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#植物と共に暮らす
surf3hrm · 2 years
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サーフスリーを会場に、イベントが開催されます! 植物好きな方、ぜひお越しください❣️ 当店のミキティ店長も、いつもの3倍くらい話が弾むことでしょう😆(笑) #Repost @hearts_plant with @use.repost ・・・ 7月10日(日) South Coast Plants Vol.1イベント開催🌵 植物を通して、新たなコミュニティが 生まれるイベントを7/10(日)開催します🌵 身近で同じ植物を育てている方と 繋がれる楽しいイベントを開催いたします。 イベントは、屋外でゆっくり植物のことを 語り合ったり、お客さま同士で育てている 植物を販売したり、植物以外でもさまざまなカルチャーを 知ってもらえる楽しいイベントにしたいと考えております。 ■個人、仲間で、お店での出店募集 個人のお客さまで、カキ仔、余剰株など お持ちの方、お店をされている方(ジャンル不問)の ご出店も募集しております。 スペースの空きも残りわずかとなりますので、 ご興味ある方はDMにてご連絡ください。 申込は、6/30(木)まで、スペースが 埋まり次第、募集を終了させて頂きます。 ■屋外でゆっくり楽しめる空間 会場では、ゆっくり楽しんで頂けるよう 大型のテント⛺️を設置します。 ゆっくり楽しんで頂ける試みとして 今回イベントにご協力くださる 焼肉若藤さまの「宮崎牛スジカレー」 700円、事前申込制で販売致します。 ランチと一緒にゆっくりご来場くださるとうれしいです。 イベント参加くださるお客さまは、 事前にDMでご注文をお待ちしております。 ぜひ、身近で植物を通して、南国宮崎から みなさまと一緒に楽しいコミュニティをつくりましょう🌵 たくさんのお越しをお待ちしております。 日時、時間 7/10(日) 10:00〜16:00 場所 surf3敷地内    (サンマリンスタジアム近く)    宮崎市大字熊野2278-8 駐車場 近隣の有料駐車場をご利用ください。     (徒歩すぐのところにサンマリンスタジアムが     あります。) イベントの出店内容など詳細は、 決まり次第、発表致します。お楽しみに🌵 #HEARTSPLANT #ハーツプラント #宮崎植物店 #宮崎サボテン #宮崎アガベ #宮崎ビカクシダ #サボテン #アガベ #ユーフォルビア #ビカクシダ #コウモリラン #多肉植物宮崎 #伝市鉢 #かみ山陶器 #カリフォルニアガーデン #ドライガーデン #ロックガーデン #オシャレ植物 #植物と共に暮らす #ビザールプランツ #珍奇植物 #宮崎 #宮崎市 #南国宮崎 #宮崎イベント #宮崎フェス #宮崎植物の会 #宮崎サボテンの会 #宮崎シャボテンの会 (Surf3(サーフスリー)) https://www.instagram.com/p/CfN7THBvZjU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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dai-mori · 4 months
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Dogenzaka, Shibuya, Tokyo / Jun. 2017
現像が追いつかないので昔の写真
土の匂いと言っても植物を植えるためのそれとは違い、下水道工事のためにアスファルトを剥がし掘り起こされた粘土質の湿った土の匂いというのはそれはそれで個人的に不思議と懐かしく感じる匂いで懐かしいと感じることの共通記憶で昔銀座で働いていたときの店のカウンターの中の匂いを思い出す。カウンターの中の匂いは伝えにくいけど「懐古匂」というのは意外と共通点もあって例えばオッサンバイク乗りであれば2ストの白煙の匂いとか、最もポピュラーなモノのひとつと言えば夕暮れ時にどこかの家から漏れ漂うダシの匂いとか、ね。目に見えたモノは写真や動画に残しておけるけど、匂いを保管出来る媒体はない。化学合成しフレグランスとして複製するくらいの技術はあるのだろうけど、懐かしい匂いって決して万人にとっていい匂いばかりとは言えないし刹那な感覚が記憶を刺激するわけで長くずっと嗅いでいたいわけでもないんだよね。
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astk-design · 15 days
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House in Shukugawa 夙川の家
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建て隣家に囲まれた旗竿型のコンパクトな敷地にあります。 プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指しました。 “大きな気積をもったドーム”と“適度に求心性のある平面”によって空間に包容力を持たせることで、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら心地良く過ごせる住まいを計画しました。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The "moderately centripetal plane" and the "dome with a large volume" give the space an inclusive feeling, so that even in a closed box, the client does not feel cramped, but can enjoy the beautiful greenery and light while living comfortably. The house was designed to be comfortable while loving beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box.
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⚪︎ロケーション
 立地は兵庫県西宮市。周辺は自然が豊かで古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリア。地価が高く坪単価も比較的高いため、土地が細分化され密集している地域も多くみられる。 敷地はそのような地域の旗竿型のコンパクトな土地であり、四方を2階建て隣家に囲まれた窮屈な印象があった。クライアントは、周辺環境の良さと幼い頃から慣れ親しんだ地域であるという点を重視しこの土地を購入された。
⚪︎要望
 クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
タイムレスで普遍性のあるデザイン
⚪︎デザインコンセプト
 プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指した。共有していただいた好みのインテリアイメージにはヨーロッパの空気感を感じるものが多く、意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まず敷地に対して可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、外に閉じた箱型の計画とした。内部でも自然や四季を感じ取れるよう、比較的採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りにリビングダイニングやキッチンなどのアクティブスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。  この住まいの最大の特徴であるホールは、外に閉じた住まいの中で窮屈さを感じることなく、家族や親しい人達と親密な時間を過ごせる空間を目指したものである。適度に求心性のある平面が団欒を生み、ドームの大きな気積により人が集まっても居心地の良さを担保できる。暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。  さらに完全にプライベートな空間である2階に対して、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を持たせることで、狭い箱の中に変化と奥行きを生み出そうとしている。床のタイル仕上げ、路地のテラス席のようなダイニングテーブル、吹き抜けに突き出したバルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトが醸し出す少し厳かな雰囲気、などの要素が相まって1階の空気感をつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として全体の照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最大限美しく感じられるように明るさの序列を整理した。また壁天井の仕上げは淡い赤褐色の漆喰塗りに統一することで、明るさを増幅させながら光の暖かさも感じられるようにした。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。
⚪︎構造計画
 木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。
⚪︎造園計画
 この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。
⚪︎照明計画
 ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。
⚪︎室内環境
 居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法
⚪︎まとめ
 近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。
⚪︎建物概要
家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa
⚪︎Positioning the land as the background
 Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.
 The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood.
⚪︎Requests
 The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
 To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
 To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
 To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
 The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
 Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied.
⚪︎Design concept
 The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)
 The hall, the most distinctive feature of this house, was intended to be a space that gently envelops time with family and close friends without feeling cramped in a house closed to the outside. The hall has a moderately centripetal plane that creates a sense of harmony, and a large dome-shaped volume that ensures a cozy atmosphere even when people gather together, giving the space a sense of inclusiveness.
 In contrast to the completely private space on the second floor, the first floor has a semi-public atmosphere even though it is a house, creating a sense of change and depth within the narrow box. The tiled floor, the dining table that resembles a terrace in an alley, the balcony-like landing that protrudes into the atrium, and the slightly austere atmosphere created by the dome and symbolic top light all work together to create the atmosphere of the ground floor.
 In terms of lighting, it is important not only to have brightness, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.
 In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space.
⚪︎Interior Environment
 A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.
 The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.
 The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator.
⚪︎Structural Planning
 Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs.
⚪︎Landscaping plan
 The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.
 The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium.
⚪︎Lighting Plan
 The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.
 On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space.
⚪︎Summary
 In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle.
⚪︎Property Information
Client|Couple
Total floor area|70.10m2
Building area|42.56m2
1floor area|39.59m2
2floor area|30.51m2
Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan
Zoning|Article 22 zone
Structure|Wooden 2 stories
Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad
Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring
          Walls: Marble Feel paint finish
          Ceiling: Marble Feel paint finish
Design Period|November 2022 - July 2023
Construction Period|August 2023 - March 2024
Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier
Construction| Minoru Construction Company
Landscaping|Ogino Landscape Design Co.
Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co.
Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co.
Dining table and sofa|wood work olior.
Dining chairs|tenon
Interior styling|raum
Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato)
Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co.
Text | O Kato
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koch-snowflake-blog · 2 months
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森 日菜美は、日本の女優、グラビアモデル。東京都葛飾区出身で、東宝芸能に所属する。 2022年時点で、日本大学経済学部に在学中だが、同年で留年が決定している。 ウィキペディア
出生地: 東京都
生年月日: 2001年3月30日 (年齢 22歳)
学歴: 日本大学
身長: 163 cm
事務所: 東宝芸能
血液型: B型
兄がいる。
実家は小松菜を栽培する農家であり、名前の「菜」の字も実家の家業からとられた。幼少期から見ている野菜の知識を極めようと「野菜&果物コンシェルジュ」の資格を取得した。小松菜を食べて育ったため、今のボディーがあると語る。
『種から植えるTV』出演時、農産物の収穫をするロケの際は、実際に父が使う農具を度々持参した。
自身の性格を"明るい"と分析する一方で、思ったことを即座に口に出せないタイプだといい、「あの時言っておけばよかったな」と後悔することもある。
趣味はボクシング、フィルムカメラ、水泳、スポーツ観戦。特技は野菜の栽培である。英検準2級を所持している。
20歳の誕生日の直前に実家を離れ一人暮らしをはじめた。『ゼンカイジャー』収録のため、毎朝午前6時集合の現場へ実家から通うのが困難であったことが理由。
食べ物ではお子様ランチやオムライスなど「小さい子が好きな食べ物」を好む。特に「お母さんが作った玉子焼き」が1番好む 。
女優とグラビアを同時にこなしていた吉岡里帆、今田美桜が憧れの存在。内田理央が醸し出すフェロモンに憧れており、森自身も出せるように内田の写真集を見て研究している。他には女優の綾瀬はるかにも憧れている。目標とする女優像は、バラエティやアクションなど何でもこなす「敷居が低い女優」「親近感のある女優」である
『ゼンカイジャー』で共演した下園愛弓とはプライベートでも仲が良く、姉のような存在である。
  
  
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hangorin · 9 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建て���れた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに��この公園全体を占拠していた���んて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスター��ちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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ss0014 · 4 months
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約半年ぶりに生まれ故郷の兵庫県に帰ってきた。 実家の家は小さな山を少し上がったところにある。
家の周りには自然がいっぱいあるけどずっとそこにいるので当たり前になって存在に気づいていなかったみたい。
今まで感じたことないような家の周りの植物を眺めて、 少し冷たいつんとした冬の空気を吸い込んだ。 こんな距離感で家の周りの植物を感じたのは初めてのことだと思った。
久しぶりに見た加古川もあんなに広かったけ。 小さな海みたいと思った。 夕暮れの光が川に反射して辺りが満ちていた。 土手のそばに咲いてるすすきもピカリと光って贅沢だと思った。 目をつぶってみると瞼のオレンジが光で透けてそれを眼球で 温かい温度と共に感じた、綺麗で心地が良いと思った。
たくさんのものは手で持てないから少しずつ手放したりして 自分の心地のいいもののそばにいたい。 感情だってそう、気持ちもそう。
風通しが少しよくなった気もする。
気持ちは色々。
今日はここまでの方がいいな。またね。 2024年に突入
2024.1.1 4:00
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今年読んで面白かった本まとめ。印象に残った文を添えて。特に順位とかはなく、読んだ順です。 ※リンク先はネタバレが多いです。
ゴーストランド / コリン・ディッキー
"私たちは死にきっていない者たちの間で生き、幽霊の都市に住んでいる。以前は意味も目的もあった建物が―家だけでなく、銀行や庁舎も―かつての意味をすっかり失い、それでもそこに残り、私たちに取り憑いている。可能な人はそこを立ち去り、新たな都市へ、まだ死者につきまとわれていないはずだと思う場所へ移動する。"
話の終わり / リディア・デイヴィス
"きちんと整理をつけたいとは思うのだが、私の頭の中はいつも混沌としている。一つの考えが別の考えに邪魔されたり、互いに矛盾していたりするうえに、記憶は往々にして捏造され、入れ替わり、省略され、混ざり合う。"
「美妙な死体」の物語 / レオノーラ・キャリントン
"時間を直線として考えるのは単なる偏見よ。だって何も直線でなくて、螺旋とか、折れ線、円とかなんでも私達が勝手に考えるような線も描けるんだから。時間というのは何か必ず始まりがあって終わりがあるものとして考え出されたものだもの。"
愛 / ウラジーミル・ソローキン
"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・手が"
国書刊行会50年の歩み / 国書刊行会
"あれは煉獄の焔で焼かれた本だから、カバーは燃えちゃったんですよ。"
アライバル / ショーン・タン
※この本だけ文字がないので引用なし。
こんとんの居場所 / 山野辺太郎
"俺も人間だったから知っているつもりだけど、人間の体も心も、自分で思っているほど頑丈じゃないってことがある。すっかりくたびれ果てて、何もかも投げ出してしまいたくなることがあるかもしれない。ただ生きつづけているだけでもつらい、なんてことがないともかぎらない。そんなとき、この島のことを思い浮かべてほしい。こんな生きかただってあるんだ。"
平ら山を越えて / テリー・ビッスン
"おかしなことに、アパラチア山脈は消えてなくなったが、その幽霊が道路にとり憑いている。"
生きづらさ時代 / 菅野久美子
"それって、すごいことなんだよ。人生は、確かに悲惨なことが色々ある。だけど、その一つひとつの選択が今の自分に繋がっているってこと、まずはそれを認めてあげて欲しいよね。だって今、生きているんだから"
共同体なき死 / 真鍋厚
"わたしたちが生きている快適性追求の時代は、中身を伴わない「死の情報」だけが氾濫する一方、「死の現場」を生活空間から周到に排除したことによって、実像ではなく虚像による不条理と付き合わざるを得ない新しいフェーズに入っているのだ。"
※以下、なぜかリンクを直接貼れなくなってしまったので(10個が限界?)タイトルにリンクしてあります。
死後を生きる生き方 / 横尾忠則
"僕の場合は目の前に死がちらほらすると、逆に死に対する恐怖というのは、あんまりないなぁと思うんですね。苦しんだり、痛がったりして死ぬのは嫌だけれども、そうでなければ、まぁ、悪くないんじゃないかなぁと思うわけです。"
インヴィンシブル / スタニスワフ・レム
"すべてのものが、あらゆる場所が、われわれのためにあるのではない――斜面をゆっくり下りながら、彼は思った。"
泰平ヨンの航星日記 / スタニスワフ・レム
"「人びとはそれほど不死を渇望してはいませんよ」すこし間をおいて、私はつづけた。「ただ死にたくない、と思ってるだけです。人びとは生きることを望んでいる。足もとに地面を感じ、頭上に雲をながめ、他の人びとを愛し、いっしょに暮らして、お互いのことを考えることを望んでいる。これ以上なんにもない。これを超越して主張されたものは、すべてうそです。無意識のうそです。"
今年は去年ほど読めなかったなあ。最近になってやや読むようになってきたので、この感じで色々読んでいきたい。買ったのに読んでない本はたくさんあるし…。
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surf3hrm · 2 years
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サーフスリーを会場に、イベントが開催されます! 植物好きな方はぜひお越しください。 当店のミキティ店長もいつもの3倍くらい話が弾むことでしょう😆(笑) #Repost @hearts_plant with @use.repost ・・・ 7月10日(日) South Coast Plants Vol.1イベント開催🌵 植物を通して、新たなコミュニティが 生まれるイベントを7/10(日)開催します🌵 身近で同じ植物を育てている方と 繋がれる楽しいイベントを開催いたします。 イベントは、屋外でゆっくり植物のことを 語り合ったり、お客さま同士で育てている 植物を販売したり、植物以外でもさまざまなカルチャーを 知ってもらえる楽しいイベントにしたいと考えております。 ■個人、仲間で、お店での出店募集 個人のお客さまで、カキ仔、余剰株など お持ちの方、お店をされている方(ジャンル不問)の ��出店も募集しております。 スペースの空きも残りわずかとなりますので、 ご興味ある方はDMにてご連絡ください。 申込は、6/30(木)まで、スペースが 埋まり次第、募集を終了させて頂きます。 ■屋外でゆっくり楽しめる空間 会場では、ゆっくり楽しんで頂けるよう 大型のテント⛺️を設置します。 ゆっくり楽しんで頂ける試みとして 今回イベントにご協力くださる 焼肉若藤さまの「宮崎牛スジカレー」 700円、事前申込制で販売致します。 ランチと一緒にゆっくりご来場くださるとうれしいです。 イベント参加くださるお客さまは、 事前にDMでご注文をお待ちしております。 ぜひ、身近で植物を通して、南国宮崎から みなさまと一緒に楽しいコミュニティをつくりましょう🌵 たくさんのお越しをお待ちしております。 日時、時間 7/10(日) 10:00〜16:00 場所 surf3敷地内    (サンマリンスタジアム近く)    宮崎市大字熊野2278-8 駐車場 近隣の有料駐車場をご利用ください。     (徒歩すぐのところにサンマリンスタジアムが     あります。) イベントの出店内容など詳細は、 決まり次第、発表致します。お楽しみに🌵 #HEARTSPLANT #ハーツプラント #宮崎植物店 #宮崎サボテン #宮崎アガベ #宮崎ビカクシダ #サボテン #アガベ #ユーフォルビア #ビカクシダ #コウモリラン #多肉植物宮崎 #伝市鉢 #かみ山陶器 #カリフォルニアガーデン #ドライガーデン #ロックガーデン #オシャレ植物 #植物と共に暮らす #ビザールプランツ #珍奇植物 #宮崎 #宮崎市 #南国宮崎 #宮崎イベント #宮崎フェス #宮崎植物の会 #宮崎サボテンの会 #宮崎シャボテンの会 (Surf3(サーフスリー)) https://www.instagram.com/p/CfN7THBvZjU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 5 months
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2023年11月30日(木)
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今日で11月が終わる。このところ朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、私の衣装も冬仕様だ。春・秋用の<襟巻ジバン>の上に冬用のボア付きを着てみると、これがポカポカと本当に暖かい。木曜日は昼には仕事を終えて退出、カレンダーをめくると残り1枚、最後の出勤は12/21(木)となる。他の予定は書き込んでいないが、週末はイベント続きで忙しい、さすがに<師走>というべきか。
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4時30分起床。
日誌書く。
大丸にお節を発注する。
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朝食。
弁当*2。
いつもなら朝食前に洗濯をするのだが、腰の痛みのせいかいつもと胃リズムが狂ってしまい、すっかり忘れていた。
プラゴミ、20L*1&45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着する。
木曜日1限は<共生社会と人権>の11週目、冒頭に先日NHKで録画しておいた<よみがえる新日本紀行>を見せる。
最初のニュータウン 〜大阪・千里〜
初回放送日: 2023年11月18日 昭和54年、大阪・千里ニュータウンを訪ねた新日本紀行を再び!日本最初の巨大人工都市の暮らしを住民でもある漫才トリオ・かしまし娘の正司照枝さんがリポートしている。 番組から44年、千里ニュータウンではこの20年ほどで団地の建て替えやマンションの建設が進み、新たに住み始める若い世代も増えている。正司照枝さんは90歳のいまも元気いっぱい。新日本紀行当時と同じ家に住み、近くにいる妹の花江さんが届ける食事を楽しみにひとり暮らしをエンジョイ中だ。この街の良さは昔と変わらぬ静かな雰囲気だという照枝さん。今回も味のあるナレーションで千里への愛を語ってくれた。
その後、今日のテーマは<性的マイノリティーの人権>、時間が無いので<LGBT理解増進法>の成立経緯の説明を朝日新聞の記事の参考に、<BIG ISSUE>の<ジェンダーの生物学>の紹介し、最後に高校生のトランスジェンダーの生活を追ったニュース映像を見せて終了。後のコメントで正反対の意見があったのが面白い。
水曜日の入力問題のチェック。
来週の<情報機器の操作Ⅱ(11回目)>の内容チェック。
弁当を食べ、カレンダーをめくって退出する。
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早い時間だが、今日も1号線の交通量が多い。
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長男が使っていた室内こぎのバイク(何と言えば良いのかわからない)が壊れているので大型ゴミに出すことにした。今週からWebで申込を受け付けるとのことだが、初めてなので仮登録した後でセンターに電話して本登録という流れになる。完了すると、受付番号と集配場所の地図が送られてきた。12/4(月)回収、手数料は1,200円、10kgごとに値段が違うのだが、よくわからないので<30kg未満>でお願いしたのだ。
保健協議会の仕事、12/16(土)の<移動式拠点回収>のチラシを各組長さん宅まで配付する。
ファミリーマートで、大型ゴミチケット(400円*3)を購入する。
腰の痛みは大分よくなったのだが、姿勢が悪かったのか、今度は右の肩から首に掛けて痛みが出てきた。
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冷蔵庫食材で夕飯準備、南アの赤ワインシリーズも3本目、今夜は<CABERNET SAUVIGNON>。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (25)まるごと群馬SP 豊かな自然と食 受け継ぎ守る人
初回放送日: 2023年11月23日 群馬県内各地の奥深~い仕事とランチをご紹介▽生産量日本一!だるまの産地、高崎市の工房をお弁当ハンターの阿部了さんが取材▽本州最大の湿原・尾瀬。貴重な植物を踏み荒らさないよう整備された木道。その修理、架け替えを担う人たちのパワーの源、山小屋で頂くチカラめし▽地元の子どもたちに大人気のレトロ遊園地。陰で支える副園長さんの秘めた思いとは?▽小麦の産地、群馬の新名物!高崎パスタ店の絶品まかない。
「落語研究会」のDVDから、「つぼ算」「住吉駕籠」桂米朝。60代前半、一番良い頃かもしれない。
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3日ぶりの入浴、桶を持ったり頭を洗ったりする動作がやりづらい。
今月の血圧、けっこういい数字だった。
右肩に湿布を貼って貰う。
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痛みが消えるまでは無理しないでおこう。
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koga-kty · 6 months
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2023.11.17 植物のことについて
植物の基本情報についてまとめました。擬人化のキャラ情報などはこの情報を参考に行なっていきたいと思います。モチーフとして選択した植物に関してはゼミ展での反省を活かし、それぞれ色が異なるものかつ名前は知っているけど見た目まではいまいち想像できないな…というものを選択しました。
にしてもここ最近クオリティレビューの授業が大詰めになってきており卒制との両立?というか割合があまりよろしくない。要改善です。クオリティレビューで制作しているものに関してはAdobeくんが復旧次第ブログにて共有したいなと思います。
【カーネーション(carnation)-赤】
- ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属(多年草)
- 学名:Dianthus caryophyllus
- 原産地:南ヨーロッパ, 西アジア
- 開花時期:2~5月
- 花言葉:(赤)母への愛
- 誕生花:6/15
- キリスト教に由来した花言葉が多いため愛情や感謝を伝えたい際のプレゼントに最適とされている。
- 「母の日」に贈る花として知られているが、1907年にアメリカでクリスチャンの女性が母の命日に白いカーネーションを教会で信者に配ったことが始まりだと言われている。
- 名前の由来として「肉色の花(肉はラテン語でcarn)」と「戴冠式を意味するコロネーション(coronation)が訛ってカーネーションとなった」などの諸説がある。
【アジサイ(Hydrangea)-青】
- アジサイ科アジサイ属
- 学名:Hydrangea macrophylla
- 原産地:日本
- 開花時期:5~7月
- 花言葉:(青, 紫)辛抱強い愛情, 移り気, 冷酷
- 誕生花:6/3
- 普段花だと思われているものは萼(ガク)。花だと思われているものは萼が変化した装飾花と呼ばれる部分。
- 花の色には土の酸度が関係しており酸性→青、アルカリ性→ピンクに寄る特徴がある(白系の紫陽花は酸度の影響なし)
- 花の開花から色がどんどん変化していくことから移り気という花言葉が生まれた。
【アネモネ-紫】
- キンポウゲ科アネモネ属
- 学名:Anemone coronaria
- 原産地:ヨーロッパ南部
- 開花時期:12~5月
- 花言葉:あなたを愛します, はかない恋, (紫)あなたを信じて待つ
- 誕生花:3/12
- 毎年のように新しい品種ができており、色や咲き方など様々。
- 日当たりの良い場所を好み寒さに当てないと蕾ができない性質がある。春の穏やかな風が吹き始める頃に花を咲かせるため英語で別名「Wind flower(風の花)」と呼ばれている。
- 草自体に毒を持っており、茎を切ったり折ったりした際に出た汁が肌に触れると皮膚炎や水疱を引き起こす場合がある。
- 花びらに見えている部分は萼で、実は花びらは存在しない。光や温度に反応して開いたり閉じたりを繰り返し、花の終わりになると開きっぱなしになる。
【キンセンカ-オレンジ】
- キク科キンセンカ属
- 学名:Calendula officinalis
- 原産地:地中海沿岸
- 開花時期:12~5月
- 花言葉:別れの悲しみ, 忍ぶ恋
- 誕生花:2/8
- 日本ではあまり定着していないが食用の花としても名を馳せており、古くでは自然の着色料としてバターなどの乳製品や様々な料理の色付けとして利用されてきた。
- 花びらを乾燥させた商品が「マリーゴールド」という名前で出回っているがキンセンカのこと。
- エディブルフラワーに分類され、皮膚や粘膜の修復、殺菌作用、体の内側の炎症の抑制など様々な効能があるため「万能ハーブ」「皮膚のガードマン」と言われている。
- 太陽に反応し朝になると開き夕方に閉じる性質があり、雨の日は開花しない。
【ドクダミ-白】
- ドクダミ科ドクダミ属
- 学名:Houttuynia cordata
- 原産地:東アジア
- 開花時期:5~6月
- 花言葉:白い追憶, 野生
- 誕生花:5/15
- 名前の由来として毒や痛みを抑える効果を持つことから「毒痛み」が転じた説とはの特有の匂いが毒ではないかと言われたことで「ドクダメ」と呼ばれるようになり「ドクダミ」になった説がある。
- 花言葉の「白い追憶」は子供の頃ドクダミを嗅いだことや怪我をした時にドクダミの葉で手当てをしてもらったことなどの暮らしの中にあったドクダミにまつわる懐かしい記憶が由来とされている。
- 昔から民間治療で重宝されていた薬草で、10の効能があると言われ「十薬」とも呼ばれている。
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kennak · 8 months
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相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件は、26日で発生から7年を迎える。元職員の植松聖死刑囚(33)は優生思想を動機とした一方、当時も園に導入されていた「指定管理者制度」を問題視する人たちがいる。施設の運営を民間に任せる仕組みを障害者支援の現場に取り込むのは妥当か。あの事件との関わりをどう考えるべきか。(宮畑譲) ◆指定管理者に委託からわずか3年、入所の弟が窒息死  「県営時代は職員と入所者の親族との信頼関係が強かった。自由にものが言えたし、園に細かな要望を出して通っていた。民営化された後は、それまで担当していた職員の方がみんな異動してしまい、そんな雰囲気はなくなってしまった」  津久井やまゆり園に弟が入所していた星野泰子さん(82)は、民営化前後で生じた変化をこう感じる。  同園は重度知的障害者のための入所施設として1964年、神奈川県が全国的に先駆けて設立した。2003年に国が指定管理者制度を創設すると、県は05年、社会福祉法人「かながわ共同会」に委託した。  民営化から3年目の07年、星野さんの弟は食事中に物をのどに詰まらせ、窒息死した。植松死刑囚の事件から9年前のことだ。亡くなった時は59歳。入所から約30年、食べ物をのどに詰まらせることはなかったという。  「障害者施設では人が直接、サービスに関わる。人間関係が大事。障害がある人は関係性をつくるのに時間がかかる。担当の職員が代わると困るんです」 ◆施設と入所者家族の話し合い激減、事件で途絶える  弟は障害の影響もあり、よくかんで食べるのが苦手だった。職員が状態を把握して注意を払っていれば事故は起きなかったのではないか—。星野さんは今でもそう思っている。  そもそも民営化後、食事の内容が変わった。弟は口に合わない食べない物が増え、亡くなる直前、ずいぶん痩せてしまっていた。  県営時代、星野さんをはじめ兄弟姉妹が入所している人たちで「兄弟会」をつくり、月に一度、園と話し合う機会を持った。そこで改善点などを要望した。  こうした活動は民営化後、事情をよく知る職員が異動で次々といなくなったこともあり、下火になっていった。星野さんは弟が亡くなった後も、環境改善を図ろうと園に通い続けた。しかし、これまであった報告や連絡は植松死刑囚の事件後に途絶えた。 ◆元職員「民営化で障害者支援は後退」  障害者支援の現場に民営化がなじむのか。津久井やまゆり園の元職員、太田顕さん(80)も疑念を抱いてきた1人だ。04年3月に退職する以前から、民営化に反対していた。   鎮魂のモニュメントで献花し、手を合わせる人たち=2022年7月26日、相模原市緑区の津久井やまゆり園で  「賃金カット、経費節減のためだろう。退職直前から非正規職員が増えた。障害者支援のいろんなものが後退したと感じている」  太田さんが働いていた当時、津久井やまゆり園は県職員労働組合における福祉部門の拠点のような存在だった。活動を通じて、入所者の生活向上を目指した。  民営化後に組合員はばらばらになり、活動はかつての活発さを失ったという。  「県当局は指定管理者制度を導入することでコストカットと同時に組合つぶしを狙ったと思っている。利用者の幸せを追求する本当の福祉行政ではない。ただその責任は県だけでなく、指定管理者制度を創設した国にもあると思う」  先の星野さんは、植松死刑囚の事件に触れた上で「指定管理��制度の導入が影響していたような気がしてならない」と話し、きめ細かさが失われた状況がどう関わるか、思いを巡らす。 ◆委託取り消しが怖い...トラブル隠しなど密室化の恐れ  民営化が事件や虐待などに直接つながるとは、必ずしも言えない。しかし民間委託することで、施設内のトラブルや問題が明るみに出づらく、行政が把握しにくいという難点もある。行政の管理が間接的になる上、委託の取り消しを恐れ、受託する側の報告が後手になる可能性があるからだ。  植松死刑囚は事件前から「障がい者は生きていても意味がない」「安楽死させた方がいい」といった発言をしていた。他人を傷つける可能性があるとして一時、措置入院もされた。これらを園は把握していたが、県に報告していなかった。  園がこうした対応に終始した背景に指定管理者制度の弊害があると指摘するのは、神奈川県の元福祉職の松尾悦行さん(71)だ。  「モニタリングが形骸化しやすい。直営であれば、何か問題があった時、施設の幹部は自分だけの責任にしたくないものだ。もっと早く報告して別の対応を取る可能性はあったのではないか」と振り返る。  さらに「民間事業者は公の介入を求めないし、行政の関わりも控えめになる。民間の力を生かすということと、運営指導が両立しにくく、お互いの責任が曖昧になりやすい」とも。  一方で、神奈川県が運営する障害者施設「中井やまゆり園」でも、多数の職員による虐待などが判明している。松尾さんは障害者支援で問題なのは民営化だけでなく、現場の労働環境も見過ごせないと説く。 ◆待遇悪く定着しない だから職員も育たない  「施設のケア労働では利用者と24時間、暮らしをともにする。未熟な職員自身が利用者、同僚、上司と接して変わっていく。これが面白さであり、やりがい」。その半面、密室の権力関係ができ、支援が容易に人権侵害に転化しやすい面もはらむという。  「非正規雇用が多く、賃金は安いので、求人は多くても定着せず、支援の専門性、実践力は高まらない。これでは指導する中堅職員も育たない。いつまた虐待など事件が起きてもおかしくない。そうした土壌は広がっているのではないか」 ◆小泉政権のコスト削減策に巻き込まれた  指定管理者制度は2003年の地方自治法の一部改定で創設され、公共施設の運営を民間に委託できるようになった。時は小泉純一郎政権。「官から民へ」の旗振りの下、民間の力を活用し、効率的なサービスの提供を図ることが目的とされた。法改定は小泉氏肝いりの総合規制改革会議の答申が元になっている。 2002年12月、総合規制改革会議に出席する(右から)石原伸晃行革担当相、小泉純一郎首相ら(ともに当時)  北海道大の宮脇淳名誉教授(行政学)は「公民館やホールといった、箱物の運営の無駄を見直すという視点で始まった。それが、社会のセーフティーネットの一つである重度障害者施設にまでコスト競争が入り込んでしまった。適用すべきでないものまで含まれていた」と話す。  障害者施設のコストの大半は人件費。7割を占めるとも言われる。コストカットはサービス低下に直結しうる。「福祉の仕事は人件費のかたまり。公民館やホール、スポーツセンターなどの運営とは分けて考えるべきだ」と宮脇氏。  事業の公共性の判断が自治体任せで、検討が不十分なまま、コストカットありきで民間に委託している面があると問題視する。  「指定管理にするかは、自治体に任されている。国の役割が希薄で、制度的に放置し過ぎているのではないか。重度障害者施設のように根本的になじまないものもある。地方自治という名の下に任せきりにせず、国が主導して一定のルール作りをするべきだ」 ◆デスクメモ  物価高の中、どの職場もコストカットは人ごとでない。ただコストを削ればゆがみが出る。人手を減らせば残る人に負荷が。余裕がないと深刻なミスが。募るいらだちは誰かに向きかねない。新たな悲劇が起きてからでは遅い。コストカットに傾きがちなお偉方ほど、よく考えてほしい。(榊)
障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年 元入所者家族は、元職員は何を思う:東京新聞 TOKYO Web
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ogawa-xd · 11 months
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サピエンス全史2
第二部 農業革命
第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
1万年前、サピエンスは狩猟採集から農耕へと生活スタイルを変えた。農耕と平行して家畜化がはじまったが、それらは要するに自分以外の動植物の生命を操作することだった。サピエンスはそれに夢中になった。今でも。
BC9000小麦の栽培ヤギの家畜化、BC8000エンドウ豆レンズ豆、BC5000オリーブ、BC4000馬、BC3500ブドウなどが栽培ないし家畜化されたが、それらはさまざまな地域で同時多発的に起こった。
農耕は定住を強いた。農耕・定住によってサピエンスは平和と安寧を手に入れた、といったイメージをしやすいが、そうではなくそれはむしろ困難で満足度のかなり低いものだった。
小麦や家畜から見れば、人を家畜化して自己の種の繁栄をはかったとも考えられる。なにしろ現代の世界の小麦の作付面積は日本の6倍もある。農業革命は史上最大の詐欺であった。サピエンスは、個体数の増加という種として最大の目的を達するためにこの詐欺に乗った。
実際、狩猟採集は多くても100人程度の群れであったが、農耕・定住なら1000人の村を作ることも簡単だ。そして、いったん個体数が増加したなら、もう狩猟採集にはもどれない落とし穴の仕組みになっていた。
また農業革命はサピエンスにとって、「贅沢」という名の罠でもあった。実際には必要量と収穫とはならせばせいぜいトントンであったが、「たくさん収穫できれば、楽になり子供も増やして安心して暮らせるだろう」という幻想を抱かせた。サピエンスはこのとき「願望を抱く」という甘美な果実の味をはじめて知ったのかもしれない。
これは「楽を求めて、より大きな苦難にはまる」という、サピエンスのダメパターンで、歴史はこれを繰り返している。
フーコーの「奴隷と主人」の話しを何となく思いだす。
個人的見解。虚構にせよ願望にせよ、ことの真偽よりとにかく集団で何かを信じ、夢見ることがサピエンスの真骨頂だったのだろう。それはもちろん言葉の働きに負っている。
第6章 神話による社会の拡大
狩猟採集の時代の500〜800万人ほどだった人口は、農耕移行後2億5千万にほどに膨れ上がった。広大な大地を家としていた人がほんの小さな小屋に住み、やがてそれを愛するようになった。さまざまな道具も増え、そこに縛り付けられた。
農耕民は暮らす空間が縮小する一方、時間は拡大した。そして「未来」がより重要になり、同時に未来に対する不安も芽生えた。しかしこの不安は手を打てる不安でもあった。その対処が、たとえば社会体制の確立に向かった。
■想像上の秩序
余剰食糧と輸送技術により、村落は町に町は都市に変わった。100万人を超える都市/王国では、人びとは何らかの「合意」を形成する必要がある。そこでは「神話」が「想像上の秩序」として、その役割をになった。
紀元前1776の、ハンムラビ法典は、「バビロニアの社会秩序が神々によって定められた普遍的で永遠の正義の原理に根ざす」と主張する。人は二つの性と三つの階級(上層自由人、一般自由人、奴隷)に分かれ、それぞれの人の価値はみな違う。
紀元後1776の、アメリカ独立宣言は、英植民地であった北アメリカ13州の住民は「もはや英国王の臣民ではない」と宣言した。そして宣言は言う。「我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。」
しかし、これらはどちらも間違っている。ともに「普遍的で永遠の正義に支配されている」と「想像した」にすぎない。そういった普遍的原理は「神話の中」だけに存在するのであり、客観的正当性はない。
「生物学」という「科学」によれば、人びとは造られたのではく進化した、のであり、「平等に」なるように進化したわけでもない。生物学的には権利などというものはなく、あるのは器官や能力や特徴だけだ。鳥は飛ぶ権利があるから飛ぶのではなく翼があるから飛ぶ。自由も幸福も、人間の想像の中にしかなく、すべては想像上の秩序にすぎない。
こういった秩序/神話は、皆がいっせいに信じなくなった途端に消えてなくなる。
社会秩序が軍隊によって維持されているとするなら、軍隊の秩序は一部の指揮官と兵士が、神、名誉、母国、男らしさ、お金などを心から信じている必要がある。
その他
• 想像上の秩序は物質世界に埋め込まれている。
• 想像上の秩序は私たちの欲望を形作る。
• 想像上の秩序は共同主観的である。
私見。
ハラリは「想像上の秩序を乗り越えるには、それに変わる想像上の秩序を信じなくてはならない」という。
しかし、人には「想像上の秩序」が必要「だった」のかもしれないが、ここまで読み解かれてみるともはや、そういった補助輪を外してもいい頃ではないのか、という気もする。
コンピュータネットワークやAIの進展は、我々のこの秩序が、想像上のものであるという事実を我々につきつけているように思う。
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yoshratempel · 1 year
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実家の小さな庭に出て煙草を一本吸い、それから庭や玄関の植物に水をやる。やり方が完全に合ってるかどうかわからない。けど多分あってるであろうやり方で水をやった。ここの描写にこんなに文字数を使う必要は正直言ってない。
玄関に出る前は台所で焼飯を作って食べる。
にんにく、玉ねぎ、人参、豚バラ、塩、塩こしょう、黒こしょう、醤油、キャノーラ油、ラー油、昨日か一昨日使った青ねぎの残り、冷蔵庫の刻みねぎ、胡麻。
庭の家の土台の通気孔的な空間に蜜蜂が巣を作っているらしくかなりの数の蜜蜂が窓の辺りに飛び交っていてやや異様な光景。駆除、と一瞬考えたけれど群をなしているのは危険な害虫などではなく蜜蜂な訳だし放っておいてもいいと考える。人間同士の共存や非戦を類推する。
狭い敷地で、学生生活を送るには恥ずかしく思ったりしたのだけれど、ミニマルな目線で見ると植物や虫、地面など何というか広い世界、情報量の多い庭世界、とは言えど、町内や校区から眺めてみて狭い敷地の小さくて外観のボロい家という客観的事実は変わらず書き手を憂鬱にさせる。小さい家と尊大な父親と気力を欠いて反抗心の乏しい息子。繰り返し書いているのだが別の街での大学生活を終え実家に帰省している。
部屋に戻り木村カエラの武道館ライブの続きを観る前にこの文章を書いている。PCのSpotifyから自分の選んだハイセンスな音楽を流しながら。今流れているのは電化マイルス。ブラック・ミュージックを聞くのがハイセンスというのはしかしどういう算段なんだろうか、でも実際お洒落であるし、音楽的に栄養価が高い感じがする。自分と同世代やちょっと上の世代のユースがはまっていたヒップ・ホップもやはり黒人音楽であって、今こうやって電化マイルスを聞きまくっている自分の現況への伏線であった。
注いで時間の少し経った緑茶(ペットボトル)はマズい。ちゃんと味が劣化する。当たり前だけどそういうのちゃんと認識すべきだ。気付かない時が自分は時々ある。注いでから少し時間が経った緑茶(ペットボトル)はマズい。しっかりと味が劣化するのだ。飲まないでおこう。認識せねばならない。
文字を書いたり読んだりする時だけに訪れる感覚の変化、推移。人間、じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはある。この現代社会。じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはあるのである。
庭の、敷地狭いながらも情報量の多いミニマルな庭世界。植物、虫、地面、それから台所で自分が料理し、胃袋に投げ込んだ食材・調味料たち。調理器具類。水、ガス、空調。親の労働とサラリー。この家や庭の外側の世界で行われる労働の賜物。図鑑。水道を作ったりガスを家庭に引いてきたり、エアコンを開発、改良したり、食材を発見したり狩ったり飼ったり屠ったり、出荷したり、運送したり、流通させたり、スーパーで売ったり、僕この手の話苦手なんすよね(^_^;)
虫を図鑑まで移送したり、植物の中で食べられるものを育て、育て方を改良し、刈り取り、出荷し、運送し、流通させ、スーパーで売る。
食べられない植物も一応図鑑に移送する。
肉や植物の料理の仕方を発明し、改良する。
水やガスを家庭まで引いてきて、改良する。
調味料を発見し、交易し、生産・流通・販売・購入・消費する。
庭の地面は砂漠やカリフォルニアみたいに乾いていて、もしここを耕そうという気持ちで庭の地面を見てみたとしたならば、かなりがっかりしただろうと思う。この乾いた地面、庭の乾いた地面がどこか別の遠くの場所の地面のアナロジーだとしたらという映画的論理の飛躍に映画鑑賞者的な興奮をしてしまう。
この庭の乾いた地面と同じく乾いたどこか遠い国の遠い場所の地面では今この時何が起こっているのだろう。そこに人間はいるんだろうか。
人間がいたとすれば、人間は、複数いるならば人間たちは何をやっているのだろうか。
今この瞬間にせよ、もう少し長い時間感覚で人間たちは、うちの庭みたいに乾いた地面の上で人間たちは今この瞬間、あるいはもう少し長い時間感覚でどのような営みを送っているのだろう。あるいは人間の性質ゆえに戦い、あるいは年齢や性別に基づく序列を形成したり、家族、町を作り、政治体系を形成し、暮らしているのかも知れない。自分はメシと庭の水やりを終えたのち自室に戻りSpotifyでハイセンスな音楽を再生し聞きながらこの文章を書いてます。ギャラは発生してない。趣味で自主的に文章を書いている。文学部にいたし、時々文章を読んだり書いたりするのが好きだから。ギャラは現時点では発生してないが村上春樹とかロッキンオンとか映画とかその他諸々ありがたい現代的な視点から見てありがたいイコンや話法を参考にし下敷きにして書いている文章なので、その文学的価値を認めて誰かギャラを払ってくれても良い。払ってもらえる場合は、ケチな額よりも派手な値段の方がいい。と自分は思う。
デカいマンションやテレビの中の芸能界、バブル景気や高度経済成長期の残骸が生んだ経済的な価値観。金はないよりある方がいい。ないならないで極限みたいな貧困状態でなければ別にいい。ブックオフでCD買っても、晩酌発泡酒でも、別にいい。とは言え少し気力が削がれる気がしなくもない。ブックオフでCD買うことや晩酌を発泡酒で済ますことが、自分の何かを騙している感じがしなくはない。
極限的な貧困状態でなければいいと書いたが、人間の本質は極限的な貧困状態にあるのかもと最近ちょっと思う。自分はお笑いや笑うこと自体が好きなんでよく笑っている。テレビや本や歌や映画や自分の頭の中とか。そうすると貧しさや弱さ、暗さから一時的に目を逸らすことができる。「お笑い」というのは笑うしかない、笑えないほどしんどく、タフで過酷な状況、笑いがないと、笑いでもないとやっていけない状況に対する救い、救援物資のようなものだと自分は考えている。偉そうに言わなくてもそうなのかも知れない。その辺自分は時々よくわからんでズレてしまう。昔、何かのお笑いの芸で初めて笑った時以来。タフな状況にいる人々のための救援物資。
極限的な貧困状態。将来設計。社会問題とそれを自分の問題としてしまう想像力。他者や社会の問題に使う想像力とは言わば免疫の低下であって、引きこもりには引きこもらせておき、いじめられっ子にはいじめられさせておき、援助交際、レ◯プ、セクハラなど女性に関するセックスの諸問題も放っておけば精神衛生はもっとずっと綺麗に保たれたままなのである。
極限的な貧困状態、将来設計、社会問題と精神衛生。企業ロゴ、テレビ的幸福、テレビ的コモンセンス。排除されるマイノリティ。天才テレビくんたち。マンション建設によって奪われる心の豊かさ的なお話。ヒューマン・ビヘイビア、ミヒャエル・エンデ、金八先生、カッコいい仕事とダサい仕事。映画。
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narumemo · 1 year
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スラムダンクと部屋を飾るのが楽しい話
昨年末、2023年は日記を書くぞ!と意気込んでから早3ヶ月…… 相変わらず三日坊主ですらなくて自分でも笑ってしまう。 苦手なものは苦手なのだからもう仕方がない。 日記なんて別に仕事でもなんでもなく誰に強いられてるでもないんだからいいんだけど! 1月 年明けに実家に帰り、家族や親戚や高校時代の友達に会ったりした。 実家から関東に戻ってからは割とすぐに引越しをした。 大学生になるタイミングで上京してから6回目となる引越しだった。 毎度毎度、ダンボール10箱くらいの荷物で身軽でいたいと思うのに、年々ダンボールや家具の数が増えていて、10箱生活なんて夢のまた夢だ。 猫と一緒に引越すのは2回目だったが、今回もすぐに新居に慣れてくれた。 図太めな猫で大変助かる。いい子!
2月 以前からお付き合いしていた方と結婚した。 両親や周りの人たちがみんな喜んでくれて嬉しかった。 もともとSNSなどではなんとなく報告しないつもりだったのだが、なんとなく報告してみたらたくさんおめでとうと言ってもらえて嬉しかった。 わたしは一人暮らしの生活が長かったのでいろいろな不安もあったが、今は毎日一緒にご飯を食べたり���活を共有できる人がそばにいるというのは良いものだなあ、としみじみ感じている。
3月 確定申告も無事に終わって、新生活にも慣れてきた。 引越ししたことによって仕事部屋が前よりも少し広くなったし、もう今後はそんなに頻繁に引越すこともないだろうなあと思うと、だんだん部屋を自分の好きな空間にしたい欲が湧いてきた。 これまでもわたしは何度も部屋に好きなものを飾りたいと思ってきたのだが、引越しの際にまた梱包したり仕舞ったりだのがあると思うと億劫だったり、飾るだけ飾ってほったらかしでホコリのつもったフィギュアなどを見ると自分の愛情のなさを目の当たりにするようで悲しくなったりして、結果的にずっと何も飾らない質素な部屋に住んでいた。 というわけで1つのネックであった引越し問題がとりあえずなくなったので、最近は部屋を好きなもので飾ってみているのだが、これが楽しい。
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パソコンまわりは今こんな風になっている。 前からパソコン机ともう一つアナログ作業ができる机がほしいなあと思っていたので、最近天板と脚を買って自作した。 パソコンや液タブの配線も今までぐちゃぐちゃだったのを天板裏にまとめて固定したりして、見栄えもかなりすっきりして良くなった。 有孔ボードは気軽に模様替えができるし、CDや本やフィギュアや植物などいろんなものを飾れるのがすごく良い。
昨年末頃にスラムダンクの映画を観て、友達から漫画を借りて読んで、めちゃめちゃにハマって、自分でも漫画を買って、先日2回目の映画を観に行った。 なんておもしろいんだろう…スラムダンク… 今までも気にはなっていたのだけど、映画化されていなかったらこんなにハマっていなかったと思うので、映画化してくれて本当にありがとう!!という気持ちです。三井寿が大好きです。 (わたしは屈折から前を向くキャラクターが好き) 今回の映画はりょーちんが主役でTHE FIRSTということは、これから他のメンバーを主役にしたSECONDやTHIRDもあるのかもしれないと思うと、楽しみでなりません。 スラムダンクをまだ知らないという人も、映画を先に観てみてそれで気になったら漫画を読んでみるというのも大いにおすすめです! 会う人会う人にスラムダンクの話をしてしまう。 久しぶりに熱量を持って何かを好きになれて嬉しいんだ。。 再アニメ化はされないのかなあ…どうなのかなあ… 今わたしの最も熱いコンテンツ、それはスラムダンクです。
…という近況でした。わたしは元気です。 また気が向いたら日記を書こう。では!
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psalm80-lilies-iii · 1 year
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安保闘争を総括する
安倍さんが殺されたときそれを素直に悼むことができなかった人たちが一定数いたけれど、ぼくはその人たちの共通項を「自分の中で安保闘争を総括できなかった人たち」だと思った。
ぼくのように「日本はロシアとも中国とも戦争をした歴史がある以上、日米安保がなければ日本はあっという間にロシア・中国・北朝鮮の手で焼野原にされてしまう」と思っている人間にとって、突き放したところから安保闘争を総括するのはとても簡単なことだけれど、安保闘争をわがこととしてたたかった人たちからすれば、それではことの是非ではなく単なる結果論、一種の後出しじゃんけんみたいなものに過ぎないと言われるのかもしれない。
それで、少し別なことを考えてみるのだが、安保闘争が左翼運動であったとき、それはすべての左翼運動がそうであったように「文明批判」だったと思うのである。今日新左翼の人たちはたとえばジェンダー問題、環境問題あるいは脱原発に熱心だったりするけれど、それはそれらが今日における「文明批判」のトピックのひとつだからである。
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では、文明批判としての左翼思想・左翼運動の源流はどこにあるかというと、ぼくはヨーロッパにおけるキリスト教会批判だと思う。「第一身分」、聖職諸侯としてのキリスト教会に対する批判が、ヨーロッパにおける左翼思想・左翼運動の出発点だと思うのだが(そして左翼運動の源流を中国やインドやムスリム世界やアフリカやマヤ・アステカ・インカに求める人々はたぶんいない以上、左翼思想・左翼運動はヨーロッパで始まったという認識でいいと思うのだが)、市民革命を経て封建諸侯が打倒された世界において、キリスト教会を牛耳ったのは今度はブルジョワたちだったから、左翼思想・左翼運動の標的は、「封建諸侯からブルジョワジーに移った」と言える一方、「キリスト教会批判であり続けた」という言い方も可能だと思う。
聖職諸侯の時代にキリスト教会自体がいまで言う「資源」(土地・資本・労働力)のすべてを自前で所有していたということと、市民革命以降のキリスト教会が土地建物以外のすべての収入をフローとしての献金で賄うようになったこととの差異って、クリスチャンじゃない人にはあまり強く意識されないのかもしれないが、大事なことは「それにもかかわらず支配原理としてのキリスト教が目の敵にされ続けた」ということである。「すべてを奪われたはずのキリスト教会がなぜ収奪し続けられるのか」というのは、19世紀の左翼の人たちにとっては決して小さなことではなかった。そこを何とかしない限り、世界は「プロレタリアート」のものにはならないのである。
その時、19世紀から20世紀の左翼の人たちが考えていたことは「新しい共同体の創設」だった。キリスト教教会共同体に代わる新しい共同体を創設する、その基礎となる考え方を模索することが、共産主義(コミュニズム、もちろん「コミュニティ」という言葉からの造語である)の目的だったのである。コルホーズとかソフホーズとか人民公社とかいうのは、生産プロセスのあり方の話でもあるけれど、そこに暮らす人間の共同体のあり方でもあったし、それは決してもののついでの話ではなかったのである。
だが、生産プロセスとして設計された共同体は生産プロセスとして成立しなければ人間の共同体としても成立しない。そうやって国家レベルでの共産主義の実験が失敗したとき、左翼思想・左翼運動は「キリスト教教会共同体に代わる共同体の創設」といういわば「ほんとうの目的」を喪失したのである。
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安保闘争に関わった日本の左翼青年たちは、非キリスト教圏に生まれたために、左翼思想・左翼運動がほんとうは何を目指しているのかを理解することがないまま、国家レベルの共産主義の失敗を受けてただ文明批判として先鋭化していった外国の左翼思想・左翼運動を断片的に受容するのにとどまったのだ、と、ぼくはいまクリスチャンとして、乏しい基礎教養なりに歴史を俯瞰して、思う。
だから、「日本の現代史の問題として」安保闘争を総括するということと、「日本における思想史の問題として」安保闘争を総括するということとは少し趣を異にする。「日本の現代史の問題として」なら、安保闘争は日本の外交・安全保障の根本問題に対してたかったハエみたいなものとして最終的にはみんな追い払われてしまいました、というぐらい冷淡な理解で十分だと思うのだが(もう少し敬意を払った言い方をするならこうだ、「歴史が動いていることを理解できなかったのはなぜだか年寄りではなく若者の方でしたがそれは大東亜戦争が総括されなかったことに対する若者たちのやり場のない義憤が結果的に言えばまちがった場所で噴出してしまったからでした」)、「日本における思想史の問題として」考えるなら、それを通して若者たちは、新左翼という「何に使うのかよく分からない刃物」で試しにいろんなものを切ってみて、ひとによってはそれなりに道を切り開くことができました、という話になってくる。だから、思想史の問題としての安保闘争を(それを「安保闘争」と呼ぶべきなのかはさておいて)「まだ続いているんだ」と言う人がいたとしても、それはそれでありかもしれないと、ぼくは思う(ちなみに、ぼくの言う「文明批判としての左翼思想・左翼運動」の本筋としてのキリスト教会批判が戦後日本でどのように展開されたかを扱ったのが、ぼくの「新左翼という『蝗害』」という文章である)。
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その上で、ぼくは思うのだ、文明批判としての左翼思想・左翼運動を総括して���くのはキリスト教教会共同体の責務だ、と。「下部構造が上部構造を規定する」、きっとそうなのだろうけれど、キリスト教教会共同体を成立させてきたのは、やっぱり生けるまことの神ご自身なのである。「それを認めることは左翼思想・左翼運動の敗北だ」と、生粋の左翼の人たちは思うのだろう。だが、あなたがたを生かしたのも実は父なる神なのである。神は唯一の神だからである。マルクスを興しレーニンを興しスターリンを興し毛沢東を興したのも造り主なる神なのである。「私たちに共同体が必要なのであればそれはキリスト教教会共同体以外ではあり得ない」ということを全人類が理解するために壮大な犠牲が必要だったのだ、と言われて納得できない人はもちろん多いだろうけれど、「じゃああなたはその犠牲なしにあなた自身いままことの神に立ち返ることができていますか」ときけばもちろん大多数の人が否と答えるしかない。私たちが学ぶためには犠牲が必要で、それは私たち自身ひとりひとりがあまりに愚かだからなのだ。私が愚かだから、誰かの血が流れるのだ。その血が流れるのを止めるには、私がまことの神に立ち返るしかないのだ。
高ぶる者を低くされる神は、キリスト教会が聖職諸侯として人々の上に君臨することも、あるいはブルジョワ教会が植民地の犠牲の上に教勢を誇ることもお許しにはならなかった。キリスト教会が民主的でなければならないのは長老制や会衆制だけでなくカトリックのような監督制の教会でも同じである。「私たちは新しくされなければならないのだ」とクリスチャンたちが決意してこそ、左翼の人たちのように見た目は自分たちからいちばん遠いところにいる人たちが「ああ、私たちが待ち望んでいたのはまことの神による平和で平等な教会共同体だったのだ」と確信できるのである。ぼくはそう思う。すべての人が帰って来れる場所になること。私たちの教会は、残念ながらまだ決してそういう場所ではない。
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yachch · 1 year
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめている��、ふと、半年くらい前にお��じ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。  それだけ言うと、また押し黙ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう?  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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