実施した世論調査で、約75%の人が肯定的な評価をしていると回答した。 その後の大手新聞社の世論調査では、「非常に」「ある程度」を含めた「肯定的な評価」が約75%を占めた。 しかし、このような評価数値は実態と乖離している。
アベノミクス時代の成長率を比較してみよう。 目標は2019年末から第4四半期まで。 100年は異常事態が起こらないので、2020年の数字は過去と比較することはできません。 そこで、アベノミクスと重なる7年間を2013年から2019年までの数字と比較する。 GDPと個人消費の実質成長率について、米国、欧州連合、日本を比較してみよう。
アメリカは安定しています。 最近、EUは非常に悪いと言われていますが、確かに雇用はひどいですが、成長率は1%を超えています。 先進国と比較すると、日本は明らかに遅れています。 こうした数字を踏まえ、世論調査の結果等から判断すると、多くの国民は、こうした国際的な動向の中での日本の立場を必ずしも理解しているわけではありません。
世界では、先進国の長期にわたる経済停滞の中でも、個人消費の伸びは米国で2.4%、欧州連合で1.4%でした。 過去7年間の日本の個人消費の伸び率が0%というのは極めて悪いと言わざるを得ません。
 果たしてアベノミクスという言葉は誰が作ったのか問いたいです。
地球規模で歴史に根付いてきたアベノミクスには、それなりの意味があり、実質的なものであると多くの人が思っているかもしれません。 これが非常に健全であるとは言い難い。 安倍政権の7年8カ月、特に新型コロナウイルス感染症が拡大し始めるまでの7年間の経済政策は何だったのか、どれだけの成果をあげ、何が成果を出せなかったのか。 この時期の経済はアベノミクスという言葉を使わなくても十分に説明できる。
 まず、第一に、経済成長について最終的に確実性はありません。 この点については上で説明しました。 失業率が低下し、有効求人倍率が上昇したという意見もある。 これも事実であり、単なる数字上の議論です。 しかし、これは生産年齢人口の減少や人手不足といった経済情勢とも関係していることを忘れてはなりません。
日本の消費傾向は完全に崩壊した。 乱暴に言ってしまえば、日本経済の大きな問題は、GDPの6割以上を占めるコア消費が完全に機能していないことだ。 理由は 2つあります。 まず、賃金が上がらず、収入が増えない。 2つ目は、年齢層を問わず消費性向が低下しており、逆に貯蓄が進んでいることです。 これは将来に対する広範な不安感によるものです。
 若者や現役世代にとって定職を見つけることも課題だ。 すべての世代の将来に対する不安の背後にある問題は、社会保障の将来に対する不安です。 他にも不安はたくさんありますし、社会保障も大きな課題です。
 景気動向指数を見てみましょう。
12年11月が底で、その後上昇期に入り、18年10月にピークに達し、19年から景気後退期に入りました。
 景気動向を決める指標は非常に機械的です。 2018年秋がピークだったことは民間エコノミストらも以前から指摘しており、これ自体は驚くべきことではありません。 しかし、これは政府や日本銀行にとってあまり好ましい結果ではありませんでした。 というのは、当初の判断では、2019年に入ってからも景気は基本的に回復傾向が続くと考えられていたようです。 内閣府は毎月景気動向指数を作成しているが、政府が独自に景気を正式に判断するのは月例経済報告である。 報告書によれば、2019年に入って景気は基本的に上昇傾向にある。 新型コロナウイルス感染症の流行が起こったのだから、感染症のせいにする説得力のあるストーリーを考えています。
貧富の差の拡大と社会保障の将来不安
次に、中長期的に我が国の経済社会にとって大きな問題となっているのは、貧富の差の拡大です。 特に日本の高齢化は貧富の差拡大の主な原因となっている。
 日本は高齢化が進む先進国です。 20代の人を100万人調査すれば、収入や資産、健康状態の差は比較的小さいことがわかります。 そして、70歳以上の100万人を合わせて上記3点を見ると、20代と比べて大きな乖離が生じます。 高齢者の間では、老化の偏りの大きさが大きくなります。 もちろん、社会全体の高齢者の間にも大きな偏見が生じるだろう。 この規律はこれまで強力な役割を果たしてきており、今後もその役割を果たし続けるでしょう。
 生活保護(最低限度の生活支援)は社会保障制度における最後のセーフティネットです。 保護を受けている世帯の多くは高齢者です。 特に女性の場合は、はっきり言って一人暮らしのおばちゃんも多いです。 貧困と高齢化は関係があります。
 高齢化による貧富の差の拡大に加え、長期にわたる経済停滞により、正規労働者と非公式労働者の格差も生じています。 バブル経済当時、日本の非正規労働者の割合は約6分の1でした。 その割合は16~17%です。 最近ではこの割合が40%近くまで拡大しています。 非正規社員の経済的利益は、正社員の経済的利益よりも悪い。
 ちなみに、結婚率に関する統計を見ると、非正規社員の結婚率も正社員に比べて低いことがわかっています。
 日本はフランス、スウェーデンなどと違って、正式に結婚した夫婦以外の子供、つまり婚外子は法的に非常に弱い立場にあります。それで結婚しないと子供を生まない、華山(ファサン)一つの道しかないと言えます。
 社会全体で少子化は深刻な問題だと言われているが、出生率を高める方法を考えなければならない。日本の現実は、非正規労働者である配偶者率が著しく低下した階層が16%から40%に増加している。様々な理由がありますが、全体的に見ると異常です。
 貧富の差の拡大に関する議論の最後に、新型コロナウイルス感染症によっても貧富の格差が拡大していることを指摘したいと思います。 それは、非正規労働者が真っ先に解雇されるからです。
 貧富の格差問題はグローバルな問題です。数年前、トーマス·ピケティというフランスの経済学者が貧富の格差問題を大きな問題だと警鐘を鳴らした。貧富の格差の防波堤がまさに社会保障制度です。近代的な社会保障制度は19世紀に始まりましたが、その歴史は長いです。
 18世紀末、経済学者のトーマス・ロバート・マルサスは「人口動態の原理」という有名な本を書きました。 これは後にケインズによって賞賛された初版であるが、マルサスはなぜこの本を書いたのか? 英国政府が生活保障補助金の水準引き上げを決定した際、同氏は、これは無意味であり、行うべきではないと述べた。 貧しい人が可哀想だから支給水準を上げるとしたら、貧しい人にお金を配った結果はどうなるでしょうか? 誰もが所得水準が上がり、一時的には豊かになるかもしれませんが、すぐに子供が増えるでしょう。 だからマルサスは、子供が増えても、収入水準が元に戻ってしまっては意味がない、と言ったのです。
 それにもかかわらず、マルサスの時代はまだ真の資本主義社会ではなく、資本主義の発展後には格差はさらに拡大した。 そこにマルクスとエンゲルスが登場した。 1848年に共産党宣言が発表され、ヨーロッパ先進国のイデオロギーを揺るがした。 しかし、ヨーロッパの先進国はマルクスの言うように社会主義には転向せず、資本主義経済を維持しました。 しかし、この格差は無視できない問題です。
 だから何をすべきか? その答えとして、ヨーロッパ諸国は100年をかけて社会保障制度を発展させてきました。 公的医療保険を初めて導入したのはドイツ帝国のビスマルクと言われています。 いずれにせよ、このような社会保障は貧富の差の防波堤であり、日本も戦後この防波堤を正式に導入しました。 少子高齢化が進む中、その必要性はますます高まっています。
持続不可能な財政赤字問題
話題を日本の現状に変えましょう。 新型コロナウイルス不況への対応は、貧富の差の拡大を抑えることだけが焦点だと思います。
 もちろん感染を完全に抑えることが最優先ですが、それだけでは十分ではないと思います。 話は少し逸れますが、実は私はGo To トラベルやGo To イートなどの政府の政策が全く理解できません。 流行を完全に抑えることができれば、人々は何も活動しなくても旅行や外食をするようになるだろう。 この状況でお金を捨てて活動することに何の意味があるのでしょうか?
 身近なところでは、今回日本政府がとった政策は、雇用保険など雇用調整助成金の積立金を活用して失業を抑制し、失業を起こさないように休業状態にコントロールするというものだ。 日本は米国とは異なるやり方でこれに対処しており、非常にうまく対応している。 基本的な方向性は正しいと思いますが、それがいつまで続くかはわかりません。 一つ確かなことは時間を買うことだ。 つまり、雇用は停止状態に抑えられ、その間に感染症対策を進めることになる。 格差拡大への対応策といえる。
 また、社会保障経済規模は現在120兆円を超え、保険料収入は約70兆円となっております。 公的補助金は50兆円であり、公的資金の支出により財政赤字は増大する。 しかし、財政赤字はもはや維持できない。
 国庫支出と税収の差はワニが口を大きく開けたようなものだが、今年はワニの顎が下がった。 補正���算は赤字国債発行に頼った90兆円。 国家基金の社会保障費は増加している。 特に21世紀に入ってからはその傾向が顕著です。
 私は、日本を悩ませ���いる根本的な問題は少子高齢化であると考えています。 出生率を上げるにはどうすればいいですか? それは働き方改革にかかっているのかもしれません。 子どもを育てる環境にもう少しお金をかけるべきかもしれません。 いずれにしても、少子高齢化の大きな問題は、貧富の差の拡大です。
 「格差拡大は問題ですか?」と問われれば、100人中99人が「そうだ」と答えるだろう。 しかし、これは単純な問題ではなく、健全な社会を根本から揺るがす大問題であり、正面から解決しなければなりません。 さまざまな対策が考えられますが、国の制度としては社会保障制度が重要です。 しかし、財政的制約の下ではそれを持続することは不可能です。 現実には、これらの融資は財政赤字につながります。 問題を完全に解決するには財政を立て直さなければなりません。
過去20年間の実践を踏まえ、現在の財政状況についての基本的な考え方をまとめた「経済財政運営と改革の基本方針」を公表しました。 枠組みができた2020年6月時点では、すでに新型コロナウイルス関連の補正予算が公表されていた。 本来であれば、こうした状況下で財政状況をどう描くかが今年議論されるべきテーマだったが、残念ながら全く触れられなかった。
 このような事を言うと、たまに「そんな時はブレーキではなくアクセルを踏むべきではないですか?」と言われることがあります。 私はそうは思わない。 確かにアクセルとブレーキを同時に踏むのは無理があります。 しかし、車に例えると、何らかの理由で180キロメートルのスピードで走行した場合、次にどのようにブレーキをかけるかをよく考える必要があります。 そうしないと危険です。 アクセルを踏むことだけを考えるのは間違いです。
 したがって、補正予算を経て予算編成に道が開けた今こそ、財政健全化への道筋をどう整えるかを議論する時期にある。 今年の「顧泰の政策」をきちんと議論すべきだ。
デフレと金融政策
アベノミクスに戻り、デフレと金融政策というテーマを見てみましょう。 アベノミクスの三本の矢の中で最も顕著なのは第一の異次元金融緩和である。 これは安倍政権誕生以来最大の論争でもある。 2012年12月の選挙中、第二次安倍政権(当時は安倍候補)は、日本経済の最大の問題はデフレであると考え、当時の日銀を批判することから始めた。 デフレは貨幣現象であるため、資金を増やせばデフレは止まるという考えのもと、2013年4月から黒田東彦総裁のリーダーシップのもと、異次元の量的緩和政策が開始されました。 2年以内に通貨基盤を2倍に引き上げ、2%の物価目標を達成します。
 これについては経済学者の間でも意見が分かれている。 アベノミクスの第一の矢については全く分かりません。 まず、私はデフレが最も重要な問題だとは思っていません。
 デフレが資本主義経済の主要な問題であるとの認識は、1930年代の経済不況の経験に基づいていたため、ジョン・メイナード・ケインズやアーヴィング・フィッシャーなどのアメリカの学者の理論が現在の経済学の理論的基礎となっています。 しかし、当時のデフレは2年以内に物価が1/2になるデフレでした。
 ケインズのエッセイ「説得」には、デフレの問題についての簡単な議論が含まれています。 ケインズは、物価の暴落により不良債権が生じ、金融システムが機能を失い、資本主義経済が機能できなくなると述べた。 フィッシャーの議論も同様だ。
 ケインズとフィッシャーの問題は実際に日本でも起きた。 それは、バブル経済とバブル経済の崩壊である。 つまり、日本では物価に対してデフレが発生しており、彼らの主張通り、バブル経済の崩壊により日本経済は10年以上苦境に陥った。 日本は資産価格のデフレ危機を経験しました。
 しかし、2000年以降に問題となったデフレは、資産価格の下落ではなく、一般物価の下落でした。 減少率は年率約1.5%とピークに達した。 このレベルのデフレは本当に経済にとって危険なのでしょうか? 答えはノーだと思います。 実際、19世紀はデフレの世紀でした。 19世紀前半、イギリスはナポレオン戦争に勝利し、ヴィクトリア女王の指導の下で大英帝国が繁栄しました。 イギリスのこれまでの平均実質経済成長率が最も高かったのは1815年から1850年頃ではないかと思います。 年率3~4%で成長を続けています。 過去40年間、価格は下落し続けています。 同時にイギリス人はこの問題を真剣に受け止めていませんでした。 実際、経済は非常に繁栄しており、大英帝国の全盛期でした。 これは、デフレがマクロ経済にとって大きな脅威であるという命題に対する主要な反例です。
 つまり、わずかな物価下落で資本主義が崩壊するという考え方は間違っているということだ。 もちろん、1年、2年で物価が半分になってしまったら大変なことになります。 日本は資産価格のデフレを経験しました。 しかし、今日本が議論しているのは通常の物価です。 過去 1 か月で約 0.3% 下落した可能性がありますが、これは日本経済の根本的な問題ではありません。 もちろん、ゼロ引き下げは価格の安定を示すため、ゼロ引き下げの方が良いです。
 しかし、日銀を含め世界は2%の物価上昇がゴールデンナンバーになることを期待している。 なぜ2%なのでしょうか? ゼロをターゲットとして設定した場合、わずかにスライドするとマイナスの値になります。 0.3%のデフレでもデフレです。 負の数に決して陥らないようにするには、目標価格をゼロではなく正の数にする必要があります。 自然数と整数は人間が議論すると容易に理解できます。 このようにして、0は1になります。
 それでは、目標増加率を 1% に設定するだけで十分でしょうか? これが消費者物価指数の上方偏りの原因となっている。 統計的に見ると、CPIは実際には上昇傾向にあり、つまり1に見えても実際には0である可能性があります。 上の偏差は偏差 1 を生成しますが、これは非常に専門的な話になります。 その結果、1 プラス 1 しかできないため、2 がゴールデンナンバーになります。
イノベーションで日本を元気にする
しかし、日本の状況では、上部の偏差が測定されるわけではありません。 核心的な疑問は、たとえ0.1減ったとしても、本当に大きな問題になるのかということです。 近年、日本の物価は概ね安定していると思います。 無謀に2%の値上げを追求する合理性がわかりません。
 むしろ、日本のデフレの鍵は賃金デフレにある。 本来、賃金を下げないことがデフレを防ぐための原則だったが、日本ではこの原則が廃止され、名目賃金が下がった。
 人口減少・高齢化が進む中でも経済成長を実現することがアベノミクスの成長戦略である。 3本目の矢は本物だ。 大前提として、日本の人口減少は避けられない傾向であるという悲観的な見方をする人は多い。 私も人口減少は大きな問題だと思っており、危機感を持っています。 しかし、私が声を大にして訴えたいのは、先進国の経済は人口だけで決まるわけではないということです。
ドイツも人口が減少しており、経済は低迷している。 しかし、日本やドイツを含む先進国は、経済成長を達成するにはイノベーションに頼るしかありません。
日本政府は現在、「Society 5.0」の実現に向けてさまざまなイノベーションを進めている。 方向性は間違っていませんが、できるだけ早く実行する必要があります。 しかし残念なことに、企業からの信頼は十分ではありません。 本来、資本主義経済においては、民間企業は銀行からお金を借りてでも投資するのが正しい姿勢でした。 しかし、各種の貯蓄と投資の違いから判断すると、今や企業は家計の収入と支出を上回り、最大の純粋貯蓄者となっている。 企業が保有する現預金も増え続けており、安倍政権の7年間だけで75兆円も増加している。 一方で賃金は上がらない。 現状を打破するには、まず日本企業が元気を出さなければなりません。
0 notes
picolin · 1 year
Text
Corsage
dir. Marie Kreutzer
2022年12月29日 BFI NFT3
映画やミュージカルでお馴染み、「シシィ」ことハプスブルク帝国フランツ・ヨーゼフ一世妃エリーザベトの40歳の誕生日からの数ヶ月を虚実交えて描く。監督はマリー・クロイツァー、『マルクス・エンゲルス』『ファントム・スレッド』のヴィッキー・クリープスがシシィを演じる。
ユディット・カウフマンのカメラは比較的硬質で、冷たい宮廷、明るい春から夏のイングランドやオーストリアの田園、イタリアの陽光の温度差をくっきりと表現する。美術や衣装はおおむね史実に沿っている(ただ、ウィーンとババリアの城の内装が妙にボロい)が、『As Tears Go By』や『Help Me Make It Through the Night』といった20Cのポピュラー音楽が劇中で演奏され、どことなく奇妙な味を出している。
帝国というシステムに身を捧げる頭の硬いワーカホリックな夫や微妙な距離を保つ子供達、忠実な使用人に囲まれたシシィの孤独と苦悩は極限まで締め上げられるコルセットに象徴される。とはいえ、案外作品としては「籠の中の鳥」としての拘束とそれに対する彼女の苛立ちや怒りは抑えたタッチの短いエピソードの積み重ねによって描写されるからか、微温感がずっと続く感じでもある。終幕に向けて史実との乖離が大きくなり、なんとかしてフィクションとしてシシィを救いたいという意図は感じられるが、それもまた強烈な印象を与えるというよりはふんわりとしたファンタジーの範疇にとどまる。息子のルドルフや仲の良いいとこのルードヴィヒ二世の最期を知っているとニヤリとさせられるセリフもあるが、筋に直接関与しないものなのでややファンサービス的なおまけのようでもある。むしろ彼女の運命や墺洪帝国について何も知らないで見た場合はどう感じるのかが気になる映画。
0 notes
uchu-household-blue · 2 years
Text
Tumblr media Tumblr media
文章がところどころ美しいもので。。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
良心的な人間になれ、という意味としての良心ではない。 いつか死ぬのでも余命でもなく、今死ぬとしたらの危機や状況、吊り橋でもいいけど連帯や目的の国感って、やっぱり計画でもなくというか、見つめてすらない時になのだろうな 断念と希望もその瞬間においては。例としては震災の時の誰彼分け隔てない助け合いとあった。信じると不信も思い出す
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
④では、大学の総長となったハイデガーがドイツと世界が混乱の時代に、ナチ党に入党し、学生に対しても国家への「勤労奉仕」「国防奉仕」を義務のように説き、命運を見出せ!と民族をよりどころにしそうな方向へも。 精神的=歴史的現存って言っちゃっててまだまだ恐ろしい。④回目にかんしてはとくに、マルクスとエンゲルスのあそこも師弟ではあったわけだが。均して思考停止になってしまう部分があるのなら危ないよねという感覚を持つことにはなって..。
Tumblr media
学問ってのはそもそも分野ごとやったとしても領域別に偏りになっていくよね さっき立花隆さんの番組放送していたけど(構成は好きじゃなかったが)「現代、あらゆる専門家が断片しか知らないということ」を言っていたな。(がん細胞のこともNHKでやってたのもあって、あーやっぱりなーとか思うことにもなって。)免疫があることががんを増殖させていくこと、まじで真理すぎて、日和見しきれない。それでも前より、死のことの中に健康を見ようとも少しは出来るようになった気が出来てよかった安堵。
ハイデガーの、ヒトラーに心酔していたとうわけでもない彼の目的は。ナチ党の拡大でもなく(強迫でもなくかい)、自らの理想を叶えるために波に乗ろうとした(ちゃんと利用もしていたと。)ことにあったという点で、弟子たちとの批判的な哲学展開が、著作ののちに議論されていく。何でもいいなんてものはないよ!だとかかといって焚き付けの不気味な、..みたいなほうの、国が大事だよみたいな安楽、に、学生が従属したがったわけでもなく反感もあったり、棚に上がって優劣になったままー彼もナチ党から邪魔がられていったのち、教壇からは逸れていく、加担したという事実に対しては生涯謝罪も弁明もなくという番組での照会、存在とかを説いた思想(ただし彼は急ぎ足で書き上げたとも)と全体主義が固く結びついていったとしたらどのような要素が含まれていると言えるだろうかを巡りながら、..いろんな気持ちを見る気がした、「老い」もそうだし。若きもそう。 コミュニケーションって情報の質として何だろうな、断片か。。遠くだけ見てもいないと思いたいような、それでも放れないから黙るような。何を目指すことが良い悪いももうと塞ぎそうな日々に倫理を考える続けるしかないのだもん
0 notes
shihlun · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Naoto Yamakawa
- The New Morning of Billy the Kid
1986
89 notes · View notes
ari0921 · 3 years
Text
宮崎正弘の国際情勢解題
近年急速に政治問題化されているいわゆるLGBTですが、ロシアのプーチン大統領が今起きていることは1917年の革命中にロシアで起こったことと何ら変わりはないと発言している。英語サイトですがWEB翻訳でも十分理解できる。
 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は11日の演説で、極左思想が西欧諸国の社会問題を引き起こしているとし、「1917年の革命時にロシアで起きたことと変わらない」と非難しました。
プーチン大統領は、ソチで開催されたヴァルダイ国際討論クラブの第18回年次総会で、「21世紀のグローバルシェイクアップ」というテーマで発言しました。プーチンの発言は通訳によって翻訳され、その映像はロシア政府のウェブサイトにアップロードされた。
プーチンは、欧米諸国にはやりたいことをやる権利があるが、「ロシア社会の圧倒的多数」はこうした新しい考え方を拒否していると述べた。
「いわゆる社会的進歩の準備は、人類に新しい良心、新しい意識、より正しいものをもたらすと信じている」とプーチンは語った。
「しかし、一つだけ言っておきたいことがある。彼らが考え出すレシピは何も新しいものではない。逆説的に思われるかもしれませんが、これはロシアで見られたことなのです。1917年の革命の後、ボリシェヴィキはマルクスとエンゲルスの教義に従った。彼らはまた、伝統的なライフスタイル、政治的、経済的なライフスタイル、さらには道徳の概念、健全な社会のための基本的な原則を変えることを宣言しました。彼らは、時代や世紀を超えた価値観を破壊しようとしていました。
「ちなみに、ボリシェヴィキは、自分たちの意見とは異なる他の意見には絶対的に不寛容だった」とプーチンは続けた。
「このことは、何かが起こっていることを思い出させると思います。西洋諸国で何が起こっているかを見ると、ロシアがかつて持っていて、遠い道のりに置き去りにしてきた慣習を目の当たりにして困惑します。平等と差別に対する戦いが、不条理の瀬戸際にある攻撃的な教条主義に変わり、シェークスピアのような過去の偉大な作家が、性別や人種の重要性を理解していない後進的な古典として発表されたために、学校や大学で教えられなくなっています」。
「ハリウッドでは、映画館で、映画の中で何をすべきか、何人の人格や俳優がいて、どんな色をしていて、どんな性を持っているかを思い出させるビラがあり、時にはソ連共産党中央委員会のプロパガンダ局が行ったことよりもさらに厳しく、厳格なものになっています」と述べた。
そして「高い目標である人種差別との戦いは、新しい文化、キャンセル文化、そして逆差別、裏の人種差別へと変わっていきます。真の市民の権利のための闘士たちは、そのような違いをなくそうとしていたのに。私には夢があります。私の4人の小さな子供たちが、いつの日か、肌の色で判断されるのではなく、その人の人格の中身で判断される国に住むことです」。
それこそが真の価値である。
「ご存知の通り、ボルシェビキは財産だけでなく、女性も国有化しようと話していました」
プーチンは続けます。
「新しいアプローチの提案者は、男と女の概念をすべて排除しようとするほどで、男と女が存在し、これは生物学的な事実であるとあえて言う人は、すべて追放されてしまうのです。親1号、親2号、あるいは産んだ親、あるいは母乳の代わりに人間の乳と言う。そして、そのすべてを言うのだから、自分の性的意図がはっきりしない人も不幸にはならない」
「そして、これは新しいことではなく、20年代、1920年代には、ソビエトのクチュールタゴールがいわゆる「ニュースピーク」を考え出し、それによって新しい意識を築き、新しい価値観を打ち出していると考えていましたが、それが行き過ぎて、今に至るまでその結果を感じています」と、この問題について結論付けました。
幼い頃から「男の子は簡単に女の子になれる」と教え、その選択を���供たちに強要することは、非常に恐ろしいことです。親を押しのけて、子供に人生を狂わせるような決断をさせるのです。これは、人類に対する犯罪に近いものであり、進歩の旗の下に行われているが、一部の人々はそれを望んでいる。
62 notes · View notes
kt-grotesque · 2 years
Text
手紙20211121
お元気ですか? 今日も空は蒼く冴え渡り、赤トンボたちが飛び交っています。このまま暖かさが継続し、雪などは思いっ切り夏に降ればいいなどと話したりしてますが、果たしてどうなるでしょうか。
お手紙と映画のチラシ5枚を受け取りました。ありがとうございます。「途方もない映画体験」と書かれた『MONOS猿と呼ばれし者たち』は、評論家の多くが5つ星をつけていたので気になっていました。観たいですね。面白いでしょうね。その後、どうでしょうか、ゴールデン街で口角泡したい。まあ懐かしくも見果てぬ夢ですが。
南米コロンビア50年の「内戦」を想起する際に過ぎるのは、サンディニスタ解放戦線の闘い__アメリカが支援する独裁政権との闘いを指揮した革命司令官オルテガの末路でしょうか。今や独裁者として権力をほしいままにしているのですから。ニカラグアの現在のお話です。 革命は一国で終わった場合、資源が豊富であればロシアや中国のように、乏しく貧しい国であればキューバやニカラグア等の形態の独裁へ陥ってしまうようです。それからも革命は国境を越えて広がる世界革命でなければならない__これが今のところ、「真理」のようであります。 マルクスやエンゲルスの時代の1845年。ヨーロッパに広がった革命は世界革命であったと言われています。ローマ時代の世界が地中海の沿岸部だったように、当時の世界はヨーロッパを指したからでしょう。 そうした意味では、ロシア革命も同様でしたが、ヨーロッパでの革命に挫折、その結果ロシア「一国主義」を正当化するしかなく、世界革命を主張するトロツキーは袂を分かちます。 それ以降、ソ連型革命に同調しない者はトロツキスト、つまり異端派として批判されることに。日本共産党が60年安保闘争を主導した全学連の学生たちと敗北の総括をめぐって別れると、途端にトロツキスト呼ばわりしたのも同じ理由です。 もっとも日本共産党が「自主独立」なる方針のもと、ソ連共産党から距離を置き始めるといつしかトロツキスト批判は下火になり、消滅してしまいます。 それはともかく、70年初頭にキューバ革命の限界性を感じたゲバラが「第二、第三のベトナムを」とアフリカや南米の地に、新たな革命を創出しようとしたのは、結果はともあれ革命家の理念としては正しかったし、彼が今だに人を惹きつけて止まないところでしょうか。 南米の多くの国で「あの時代」に革命闘争が勃発する事態になったのは、ソ連との冷戦に勝利すべく、政権に批判的な組織、政党、それに人びとを弾圧してきたのが原因でした。もともとアメリカは南米大陸を自国の「裏庭」と位置づけ、現在では考えられないような帝国主義的支配を、CIAや巨大企業を用いて行ってきたのです。 例えばバチスタ政権時代に砂糖の単一生産をキューバに押し付けたように、それぞれの国にユナイテッド・フルーツ社を遣い、バナナやパイナップル、コーヒー等々を作付けさせ、他の農作物は全て輸入させる(それもユナイテッド・フルーツ社が扱う)ことにして、それを可能にする独裁者を支持するため、CIAを暗躍させてきたのでした。それが50年代、60年代のアメリカ。 それからも独裁政権と闘うゲリラ組織や、アメリカの収奪に反対する反米闘争が存在しない国はなかったと言えるでしょう。今の南米の国々には50年代60年代の残滓が政治権力とつながったギャング組織として人びとの生活を苦しめているし、そうした人びとが国を捨てアメリカを目指すのは、ある意味当然だし、そうした時代の「犯罪性」をきちんと払拭することなしに、不法移民呼ばわりして追い散らすのだから、あの国もひと皮むけば、と言われそうですね。
ところで『MONOS』がどうしても連合赤軍と重なってしまのは、その閉塞性にあると、その「一国主義的出口なし」の情況をイメージしてしまうからかもしれません。そこに敵が襲撃し__だが兵士たちはまだ少年少女たち、そして思春期のゆらめきが。どんな映画なのか分からなくなりました。
四方田犬彦の『世界の凋落を見つめて』(集英社新書)のなかに全く知らなかった出来事が書かれているのです。それは、1973年のタイ。首相が任期を勝手に延長したことで、軍と学生の間で大きな衝突が起き、身の危険を感じ多くの者が、タイ・ラオスの国境地帯にあるタイ共産党の軍事基地へ。 その後も軍の虐殺を逃れた者たちがバンコクを捨て森の中へ。彼らは自給自足の農耕を始め、山岳少数民族と共闘して国軍と対峙。その数3000人。だが79年にベトナムがカンボジアへ侵攻すると、中国がベトナムに戦争を仕掛けたことで、友好関係にあった中国共産党がタイ共産党を切り捨て、森の中の学生たちはその結果、見捨てられてしまう。 こうして6年間の理想主義的な共同体が終わると、タイ政府はすべての学生に恩赦を与えたそうです。森からバンコクに戻ると、深い挫折感と虚脱感に襲われたけど、革命への情熱に満ちた栄光の日々を忘れるわけにはいかなかった___ 別のところで四方田犬彦はタイの若者たちと比較して、 森での生活を懐かしそうに語るチラナンは、微笑を絶やさない。わたしは彼女に好意を抱いた。だが同時に、日本人として複雑な気持ちにもさせられた。日本の若者たちも1972年に冬山に入った。だが、彼らを待っていたのは銃撃戦とリンチ殺人だった。タイでは仲間殺しどころか、投降者への懲罰すらなかった。ふたつの立憲君主国はどうしてこうも違っているのか。
南インドのケーララが長らく共産政権だった、とありましたが、インドでは毛沢東主義派が地方で政権を担当したりしているのではないでしょうか。でも、中国とは直接関係はないらしく、ルーツはやはり「あの時代」の学生運動にあるようです。当時を描いた小説を数年前に読んだ記憶があります。
昨日の午前中に『トランスポーター3 アンリリミット』を見てました。フランス映画はエンタメ系でも、妙にマニアックな面があり、そこがハリウッドの大味なところとの基本的な違いのように思い込んでいて、ボクは気に入っています。この頃は見るに堪えるような作品の放映が、以前と比べ本当に少なくなりました。所詮は塀の中のことですが。 それでは又、お元気で!! (2021.11.21) 鎌田俊彦
3 notes · View notes
misasmemorandum · 3 years
Text
『キャクストン私設図書館』 ジョン・コナリー 田内志文 訳
「ハムレット、ホームズ、ドラキュラ。登場人物が実体化して図書館に住んでいたら・・・・・・?」と言う宣伝文句をツイッターなどで見て興味を持って読むことにした。
著者さんはアイルランドの人で、舞台もおそらくアイルランド。冗談もアイルランドのものなのだろう、ちょっととっつきにくかった。
「キャクストン〜」は、人間の物語の登場人物に対する想像力が、そのキャラクターを実体化させるんだけど、ま、人によって容姿など違うように想像すると思うけどと細かいことは置いといて、面白い視点だと思った。で、初版本なり著者の直筆原稿なりがこの図書館に所蔵されてるんだけど、この、著者の書いた原稿に、書いたことを現実化させられる魔術的な力があるっての、前に読んだほんと通ずるところがあるね(この本の続きをいつか読もう!)。キャラクター達は作者の死後に現れる。
で、このキャクストンでは、ドイルがホームズをライヘンバッハの滝に叩き落として殺してしまった後に、ドイルが生きているにも関わらず現れてしまうんだ。ホームズが死んだと嘆き悲しむ読者が多かったせいだろう。この設定と、またドイルがこの実体化したホームズとワトソンに会うのも面白い。ドイルがスピリチュアルなものにハマったのが、これの影響もあってと思えて楽しく読んだ。
だけど、この本のメインは「裂かれた地図書ーー五つの断片」なのだ。で、これがオカルトで、スプラッターな描写がちゃんとあるもので、不思議な力を持つ本のせいでオカルトな事件が続くんだけど、私はオカルトを読むつもりは全くなかったので、正直嫌だったよ(涙)。
この物語では本が世界を書き変えることが出来ると言う。
「本はいつでも世界を変えているのよ。クリスチャンならば、あなたは聖書に・・・・・神の言葉に、もしくは人々の手によって搾り取られて最後に残った、聖書の残滓に変えられているわ。イスラム教だとしたら、クルアーンをごらんなさい。共産主義なら、マルクスとエンゲルスを。分からない?この世界はいつも本によって変えられているのよ。『共産党宣言』がsyっぱんされたのは一八四九年、つまり一世紀も経っていない昔だし、『資本論』はもっと新しい。だというのに、ロシアはもうその二冊にどっぷりで、他の国々だって近い将来同じ道を辿るのよ」(p245)
そして、
「本は形のあるものじゃない。言葉と概念を選ぶものなの。ひとりひとりの読者に、違う影響を及ぼすのよ。私たちの心の中に映像を焼き付けるの。そして、根をおろす。」(p246)
面白かったけど、オカルトを全く期待してないところでスプラッターが出てきて、私はちょっと嫌でした。予備知識をほとんど仕入れずに本を読むのは危険だな。
2 notes · View notes
kirezilla · 21 days
Text
分業によって人格的な力(諸関係)が物的な力へと転化されていること──これは、それについての一般的観念を頭のなかからたたきだすことによって廃止できるというものではなく、諸個人がこうした物的な力をふたたび自分帯のもとに従わせ分業を廃止することによってのみ廃止できる。このことは、共同体がなければ不可能である。共同体においてはじめて、各個人にとって、その素質をあらゆる方面にむかって発展させる手段が存在するようになる。共同体においてはじめて、人格的自由が可能となる。共同体のこれまでの代用物、すなわち国家などにおいては、人格的自由は、支配階級の諸関係のなかで育ってきた諸個人にとってのみ、しかもその個人が支配階級の一員であるかぎりにおいてのみ存在したにすぎない。
── マルクス&エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(新訳刊行委員会訳)
0 notes
honyakusho · 9 months
Text
2023年8月1日に発売予定の翻訳書
8月1日(火)には「英語で読むマルクス&エンゲルス」を含めると19冊の翻訳書が発売予定です。 U-NEXTと白水社からそれぞれ3冊出ます。
オリエントへの旅 建築と美術と文学と
Tumblr media
マリオ・プラーツ/著 伊藤博明/訳者 金山弘昌/訳者 新保淳乃/訳者/編集責任 石井朗/企画構成
ありな書房
Tonhon Chonlatee
Tumblr media
Nottakorn/著 ファー/翻訳
U-NEXT
The Miracle of Teddy Bear 上
Tumblr media
Prapt/著 福冨渉/翻訳
U-NEXT
The Miracle of Teddy Bear 下
Tumblr media
Prapt/著 福冨渉/翻訳
U-NEXT
ブルース・ハノン
レオ・アルファッシー/著 藤井美保/翻訳
シンコーミュージック・エンタテイメント
老い : 人生の完成へ
ヘンリ・ナウエン/著 ウォルター・ガフニー/著 原みち子/翻訳 木原活信/解説
日本キリスト教団出版局
ヴァイトリング著「人類」 : 革命か啓蒙か
石塚正英/編集
社会評論社
なぜ美を気にかけるのか : 感性的生活からの哲学入門
ドミニク・マカイヴァー・ロペス/著 ベンス・ナナイ/著 ニック・リグル/著 森功次/翻訳
勁草書房
巨人の約束 : リーダーシップに必要な14の教え
ジョン・アメイチ/著 福井久美子/翻訳
東洋館出版社
ウェイと金のスケートぐつ
ネイサン・チェン/著 ロレイン・ナム/イラスト すがのりこ/翻訳
新書館
英語で読む 漫画「マルクス&エンゲルス」vol.2 vol.2
野口美代子 丸川楠美/イラスト 鵜沢亜紀子/翻訳
高文研
SEEING SCIENCE 科学の可視化の世界
ジャックチャロナー/著 佐倉統/監修 片神貴子/翻訳
東京書籍
ロヴェッリ 一般相対性理論入門
Carlo Rovelli/原著 真貝寿明/翻訳
森北出版
スターリンの図書室
ジェフリー・ロバーツ/著 松島芳彦/翻訳
白水社
真の人間になる(上)(仮題)
甘耀明/著 白水紀子/翻訳
白水社
真の人間になる(下)(仮題)
甘耀明/著 白水紀子/翻訳
白水社
翻訳者による海外文学ブックガイド BOOKMARK2
金原瑞人/編集 三辺律子/編集
CCCメディアハウス
時間をやくパン屋さん
キム・ジュヒョン/著 吉原育子/翻訳
金の星社
ハーバード大学ダムロッシュ教授の世界文学講義
デイヴィッドダムロッシュ/著 沼野充義/監修 片山耕二郎/翻訳 高橋知之/翻訳 福間恵/翻訳
東京大学出版会
0 notes
textlab · 3 years
Text
올바른 마르크스, 그래서? 『Nyx』 第3号
Tumblr media
- 特集「マルクス主義からマルクスへ」
堀之内出版, 2016
佐々木隆治, 「マルクス研究の新段階としてのMEGA研究(仮)」
斎藤幸平, 「マルクスのエコロジーノート」
ケヴィン・B・アンダーソン, 「マルクスにおけるネイション、エスニシティおよび非西洋社会について」
ヘザー・ブラウン, 「マルクスとジェンダー」
平子友長, 「初期マルクスにおけるルソー・ヘーゲル問題」
小西一雄, 「資本主義の「金融化」と『資本論』草稿研究」
宮田惟史, 「マルクスのセー法則批判」
隅田聡一郎, 「マルクスの唯物論的国家論――「国家導出論争」再考」
羽島有紀, 「地代論再読の可能性」
アネリーゼ・グリーゼ, 「カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの自然科学研究におけるチャールズ・ダーウィン」
- 인문학 무크지 『Nyx』 3호. 특집은 두 가지로, “마르크스주의로부터 마르크스로”와 “왜 베토벤인가?” 물론 첫 번째 특집 때문에 구입. 특집의 주간은 일본의 “마르크스 연구회”이고, 여기에는 요즘 일본을 대표하는 마르크스 연구자인 사사키 유지(佐々木隆治)와 사이토 코헤이(斎藤幸平) 뿐만 아니라, 휴머니즘 계열 마르크스 사상가인 라야 두나에프스카야(Raya Dunayevskaya)의 (한국에도 정성진 교수가 번역한 『Marx at the Margin』을 쓴) 제자 케빈 앤더슨(Kevin B. Anderson), 그리고 손녀 제자 뻘이 되는 헤스 브라운(Heather A. Brown) 등의 논문도 수록되었다. 실려 있는 논문은 전부 11편으로 사사키 유지가 MEGA 2부 출판의 의의, 사이토 코헤이가 마르크스와 에콜로지 등을 다루었고, 그 외에도 민족주의, 젠더, 과학을 둘러싼 이해, 국가 도출 논쟁, 노동 조합 운동 등의 주제에 마르크스 경제학에 관한 논문들까지 꽤나 다양하다.
- 특집 방향은 제목 그대로 마르크스주의로부터 마르크스를 분리하려는 노력이다. 요즘 마르셀 무스토 등이 중심이 되어 진행되는, 소련의 영향에 따라 취사 선택된 것이 아닌, 마르크스 초고 전체를 출판하는 MEGA 2부 연구에 맞춰져 있다. 90년대 사회주의의 붕괴 이후 ���어졌던 사회주의의 갱신은 처음에는 마르크스-레닌주의에서 ‘레닌’을 떼어냈고, 다음에는 마르크스-엥겔스에서 엥겔스를 떼어냈던 기억이 새롭다. 요즘 나오는 마르크스 초고 연구는 이런 작업의 연장 선상에서 “마르크스주의”라 우리가 부르는 것으로부터 “마르크스”를 구해내자는 취지로 보면 좋을 듯. 그리고 구해낼 마르크스는, 책으로 완성되지 못한 그의 수많은 연구 초고들의 집합체인 셈이다.
- 이 과정에서 드러나는 마르크스의 모습은, 소련 마르크스주의의 그것과는 꽤나 다르다. 사사키 유지나 몇 편의 글에서 보이는 것처럼, 마르크스 초고에 담긴 고민은 자본��의의 내적 성격에 대한 분석인 『자본』에서 멈추는 것이 아니라, 이미 당대에 나타나는 자본주의의 변화, 확장된 모습에 다다르고 있다. 금융화, 세계화라는 양태를 주목하고 있고, 이것이 가져오는 식민지 민족해방운동과 새로운 의미에서의 공황 가능성 등에 대해서도 주목하고 있다. 당연히 자본주의의 내적 모순의 폭발인 공황이 쉽게 혁명으로, 자본주의의 패배나 종말로 이어질 것이라는 순진한 믿음은 존재하지 않았고, 새로운 진보의 가능성은 다양한 노동 운동의 성장, 러시아 식민지의 농민 공동체 운동, 가정이라는 식민지의 여성 운동 속에서 찾아졌다. 이런 태도는 지금의 좌파 래디컬과 비교하면 놀라울 정도의 유연성을 마르크스에게 제공하였다. 무엇보다 정세 마다 평가되는 ‘진보적 가치’를 중시했던 마르크스에게 ‘본질적으로’ 혁명적인 그래서 언제나 혁명적이거나 진보적인 존재는 있을 수 없었다. 예를 들어 제국주의 노동자의 투쟁이 어떻게 식민지 민족주의자의 해방 투쟁보다 역사에 반동적일 수 있는지 등에 대해 그는 예리하게, 그리고 예민하게 반응하였다. 이런 현장 정세에 대한 유연성은, 놀라울 정도의 이론적 엄격함과 함께 마르크스를 구성하였고, 이 중 어느 하나라도 놓친 마르크스의 상은 더 이상 마르크스 자신은 아닌 것으로 되어버린다.
- 이렇게 흥미 있는 특집이지만 그래도 읽다 보면 맥이 빠지는 책이다. 예를 들어 마르크스의 신용론을 다룬 논문은, 석사 때 일본 마르크스주의자들의 ‘신용론’ 논쟁을 연구하던 선배들의 모습을 떠올리게 해주는 즐거운 시간이었지만, 80년대 이후 본격화된 카지노 자본주의를 마르크스 신용론이 이미 예견할 수 있었다고 주장하는데 그러한들 지금 무슨 의미가 있을까? 물론 마르크스 팬보이로서 “우리 형/오빠가 틀릴 리 없어!”라는 만족을 줄 수 있을지도 모르겠지만, 그것이 시대에 대한 정교한 해법으로 이어지지 않는다면, 시대의 문제에 맞서는 진화한 다양한 고민을 대신할 수는 없을 것이다. 그럴 바에는 역시 아예 사이토 코헤이처럼 ‘마르크스는 에콜로지스트다’라는 식으로 크게 질러 대는 편이 매력적이지 않을까? 아니면 훈고학적인 접근으로 ‘마르크스학’을 하는 것이 아니라면 이런 논문들이 지금 이 세상에 어떤 기여가 될 것인가 싶어 짠해진다.
1 note · View note