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#夏目漱石『こころ』
kuribayashisachi · 8 months
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拙勉強メモ
野口良平『幕末的思考』第3部 第2章-3に著者様からお返事頂いてしまいました!
日本じゅうがひとり歩きした天皇制にからめとられ、「優勝劣敗」なんてことを大真面目に言い出し、青年たちも成功ドリームに我を忘れてゆく明治20年代。
そんな中で、理想を語り合う仲間も見失った透谷は、一人で考え苦しみ、死んでしまいます。
本当の自由とは、あるべき社会とは……。 弱くて強くてでもやっぱり弱い人間の心こそ、基本では……?
透谷は本当にひとりぼっちだったのか。
彼と課題を共有し継承した人はいなかったのか? 著者は、夏目漱石『こころ』を取りあげます。
その探求の背景や思いなどをお便り頂きました。 一人で読んではあまりにもったいないので、ご許可を頂き、個々に共有いたします!
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■ 野口良平さまよりのご返信
言ってみたかったことは、漱石の『こころ』は、透谷の苦闘に一矢報いているところのある作品として読めるのではないか、ということです。
透谷の敵はバケモノだった。 しかし、そのバケモノの生命は、やはり有限である。 漱石はそのバケモノの像を、自らの生命の限界を自覚した存在として造型しようとした。 そのことを通して、透谷の戦いが妄想や幻覚として片づけられてよいものではなく、生きた人間の、血の通った戦いだったことを、いわば「証明」しようとしたのではないか、と。
これは、もちろん私の読み方でしかありません。 それに、こんなふうに『こころ』を、また漱石を読もうとしている読み手は、そんなにはいないのではないかと思います。
それでも、『こころ』には、また漱石には、そういう読解に開かれた何かがあることも、また確からしく思われるのです。
私にとって励ましになったのは、松元寛、森谷篁一郎、の二人の著作でした。(どちらも漱石の専門家ではありません。)
松元さんは、シェークスピアの研究者ですが、広島での被爆体験をもち、高校生向けの案内書を、岩波ジュニア新書(『新版 広島長崎修学旅行案内―原爆の跡をたずねる』)から出しています。『小説家大岡昇平』という好著(と思います)もあります。
森谷さんは、鳥取で高校の国語の先生を長く勤めた方ですが、高校で『こころ』の授業をしながら、この作品を高校生と読むことの意味がわからなくなり、苦しんだのだそうです。
それで、定年退職した後に、自分への宿題への答えを探ろうと、『こころ』論(『漱石『こゝろ』その仕掛けを読む』)を自費出版します。それを私は何かの記事で知り、直接版元に注文して読んだところ、とても面白いものでした。
日清戦争は、大きく日本を変えていくきっかけになった出来事で、これとともに日本の教育制度が、あるいは知識人の養成過程そのものが様変わりしていきます。
日清戦争の直前になくなった透谷も、その前後に松山中学の先生だった漱石も、日本の性急な近代化と、教育制度の変化に適応できなかったという共通点を持っていますね。
留学先では文部省に求められていない問題を自分で作って苦しみ、無鉄砲にも学校を飛び出す主人公を描き、博士号はいらないと文部省にたたき返す。そんな漱石に、透谷の面影を垣間見ることは不可能なのだろうか?そんなふうに、ここでは私は考えてみたのです。
ここで、幕末と明治のスキマに生きながら、近代化に適応できなかった人として、もうひとり、樋口一葉のことが書ければよかったというのが、今考えるところですね。
一葉の小説には、その後の日本文学史が取り落としていったさまざまな可能性が、ぎゅっと凝縮されている感じがしています。
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野口良平様、もったいなきお便りをありがとうございました!!!
松元寛先生、谷篁一郎先生の研究にも心惹かれます。
しかしよく遭遇なさったなあ。。。。。(さらっとおっしゃってますが、ほんとにむちゃくちゃ先行研究を渉猟されてます……)。
本を一冊書くって、そういうことなんだ)
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findareading · 2 years
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小勢な人数には広過ぎる古い家がひっそりしている中に、私は行李を解いて書物を繙き始めた。何故か私は気が落ち付かなかった。あの目眩るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁を一枚々々にまくって行く方が、気に張があって心持よく勉強が出来た。
夏目漱石著『こころ』(2016年2月第131刷、岩波文庫)
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benkyoutobentou · 4 months
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12 Books for 2024 (Japanese Edition)
You may have seen my post about the twelve books I read in 2023 (here), and I thought it would be fun to follow it up with a little tbr for 2024! Ideally, I'd like to read more than twelve books in 2024, but twelve is enough for now since I've got some series on this list that I'd like to either make some serious progress in or finish up completely. This list is in no particular order!
地球星人 - 村田沙耶香: I read コンビニ人間 by Murata a few years back and loved it, and this one has been high up on my tbr for a long time now. With how many people say they're completely traumatized by it, it sounds like the perfect book for me. The only reason I haven't read this yet is because I've hyped it up so much for myself.
生命式 - 村田沙耶香: A short story collection by Murata? Sign me up ten times over. This one sounds weird and gruesome and right up my alley.
本を守ろうとする猫の話 - 夏川草介: Another cat book, who can blame me? This was also touted as being perfect for book lovers, and I haven't heard a bad review yet.
吾輩は猫である - 夏目漱石: Keeping with the cat theme, this one I actually have planned in tandem with a challenge I have to read twelve big ass classics throughout the year. Between the sheer size of this and the fact that the text is so densely packed in, this book kinda scares me. I'm planning to read it in December of next year so that I have as much time as possible to prepare haha.
世界から猫が消えたなら - 川村元気: Last cat book, I promise, but I had to keep them all together (it's actually not about cats, though). I've had this one for a long time and just picked it up on a whim. I've heard a bit of mixed reviews, but the premise sounds interesting enough, and it seems to be pretty popular.
博士の愛した数式 - 小川洋子: This was one of the first books I bought in Japanese, so it's high time that I get it off my tbr. I've seen so many people love this, in and out of the language learning community. This author also has a bunch of other popular works, so I'd really like to jump into her books and experience the hype for myself.
告白 ‐ 湊かなえ: I've seen a bit of buzz about this book in the language learning community, but what really convinced me on it was seeing people outside of language learners also enjoying it. It sounds dark and mildly depressing, and I'm hoping that it'll have some interesting commentary as well.
独り舞 - 李琴峰: Somehow, I haven't read any queer literary fiction in Japanese yet, despite it being my favorite genre, so I'm so excited to jump into this one. For the life of me I can't remember where I heard about this, but I think it'll be one of my first reads in 2024.
デゥラララ!!- 成田良悟: I used to be obsessed with the anime adaptation in middle school but never revisited the series out of fear that it wouldn't stand the test of time. After seeing a fellow language learner gush about the series, I decided to give it a shot, managed to find it at a local used bookstore, and snatched up the first volume. Don't let me down, nostalgia!
憎らしい彼 - 凪良ゆう: This is the second book in the 美しい彼 series, and even though I'd like to read the third one next year as well, I'm just combining them. Seeing this series next to series like No. 6 and キノの旅 I'm really grateful to have a trilogy on my tbr haha.
No. 6 - あさのあつこ: Saying that I would like to finish this series next year is a bit of a stretch, seeing as I have eight of ten volumes left, but I'd like to put a serious dent in it to be sure.
キノの旅 - 時雨沢恵一: This series is more of a read as I please type series for me, since there's not really any overarching plot. I'm also not racing to make progress, since there are over twenty volumes (and still going). I'm savoring this series and I'm okay with that.
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nihongo-enthusiast · 7 days
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How To Read and Understand Japanese Sentences.
As you know, Japanese language is a SOV (Subject-Object-Verb) pattern while English is SVO pattern.
Some learners may know a good amount of vocabulary words but they still cannot understand the meaning of a sentence even if they know how to read every single word in that sentence. Why is that so?
This may be due to learners reading the wrong way. In order to understand Japanese sentences, follow the following steps:
1. Identify the subject with the noun followed by either a は or が. (Usually in the beginning of a sentence but there are some writers who purposely put the subject in the middle.)
2. Read the end of the sentence to locate the verb. Yes, you read this right. Just go straight to the end of the sentence to identify the verb.
Example:
私はその人を常に先生と呼んでいた。
In this sentence, the subject is 「私は」。Next, go straight to the end and identify the verb
Here, the verb is 「呼んでいた」 which means "called".
So now, you know what the subject is doing with 私は and 呼んでいた which means "I called."
Next, read the rest of the middle part 「その人を常に先生と…」 meaning "that person always teacher"
The whole sentence means "I always called that person as teacher."
Note: This sentence is the first opening line from the Japanese classic literature novel 「こころ」 by 夏目漱石。
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Aigis short story scan and transcription.
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人の心、アイギスの心
わたしは、人型戦術兵器アイギス。桐条グループ のラボで開発された、対シャドウ決戦兵器であります。現代の軍事技術の最先端であり、長年に渡るシャドウ研究の結晶。機械の身でありながら、人間と同様の精神性をも併せ持ち、世界で最も火力の充実したペルソナ使い。とくに頑強さにおいては定評があり、わたしの名前のもととなったギリシャ神 話---イージスの盾の逸話どおり、まさに不敗、鉄壁、無敵の存在。
そう。無敵のはずでした。
ですが、現在わたしが身を置いている月光館学園、その学生生活において、この優れた兵器としてのスペックはいっかな発揮する場を得られず、ゆかりさんを始めとする性別女性のクラスメイトの方々の口調を借りて言うなら、ちょっとブルー?なんかウツ入ってる?といった感じなのであります。
「······それじゃあ、今日は4日だから······ひの ふのみで、えっとアイギスさんか。このときの “私” の気持ちを要約して言ってちょうだい」
あ、そういえば、いまは授業中なのでありました。鳥海先生がわたしに回答の発言を要求しているであります。先ほどまで思考作業を行なっていたわたしですが、最先端の人型戦術兵器たるわたしの中枢は、並列処理が可能なので質問も聞き逃すことはありません。ありませんが······。
「どうしたの?やっぱ帰国子女には現代文は難しい?そんな深く考えなくていーのよ?」
現在のテキストは、夏目漱石という人物の創作による『こころ』という小説。わたしには、この “こころ” というものに対する理解が、まだまだ足りないようなのです。32秒あまりの沈黙ののち、鳥海先生はわたしに正解への手がかりを与えようというつもりでしょうか、やや演技過剰と認識される様子で話しかけてきます。
「自分が親友Kを差し置いてプロポーズした結果、その友達は何と自殺してしまう······さあ、そんなときアイギスさんなら、どう思う!?」
「わたしなら······友達が自殺してしまったなあと、思うであります」
「······まんまじゃないの。もちょっと捻りなさいよ!捻りなさい!」
「もしや······自殺に見せかけた殺人?」
「なんでよっ!これは漱石なのっ!純文の名作を江戸川乱歩ミステリにしないでっ!」
「動機の面では “お嬢さん” がもっとも疑わしくありますが······現場不在証明を確認する必要が······」
「聞いてよっ!私の話を聞いてっ!!」
いつものように鳥海先生がはじけてしまい、間を置かずに終業のチャイムが鳴りました。これがもし “私” が “お嬢さん” を親友Kから奪うための、要人略取作戦の立案であれば容易なのでありますが······。ペルソナさえ召喚できる精神を持つわたしでも、この “こころ” というものへの理解は、一筋縄ではいかないのであります。
「まあ、オレらは生身の人間だけどさ、それでもなかなか人の気持ちなんてわかんねえもんさ。そこまで悩まなくていいんでないの?」
順平さんの言葉に、わたしの大切なあの方もこくこくとうなずいてくださいました。いまは昼休み、屋上であります。現在、わたしが直面する問題を解決する参考意見を聴取するため、おふたりにご足労願ったのであります。
「しかし······現実問題として、わたしの学園生活には “人間らしさ” は必須のスキルであります。民間人の方々とのコミュニケーションが何らかの原因で阻害されれば、それはすなわち、わたしの任務も阻害されるということであります」
「でもよ、けっこうクラスの連中ともうまくやってるみたいじゃん」
「いえ、いわゆる “ジョシコウセイ” という集団において、わたしはひどく浮いているように思えます。携帯メールによる情報伝達すら、満足に理解できないありさまで······」 「へ?どーゆーこと?」
例えば、とわたしは前置きして携帯を取り出し、先日ゆかりさんから受け取ったメールをおふたりに見せました。そこには「桐条SP に遅くなるって伝えて (^_^)」と書いてあります。
「これが?」
「通常、SPといえば要人の身辺警護を行なう、いわゆるボディガードを指します。ですので、わたしは桐条グループの警備部に、その日のゆかりさんの帰宅が遅くなる旨を伝えました」
「い?そ、そりゃあ······」
「なぜか、変な顔をされたであります」
「だろうな」
「その夜、ゆかりさんからSPとは先輩の略だと聞き、 わたしは大きく落ち込みました。それだけではありません。別のメールで “H/K” という記述があり、それが “話は変わって” の略だと理解するまでに、3日を要しました。もしこれが “H&K” ならば、ドイツの銃器メーカー ヘッケラー&コッホの略だとわかるのですが」
「それこそ一般人にゃわかんねえよ······」
「だいたい、ギャル文字というのも何でありますか。“†ご” で “た” と読ませたり、“(十” で “さ” と読ませたり、1バイトで済む情報量をわざわざ2バイトに増加させるなど、理不尽であります。非効率的であります」
「まあまあまあ。それがジョシコーセーってもんだよ。つか、そんな形にとらわれなくたって、アイちゃん十分人間らし······あ、そーだ」
突然、順平さんが何かを思いついたように立ち上がりました。
「どうなさったのでありますか?」
「とりあえず、そういう相談ならさ、やっぱ本職に教えてもらうのが一番だと思うわけよ」
そう言って、順平さんは嬉しそうに笑顔を見せます。こういう人間らしい笑顔は、人間のジョシコウセイという擬装に必須で、それでいてわたしに足りないもの。こんな笑顔を、私も身につけることができるのでしょうか······?
「という訳で、特別講師の岳羽です」
「じょ、助手の山岸です」
「つかさ、順平。あんた結局さ、アイギスの相談ごとをダシに、自分が遊びたかっただけなんじゃないの?」
状況が理解不能であります。
その後、わたしたちはゆかりさん風花さんと合流し、なぜかポロニアンモールのカラオケマンドラゴラ店内にいるであります。
「ま、ま、ま、細かいことは気にしない!学校帰りに友達とカラオケなんて、女子高生の定番じゃん?やっぱ形から入るのも重要だと思うわけよオレは」
「そうなのでありますか?ジョシコウセイは下校途中にカラオケ······了解であります。あ、ですがそうなると、美鶴さんもお誘いすべきではないでしょうか?」
「き、桐条先輩は一般的女子高生の見本にするには······その、ちょっと違うかな、と」
「······?」
詳細は不明ですが、奥が深いであります。
「よっし、んじゃ早速アイちゃんからな。何歌う?何でもいいぜ」
「歌、でありますか?初めての経験でありますが······奮励努力するであります」
「よっしゃ、頑張れー!」
「想定外の事態でありました」
「ま、まだ頭がクラクラするわよ······」
「私は······鼓膜が破れるかと······」
「ま、まあしゃあねえや、な?」
不幸な事故でありました。わたしが敵おうとマイクのスイッチをオンにした瞬間、すさまじい不協和音が発生したのであります。わたしの駆動機関が発する電磁波とスピーカーとが共鳴を起こす。いわゆるハウリングという現象。それは、音響爆弾もかくやという威力でありました。ドリンクのグラスはすべて破壊され、隣室のカラオケ機器にも影響が出たということであります。
「中枢部の電磁波シールは完璧だったはずでありますが、各関節部の駆動モーターまでは考えが回りませんでした······」
これは、落胆という感情なのでしょうか?やはり兵器であるわたしには、普通のジョシコウセイとしての能力を身につけることは無理なのでしょうか?そんなわたしの思考を断ち切るように、順平さんが相変わらず明るく言います。
「んじゃ、気を取り直して女子校生の定番、その2!プリクラ行ってみようぜ!」
「ぶり······くら······でありますか?」
メモリにない言葉に、わたしは少し警戒心を呼び起こされます。ですが、せっかくの順平さんの立案です。わたしははっきりと肯定しました。
「行ってみる······あります!」
「よっし!んじゃゲームパニックにゴー!」
「で······ぷりくらとは、何でありますか?」
順平さんが盛大に転倒しました。
「これが、ぷりくら······プリント倶楽部でありますか。なるほどなー」
順平さんによると、数人で撮った写真をシール状に加工するための機器ということでありました。これで友人同士で写真を撮り、そのシールを分け合うというのが、ジョシコウセイの基本だとか。その意図はよく理解できませんが、この行動が作戦に必要ならば、わたしは逃げられません。敵前逃亡は銃殺刑でありますから。
「では、行きます」
「よし、ゆかりッチと風花も一緒にな。えっと、背景はコレ······フレームはコレでと······おし、スタートボタン押すぜ」
「ほらアイギス、ポーズとって」
「ポーズ、でありますか?」
「そうそう、笑顔笑顔」
「え、 笑顔······?」
状況を認識する間もなく、バシャというカメラのシャッター音に似た効果音が響き、さほど時間を置かずに下の受け取り口からシールが排出されました。それを見るや、順平さんが。
「う······ちょ、ちょっと笑顔が堅い、かな?」
「つかさ、笑ってないじゃん」
ゆかりさんの言うとおり、シールになったわたしの表情は、いわゆる無表情というものでした。兵器としてのわたしには、感情に応じて表情を変えるという仕様はありません。
「も、もう一度やってみようぜ?」
「その試みは無駄かと思われます。笑顔や泣き顔を表現できないということは、わたしの仕様ですからしょうがないのであります」
と、わたしのその言葉に、皆さんが一様に顔を見合わせたかと思うと、一斉に爆笑されました。
「何ごとでありますか?」
わたしの疑問に答えることもなく。否、答える余裕がないように、皆さんは笑い続けています。
「な、何ごとって······くっくっく······あ、アイちゃん、さすがあの幾月さんにメンテ受けているだけはあるな。ぶふっ」
「く、苦しい······何よ今のダジャレ。“しようだからしょうがない” って。あははっ」
「幾月さんが言うとアレだけど、アイギスが言うと愛嬌があっていいよね」
「あ······」
理解しました。意図したことではありませんが、わたしの発言がいわゆる洒落、似た音の言葉で一連の文章を作る、もじり言葉あるいは掛け言葉といわれるものになっていたようです。少々、困惑してしまいつつも、皆さんが喜んでくださったことは、わたしにとっても喜びであります。
「あれ?できるじゃん、笑顔」
「え?」
突然の順平さんの指摘に、わたしは驚きました。
「笑って、いましたか?」
「うん、私も見たよ」
風花さんも、順平さんに同意します。そうですか、わたしは笑っていましたか。
「そうそう。そこの無愛想な現場リーダーよりも、いい笑顔だったよ」
「······」
ゆかりさんの指摘に、あの方は別にどうでもいい、といった風にそっぽを向きました。そういえば、この方はあまり気持ちを表情には出さない方です。それでも、立派にリーダーとしての役割をこなしていますし、友人の方々ともうまくやっていらっしゃるようです。わたしは、ふと、ひとつのことに思い至り、発言しました。
「わたしは、お役に立てていますか?」
「へ?どうしたんだよ突然」
「わたしは、いわゆるジョシコウセイの方々のように振舞うことができません。カラオケもプリクラもうまくできません。人間の方の、“心” というものが理解できません。それでも、皆さんの仲間として、特別課外活動部所属の一員として、この場所にいてもいいのでしょうか?」
「あ------ったりまえじゃん!!」
順平さんが、大声で答えました。
「何、アイギスそんなこと悩んでたの?」
ゆかりさんも呆れたような口調で言います。それに続いて風花さんも言いました。
「アイギス、不安だったんだね?」
「不安······そう、そうかもしれません」
わたしのなすべきことは、皆さんとともにシャドウを倒すこと。そしてあの方を守ること。ジョシコウセイらしくできないわたしは、その任務に不適格なのではないか、皆さんの期待に応えられていないのではないか?そういう想いが、わたしの処理を不安定にしていたことに、いまようやく自分でも気づいたようでした。
ポロニアンモールからの帰り道、風花さんがわたしのそばに寄ってきて言いました。
「あのね、私思うんだけど、周りの人が自分をどう思ってるかわからなくて不安になる、それって立派に心があるってことじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
もしそうなら、わたしは嬉しく思います。心を理解できないことで悩んでいたわたしが、理解しがたいことで悩むのが心なのだと、逆説的なことを知って安心しています。
「人の心とは、摩訶不思議でありますね」
「みんな一緒、そう思ってるよ」
みんな一緒······それは何だか嬉しいことであります。わたしはふと、ポケットから携帯を取り出して、そこに貼られた先ほどのプリクラを眺めます。
「おそろいであります」
わたしがそう言ったとき、前を歩いていた順平さんとあの方が、少し驚いた顔をしました。
今度はわたしも自覚していました。こういうときに、人間は笑うのであります。
わたしは人型戦術兵器アイギス。人間の心が理解できずにときどき悩んだりもするけれど、それでも大切にしてくださる人がいる、幸せな对シャドウ決戦兵器なのであります。
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
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 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗り��むと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つ���、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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rabbitboy · 8 months
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では「夜ごはん」は、日本語として間違っているのでしょうか、それとも許容される表現なのでしょうか。それについて考えてみましょう。 そもそもご飯は一日に3回食べるので、その3回にそれぞれ名前が付けられています。3回の食事のうち、朝や昼は言い方が、 朝ごはん・朝食・朝飯・朝餉 昼ごはん・昼食・昼飯・昼餉・午餐 に固定していて、違和感を抱いたことはありません。なお「昼ごはん」だけは、単に「お昼」でも十分通用しています。 それに対して夜はというと、 夕ごはん・夕食・夕飯・夕餉 晩ごはん・晩食・晩飯・晩餉・晩餐 の2種類があります。「晩食」はあまり耳にしないかもしれませんが、夏目漱石の『門』に出ています。また「晩餉」ともいいます。ただしこの場合、「ばんげ」ではなく「ばんしょう」と読んでください。もっとも泉鏡花は、『遺稿』の中で「晩餉」を「ばんげ」と読ませています。なお永谷園のインスタントみそ汁は、「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」となっており、「ばんしょう」はありません。 もう1つ、晩には「晩餐」という大げさないい方もあります。これは逆に「朝餐」「昼餐」とはいわないようです。かろうじて昼には「午餐」といういい方があります。「午」は旧暦の時刻で、午前11時から午後1時までのことです。それが現在でも正午(午の正刻)として残っています。 問題の「夜ごはん」は、かなり新しく言い出された表現のようです。そのため年配の人には、幼い言い方(幼児語)と受け取られているようです。
「夜ごはん」をめぐって :: 同志社女子大学
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otarulove · 8 months
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サニーホームワークスにいます — 〈お元気ですか?今日は、何の日・〉
https://sunnyhomewor.thebase.in/
ドライりんご 発売中です。
おはようございます。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたか とんと見当がつかぬ。」
曇り時々晴れ 最高気温25℃の予報です。
1908年の今日は、夏目漱石氏が飼っていた
吾輩は猫である の主人公のモデルとなった
猫が死亡した日です。猫の死亡通知を出した、
いいね!
If were the last day of my life,
I want to do what I am about
to do today?
今日もいろいろ頑張ります。
よろしくお願い申し上げます。
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yrrjelly · 6 months
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月が綺麗ですね
夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」って訳したやん。なんで、「月が綺麗ですね」にしたんやろなあって、ぼんやり考えてた。
何気なく見上げた月も、愛しい君と見ればより綺麗に輝いて見えるよみたいなんかな?
俺やったらなんて訳すんやろ。「ご飯がいつもより美味しいです。」じゃあまりにも食いしん坊で色気が無さすぎる。でも、食いしん坊な俺にピッタリかもしれん。いつも食べてるご飯も、愛しい貴方と食べるといつもの何倍も美味しいご馳走みたいだ!的な。
「貴方と見る世界は輝いています。」んー、なんかこれやとちょっと、くさい台詞っぽいかな。でも、愛しい貴方と見れば、味気なかった世界が鮮やかに色づいて見えるんだよ、的な。
なんかこういうの考えるの楽しくて好きなんよな。
結局のところ、ありふれた日常も愛しい人と過ごすことによって、なにものにも変えられない素敵な思い出に変わるんやなと思った、午前1時5分。
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straycatboogie · 8 months
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2023/09/07
BGM: hi-posi - ジェニーはご機嫌ななめ
今日は早番だった。仕事が終わったあと図書館に行く。昨日話題にしたバートランド・ラッセル『幸福論』を借りようかなとも思ったのだけれど、なぜか二の足を踏んでしまい結局今日は多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』と柄谷行人『漱石論集成』を借りる。思えば夏目漱石の小説を「ぜんぶ読んでしまいたい」「『吾輩は猫である』から『明暗』まで読み尽くしたい」と思ったのがいつの頃だったか。たぶん10年ほど前に思い立ったのだと思うけれど(いや、20年前だったかもしれない)、結局いまに至るも完読はできていないのだった。漱石1つとってもそんな有り様なので、この世にはぼくの知らない本・読めてない作品が数多と存在するという事実には常に謙虚でありたいと思っている。ただ最近、歳を取ってしまって自分の好みが変化してきたのを感じたりもしている。一度読んだことのある本にもう一度浸って安心したい、と思ってしまうようで、だからなかなか見たこともない未知の本に手が伸びないでいるのだった。好みが保守的になったのかどうなのかわからない。既知の本、すでに読んだことのある本でも(言うまでもないけれど)読み返すと新たな発見がある。そうした「再発見」の醍醐味がわかってきたのかもしれない。
未知の本ということで思い出した。ぼくは実を言うと40代になってはじめてドストエフスキーを読んだのだった。40代で、だ。それまでもドストエフスキーは読まなければならないと思って、でもページを開いて活字を読もうとしてもぜんぜん頭に入らず途方に暮れたことを思い出す。その経験から考えるに、ぼくは「いつどのような本とどのような出会いをするかはその人の人生次第である」と思っている。ゆえに40代どころか、50代や60代でドストエフスキーに出会おうがそれはその人のかけがえのない人生経験になりうる。だから、それを決して「遅すぎる」と恥じる必要などないのだ、と。世の中には一定数(いったい何が楽しいのかわからないけれど)優越感に浸りたい人というのがいて、そういう人が自分の読書経験からあれこれ「まだ読んでないのか」「いったい何やってきたんだ」と人を攻撃したりするものなのだけれどぼくはこれは端的にナンセンスだと思う。どんな本をいつ読もうが自由であるべきだ、とぼくは信じる。それがぼくのようにフェルナンド・ペソア『不安の書』であろうが、あるいは『はだしのゲン』や『チェンソーマン』であろうがかまわない。本を読むとはそんなふうなアナーキー(?)で自由自在なものだ。
ところで、こうして書いてきてぼく自身がこれまで自分の人生の中で「愛読書」として楽しんできたものは何だったんだろうと振り返ってしまった。思い出せるのはポール・オースター『ムーン・パレス』、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』や先に書いたフェルナンド・ペソア『不安の書』といった本である。今日、ぼくはXで「これからの人生で1冊だけ本を繰り返し読めるとしたら」というポストを見かけて、たぶん自分なら今後もそうした本と向き合って生きていくことになるかなと思った。無人島に行こうが、旅行をしようが自分は旅先でこれまで折に触れて読みふけった堀江敏幸『河岸忘日抄』やリルケ『マルテの手記』や、あるいはそれこそ漱石の『硝子戸の中』などを読み返すのかなあ、と……こうして好きな本についてあれこれ書いていると、何だか猥談を独りよがりに楽しんでいるような気恥ずかしい気分になってきた。本とのつきあいとは個人的なものだ。ぼく自身の懊悩・煩悩を本にぶつけて、そこからパーソナルな対話を行う。それが読書だ。それでいいのかな、とも思っている。別の言い方をすれば、ぼくは読書の趣味を自慢したいとは思わない。自慢するにはぼくの読書はあまりにも個人的な、せせこましい作業である。
夜、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。今日のミーティングではこの市で英会話を楽しめるところについて情報をシェアしあった。そうした施設・教室はないわけではないが授業料高価で、なかなかワンコインで楽しめるところがない……と。そこから、ぼくたち自身がZOOMか何かで教室を開くことができたらという話題にもなった。別段ネイティブの先生でなくてもいい、日本人の先生でもいいので(場所はオンラインで)開けたらと。ふと、Discordかどこかで英語を教えた経験のある人にこうしたことがらを相談できないかとも思ったりもした。教室を開くのが無理なら、英語でチャットを行うカフェを開くのはどうかというようなことも……その後、clubhouseやDiscordでチャットに興じた。寝る前に柄谷行人『探究II』を少しかじる。「この私」について、「自分は特別ではない」けれど「かけがえのない存在である」という微妙な事実について考えさせられる。上に書いてきたことをなぞれば、ぼくの人生は「ぼく自身にとって大事なもの」である。たとえそれが「なんら特別なものではない、ありふれたもの」であるにしても、だ……こんな当たり前のことをうんうん唸りつつ考えているのがぼくというどん臭い人間なのだった。
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kuribayashisachi · 8 months
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#勉強メモ
野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第2章「滅びる者と生き残る者」-3
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第2章「滅びる者と生き残る者」-1,2の続きです。
透谷の孤独な思考を受け継いだのは?
-3で著者は、透谷と同世代で、透谷の死後20年生きて文学の仕事をした、夏目漱石の「こころ」を取りあげています。
以下、いつにも増して理解の届かない、ワタクシのメモですので、参考にもしないでください。「いや、これはこうじゃないの?」というご意見がありましたら、是非教えて頂きたいです~!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
-3
著者は、北村透谷という人を 《「内部生命」を掲げつつ市民宗教への抵抗に殉じるに至った》(p247)人だとしています。 「"個人の心(内部生命)が基本だ!"という考えをもって、天皇制という市民宗教(集会、布教の自由を許さない)への疑問を突きつけ、力尽きて死んでしまった」人、 という感じでしょうか
透谷の命がけの問いを受け継いだ仕事として、夏目漱石の「こころ」を、著者は読み解いてゆきます。
「こころ」のストーリーは、
過去に、利己心から「K」を裏切ってしまった「先生」は、自死をとげる。
というもの。
なのですが、そんな「先生」は遺書に、自殺の理由として「明治の精神への殉死」をあげている。 (乃木希典の明治天皇への「殉死」がすぐに連想されます)
これはなぜなのか。
「こころ」の先行研究(森谷篁一郎、松元寛)を紹介しつつ読み解きます。
① 先生は己の「倫理意識」と「利己心」のせめぎ合いの内に死を選んだ。
これを著者は、 先生の自殺が 「市民宗教(天皇バンザイ)への帰依」と 「市民宗教からの自由」の 「意識相克」を照らし出す仕掛けとうけとることもできる、という。
乃木大将のモノマネをする、ということが、 「殉死に倣う」と言うことであると同時に、 「異化」の目線を醸し出す。(まねすることの戯画化、ということは透谷が論考の中で言い残している)。 つまり、天皇バンザイという考えから体を離した所に身を置いている姿勢をも描いている。
② 先生の遺書を年下世代の「私」が受けとる
=利己心も含めた私情(先生が「K」を裏切ったこと、それを苦しんだこと)を否定しない契約社会のあり方を提示しているのかも。 山路愛山の言うように「健康で正直で優秀な人しか生きていけない社会」でなくて!
透谷の死も、そのことを次の世代に引き継いでいた、ともいえるかも。
③ 漱石の「こころ」は、透谷が挑んで玉砕した相手が何だったのか、という問いに、同じように直面している。
先生が殉じた「明治の精神」とは、 “健康で堅実で清くそれでいて無慈悲に「弱肉強食」” というバケモノなものだったけど、
「明治の精神」に対抗すべき「人の心」「内部生命」は、その力にあまりにも限界があった。そのことを「先生」や「K」、透谷は知ってしまっていた(自殺してしまった)。 じゃあわたしらはどうすりゃいいの?��(答えはないと漱石は言ってる。答えはないけど幕末の志士のように斬るか斬られるかの覚悟で文学をやりたいと)という困ったバケモノ。
④ 「先生」の造形=北村透谷という“もう一人の「K」”の「なぞり」のようにも見える
(「先生」の自殺が「K」の自殺のなぞり。ふーん。なんかパズルみたいになってきたぞ)
・・・・・・・・・・・・
理解し得た、とは言えない第3部第2章-3ですが、 著者が、透谷が悶絶して一人で死んで、歴史空間に宙ぶらりん、にしてはあまりに惨い、そうではなかった、誰か辿った人があるはずだと、心を込めて細道を探査しているように思えました。
いやー
ほんとうに透谷、もう少し生きてくれなかったでしょうか。 せめて日本語が言文一致の書き言葉を獲得してくれるまで。 そうしたら新しい書き言葉でたくさん書き残してくれたし、 なにより、だましだまし元気で生きてほしかった。
平塚らいてうみたいに、両親が娘のどんなバッシングにも負けず、文句は言わずにお金だけだして支えてくれてたら。
平塚らいてうみたいに、座禅を組んだりして肝っ玉を太くする習慣があったら。
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onigiriforears · 1 year
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日本の歴史366 Day 5 Summary
1月5日 Summary:
Natsume Soseki was an English teacher who eventually became an acclaimed novelist across Japan. One of his most popular novels is I Am a Cat.
Vocab beneath break:
夏目漱石 なつめ そうせき Natsume Soseki (Japanese novelist)
気分 きぶん feeling; mood
気分が悪い きぶんがわるい feel sick; feel unwell
小説 しょうせつ novel; story; (work of) fiction
作家 さっか author; writer; novelist
若いころ わかいころ one's youth; early life; one's early days; one's early years
体が弱い からだがよわい frail; having a weak constitution; being in poor health​
胃 い stomach
神経 しんけい nerves
病気 びょうき illness; sickness; disease
悩む なやむ to be worried; to be troubled
気分転換 きぶんてんかん change of pace; change of mood; (mental) break (e.g. going for a walk); refreshment
大ヒット だいヒット big hit; smash hit; popular item (e.g. movie, music)
大作家 だいさっか great writer; major writer
江戸時代 えどじだい Edo period (1603-1868)
得意 とくい one's strong point; one's forte; one's specialty
神経病 しんけいびょう nervous disorder; nerve disease
吾輩は猫である わがはいはねこである I Am a Cat (novel written by Natsume Soseki)
教師 きょうし teacher (classroom)
三四郎 さんしろう Sanshirou (coming-of-age novel written by Natsume Soseki)
こころ Kokoro (novel written by Natsume Soseki)
発表 はっぴょう publication; releasing
代表 だいひょう representation; representative; exemplification
ペンネーム pen name
頑固者 がんこもの stubborn person; bonehead; bullethead; pig-headed person
変わり者 かわりもの eccentric; oddball; character; weirdo
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ichinichi-okure · 11 months
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2023.5.25thu_saitama
鷹取さんから日記を書く依頼をもらって、日記日記、、と朝から思っていた。正しくは前日から日記とは、、?と考えていた。 私は日記を書かない。日記みたいな感じで日々SNSに写真や文章を載せているけれど、それを日記だと思ったことはない。もっとなんか、軽くて雑で。生活の延長にあって特別でなくて良いもの。と書いたところで、じゃあ日記は私にとって特別なんだな〜と気づく。普段やらないこと、意識していないこと。それはちょっと遠い。うーん?と考えて寝たら悪夢を見て起きて、夢日記にしてしまいそうになる。他人の夢の話はつまらないという話も聞くけれど、どうか。そんなことはないと思うけれど、自分の悪夢は面白くないからやめる。夢の話といえば夏目漱石、『夢十夜』もだいぶ不気味だなあと連想ゲームみたいに脳内が廻る。「こんな夢を見た。」
そんなことを言いながら、この頃大学で授業をしている中で学生に自由課題として挙げたのは『日記(文学)』だった。美大の学生は日記のようにドローイングをしたりもするし、考えをメモしたりしている子もいそうだから、自分の日記的なものか世の中の日記文学から引用して作品を作ってねという話。(でも自分でテーマを決められる人はそのテーマで制作してもらうので、この課題はやらない人がほとんどのはず。テーマが決まらない人向けの一例で設定。余談。) 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の冒頭が頭をよぎる紀貫之『土佐日記』や、沢村貞子さんが作った献立の記録集である『わたしの献立日記』とか、日記といっても創作日記なのか本当の記録の日記なのかも色々あって面白い。みんな何を見て何を考えているの?というのを垣間見せてくれるから、文学が好きだ。そういえば日記はその最たるものなのかも。写真も。アート全般か。
ここまで書いてみて、まだ今日のことを何一つ書いていない。 今日2023/5/25の埼玉県は晴れ曇り、爽やかな風が吹いていて洗濯物もよく乾きます。というのは天気予報からの情報で、体感としてはどうか。 机に座っている私の左側の大きな窓から日が射して、薄青い空が見えて、洗濯物が揺れていて、悪くない。正面ではだらだら昔の2時間ドラマがかかっていて、メールを返したり仕事の写真データを作ったりしながら時々事件を確認する。仕事に集中しているうちに別の刑事が事件を調査したりしていて、さっきの犯人はもうわからない。何か音が必要なだけだから時にラジオにしたり音楽をかけたりもするけれど、あんまり好きなものがかかるとそちらに気を取られて仕事にならないから、永遠に犯人がわからないくらいの興味でちょうどいい。 ところで昔のドラマだから、もう死んでいる人がたくさん映っている。あ この人もういないんだった とふと気がついて、俳優のその人のことも個人としても何も知らないのに、ニュースで流れるから死んだことを知ってるなんて変な話だなとなる。あと映像の中ではもちろん役として生きているから、死んでるけど生きてる〜という感じが不思議にもなる。そんなの映画でも写真でも音楽でもいつもそうなんだけど。十津川警部、信濃のコロンボあたりはいろんな俳優が演じていることによって、今は〇〇さん、次は△△さん、、?と面白くなって、この感じ水戸黄門だね!と時代劇のことも振り返る。あー永遠かーというのは時々考えていて、水戸黄門から式年遷宮のことも考える。「永遠に新しく、いつまでも変わらない」というのは外側の話なのか内側の話なのか総じての永遠なのか、何なのか。アートの永続性など。別に答えを出したいわけでも誰かに問いたいわけでもなくて、ただ私の内側でずっとぼんやり存在している問いみたいなもの。 午前中が過ぎた。
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お昼は実家に食べに行って、父の作ったパスタを食べた。35歳で母と結婚したとき父は家事が全然できなかったらしいのに、今はひと通りやれる。という事実が人間は大人になっても成長できるということを物語っている。私は今36歳で、だから私も何か変わりたくなったら変われるだろう。長生きしたらそれだけ変われる可能性がある。そら豆とグリーンピースとトマトのパスタは美味しかった。両親は週の半分弱くらい茨城にある祖父母の家で畑作業をして暮らしていて、そら豆もグリーンピースも無農薬で彼らが作ったもので、美味しさには身近な人の作った信頼の美味しさもプラスされているのかもしれない。自分以外の誰かが作ってくれる美味しさもある。 午後、データを作っていると納期の問い合わせが来る。連絡するのをすっかり忘れていた。いつも自分の中で言葉が渦巻いているのに、外に伝えるのを忘れるしうまく話せないし困ったものである。というか他の人に迷惑をかけている。すみません今日中に納品します!とすぐ返事をする。 日記を書けないのは、たぶん、こんなふうに長くなりすぎるからだろう。その日感じたことを全部書きたくなるかもしれないから、そんなのやばすぎる。献立だけ書けるような暮らしをしていない。今日だけだから、こんなふうに書ける。こんなの誰か面白いのかな?と頭に浮かんで、まあ日記なんだから良いかと思い直す。日記なんだからね。誰かが読む前提なのにこれで良いのかは謎。
そういえばここで一人称は「私」だけれど、実家に行くとほぼ「俺」に戻ってしまう。実家に居た若者の頃は女の子ぽくすることを拒否して、見た目も話し言葉も女性を感じさせるものからは遠ざかっていた。外の人の前ではあたしや私となり、家に帰ると俺になっていたのは今となっては面白いけれど、女性側に所属したくはないけど男の人になりたいわけでもなく、特別視されたくもなかったので当然ではある。内側にはこの先もずっと、俺として話す自分を飼い慣らして暮らすのでしょう。(現在は女の人の見た目の暮らしを楽しんでいるし、もう生き物としてそのまま何でもいい感じになって暮らしやすい。昔もそのようになりたかった。) そんなことも影響してか、赤木さんはよく分からない人ですね と言われたりもしていたけれど、そんなの私も分からないし、誰のことも本当には分からない。分からないのに案外人のことが好きで、知らないことばかりで、それを面白がっている。分かりたい気持ちと、結局どうでも良いかなというのが同居している。そういうのは駄目なのかしらね。誰にもジャッジされたくないし、したくもない。みんな好きに楽しく生きたら良いのにね。体現したい。
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夕陽が綺麗、夜を迎えた。夕焼けが綺麗だと次の日晴れるというのを信じている。明日は仲良くなりたい人と飲みに行くので、晴れてほしい。 写真家なのに、写真のことを書いていないしスマホで撮った写真を添付している。写真家だけど、人間がそれぞれ違うんだからいいよね。 もう少し仕事をしたら、今夜は悪夢を見ずに眠りたい。おやすみなさい。長い日記。
ープロフィール- 赤木遥 36歳 埼玉 写真家(今だけ大学講師でもある) http://harukaakagi.com
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lastscenecom · 1 year
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学生時代から好きで、唯一全集を持っている夏目漱石を、今また読み返している。 「学生時代は『こころ』『明暗』と暗くて深いものが好きだったけれど、おもしろいと思えるところが今は全然違う。『草枕』なんてそのいい例で、何も起きないし、ドラマも何もない。峠のほうに旅にいって、宿屋に泊まったって話で、一枚の山水画のようで、でもそれがいい」
音楽家・坂本龍一が語る、自身が作りたい音楽について(T JAPAN web) - Yahoo!ニュース
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pix-ied · 1 year
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23年3月5週目
今週の休みは上手く回せた気がする。ポイントの1つはジムのクラスに参加することを諦めて筋トレ+有酸素運動にしたこと。自分のタイミングに行ければ時間の調整はつきやすい。これは有酸素運動の時間に海外ドラマも観られるし、週に1度はやりたいけど、これだけならもっと安いプランで十分だし、なんならもっとよく見る安いジムで良い。仕事の日にジムに行けるようになればな。
今週はカズオ・イシグロ脚本の『生きる』(しかもビル・ナイ主演!)なんて絶対に良いだろと思って観に行った。黒澤の『生きる』は学生時代なぜか授業で観たけど若いし白黒だしで全然頭に入ってこなかった。たぶん今ならもうちょっとちゃんと鑑賞できるはず。今作はちょっと想像より自分の死を知り、自分の人生に目覚めるまでが長く、目覚めてからから亡くなるまでがあっさりしていたので、もうちょっとそこをゆっくり見せてと思ってしまった。気持ちの上では、自分も同じような悩みを抱えているからだと思うが。元職場の女の子につきまとうように現れたり、時間つぶしに付き合わせたりする様子はいくらビル・ナイと言っても不快というか嫌な記憶が刺激される感じだったけれど、その反面その後女の子に事情や心情を語るシーンでは名言の数々が出てきて、いやぁこれは手許に置いておきたい作品だなと思った。イシグロがこだわった1950年代のルックもとても素敵だった。私は古いイギリス映画のことはほとんど分からないんだけど、古いフィルムのザラザラとした映像や服装や建物、全ての調和が美しかった。「それはうちじゃなくて〇〇部ですね」って、言ったことがある人(それなりに大きな組織に所属している人はみんな言ったことがあるんじゃないだろうか)にはとても刺さる映画だ。小さなことでも何か1つ仕事でちゃんと成し遂げたい。
そして3ヵ月に1度はwishlistを振り返るぞって書いたので、どんなやり方にしようか迷ってるけど、達成できていないものを列挙して認識を改めようと思う。
台湾に行く
それ以外のアジアに行く
訪れる国の映画を観る
訪れる国の小説を読む
読書旅行する
ビーチに行く
雪見温泉行く
行ったことない県に行く
どこかでビューンを使う
レムに泊まる
サウナで整う
温泉の泉質を研究する
批評を書く
税理士の簿記論を取る
ヘミングウェイの英文法の本を読み切る
リベラルアーツを勉強する
読書会に参加する
雑談の練習をする
質問を用意する
楽しみなデートをする
東京を歩く
フィルムカメラを使う
友達に友達を紹介してもらう
美術館に行く
西洋美術を観る
現代アートを観る
台湾映画を観る
中東映画を観る
恋愛映画を観る
ヨーロッパの国別に映画を観る
会社の机の上を片付ける
部屋の机の上を片付ける
物を手放す
ネイルシール使う
ネイルシールを作ってもらう
アイメイクを勉強する
全身脱毛する
足裏のメンテナンスに行く
整体に行く
美顔器買う
パックする
パーソナルカラー診断する
姿勢をよくする
美容医療を試す
週3回23時までに寝る
体脂肪率24%
月1でフィクション以外も読む
良い古本屋を見つける
本を売る
新書を買う
ビジネス書も読む
夏目漱石を読む
司馬遼太郎を読む
誠品書店で本を買ってカフェで本を読む
怒りのコントロールの練習をする
イライラを態度に出さない
美味しいクロワッサンを食べる
ナシレマッ食べる
パンミー食べる
水着を着る
ショートパンツを履く
友達の子供を抱っこする
職場の近くで家を探す
心臓のエコーを受ける
婦人科で検診受ける
魚料理を作る
スパイスを買ってみる
スコーンを作る
塗り絵する
泳ぐ
スポーツ観戦に行く
具合悪くならないお酒の飲み方をマスターする
筆記具を買い直す
なりたい体型を意識して筋トレする
旅行先で映画を観る
旅行先で本を買う
建築を見る
演劇を見る
好きな会社の株を買う
NISAを始める
自分の人生は自分で楽しくする
仕事に小さくても楽しみを見出す
人の人生の野望を聞く
人生の野望を考えて人に話す
良いと思ったことはどんどん褒める
テラス席で夕暮れを過ごす
自分の選択を後悔しない
優雅な生活で最高の復讐をする
あと88個!
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rigelmejo · 1 year
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Spent a half hour reading Soseki's I Am a Cat chapter 1, on this site https://www.sosekiproject.org/iamacat/iamacat01.html
I'm curious why Cat uses ある in this, instead of いる. I also saw some notes that this is hard to read, for 2-3 year japanese students, and I'm curious if the difficulty is partly in old word choice. Or if the main difficulty is grammar which would be incorrect today, because if it's the second one I should be aware not to mess up my understanding of modern grammar.
I couldn't find any articles online explaining if early 1900s japanese was the same grammatically as current japanese or not, unfortunately.
This site is really cool by the way! It has recorded audio, click definitions, a vocabulary list page so I can pre read the word list to get familiar, and a rough English translation to check I understood or clarify what I did not!
I'm also really interested to learn he wrote こころ. Today on Amazon Japan, oddly, BL novels were leading me to Kokoro (modern novel adaptation? I'm not sure but it had furigana over almost everything so I bookmarked it since that's useful specifically for my needs of reinforcing pronunciations). Then it led me to a MANGA adaptation of Kokoro, also with the description BL in some of the reviews. I'm now really wondering if Kokoro has queer characters or if the author of the Version I was looking at it just like.... re-wrote a classic to be gay? Like Pride and Prejudice and Zombies, but instead this and adding a queer romance. Maybe??? I was really confused seeing BL in the reviews. And even More confused seeing the original author of Kokoro was Soseki who wrote several popular works a century ago.
Here's the Kokoro version links by the way. I'm so curious...
Novel version I found with furigana: https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B08XXWB83M/?coliid=I37PM354YDLA2N&colid=GII52WHBU66K&psc=0&ref_=lv_ov_lig_dp_it
Manga version I found: https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3-ebook/dp/B08W7RB2M9/ref=kwrp_li_stl_nodl?nodl_android=1
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